秋、大気が澄み渡り、大地が、自然の力が強くなる季節。 人と大地の闘いの季節。
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秋の色 |
毎年、毎年よくも諦めないと三蔵は思う。 手を変え、品を変え、時に優しく、時に温かく、時に強引に大地と自然は己の愛し子、悟空を連れ戻そうとする。 悟空の養い親である三蔵には、悟空を還せと、煩く迫ってくる。 そのたびに、その手を振り払い、叩き落とし、どうしようもない時は力尽くで、拒み続けてきた。 悟空自身も、還らないと、折に触れ、その意志を告げ、諭し、宥めて。 それでも大地は、自然は我が子をその手に取り戻すまでは、諦めないらしい。 昨年は月が強引に連れ戻そうとして、手酷い拒絶を悟空から貰った。 本当に懲りない。
その美しさ、鮮やかさに悟空は当然のごとく浮かれ、魅了された。 「三蔵、どんぐりがこんなにあった」 と、手籠一杯拾って、 「三蔵、今日は栗をさ、笙玄と拾ってきたんだ。だから今日の晩飯、栗ご飯なんだぞ」 と、自慢して、 「三蔵、こんなに綺麗で美味そうなのに食べらないんだって」 と、笙玄にでも習ったのだろう、見るからに毒のありそうな色鮮やかなキノコを見せて。
「さ、三蔵様、悟空が突然、突然かき消すように消えたんです!」 息せき切って話す笙玄の姿に、ここまで走ってくる間に大地にかなりいじめられたらしい傷跡が見える。 「わかってる。この時期はいつもこうなんだよ」 胸の前で握りしめた手が震えていることに気付いた三蔵は、悟空が単なる妖怪ではなく、大地が生んだ子供だと言うこと、秋になると大地が悟空を取り戻そうと動き出すことを告げた。 「……そう…だったんですか」 三蔵の言葉に笙玄は納得がいったと、頷く。 「では、悟空はもう帰ってこないのですか?」 今にも泣きそうな顔をする。 「悟空は帰ってくる」 三蔵の言葉に頷く笙玄の顔が、晴れない。 「…だから……俺が…迎えに行って…必ず連れて戻るからお前は戻って待っていろ。いいな」 最後は背中を向けて歩き出しながらになってしまったが、それでも三蔵の気持ちを笙玄は間違いなく理解したのだろう、明瞭な返事が遠ざかる三蔵の背中を打ったのだった。
笙玄と別れ、悟空の気配の途切れた場所へ向かう三蔵を大地は行かせまいと、行く手を阻む。
その上、らしからぬ言葉まで言わせられた。 「毎度、毎度、本当に往生際の悪い…」 悟空が姿を消した森の外れに立った三蔵は、大地の執念に呆れたため息を吐いた。 「悟空は還さないと、何度言ったらわかる?」 ぱちんと、三蔵の周囲で青白い火花が散った。 「その上、今回は余計な手出しまでして、関係ない奴まで巻き込みやがって」 三蔵の足許から三蔵を囲うように円形の風が落ち葉を巻き込んで立ち上がる。 「返せ。アイツは俺のものだ」 ふわりと三蔵の法衣が風をはらみ、金糸が舞い上がり、肩の経文が揺れる。 「返せ!」 三蔵の凛とした声と一緒に三蔵を取り巻いていた風が吹き上がり、何かが弾ける高い音が周囲に響いたのだった。
今年は春からずっと気候が安定しなくて、酷く不安定だったので、秋の紅葉は期待できないと、夏の終わり、秋の初め、悟空は諦めていた。 悟空はだんだんと色付いてゆく山や寺院の庭、何処が一番美しく輝いているかを探し歩いた。 行く先々で悟空は大地の申し子達と遊び、大地の稔りを受け取り、大地の浄化の気を全身に浴びて躯の汚れを拭う。 「いつもありがとな、綺麗にしてくれて。でも、俺、還らないから、そこんとこ忘れないでくれよな」 くすくすと、頬を撫でる風にくすぐったそうに笑いながら、大地が差し伸べる手を拒む。 還る、還らない───秋は悟空にとっても闘いの季節であった。
「笙玄、あっちに行ってみよう。あっちにさ、すっげえでっかいモミジの樹があったはずだからさ」 あちこち見て歩いて、ここぞという場所がなくて、諦めかけた時に思い出した。 「そうなんですか?」 悟空の言葉に笙玄は、 「では、私は一足先に悟空の勧めるそのモミジが見られるんですね」 そう言って笑い、 「三蔵様と悟空がここへ来る時は、お弁当を作りますね」 手を打って提案する。 「こっち、こっちだよ」 笙玄を誘う悟空の姿が透けたと思う間もなく、悟空の姿は笙玄の前から掻き消えた。
