本当に偶然だった。
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雨宿り |
急に降り出した雨に追い立てられるように悟空は森の中を走った。 空に走る稲妻と轟音に時々驚いたように、怯えたように立ち止まって。 空の底が抜けたような豪雨に為す術もなく濡れ鼠になって、悟空は空を走る稲妻の光に浮かんだ時に見つけた洞窟へ飛び込んだ。 「ふぇ…」 洞窟の入口から見上げる空は夜のように暗く、その空を引き裂くように走る紫電の光が雲の形を恐ろしい姿に光らせているばかりで。 「あんなに晴れてたのに…」 本当に雨の降る気配など全くなかった。 「……うぇ…冷てぇ…」 ふるふると頭を振って、まるで動物がしぶきを飛ばすようにふるりと、身体を揺すった。 「……ぁ」 悟空が気付いたことに気付いた男が、片手を上げて声をかけてきた。 「…ぁあ…えっと…」 何と返事をしようかと戸惑う悟空に、男は手招きをした。 「こっちへ来た方がいいぞ。そこにたら雨宿りの意味がないぞ」 男の言葉に小首を傾げる悟空の背中を冷たい雨が打った。 「ほらな」 それを見て、だから言っているだろうと、男が笑った。 「ちぇ…」 悟空はむうっと頬を膨らませて、笑いを堪える男を睨んだあと、仕方ないと、男の傍に近づいた。 「お前も雨宿りか?」 男の斜め前の石に座った悟空に問えば、 「おじさんも雨宿り?」 と、返された。 「…おじさんって…おい…」 がっくりと項垂れてしまう。 「えっ…ぁ…ゴメン」 男の落胆の激しさに思わず謝れば、 「いや…気にするな。出来たらおじさんではなく、焔と呼んでくれればいい」 困ったような表情と一緒に返事が返ってきた。 「ほ…むら…?」 にこりと、笑顔を返されて、悟空はそれが男の名前だと気付いた。 「おじさ…じゃなくて、焔っていうんだ」 大きく頷く様子に焔の顔がほころぶ。 「…えっと、焔も雨宿りなんだ」 言えば、 「ああ、急に降られてな」 と、悟空と同じ目に遭ったと、返事が返った。 「そっか…」 頷いて、洞窟の入口を見れば、滝壺の奥にいるような錯覚を覚えるような豪雨が森を洗っていた。 「止みそうもないなあ…困ったなあ……」 その雨の様子に、悟空が困り切ったようにため息をつく。 「どうした?」 言えば、 「えっ?」 きょとんと一瞬、表情をなくし、次いで合点がいったように悟空が頷いた。 「あ、ああ…約束守れないなあって…」 ぱっと、花が開くような笑顔を見せ、悟空が頷いた。 「あのな、今日は仕事が早く終わるんだ。だから、久しぶりに街に降りてご飯食べようって約束。だから、俺も今日は早くに帰らないといけないんだ。でも……」 そう言う笑顔が、外の雨の勢いに萎んでしまう。 「でも?」 先を促せば、 「雨…止みそうもないじゃん?このまま遅くなったら、三蔵行く気なくなっちゃうからさ」 気難しいんだ…と、焔に笑顔を向けた。 「三蔵とやらはそんなに気難しいのか?」 問えば、 「そんなことない…すっげえ優しくて、強くて、太陽みたいにキラキラして綺麗な人だよ」 ブンブンと首を振って、三蔵がどのような人間か夢見るような瞳で焔に話す。 「お前はその三蔵という人間が好きなんだな」 確かめるような焔の言葉に、悟空はすかさず大きく頷く。 あの天界での暮らしの中でもこの子供は慈しまれ、愛されていた。 迸る命の輝きと強さに、欲しいと願った愛し子。
「…で、その彼と一緒にいて、お前は幸せなのか?」 見ていてわかっていて、返ってくる答えもわかっていて、それでも訊いてしまう己の馬鹿さ加減に自嘲すら生まれない。 「うん、幸せ。だって、三蔵の傍にいられるんだから。もう、ホントにそんだけで、俺は幸せなんだ」 予想通りの答えに焔は笑って頷くしかなくて。 「何か、気に障った?俺…変なこと言った?」 その言葉と表情に一瞬、表情を取り繕えなくて、焔は素の表情を晒した。 「だって、何だか嫌そうだし、辛そうだから…さ。何か気に障ったのかなあって」 にこっと、焔の機嫌を伺うような笑顔を悟空は見せた。 本当に人の心の機微には聡い。 「いや…羨ましく思っただけだよ。幸せだと実感できるお前が」 焔の言葉に納得できない顔で頷く悟空に、焔は気を逸らすように洞窟の表を指差した。 「日が差してきたぞ」 がばっと、身体ごと振り返った悟空は、洞窟の入口に駆け寄った。 「わっ、ホントだ!焔、雨止みそうだ」 嬉しそうに焔を振り返って笑う。 「ああ…そうだな」 雨脚はまだ強い部類ではあったけれど、薄日の差してきた空を見れば、程なくして止む気配がする。 「もう、止みそうだし、俺、行くな?」 止むと確信を持ったのだろう悟空が焔を振り返って告げた。 「そこまで一緒に行く?」 と、伺ってくる。 「っじゃぁ、行こう」 嬉しそうに頷いて、悟空が手を差し出した。 「…ぁ…ごめ…ん」 手を引っ込めかける。 「行くぞ」 手を繋いで洞窟の外に出れば、意外に雨脚は弱く、辺りはすっかり明るくなっていた。 「気持ちいいぃぃっ!」 胸一杯空気を吸い込んで、悟空が笑えば、焔も頷いて笑った。 「どうした?」 悟空の様子に問いかければ、答えより先に悟空の顔がぱっと明るく輝いた。 「悟空?」 悟空の見つめる視線の先に白い法衣姿の青年が見えた。 あれは、そう、あれは彼だ。 そう確信を抱いた焔に、悟空の声が響いた。 「三蔵──っ!」 その声に白い法衣の青年がこちらに気付いたようだった。 「じゃあ、またな」 青年にひとしきり手を振ってから悟空は焔を振り返り、そう告げると、繋いだ手をするりとすり抜けて、青年に向かって走り出した。 「ああ…いずれな」 と、小さく呟くと、背中を向けた。 いずれこういう形ではない形でお互いに出逢うだろう。 その時が楽しみだと、悟空と繋いでいた手を見下ろして、焔は薄く頬笑んだのだった。
end |