雨に融かして、闇に紛れて。
雨 夜
「や…あん…もう、やぁ……」 首を苦しげに振るたびにぱさぱさと大地色の髪がシーツを打つ。 「…も、ゆる……て」 過ぎる快感は痛みにも似て、子供の神経を蝕んでゆく。 今夜の三蔵は果てがない程、悟空を貪り続ける。 「んっ…ああ…あん…やっ、やあぁぁ…」 甘い言葉もなく、甘い仕草もなく、ただ無言に、ただ貪る。 「─っあ…あっも……ダメっ、あ、あぁぁぁ」 か細い声を放って悟空がもう何度目か解らない精を吐き出した。 涙と唾液と強要した行為の名残に汚れた幼い容。
叩き付ける雨の中、漸く見つけた寝床を襲われた。 ぬかるんだ地面と狭い空間。 それでもそんな状況は、重ねる旅の間に何度も経験していた。 「三蔵!」 振り返る悟空に怒鳴って、三蔵が体勢を立て直しながら引き金を引く。
妖怪との戦いが終わるのを見計らったように土砂降りの雨が唐突に止んだ。 「三蔵?悟空?何処ですか?」 物音一つ聞こえない靄の中、八戒の誰何の声が響く。 「悟浄?」 呼ぶ声に答えはなく、八戒は小さく息を吐いた。
「三蔵!八戒!」 がさがさと茂みを分けて悟浄は残りの三人の気配を探す。 「悟空──っ!」 何度呼んでも乳白色に塗り込められたような靄から返る応えはない。 「どうなってやがるだ、一体…」 わしわしと紅い髪を掻いて、悟浄は新しい煙草をくわえた。
「お─い、三蔵ぉ、八戒ぃ、悟浄ぉ──っ!」 濡れて張りつく髪を鬱陶しそうに頭を振って払い、悟空は周囲を見渡した。 「どこだよ─ぉお」 呼んでも返る声はなく、悟空はくしゃっと顔を歪ませ、肩を落とした。 「…一体、何だろ…」 ちろりと、悟空の胸に不安の灯が灯った。
苛々と煙草をくわえ、火を付けた。 「自然現象じゃなっかたか…」 ため息を吐き、印を結んで本格的に真言を唱えかけた時、靄が動いた。 「ちぃっ」 襲ってくる刃を避け、或いは蹴り付け、殴り付けて三蔵は懐から銃を取り出し、反撃を始めた。
「どうなっちまってんだ?」 くしゃっと髪を掻き上げた姿勢のまま、悟浄は身体を捻った。 「そういうことかよ」 にやりと笑った悟浄は、その手に錫杖を召喚した。
「近くにいるはずなんですけど…この靄は、誰かの意図を感じて嫌なんですよねぇ」 困りましたねえ、などとため息を吐く八戒の背後から刃が迫った。 「だからといって、後ろからなんて、卑怯ですよ」 その気配に振り返りざま、八戒の手刀が妖怪の首筋にめり込んだ。
「な、何なんだよぉ!」 乳白色の纏い付く靄の中、歩き回って、悟空は地面にしゃがみ込んだ。 「みんな何処にいるんだよぉ…」 かくん、と項垂れて、大きなため息を吐く。 「さん…」 振り返った目の前に刃が光り、悟空は転がって間一髪、避けた。 「不意打ちは反則!」 召喚した如意棒を勢いよく振り回して、悟空は楽しげに笑った。
引き離されていた四人は、襲ってくる妖怪達と戦いながらも、知らずに靄の中、お互いの距離を縮めていた。 振り放した錫杖が空を切って、靄の中に潜む妖怪を薙ぎ払う。 その互いの靄の切れ目にそれぞれの姿を見つけて、口元が綻んだ。 「お久しぶりです」 頷き合って、残りの妖怪と対峙した。
銃声が木霊を呼ぶ。 切り裂いた靄の隙間に悟空は三蔵の姿を見つけた。
背後に気配を感じ、振り返った。
頭で考えるより先に身体が反応した。
引き金を引いた瞬間、目の前に飛び出した小さな影。
名前を呼ぶその前に、己の放った銃弾が小さな影を撃ち抜いた。
「……ぁ…」 吐息のような声を上げて、影は跳ね、地面に転がった。 「…ご…悟空──っ!!」 三蔵の上げた叫びに、一瞬、時間が止まる。 「…さ……んぞ…」 撃ち抜かれた場所から溢れる血を抑えるようにして、悟空が身体を起こした。 生きている。 三蔵の視覚はそれを認識している。 「さん…ぞぉ…」 ふらつく悟空の三蔵を呼ぶ声に、我に返った妖怪達が二人に向かって一斉に襲いかかった。
気が付いた時、気を失った悟空と共に三蔵は宿の寝台に寝かされていた。 悟空を誤って撃ち抜いてから、目覚めるまでの記憶が三蔵にはなかった。 翌朝、その時の状況を八戒と悟浄から聞き出した三蔵は、唇を噛むしかなかった。 傷ついた悟空を庇って、三蔵は妖怪達と戦ったらしい。 何故、悟空が銃創など負っていたのか。 訊かれても、三蔵は答えなかった。 そして、まだ少し傷のふさがらない悟空を抱いた。
雨の所為にして。
己の犯した罪を誤魔化すように。
許しを請うように。
三蔵のいつにない乱暴な抱き方に、悟空は怯えた瞳を向けていた。 自分の放った弾に撃ち抜かれるその瞬間、見開かれた金瞳に宿った驚愕。 間違えるはずのない気配だったはずなのに。 「……っ…」 立てた膝に顔を埋め、三蔵は己の身を隠すように、疲れ切って眠る悟空の傍らに座っていた。
「…んっ……」 微かな悟空の身じろぎに、汚れた悟空の身体を清め、解けた包帯を巻き直していた三蔵の手が止まった。 「さんぞ、いたぁ…」 嬉しそうに、安心したように呟く。 「どっか、行ったかと思った…」 怯えたように、三蔵の肩が揺れた。 「よかったぁ…」 三蔵の強張った表情に気付いているのか、いないのか、笑うその顔に翳りなどなく、本当に安心したと物語る。 「……悟空」 吐息のような声で名前を呼べば、悟空はまた、笑った。 「俺、大丈夫だから…大丈夫だから、傍にいてくれよな」 ぎゅっと、三蔵の手に触れた悟空の手に力が入る。 「あれは俺の所為だから…三蔵の所為じゃないから…だから、何も気にするなよな」 悟空の両手が三蔵の青ざめた頬に触れた。 「だから傍にいてくれよな。何処にも行かないでくれよな」 笑う瞳は薄い膜に覆われて、縋るように三蔵の暗い光の宿る紫暗を見つめる。 「…ごく…」 三蔵の言葉を遮るように悟空は、三蔵の唇を指で押さえた。 「忘れて…俺は、ここにいるから。三蔵の傍にいるから…どこにも行かないから…」 安心して、と、悟空はもう一度、柔らかく笑った。 「……悟空…」 何度も悟空の名を呼ぶ三蔵に、悟空ははんなりと笑って応えを返し続けた。
やがて、部屋に沈黙が落ち、室内には窓を打つ雨音だけが響く。
「明日は晴れるから…な」 ぽろりと零れた言葉に、ぽつりと応えが返り、それきり部屋はまた、沈黙した。
夜明け前の薄闇の中、触れる指先の確かな熱。 もう二度と違えることなどないと、見下ろす容にそっと触れて、三蔵はようやく、仄かに笑った。
end |