夜半、夜闇を渡るように高く声が響く。

誰かを呼んでいる。
何かを呼んでいる。

朔月の静かな夜だった。



かたんと、板戸の開く音で三蔵は目覚めた。
身体を起こし、閨を出た。

開け放った蔀の向こう、簀の子に立つ小さな後ろ姿を見つけた。
と、高く響く声が朔の夜闇を渡っていく。

「…鵺か……」

何の鳴く声か知って、そこに声の主がいるように三蔵は空を見上げた。

見上げた夜空は流れる星の大河と共に星海原が広がっている。
だから、朔の夜でも星明かりで仄かに庵の周囲は明るい。

また、声が夜闇を渡る。

その声に目の前の小さな背中が震えた。

「悟空?」

呼べば、

「――…呼んでる」

と、感情のこもらない声で呟き、庭の奥を指さした。

新月の夜闇を見つめる視線の先、その方向を見やれば、ひっそりと女が一人、立っていた。

朧な陰をまとい、ゆらゆらと揺れる陽炎のような姿の女だった。
だからか、表情はよく見えない。
それでも三蔵は、その女と視線が合った。

「誰…だ?」

問いかけながら三蔵は女が誰か答えがわかった。
だから、

「連れに来たのか?」

と。

何を誰をとは言わない。
それでも想いは伝わるのだろう。
女はじっと三蔵と合った視線を外すことなく、やがて、違うと言うように首を振り、次いで三蔵に向かって深々と頭を下げた。
それと共に女の言わんとしていることが三蔵には理解出来た。
だから、

「わかった」

じっと動かず、夜闇の向こうに佇む女を見つめる悟空の頭にそっと手を置いて、三蔵は頷いた。

と、また、三蔵が聞いた最初より、次より、その次よりも長く高く声が夜を渡っていく。
長く尾を引いた声が消える頃、女は消えていた。



どれほどそうしていたのか。
僅かか、長い時間だったのか。

三蔵の手に触れる柔らかな感触に、三蔵は視線を向けた。

「……ぁ、あれ…?さんぞ?!」

頭の上に置かれた三蔵の手に触れながら、夢から覚めたような顔で、悟空は三蔵を振り返った。
その三蔵を見上げる瞳が困惑に揺れていたから、

「こんな夜中にここで何をしている?」

悟空と同じ目の高さにしゃがんで問うてやれば、

「えっとぉ…」

小首をかしげて考える。

何かを思い出そうとする様子に、答えが出るのを待てばやがて、

「あのね、呼ばれたのぉ…ここにいるからおいでって…それでね、行ったのぉ」

と、答えが返った。

「…行ったらね、白い人がいたの。その人がね頭を撫でてくれた…?」
「それで、誰だったんだ?」

問えば、

「さんぞー」

そう言って笑った。

「そうか…」
「うん」

頷く笑顔に三蔵は、くしゃりと悟空の頭を掻き混ぜ、立ち上がった。

「ほら、寝るぞ」

手を差し出せば、嬉しそうに握り返す手を引いて閨に戻りながら三蔵は、朧な女のいた場所を振り返った。
そこに、ふわりと、小さな光りが夜闇に消えるのを三蔵は見た気がした。




鵺(ぬえ):虎鶫の異称。または正体の知れない妖怪。

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