例えば、それは気まぐれで、
例えば、それは偶然。

偶々、見つかって、
偶々、不器用で。

でも、一生懸命だったから─────

一年に一度くらい構わねえだろう?



アナタと君のため
気分が乗らない日というものがある。
それは最高僧三蔵法師様においても例外ではない。
二月、節分、立春、春節までと以降、果てしなく忙しい状態が続いて、漸く一段落した今日、溜まった疲れが気分を重くさせ、やる気も削いでしまう。

だから、こんな日は気が乗らない。

三蔵は書きかけの書類と筆を投げ出し、ため息を一つ吐いて、立ち上がった。
そして、大きく身体を伸ばしてほぐす。
ばきばきと同じ姿勢でいた身体が音を立てたような気がした。
三蔵は机の上に投げ出してあった、煙草の箱を取ると、一本くわえた。
そのまま三蔵は、執務室を出て行く。

執務室と寝所とを繋げる渡り廊下で煙草に火を付けた三蔵は、寝所から漂ってくる甘い匂いに顔を顰めた。
そして、ふと、今日が何日か思い出す。



もう、そんな日か…



毎年、毎年、手を変え、品を変えて悟空は二月十四日を言祝ぐ。
いつだったか、由来を調べてみれば、チョコレートなど関係のない由来で、チョコレートうんぬんは、菓子屋の陰謀だと知った。
それに、異教徒の行事であるので、仏教徒である自分達には関係ないと、止めさせることも出来た。
だが、毎年、本当に嬉しそうに三蔵に様々なチョコレートを手渡すその姿に、止めろとは言い出せない。
数少ない悟空の楽しみを奪うことがどうしても出来なかったからだ。
が、本当の理由は別にあるのだが、三蔵は断固としてそれを認めるつもりはなかった。

寝所の扉の前で三蔵は、微かに口元を綻ばせた。



で、今年も手作り…か?



笙玄の手ほどきで、ずいぶんと上手になったとはいえ、相も変わらず見た目は初めて作った頃と変わらず、得体の知れない物体の様相から進歩がない。
それを文句も言わず、黙って食べる三蔵も三蔵なのであるが、本人はそのことに全く自覚はなかった。

三蔵はどんな風に作っているのか、ふと、好奇心が湧いた。
が、悪戦苦闘していることは簡単に想像できた。
なら、その悪戦苦闘ぶりを見てみようと、三蔵は楽しそうな笑みを浮かべたのだった。
















音もなく寝所に滑り込んだ三蔵は、部屋に充満した甘い匂いに、一瞬、目眩を感じた。



一体、いつから作ってやがるんだ?



三蔵は足音を忍ばせて厨に近づいて、中を覗いた。
そこには、顔と言わず、腕や服にチョコレートを付けた悟空が、難しい顔をしてボウルの中身と睨み合っていた。
そのいつにない真剣な様子に、三蔵の口元が綻ぶ。
むせ返るような甘い匂いに顔をしかめつつ、三蔵はそっと、悟空の後ろに立った。

見下ろせば、レシピに載っている写真とボウルの中身の状態がずいぶんとかけ離れている。



それじゃあ、お前、ただの泥だろうが…



これで納得いく。
出来上がったモノが、得体の知れない状態になる理由が。
三蔵は、甘い匂いに当てられた所為ではない目眩を感じて、こめかみを押さえた。

そんな背後の三蔵に気付かず、悟空は何度も何度もボウルの中身とレシピを見比べては首を傾げて唸っていた。
こんな状態では、いつ出来上がるのか甚だ疑問だと、三蔵は小さくため息を吐き、徐に悟空が見ていたレシピを手に取った。

「…ぇ…??」

突然、後ろから伸ばされた手に、悟空は驚いて文字通り飛び上がった。
その拍子にボウルが派手な音を立ててシンクの中に転げ落ちる。

「あ、あぁあ…さ、さ、三蔵ぉ…」

情けなく、でも驚いた、その上泣きそうな、何とも複雑な顔でレシピを持って呆れた顔をしている三蔵を悟空は見上げた。
三蔵は、そんな悟空の頭をくしゃっと撫でると、喉を鳴らして笑った。

「な…何?」

訳が分からずにおどおどする悟空の顔を見て、三蔵は笑いながら頬に付いたチョコレートを指で掬い取った。

「何て顔しる。っていうか、お前、チョコレートまみれだな」
「へっ?ま、マジ?」
「ああ」
「うわっ…」

悟空は慌てて洗面所へ走って行こうとする。
それを襟首を掴んで止めると、三蔵は言った。

「その前にこのトリュフっていうヤツを俺と作っていけ」
「え…ぁ…だ、だって…あぇ…あ…」

三蔵の言葉に悟空は、パニックに陥ったのか、陸に上がった金魚のように口をぱくぱくさせては意味のない言葉を紡ぐ。

「嫌か?」
「い、いぁ…や…嫌じゃない!」

顔を真っ赤に染めて首を振る悟空に、三蔵は楽しそうな笑顔を向けた。
















ぐちゃぐちゃに散らかった厨をまず片付け、三蔵と悟空はレシピにある材料をもう一度調理台の上に揃えた。

ガナッシュ用スイートチョコレート、生クリーム、ブランデー。
仕上げ用スイートチョコレート、ホワイトチョコレート。

笙玄は悟空の失敗を考慮して、大量にチョコレートと生クリームを買っておいたのだろう。
三蔵と作るまでにどれ程失敗したのか、どれ程買い込んでいたのか解らないが、材料の残りはもう一回作れる程度にまで減っていた。