「あそこだよ、笙………あれ?!」 指差して振り返ったそこに一緒にいたはずの笙玄の姿はなかった。 「笙玄?笙玄!」 呼んでも答えは返らない。 「迷子になった?」 信じられない思いで来た道に向いていた躯を進行方向に戻せば、そこは見たこともない場所だった。 「すげぇ…色と景色…」 半ば呆然とその場から動くことも出来ずにその景色を見つめていた悟空の耳に、聲が聴こえた。 「……さ…ん、ぞ?」 聴き覚えのある聲に、悟空はキョロキョロと当たりを見回す。 「三蔵の…聲?!」 もう一度、聴こえた聲に悟空が振り返れば、ざわりと空気が動いた。 「三蔵!」 胸に響いた確かな聲に悟空は、聲の聴こえた方へ駆け出そうとして、来た道が無くなっていることに気が付いた。 「う、そっ…また…?」 ざわざわと落ち着きを無くしてゆく周囲の気配の中に感じる三蔵の怒った気配。 「あんだけ還らないって言ってたのに…強引なんだから…」 困り果てた表情を浮かべた悟空の背筋をびりびりとした感覚が這い上った。 「うっわぁ…怒ってる…めちゃめちゃ怒ってるよ…」 大地と自然が覆った壁を通し、結界を越えて三蔵の怒りが伝わってくる。 辺りが静かになったのを感じて悟空はそっと顔を上げ、身体中にまとわりついていた葉を振り落とした。
澄んだ音が辺りに響いた途端、三蔵の視界を覆い尽くすように紅葉した木々の葉が舞い、落ち葉が巻き上げられ、風に追い立てられるように空へ吹き上げられて行った。 「悟空」 思わず名前を呼べば、悟空はぽかんとした顔で、信じられないものでも見るような顔付きで見返してきたのだった。
暫く、お互いに見つめ合った後、悟空はぎこちない足取りで三蔵の傍へ近づくと、立ち止まった。 「…あの、さぁ…俺、また取り込まれてた?」 恐る恐る上目遣いに見上げてくる悟空のちょっと困ったような、恥ずかしそうな表情に、三蔵の口から呆れたため息がこぼれ落ちる。 「やっぱり……」 それはそれはしゅんと、項垂れ、肩を落とす様子に三蔵は、思わず吹き出した。 「?!」 突然の三蔵の変化に悟空の表情が、また、ぽかんとした顔になる。 「バカ面…」 その表情に三蔵は軽く悟空の額を小突いた。 「何だよぉ…怒ってたからどうしようかって思ったのにぃ」 未だ喉を鳴らして笑う三蔵にむくれれば、 「ちったあ学習しろ、バカ猿」 と、また、小突かれた。 「本当に毎年、毎年、ご苦労なこった…」 小さく呟いて三蔵は踵を返した。 「帰るぞ」 背を向けた三蔵越しに茜色に染まりだした空が見えた。 一向に付いてこない気配に三蔵は振り返り、紫暗を軽く見開いた。 お互いにお互いの姿にかける言葉もなく、動くことも出来ずに─────けれど…。 「三蔵──っ!」 我慢できずに駆け出した悟空に三蔵は小さく笑みをこぼした。 「重てぇ」 くすくすと笑う声に、三蔵はちょっと顔を顰めた後、 「帰ったらお前、笙玄に謝れよ」 そう言われて、取り込まれた時、笙玄が側に居たことを思い出した。 「あいつらにちょっかい出されていた」 三蔵の言葉に悟空はきっと取り込まれたとばっちりを受て笙玄にも何かあったのだと、悟る。 「大丈夫だった?」 訊けば、 「ああ…寺でお前の帰りを待ってるよ」 と、返ってきた。 「そっか…よかった」 その言葉に頷くと、悟空は三蔵から離れ、三蔵の前に立った。 「なあ、明後日の三蔵の誕生日、笙玄も混ぜた三人で弁当持って出掛けような」 ────三蔵様と悟空がここへ来る時は、お弁当を作りますね 「悟空…?」 ────では、私は一足先に悟空の勧めるそのモミジが見られるんですね 「ダメ?」 問えば、 「いいんじゃねえか…」 という答えと一緒にくしゃっと頭を掻き混ぜられ、再び歩き出した三蔵とすれ違いざま、後ろ頭を叩かれた。 「サンキュな」 振り返って言えば、 「帰るぞ、サル」 照れたような声音が返ってきたのだった。
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