海石榴
簀の子に佇み、三蔵は満開に咲く庭の椿の花を眺めていた。
赤い藪椿。
庵の周囲にある庭は、手入れをされたものではない。
神苑のあるがままを適当に柵で囲っただけのものだ。
だから、雑草も何もかもが混在している。
ただ、悟空が遊ぶ庭先だけは丁寧に草が刈られ、手入れが行き届いていた。
今、三蔵が見ている藪椿の木は悟空の庭の丁度反対に位置する北向きの庭だった。
昨夜降った名残雪が、薄く椿の枝に積もり、登ったばかりの陽差しに光っていた。
「……っ」
不意に痛みを感じたように三蔵は唇を噛む。
ぎゅっと握りしめた拳が着物の中で震えていた。
けれど、耐えきれず三蔵はその場に膝を着いた。
途端、背中に流れ落ちる金の瀧。
高欄に縋る手に伸びる爪。
形を変える耳と瞳。
本来の姿に戻った三蔵──金蝉童子は荒い息を吐く。
都へ、とある人の屋敷へ呼び出された昨夜、勘違いしたバカに傷を負わされた。
ただ、酒を酌み交わしに訪れ、たわいもない話に興じてその庭に咲く椿の花見をしていた。
その姿をどう間違えば襲っているように見えるのか。
「…あの、アホウ…」
抵抗すれば良かったのだろうが、あらぬ噂で彼の人が迷惑を被るのは本意ではない。
切りつけられるまま、その刃を受けた。
切り裂かれた傷を見て、彼の人が烈火の如く怒ったのには驚いたが、嬉しかったのも事実で。
けれど、迷惑をかけることはできないと、心配する彼の人を宥め、帰って来たのが夜明け前。
それからずっと、ここにいた。
切りつけられた傷は浅かったが、切りつけた刀は妖を切るために呪を施したものだったお陰で、傷の治りが遅い。
じくじくと痛み、金蝉童子を苛んだ。
高欄に躯を預け、痛みが落ち着くのを待っていた金蝉童子は、見知った気配に振り返った。
そこには、悟空がぽかんとした顔付きで、立っていた。
いつもよりずいぶん早くに目が覚めたらしい悟空は傍にいない三蔵の姿を捜して、北側の簀の子へ出てきたようだった。
「……さんぞ…?」
少し怯えた声音で呼ばれて金蝉童子は、自分が元の姿に戻っていることに流れ落ちた己の髪の長さで気付いた。
「悟空…」
どうしたものか、考える前に悟空の名前を呼んでしまった。
名前を呼ばれた途端、悟空はほわりと笑って金蝉童子に抱きついてきた。
「さんぞ、三蔵だぁ」
ぐりぐりと顔を金蝉の胸に擦りつけ、悟空は存在を確かめるように抱きついた手に力を込めた。
金蝉童子はそんな悟空に戸惑った表情でいたが、悟空が抱きついたところから伝わる温もりと、微かな震えに気付いて紫暗を見開いた。
そして、そっと小さな背中に手を添えて、
「怖いか?」
と、訊ねた。
金蝉童子としての異形の姿は、幼い子供には恐怖の対象でしかないように思えたからだ。
けれど、悟空は金蝉童子の予想に反して、しがみつく手に力を込めて「怖くない」と、むずかるように首を横に振った。
「悟空、無理しなくても…」
「怖くないの!」
金蝉童子の言葉をいつになく強い剣幕で遮った悟空は、困惑し、どこか怯えたような表情の金蝉童子を睨んだ。
「怖くないの!三蔵はきれーなの!きらきらしてて、お日様みたいなの」
「…悟空」
そう言って、ぷくりと頬を膨らませる。
その一生懸命な様子に、強張った金蝉童子の表情が溶けた。
「怖くないか…そう、か…」
「うん!いつもよりもっときれー」
当たり前だと頷く悟空に金蝉童子はそれは嬉しそうな笑顔を見せた。
その笑顔に悟空の顔もほころぶ。
「…そう…か、怖く、ないか……」
金蝉童子は口の中でそう呟くと、悟空の小さな躯をそっと抱きしめたのだった。
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