「三蔵、分量を量るんだよな」
「ああ、正確に量れ」
「うん」

悟空は顔や腕に付いたチョコレートを三蔵にふき取って貰ってもまだ、チョコレートまみれの姿で、真剣に台秤と向き合う。

「えっと…ガナッシュ用のスイートチョコレートが125グラム、生クリームが50cc、ブランデーが25cc。そんで、仕上げようが、スイートチョコレート90グラム、ホワイトチョコレートも90グラム…っと」

悟空が計り終えたガナッシュ用のチョコレートを三蔵はまな板の上で細かく刻んで行く。
その以外に器用な指先に、悟空は思わず見とれてしまった。

「…なんで、三蔵、包丁使うの上手いの?」

ぽろりと零れた問いに、三蔵は手を止めることなく答える。

「昔は台所にも立っていたんだよ。修行中は、何でもさせられるし、しなきゃなんねえからな」
「そう、なんだ」
「ああ…。で、量れたのか?」
「うん、全部ちゃんと量った」

得意げな声に三蔵は顔を上げると、小鍋に量った生クリームを入れさせ、沸騰するまで暖めるように悟空に告げた。

「わかった」

まるで化学の実験をしているようなぎこちない手つきで、悟空は生クリームを鍋に移すと、火にかけた。
三蔵はボウルに刻んだチョコレートを入れ、悟空を待った。
すぐに生クリームは沸騰し、吹き出る寸前で悟空は火を止めた。

「で、これとチョコを混ぜるんだよな」
「ああ、そうだ」

レシピを見て、三蔵は頷き、チョコレートを入れたボウルに沸騰するまで暖めた生クリームを入れ、チョコレートが溶けるまで木べらでよく混ぜた。

「さっきも、その前もここで上手くいかなくなんだよなぁ…」

ボウルを掻き回す三蔵の手元を見ながら、悟空が拗ねたような、悔しそうな呟きを漏らす。
それに三蔵は小さく笑って、悟空に空いたボウルに氷と水を入れさせ、氷水を作らせた。

「冷やすんだよ。ここに、そう書いてあるだろうが」

チョコレートの入ったボウルを混ぜながら三蔵はレシピを顎でさす。

「あ、そう…うん、本当だ。ボウルの底に冷水を当て、チョコレートが型作りしやすい固さになるまでゆっくり混ぜるって、書いてある」
「ったく…何のためにレシピ見てるんだ?お前は」

三蔵の呆れた声に悟空はちょろりと舌を出して、笑った。

あら熱が取れたところでブランデーを加え、よく混ぜて、調理台に悟空が並べたラップに、20こに分けてガナッシュを並べた。
そして、悟空に丸め方を教え、悟空が丸めている間に、三蔵はバットにパラフィン紙を敷き、悟空が丸めたガナッシュをそこへ並べた。

「すっげぇ…」

綺麗に並んだガナッシュを見つめて、悟空が嬉しそうに笑った。

「すっげぇよ、三蔵。マジ、こんな風に出来るなんて思わなかった」

にこにこと喜び、三蔵の器用さを褒める悟空に、三蔵は薄く笑って答え、バットを冷蔵庫へしまった。

「なんで冷蔵庫へいれんだ?」
「固めるためだよ」
「固める?」
「固めねぇと、仕上げができんだろうが」
「ああ、なる…」

ぱちんと手を叩いて納得する悟空に、三蔵は呆れた。
よくもまあこんな調子で、毎年、作っていると。

「今の間に、片付けるぞ」
「おう」

元気に答えて、悟空は汚れたものを洗い始めた。




三蔵と悟空は、丸めたガナッシュを30分程冷蔵庫に入れて固め、取り出す前に仕上げ用のチョコレートを湯煎にかけて融かした。

「これ、どうやって付けるんだ?」
「まあ、見てろ」

三蔵は、ぽんと悟空の頭を叩くと、溶かしたチョコレートを丸めたガナッシュに薄く付け、冷やした手で丸め直し、もう一度、溶かしたチョコレートに入れ、表面にチョコレートをコーティングした。
その手際の良さに悟空は、もう、ただ見とれるばかりで、悟空が手を出す暇もなく、あっという間に20個のガナッシュが、アミの上でコーティングされたチョコレートが固まるのを待つばかりになった。

その間に、三蔵は残りの道具を片付けた後、悟空にもフォークを持たせた。

「これで何すんの?」
「こうやって転がすんだよ」

三蔵がアミの上をコーティングされて表面が固まって粘ってきたガナッシュを転がし、角を出してみせた。
それにならって半分ずつを、お互いにころころと転がし、トリュフが出来上がった。

もう一度、パラフィン紙の上に戻し、完全に固まるまで、三蔵と悟空は悟空が汚した厨を掃除した。
















仕事から逃げ出した三蔵を笙玄は珍しく探しに来ることもなく、三蔵は甘ったるい匂いの籠もった寝所の居間でぷかりぷかりと、煙草をくゆらせていた。
座る長椅子の前のテーブルには、二人で作ったトリュフが、白い皿に盛られている。
悟空は体中に付いたチョコレートを落としに、シャワーを浴びていた。

今年の十四日は、何だか、何だな日になった。
好奇心を抱いたのが運の尽きだったのか、それとも一生懸命な悟空の姿を見たせいか。

それとも────



ま、たまには良いだろうさ…



三蔵は、シャワーから戻ってきた悟空の姿に、仄かに笑ったのだった。




end

close