雨に融かして、闇に紛れて。
打ち付ける雫に購って。
お前に許しを請い願う─────




雨 夜




「や…あん…もう、やぁ……」

首を苦しげに振るたびにぱさぱさと大地色の髪がシーツを打つ。

「…も、ゆる……て」

過ぎる快感は痛みにも似て、子供の神経を蝕んでゆく。

今夜の三蔵は果てがない程、悟空を貪り続ける。
それは何かを振り払うように、それは何かから逃げるように、己の熱を悟空の内に打ち込んで、華奢な身体を焼き尽くす。

「んっ…ああ…あん…やっ、やあぁぁ…」

甘い言葉もなく、甘い仕草もなく、ただ無言に、ただ貪る。

「─っあ…あっも……ダメっ、あ、あぁぁぁ」

か細い声を放って悟空がもう何度目か解らない精を吐き出した。
それと同じに三蔵も哮った熱を悟空の内に放ち、その上に崩れ折れた。
荒い息を吐いて悟空の中から抜け出せば、意識を落とした悟空の身体が小さく震えた。
カーテンを開けたままの窓から見えるのは、窓を伝う水滴と重く重なる雨音の響く闇。
それを映す紫暗が暗く濁る。
気怠い身体を舌打ちと共に起こし、三蔵は薄闇に浮かぶ悟空を見やった。

涙と唾液と強要した行為の名残に汚れた幼い容。
所狭しと散った紅い華と鬱血に、行為の激しさが窺い知れる。
落ちかかる前髪を掻き上げて、三蔵は解けかけた包帯に指を這わした。
包帯から垣間見える白いガーゼに僅かに滲んだ血の赤が、三蔵の胸に衝撃を呼び覚ます。
己の犯した取り返しのつかない過ちに、三蔵は唇を噛みしめた。





















叩き付ける雨の中、漸く見つけた寝床を襲われた。
襲撃してきた妖怪の数はいつもより多く、寝入り端を起こされた四人は、悪態を付きながらも応戦した。

ぬかるんだ地面と狭い空間。
見通しのきかない視界。

それでもそんな状況は、重ねる旅の間に何度も経験していた。
雨もぬかるみも最悪な視界もものともせずに戦った。
だが、動きに精彩を欠いたのも事実で。
ぬかるみに足を取られ、バランスを崩した三蔵を庇うように前に出た悟空が、突き出された妖怪の切っ先を弾く。
如意棒と擦れて、乾いた音を上げた。

「三蔵!」
「構うな!」

振り返る悟空に怒鳴って、三蔵が体勢を立て直しながら引き金を引く。
その音を背に、悟空は残りの敵を倒しに煙る雨の中へ消えた。











妖怪との戦いが終わるのを見計らったように土砂降りの雨が唐突に止んだ。
ほっとする間もなく、靄が全てを覆い尽くした。
その時には三蔵達四人は分断され、散り散りになって、お互いの気配さえ掴めない状態に陥っていた。

