石 斛




それを見つけたのは本当に偶然だった。
けれど、そのひっそりと咲く可憐な姿が、どこかあの人に似ていると思ったのだ。
だから、持って帰って見せてあげたいと思った。
一生懸命、小さな手足を伸ばしてささくれた岩肌を登った。
木々が木陰をくれたが、触れる岩肌は熱かった。
近づく程に、夏の陽差しを浴びて凛と立つ姿となって子供の瞳に映る。

本当にあの人に似ている。

顔を綻ばせ、ますます一生懸命に子供は岩肌を登った。



やがて…─────



精一杯手を伸ばして確かに掴んだ。
ほっと気を抜いた子供の足許は乾いた音を立てて崩れたのだった。






    *****






日暮れ時になっても遊びに出たまま帰ってこない養い子を気にして、三蔵は風を呼んだ。

「悟空は何処だ?」

問えば、風が三蔵の周囲を巡り、夕暮れに赤く染まった空へ駈け上がった。
間を置かずに三蔵の問いかけに応えがあった。
その応えに三蔵は大きく瞳を見開くと、あっという間にその場から掻き消えた。




ふわりと音もなく舞い降りたその場所の先に、小さな躯が横たわっていた。
三蔵は滑るように悟空の傍らに走り寄ると、そっとその小さな躯を抱き起こそうと手を伸ばし、そこで動けなくなってしまった。

夕暮れの淡い光の中、梢の影に覆われた悟空の顔は白く、ぴくりとも動かない。
まるで冥府の使いにつれて行かれた後の抜け殻のように思えて。

三蔵が戸惑っている間に、悟空の薄い瞼が微かに震え、やがて黄金の花が何度か瞬いて咲いた。

「……さ、んぞー…?」

か細い声にようやく我に返った三蔵は、慌てて悟空を抱き起こした。
抱き起こした腕と手のひらに伝わる暖かな子供体温に三蔵は我知らず、安堵のため息を吐く。
その三蔵の目の前に擦り傷だらけの手が差し出された。

「……?」

何事と驚く三蔵は、

「これねー三蔵にあげる」

そう言う悟空の嬉しそうな声と共に差し出された手に握られた花に気付いた。

「花?」
「うん。三蔵の花。だから、さんぞーにあげるのー」

そう言って、どこか誇らしげな笑顔に三蔵は何とも言えない顔をして、その花を受け取った。
それは石斛と言われる淡い紅色の小さな蘭の花だった。

「どこに咲いていたんだ?」

問えば、

「あそこー」

と、悟空は三蔵の座る後ろを指差した。
振り返って見上げれば、それは三蔵の身長よりも高い岩で、その頂きに石斛が夕風に可憐な花を揺らせていた。

「で、お前は何でこんな所に寝ていた?」

岩を見た時点で悟空の身に何が起こったなど、簡単に三蔵には理解できたが、ちゃんと悟空の口から聞きたかった。
怒るのはそれからだからだ。

「えっとぉ…ちっちゃい鬼さんとね、遊んでいてね見つけたのー。でね、三蔵のお花だったのー」
「……で?」
「う…っとーねぇ、登って取ったら、ぐらって…落ちたのー。でもねあんまり痛くなくてね、草が気持ちよくてー」
「………わかった…」

最後まで言わせず、三蔵は悟空を抱き直し、悟空の顔を軽く睨んだ。
けれど、怒る気持ちなど草野上に横たわった悟空の死んだような姿を見てとうに消えている三蔵は、悟空の頭にゲンコツを当てただけだった。

「さんぞ?」

もっと怒られるかと思っていたらしい悟空は、三蔵の態度に不思議そうな顔をした。

「足許は良く確認しろ。あまり無茶はするな。いいな?」
「うん」

三蔵の諭すような言葉の端々に三蔵が心配していた気持ちを見つけた悟空は、「ごめんなさい」と、三蔵の首に抱きついた。
そんな悟空の背中をぽんぽんと叩きながら、三蔵は岩陰から自分達を伺ってる気配にそっと苦笑を漏らした。

悟空が外で一人で遊ぶようになってから、護衛を兼ねて悟空に付けた小鬼は、いつの間にか悟空と友達になっていたらしい。
怖がられるよりは嬉しいことだが、それで小鬼が役目を忘れては困るのだ。
けれど、小鬼は自分の役目を忘れることなく、地面に叩き付けられるはずだった悟空を何とか庇い、無傷で助けたらしいことは悟空の話と様子で窺い知れた。
ちゃんと役目を果たしたのだから怒ることはないのだけれど、小鬼は小鬼なりに責任というものを感じているように三蔵は感じた。
だからこそ、三蔵の叱責を畏れて岩陰に身を潜ませている。
そんな小鬼に三蔵はまた、小さく口元を綻ばせた。

「帰るぞ」
「うん」

腕の中の悟空にそう言って抱え直し、岩陰からこちらを怯えた目で伺っている小鬼に付いてこいと頷いて、三蔵は歩き出したのだった。

三蔵の狩衣の襟に刺した石斛の影と妖に抱かれた子供の影が山道を辿る。
その後ろを小鬼の小さな影がひょこひょこと踊るように付いていった。

それは夏も盛りの夕暮れ。




石 斛(せきこく):森林の岩上または老樹の上に着生する野性の蘭。夏に淡紅色の花を二つずつ開く。

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