雨降り

雨が降る日の三蔵は、いつもよりもっと無口になる。
それに何となくイライラしてて、恐い。
どうしてだろうとか思うけど、訊いても話してくれなさそうで訊けない。
不機嫌な顔はいつもだけど、雨の日はちょっと違う。



違うんだ。



雨の降る日は、俺でも何となく気分が重くなる。
外に出ると怒られるし、冷たいし、何よりお日様が見えないから。
でも、代わりに歌が聞こえる。

全てを包み込む優しい歌声。
乾いてささくれた心にそっと触れて、癒してくれる歌声。
疲れた命にエネルギーを与えてくれる歌声。

そんな雨を嫌だと思うのは人間だけ。
草も木も動物達だって、虫だってみんな喜んでる。
だって雨は本当にとても優しいから。




「さんぞ、雨が歌ってる」

三蔵の仕事部屋の窓に額をくっつけるようにして外を見ながらそう言うと、三蔵が珍しく仕事の手を止めた気配がした。

「雨が、渇きを癒しなさいって。ゆっくり休みなさいって、優しい声で歌ってる」

何を馬鹿なことを言ってるんだという、呆れたため息が聞こえた。
振り返ると、三蔵が頭痛をこらえるようにこめかみを押さえて俺を見てた。
俺はにこっと笑って、三蔵の傍らへ行く。
俺の笑った顔に三蔵が顔を引きつらせて、身体を引いた。

「なあ、三蔵…」

椅子の方へ回って、三蔵の法衣を引っ張った。
三蔵は訝しげに俺の顔を見てる。
その瞳が、またとんでもないことを言い出すのかと細められた。

「なあ、外、行かねぇ?」

何をこいつって、顔になる。
俺は、優しい雨の歌を三蔵にも聴かせたいって思ったから、外へ行くことを誘った。
一緒に外に出れば、三蔵にも雨の歌が聞こえるんじゃないかと思ったから。

「外に散歩に行こうぜ」

もう一度そう言って法衣を引っ張ったら、ハリセンで叩かれた。
いつも思うけど、このハリセンは何処に入れてあって、どうやって出して、仕舞うのか不思議だ。
これで叩かれると痛い。
それに三蔵はいつも容赦なくぶっ叩くから、泣きたくなくても涙が出る。
叩かれた所をさすりながら、諦めずに誘う。

「ねえってば、いいじゃんか」
「喧しい。そんなに外に行きたきゃ、てめぇ勝手に行ってこい」
「ヤダ!三蔵とがいい」
「忙しいんだよ。見りゃわかんだろうが」

そう言って指さす先に、山のように積み上がった書類があった。




三蔵は、忙しい。

俺が寺院に来たときはそうでもなかったのに今は、とても忙しい。
わかってるけど、それでも今日は一緒に外に出て、雨の歌を聴いて欲しい。
だから諦めない。

「なあ、外に行こう。な、な、な」

また、法衣を掴んで引っ張ったら、思いっきり邪険に振り払われた。
めったにされないその仕草に俺は、驚いたし、ショックだった。
三蔵に拒絶されたみたいで、胸がぎゅってした。
だから、知らずに言い訳じみた言葉が口をついて出た。

「だって、三蔵、雨降ると機嫌悪いし、なんか怖いし・・・・俺、そんなのヤダから・・」

何かそう言いながら、だんだん悔しいような情けないような気分になって、目が熱くなって、床の模様がぼやけて来た。

「何、泣いてやがる?」

疲れたような声に顔を上げれば、呆れ返った三蔵が俺を見てた。

「だって…」

もう、どう言っていいのかわからない。
言葉の代わりにまた、涙が溢れてきた。
泣かないように手で目をこする。
その手を不意に掴まれた。

「ふぇ…」

見れば困ったような色を湛えた紫暗の瞳が、間近にあった。

「…っつたく」
「さんぞ?」

小さく名前を呼んだら、抱き込まれてしまった。




三蔵に抱きしめられるのは好き。
暖かくて、三蔵の匂いで一杯になるから。
それだけで俺の気持ちは、明るくなって、幸せで一杯になる。



「さん…ぞ?」

法衣に顔をすりつけるようにして名前を呼べば、口づけが降ってきた。
そのくすぐったさに俺が笑い声を上げると、三蔵が離れた。
どうしたのかと見れば、戸口に向かう三蔵が居た。