「三蔵?悟空?何処ですか?」

物音一つ聞こえない靄の中、八戒の誰何の声が響く。

「悟浄?」

呼ぶ声に答えはなく、八戒は小さく息を吐いた。






「三蔵!八戒!」

がさがさと茂みを分けて悟浄は残りの三人の気配を探す。

「悟空──っ!」

何度呼んでも乳白色に塗り込められたような靄から返る応えはない。

「どうなってやがるだ、一体…」

わしわしと紅い髪を掻いて、悟浄は新しい煙草をくわえた。






「お─い、三蔵ぉ、八戒ぃ、悟浄ぉ──っ!」

濡れて張りつく髪を鬱陶しそうに頭を振って払い、悟空は周囲を見渡した。

「どこだよ─ぉお」

呼んでも返る声はなく、悟空はくしゃっと顔を歪ませ、肩を落とした。
纏い付くような靄が、濡れた体から侵入してくるような錯覚を覚えて、悟空はふるりと身体を震わせた。

「…一体、何だろ…」

ちろりと、悟空の胸に不安の灯が灯った。






苛々と煙草をくわえ、火を付けた。
纏い付く靄を法衣の濡れて重くなった袂で払い、小さく真言を唱える。
すると、ふわりと空気が動き、わずかに靄が晴れた。

「自然現象じゃなっかたか…」

ため息を吐き、印を結んで本格的に真言を唱えかけた時、靄が動いた。
横合いから突き出された刃に、三蔵の身体が反射的に仰け反り、避ける。

「ちぃっ」

襲ってくる刃を避け、或いは蹴り付け、殴り付けて三蔵は懐から銃を取り出し、反撃を始めた。






「どうなっちまってんだ?」

くしゃっと髪を掻き上げた姿勢のまま、悟浄は身体を捻った。
その後ろを刃を持った妖怪がまろび出てくる。

「そういうことかよ」

にやりと笑った悟浄は、その手に錫杖を召喚した。






「近くにいるはずなんですけど…この靄は、誰かの意図を感じて嫌なんですよねぇ」

困りましたねえ、などとため息を吐く八戒の背後から刃が迫った。

「だからといって、後ろからなんて、卑怯ですよ」

その気配に振り返りざま、八戒の手刀が妖怪の首筋にめり込んだ。






「な、何なんだよぉ!」

乳白色の纏い付く靄の中、歩き回って、悟空は地面にしゃがみ込んだ。

「みんな何処にいるんだよぉ…」

かくん、と項垂れて、大きなため息を吐く。
そのすぐ背後で土を踏む音に、悟空の身体がぴくりと反応した。

「さん…」

振り返った目の前に刃が光り、悟空は転がって間一髪、避けた。
その後に刃が地面にめり込むすきに、妖怪を蹴り倒して、悟空は体勢を立て直した。

「不意打ちは反則!」

召喚した如意棒を勢いよく振り回して、悟空は楽しげに笑った。
















引き離されていた四人は、襲ってくる妖怪達と戦いながらも、知らずに靄の中、お互いの距離を縮めていた。

振り放した錫杖が空を切って、靄の中に潜む妖怪を薙ぎ払う。
彗星のように靄の尾を引いて、気孔砲が白い闇を切り裂く。

その互いの靄の切れ目にそれぞれの姿を見つけて、口元が綻んだ。

「お久しぶりです」
「元気だったか?」
「はい。あなたも?」
「おかげさまで」

頷き合って、残りの妖怪と対峙した。






銃声が木霊を呼ぶ。
深紅の稲妻が白い闇の中で閃く。

切り裂いた靄の隙間に悟空は三蔵の姿を見つけた。
その姿を見た瞬間、悟空は全力で駆けだした。




背後に気配を感じ、振り返った。




頭で考えるより先に身体が反応した。




引き金を引いた瞬間、目の前に飛び出した小さな影。




名前を呼ぶその前に、己の放った銃弾が小さな影を撃ち抜いた。




「……ぁ…」

吐息のような声を上げて、影は跳ね、地面に転がった。

「…ご…悟空──っ!!」

三蔵の上げた叫びに、一瞬、時間が止まる。

「…さ……んぞ…」

撃ち抜かれた場所から溢れる血を抑えるようにして、悟空が身体を起こした。

生きている。
死んでいない。

三蔵の視覚はそれを認識している。
悟空が立ち上がる。
それでも三蔵の紫暗は見開かれたままで、身体は凍り付いたように動かない。

「さん…ぞぉ…」

ふらつく悟空の三蔵を呼ぶ声に、我に返った妖怪達が二人に向かって一斉に襲いかかった。
















気が付いた時、気を失った悟空と共に三蔵は宿の寝台に寝かされていた。
心配げに見下ろす八戒に、自分は大丈夫だと告げると、八戒はほっとした笑顔を見せた。
そして、三蔵の身体を一通り確かめてもう一度安堵の息を吐き、悟空を託して、部屋を後にした。

悟空を誤って撃ち抜いてから、目覚めるまでの記憶が三蔵にはなかった。
隣の寝台を見やれば、悟空は安らかな顔で眠っていた。

翌朝、その時の状況を八戒と悟浄から聞き出した三蔵は、唇を噛むしかなかった。

傷ついた悟空を庇って、三蔵は妖怪達と戦ったらしい。
そして、突然の光の爆発に二人が振り返った先に、血だらけの悟空を抱き、魔戒天浄を発動させた三蔵を見つけたのだという。
浄化の光は、妖怪も靄も吹き払い、あっという間に決着が付いたのだ。
血だらけの悟空を抱いたままの三蔵へ近づけば、そのまま三蔵も気を失っていた。
失血で気を失った悟空の傷を取りあえずふさぎ、二人をジープに乗せて、街まで運んだのだと。
幸い、悟空の傷は貫通銃創だったお陰で治りも早いだろうと、八戒が話を締めくくった。

