洒涙雨




座敷の床に色とりどりの短冊が散らばっていた。
外は雨模様。
悟空は短冊の散らかった中に文机を置き、一生懸命筆を動かしていた。

三蔵は朝から出掛けて、庵にはいない。
悟空は庵から外へ出ないように厳しく言い渡されていたが、短冊に願い事を書くことに夢中で、外へ出る気はなかった。

今夜は七夕。
先日二人で出掛けた里で見た笹飾りが気に入った悟空は、三蔵に自分も欲しいと強請った。
笹飾りの意味など知らないが、細い笹の枝に付けられた色鮮やかな短冊がそれは綺麗で、自分も欲しくなったのだ。

「さんぞー、あれ、あれ欲しいよぉ」

ぐいぐいと衣袂を引っ張り、珍しく悟空はごてた。
何が欲しいのか、最初、見当も付かなかった三蔵だったが、悟空が目指す先の物に気付いた時、思わずため息がこぼれた。

「あのな…これが欲しいってか?」
「うん!」

どうしても欲しいと、届く所に飾られていた笹飾りを握りしめて、悟空は頷いた。

「ダメ?」

大きな目でじっと見つめられては、ダメだとも言えず、三蔵はため息と供もに頷いた。

「わかった。だが、これはダメだ」
「ええー何で?どうして?」

これがいいのにと、見る間に涙を浮かべる金瞳に眉根を寄せた、三蔵は悟空の目の高さにしゃがんだ。

「これはここの家のものだ。お前のは自分で作らないといけねえんだよ」

ぽんと、大地色の髪に手を載せて言えば、悟空はわからないと頬を膨らませる。

「言う通りにしろ」

もう一度、三蔵は納得していない悟空の頭を軽く叩くと、その手を取って雑貨屋を目指した。
そして、色とりどりの短冊用の紙を買い、それを悟空に持たせたのだった。

庵へ帰る道すがら、三蔵は笹飾りをする意味を悟空に語って聞かせた。
その話に悟空は瞳を輝かせて聞き入り、その夜、神話の二人が会えるといいと、晴れた星空を見上げて笑った。

そして、翌朝、三蔵が出掛けるのを見送って、悟空はいそいそと文机に向かった。
手習いを始めたばかりの腕では、短冊に細かい文字を書くのはなかなかに至難の業だったが、一生懸命悟空は筆を動かした。

「さんぞうがげんきでありますように」

書いては笑い、

「おいしいものがたくさんたべられますように」

書いては舌を出し、

「おりひめとひこぼしがあえますように」

書いては恥ずかしそうに頬を染め、

「いつまでもさんぞうといっしょにいられますように」

書いて、一心に願った。




粗方書き終えて、悟空は三蔵が用意してくれた笹に短冊を付け始めた。
笹は蔀の下方、悟空お手が届く高さに括られ、風に揺れていた。

「これをここにこーやってぇ…」

一つ、三蔵が結んで見せた短冊の紙縒を見ながら悟空は覚束ない手で、短冊を笹に結んだ。

願い事を書いていない短冊も、願い事を書いた短冊も、色とりどりに笹を彩って行く。
やがて、悟空は笹がしなる程に短冊を付け終えると、簀の子から空を見上げた。

今朝、気持ちいい程に晴れていた空に薄雲がかかって、風は何処となく雨の気配を含んでいる。

「ちゃんとお星様が見えますように…」

薄曇りの空に向かって祈り、悟空は三蔵が用意しておいた昼餉を笹の下に座って食べた。
さらさらと風に鳴る笹の葉ずれの音と短冊の触れ合う乾いた音を聞きながら、悟空は眠ってしまった。

昨夜、三蔵が買ってくれた短冊を抱きしめて、聞かされた話に興奮して遅くまで起きていた。
そして、今日は朝から一生懸命に仕事をした。
一仕事終えて、お腹が膨れれば眠くなるのは道理で。
悟空は笹飾りの下に蹲るようにして眠っていた。




三蔵が帰宅した時、悟空はまだ簀の子に足を出し、廂に躯を伸ばして眠っていた。

「こんなところで…」

悟空が飾った笹飾りを目を細めて見つめた三蔵は、悟空を抱き上げて床に寝かせた。
湿り気を帯びた風が庵の中を吹き抜けて行く。
それに顔を外に向けた三蔵は、小さく嘆息した。

星祭り、七夕は毎年雨が降る。
恋い慕う二人の思いに天が嫉妬して、邪魔するように雨が降る。
せめて今年、悟空が目を覚まして、眠るまでの僅かな間、雲が切れればいいと、三蔵は静かに雨に煙る庭を見つめて願うのだった。




洒涙雨(さいるいう):陰暦七月七日の雨。牽牛・織女が会えない哀しみを示す。

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