「何してる。行くんだろうが外に」

ちょっと不機嫌で、でも照れてる声で三蔵が俺を呼んだ。

「うん!」

顔が嬉しさにほころんで、思わず三蔵に飛びついた。
飛びついた俺をちゃんと受け止めて、頭をかき混ぜるように撫でてくれる。

「行くぞ」
「うん!」

扉を開ける。
先に外に出ていく三蔵の背中に、

「さんぞ、ありがと。大好き」

って、呟いたら、三蔵が振り返った。

「バカ猿」

ちょっと瞳を眇めて言う。

「猿ってゆーな」

言い返す俺の顔を楽しそうな顔で見返して、外へ出て行った。

「あ、待てよぉ」

慌てて三蔵の後を追いかけた。
先に出た三蔵を追いかけた足が、止まった。
薄明るい雨の中、回廊の端に立ってる三蔵の姿が、雨の中に消えてしまいそうで、また、胸がぎゅってなった。

「…さんぞ…」

ゆっくり近づくつもりが、駆け寄ってしまっていた。

「さんぞ…ヤダ」

思わず三蔵の法衣を掴んでしまった。
そんな俺に三蔵はびっくりした顔して、俺を見てた。

「何だ?」
「消えちゃヤダ」
「あ?!」
「どこにも行っちゃヤダ。側に居てくんなきゃヤダ」

言いながらぎゅうって握った手に力が入る。
うつむいて見てる足元が滲んできた。
また、泣きそうになってる。
三蔵の法衣を掴んだ手に温もりを感じて、顔を上げれば三蔵が法衣を握った俺の手に重ねてた。
不思議そうに見返す俺を見下ろす三蔵の瞳は、見たこともない紫色に光ってた。

「お前は…」

それだけ呟くように言った三蔵の顔が近づいてきた。
綺麗な顔が、微かに笑った顔が、近づいて、思わず目を瞑った。
優しい唇が触れてきた。




ゆっくりあやすような、宥めるような口づけ。
俺の大好きな、俺だけが知る優しい三蔵の口付け。

ふわふわした気持ち良さに、さっきまでの怖い気持ちが消えていく。

「…んっ…ふぅ」

最後に軽く唇に触れて、三蔵の顔が離れた。

「さんぞ…」

見返す三蔵の瞳に俺の顔が映ってるのが見えた。
その瞳がすっと眇められた。
そして、

「側に居るんだろ?何処にも行かないんだろ?」

そう言って俺に確認する。

そんなこと決まってる。

三蔵が、俺をいらないって言っても、離れない。
三蔵は、俺の太陽だから。
俺が、ここにいる理由の全て。
誰が何て言ったって、俺は三蔵の側にいる。
三蔵が、好き。
世界の誰よりも三蔵が、大切。

三蔵の言葉に力一杯頷くと、三蔵の瞳が綺麗な紫に光った。
それが嬉しくて俺も笑う。

「バーカ」

そう小さく言って、雨に濡れる庭に三蔵は、顔を向けた。
その三蔵に、さっきまでのイライラも怖さも感じなかった。
あるのは、いつもよりちょっと優しい空気。
一緒に庭を見れば、薄日が差してきてた。
もうすぐ雨が、上がる。



ねえ、今度はもっと遠くへ一緒に行こうね。
どこまでも。
いつまでも。




ね、三蔵───雨の歌聞こえた?




end

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