何故、悟空が銃創など負っていたのか。

訊かれても、三蔵は答えなかった。
だが、三蔵の顔色と態度で何があったのか、聡い二人に気付かれていることは理解していた。
それでも、三蔵は口を噤んで何も話そうとはしなかった。

そして、まだ少し傷のふさがらない悟空を抱いた。



雨の所為にして。



己の犯した罪を誤魔化すように。



許しを請うように。



三蔵のいつにない乱暴な抱き方に、悟空は怯えた瞳を向けていた。
それでも抱く手を止めることは出来なかった。
執拗に、痛めつけるように抱いた、幼さの残る傷ついた身体。

自分の放った弾に撃ち抜かれるその瞬間、見開かれた金瞳に宿った驚愕。

間違えるはずのない気配だったはずなのに。

「……っ…」

立てた膝に顔を埋め、三蔵は己の身を隠すように、疲れ切って眠る悟空の傍らに座っていた。




















「…んっ……」

微かな悟空の身じろぎに、汚れた悟空の身体を清め、解けた包帯を巻き直していた三蔵の手が止まった。
三蔵の顔が瞬時に強張る。
やがて、悟空はもぞもぞと身じろぎ、ゆっくりと瞳を開けた。
何度か瞬く間に、虚ろだった瞳に光が宿る。
きょろきょろと、見回し、息を詰めている三蔵の硬い表情を見つけた途端、悟空はふうわりと笑った。

「さんぞ、いたぁ…」

嬉しそうに、安心したように呟く。
そして、ゆっくりと腕を伸ばし、包帯を巻きかけたまま止まった三蔵の手に触れた。
温かい悟空の掌の熱に、三蔵の身体が震える。

「どっか、行ったかと思った…」
「……!」

怯えたように、三蔵の肩が揺れた。

「よかったぁ…」

三蔵の強張った表情に気付いているのか、いないのか、笑うその顔に翳りなどなく、本当に安心したと物語る。

「……悟空」

吐息のような声で名前を呼べば、悟空はまた、笑った。

「俺、大丈夫だから…大丈夫だから、傍にいてくれよな」

ぎゅっと、三蔵の手に触れた悟空の手に力が入る。
三蔵を見上げてくる瞳が、不安に揺れていた。

「あれは俺の所為だから…三蔵の所為じゃないから…だから、何も気にするなよな」
「……悟空」
「俺、ちゃんと生きてるから。俺、死なねえから…」

悟空の両手が三蔵の青ざめた頬に触れた。

「だから傍にいてくれよな。何処にも行かないでくれよな」
「………俺は…」
「大丈夫だから…三蔵」

笑う瞳は薄い膜に覆われて、縋るように三蔵の暗い光の宿る紫暗を見つめる。

「…ごく…」

三蔵の言葉を遮るように悟空は、三蔵の唇を指で押さえた。

「忘れて…俺は、ここにいるから。三蔵の傍にいるから…どこにも行かないから…」

安心して、と、悟空はもう一度、柔らかく笑った。
三蔵は儚い笑顔を浮かべる悟空の唇を押さえた指を取り、そっと口付けた。
そして、その指ごと、腕ごと悟空を抱き締めた。

「……悟空…」
「…うん」
「悟空…」
「うん」
「悟空」
「うん、三蔵」

何度も悟空の名を呼ぶ三蔵に、悟空ははんなりと笑って応えを返し続けた。






やがて、部屋に沈黙が落ち、室内には窓を打つ雨音だけが響く。






「明日は晴れるから…な」
「………ああ…」

ぽろりと零れた言葉に、ぽつりと応えが返り、それきり部屋はまた、沈黙した。





夜明け前の薄闇の中、触れる指先の確かな熱。
抱き込む身体の温もりに、寄り添う安らかな吐息。

もう二度と違えることなどないと、見下ろす容にそっと触れて、三蔵はようやく、仄かに笑った。




end

close