紙捻襦袢




真夏。
庵の妻戸も蔀も開け放たれ、風が庵の中を吹き抜けて行く。
都の街中に比べれば格段に涼しい山深い神域。
それでも、夏の暑さはそこに住む者達をそれなりに苛んでいた。

「さんぞー」

昼餉の支度をしている三蔵を見つけた悟空は小袖の襦袢姿で、三蔵の腰に抱きついた。
「何だ?」と振り返った三蔵を見上げた悟空は、躯を離し、

「あのね、痒いのー」

と、襟をはだけ、首と胸元を見せた。
悟空が突き出すようにして見せたそこには、赤い湿疹が大量にできて、見るからに痒そうだった。
そして、所々薄く血が滲んでいる。
痒みに負けて悟空が掻きむしったのだろう。

「痒いのー」

そう言いながら、幼い手は首筋を掻いている。
三蔵はその手を慌てて掴んで止めさせる。

「掻くな。余計に酷くなる」
「やあのー痒いぃー」

三蔵が掴んだ手を振りほどこうと悟空が暴れる。

「ああ、わかった、わかったから、暴れるな」

三蔵は掴んだ腕を引っ張り上げて、悟空を抱き上げると、井戸端へ向かった。

「待ってろよ」
「うん」

井戸端に悟空を立たせた三蔵は、井戸端に伏せてあったたらいを取り、悟空の前に置いた。

「さんぞー何するの?」

目の前に置かれたたらいを興味深そうに見ていたが、三蔵がたらいに水を汲み入れ始めると、悟空の顔が嬉しそうにほころんで行く。

「水遊びしていいのー?」
「ああ、汗を流したら痒みも収まる。ほら、裸になって入れ」

たらいに半分程、水を汲だ三蔵は、悟空の小袖を脱がしてやった。
悟空は嬉しそうにたらいに飛び込むと、ばしゃばしゃと水で遊び始めた。

その間に三蔵は薬箱と着替えを取りに庵の中へ入って行く。

悟空はたらいに寝転がって夏空を見上げた。
高く、何処までも高く澄んだ蒼空。
白い雲が千切れ綿のように風に流されてゆく。
きつい陽差しは、神苑の木々にほどよく遮られて、たらいの水面や濡れた地面に小さな光の珠を描いていた。

掬った水が手の中からしたたり落ちるのを見つめながら、それが陽の光に光る輝きを飽かずに眺めて、悟空は気持ちよさそうにその金瞳を眇めた。
と、三蔵が悟空を呼んだ。

「悟空、上がれ」

声の方を振り返れば、手ぬぐいを広げた三蔵がいた。

「さんぞー」

ばしゃりと、水を蹴立てて悟空はたらいから駆け出すと、三蔵の腕の中へ駆け込んだ。
三蔵はその小さな躯を受け止め、手早く水を拭ってやる。

「ほら、そこへ座れ」

言われて、悟空は階に素っ裸のまま座った。
ちょこんと座った悟空を上向かせ、湿疹のできた箇所へ、軟膏を丁寧に塗ってやる。

「しゅうって、するよ?」

軟膏を塗った箇所が、すうっと冷えたような感じがするのを三蔵に言えば、

「気持ちいいだろうが」

と、鼻先を弾かれた。
その小さな痛みに悟空が、唇を尖らせるのを面白そうに三蔵は見やる。

「これを着ておけ」

何か言い返そうと口を開いた悟空に、襦袢が差し出された。

「何?」
「着替えだ」
「うん」

悟空は素直に三蔵が差し出した襦袢を受け取り、袖を通した。
軽く前を合わせ、緩く帯を結んでやる。

「さらさらして気持ちいいー」

そう言って、階の上まで上がって、くるりと廻って見せる悟空に、三蔵は仄かな笑顔を見せた。

「もうすぐ昼餉だ。できるまでもうちょっと遊んでろ」
「はあい」

万歳と両手を上げて返事をした悟空は、ぱたぱたと簀の子を庵の奥へ向かって走って行った。




紙捻襦袢(こよりじゅばん):盛夏の頃に使う肌着で、紙捻で作られたもの。

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