哉生魄




「来ちゃいました」

じゃねぇだろ、とは言わず、目の前に立つ徳利を抱えた光明の姿に三蔵はその紫暗を見開いたまましばらく二の句を次ぐことができなかった。

「金蝉…?」

大丈夫ですか?と、ひらひらと手のひらを目の前で振ってみせた。

「――っぁ…何で…」

はっと、我に返って問えば、

「十六夜の月がほら、とても綺麗だったので、お前と飲みたくなったのですよ」

と、笑った。

結局、光明の勢いに押され、肴を用意し、二人で簀の子に座り、晴れた夜空に昇った十六夜の月を眺めながら盃を傾けることになった。




ようやく落ち着いたところで、悟空の姿がないことに光明が気付いた。

「悟空は?」
「何時だと思ってる。もう眠っている」
「そうですか…」

しゅんと項垂れるのへ、

「逢いたかったらあいつが起きている時間に来い」

と、ため息混じりに言ってやる。

「そうですね。次からはお菓子をたくさん持って来ますね」

今項垂れていたと思ったら、三蔵に一言ですっかり立ち直って笑った。

「そうそう、この間は手を煩わせました。でも、おかげさまであそこを根城に都を騒がせていた妖怪達を一掃できましたから」

本当にありがとうと礼を述べる光明を見つめながら三蔵は、先日の突然の呼び出されたことを思い出して、眉間の皺を深くした。

「いい」

光明からの感謝の言葉を受け取って、三蔵はもうこの話は終わりだと言わんばかりに、光明の杯に酒を注いだのだった。
それから二人は何も言わず、静かに盃を傾け続けた。




夜もすっかり更け、十六夜の月も西の地平に沈む頃、ようやく光明は腰を上げた。

「すっかり長居をしました。お前といると気が休まります」

そう言ってふわりと笑うから、思わず訊いてしまった。

「疲れているのか?」

と。

「少し忙しかったので…大丈夫ですよ」

ぽんと、三蔵の肩を叩き。

「今度は悟空の起きている時間に来ます。お前も偶にはあの子を連れて屋敷へ来ておくれ」

そう言って、柔らかな笑顔を残して帰って行った。

その後ろ姿を見送りながら、光明は何をしに来たのか、よくわからない三蔵だった。




哉生魄(さいせいはく):月の異称。十六夜の月。

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