朱 欒




昼過ぎから降り出した雪は、神域を白く染めていた。
けれど、三蔵と悟空の住む庵からは暖かな煙が上がり、笑い声が聞こえていた。

今朝、三蔵と悟空は二人で大きな朱欒の木を見つけた。
それにはたわわに大きな実が生り、その重さで枝が撓っていた。

「さんぞー、あれ何?ねえ、あれ何ー?」

三蔵の着物の袂を引っ張って、悟空はその朱欒の実を指差して声を上げた。

「あれは朱欒だ」
「ざ、ぼん?」
「朱欒、ミカンだ」

不思議そうに見上げていた悟空は三蔵の答えを聞いて、その金瞳を見開いた。

「ミカン?ミカンなのー?あの、甘いミカンなの?」

ぐいぐいと三蔵の着物の袂を引っ張って、本当かと訊ねる悟空の酷く驚いた様子に、三蔵は紫暗を細めて頷くと、手近にあった朱欒を一つもいでやった。

「ほら、朱欒だ。ミカンと同じ匂いがするだろうが」

そう言って悟空の鼻先に朱欒を近づけてやると、悟空はくんくんと鼻を鳴らしてその香を嗅いだ。

「ほんとーだ。ミカンの匂いだー」

自分の顔程もある大きな朱欒の実に頬を寄せて、悟空は嬉しそうに笑った。

「さんぞー食べたい」

そう言うなり、三蔵の手から朱欒を取ろうとする。
それに慌てた三蔵は、悟空の手が届かない高さに朱欒を持ち上げた。

「やあぁ、食べるのー」

ぴょんぴょんと飛んで、三蔵が持ち上げた朱欒を取ろうと悟空が手を伸ばす。

「わかった。わかった。帰ったらな」
「むぅ…今、食べたいー」

まろい頬をぷくりと膨らませて、悟空は上目遣いに三蔵を見上げた。
その様子に三蔵は苦笑を浮かべながらも、だめだと、軽く悟空を睨んだ。

「…ぅえっ…うぅ…」

その途端、悟空の顔が歪み、あっという間に大粒の涙がぽろぽろとこぼれ落ちる。
三蔵は呆れたような、困ったようなため息を吐くと、泣きだした悟空を抱き上げた。

「お前な…誰も食べさせないなんて言ってないだろうが。庵に帰ったら食わしてやると言ってるだけだろうが」
「ふぇ…ぁう…」

涙で洪水になった金瞳で三蔵を見返す悟空の眦に唇で触れて、

「庵に帰るまで、お前が持ってろ。但し、持ってるだけだからな」
「……ぅ…」

朱欒を悟空の手に持たせた三蔵は、悟空が朱欒を落とさないように悟空ごと朱欒を抱き込み、庵へ戻って行った。




「さんぞー食べるぅー」

早く、早くと朱欒を差し出して、悟空は皮を剥けと、三蔵を急かす。
三蔵はそれをいなしながら火桶の火を熾し、悟空をその傍に座らせた。

「早く、早くぅー」
「わかった、わかった」

三蔵は悟空の手から朱欒を受け取ると、皮を剥き始めた。

生り口を切り、皮に切れ目を入れる。
分厚い皮に悟空は瞳を見開いて、三蔵の手元を見つめている。
三蔵は分厚い皮を丁寧に剥いた。

「皮…厚いねぇー」

三蔵が剥き落とした皮を指でつつきながら悟空は朱欒の実が剥き出されるのを待った。
厚い皮が取られて現れた朱欒の実は、その大きさよりも小さな実だった。

「ちっちゃくなっちゃったよ?」
「そうだな」

傍らに置かれた皮の量と実の大きさを見比べて悟空は不思議そうに三蔵を見やった。
三蔵はそんな悟空の様子に口元を綻ばせながら、朱欒の実の薄皮を剥き、悟空に口を開けるように促した。

「ほら、口開けろ」
「うん」

雛が親鳥からエサを貰うように悟空は三蔵が朱欒の果肉を差し出すまま、美味しそうに食べた。

「おいしかったぁー」

小さな手で頬を押さえ、にこにこと三蔵に笑いかける悟空の頭をひと撫でし、三蔵は朱欒の皮を持って立ち上がった。

「さんぞーそれ、どーするの?」

同じように立って、三蔵の後ろをとてとてと付いて歩きながら、悟空は「捨てないの?」と訊いた。
それに三蔵は、

「捨てねぇよ」

と、笑って厨に立った。

「何するのー?」

訳がわからないと、三蔵の行動を見つめたまま悟空は眉根を一人前に寄せて見せる。
それに三蔵は仄かに笑いながら、見ていろと言うばかりで。

「いじわるー」

と、益々難しいと言うよりは拗ねた顔付きで、悟空は三蔵のすることを厨の板の間に立って見つめていた。
やがて、厨の中に甘い匂いが漂い始めた。

「えっとぉ…お菓子?」

その甘い匂いで三蔵が何をしているのかようやく気付いた悟空がぱちんと、手を打つ。

「お前の菓子だよ」

三蔵はそう言って好奇心に溢れた悟空を抱き上げ、鍋の中を覗かせてやった。

「ざぼんの皮だ」
「ああ、砂糖漬けだ。明日には食べられるからな」
「うん」

艶やかに光る朱欒の皮の黄色に悟空は大きく頷いて、笑った。




朱 欒(ざぼん):大型の柑橘類。

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