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それは一瞬だった。 何故、その僧侶が刃物など持っていたのか。 「うわぁあああ───っ!!」 目に映った鮮血の赤に錯乱したその僧侶は、尚も手に持った刃物で斬りつけられた衝撃から立ち上がりかけた悟空をまた、襲った。 「…っうぅ…」 避けきれず 、もう一度受けた刃は、悟空の背中を切り裂き、髪を結っていた紫の組紐が血しぶきと共に宙を舞った。 「妖怪なんかみんな死んでしまえばいいんだぁ──っ!」 回廊に倒れ込んだ悟空に、僧侶はまた斬りつける。 「…さん……ぞ…」 悟空は三蔵の姿を認めると、相好を崩し、そのまま気を失った。 「悟空!」 三蔵の脇を駆け抜けて、笙玄が走り寄る。 「うぁあああ──っ」 気を失った悟空を庇う笙玄の二の腕が切り裂かれるのと三蔵が僧侶の肩を撃ち抜くのとは同時だった。 「笙玄!」 三蔵は法衣が血で汚れるのも構わず、悟空を抱きかかえると寝所へ走った。 「お前もケガして居るではないか」 僧兵の一人に気付かれて、笙玄は「大丈夫」だと笑う。 「ありがとうございます」 笙玄は軽く会釈すると、寝所へ向かった。
「また今回は、派手にやられたなあ」 麻酔で眠った悟空の背中を治療しながら、康永はため息を吐く。 悟空が寺院の僧侶達に傷つけられるのは今に始まったことではなかった。 閉鎖された空間の寺院には、日々凶暴化する妖怪の影響はまだ及ばないと何処かで安心していた。 決して閉鎖され、世間の情報が全く入ってこない空間ではないのだ。
「三蔵様、悟空は…」 ちょうど悟空の手当が終わった所に、笙玄が戻ってきた。 「よかったです。でも、傷の具合は大丈夫でしょうか?」 手を洗った康永が、洗面所から出てきてそう告げた。 「そうですか。先生、ありがとうございました」 深々と頭を下げる。 「三蔵様、着替えを今お持ち致します」 三蔵の血で汚れた姿に、笙玄は慌てて着替えを取りに衣装部屋へ踵を返した。 「お前もその腕、ちゃんと始末しろ」 三蔵にそう言われて、自分も怪我をしていたことを思い出す。 「あ、ああ…いえ、大したことはないので、大丈夫…」 康永が、三蔵が掴んだままの笙玄の腕を診察する。 「三蔵様、居間をお借りします。笙玄、お出で」 笙玄は康永に引きずられるようにして、居間へ連れて行かれた。 白い枕に散った大地色の髪。 拾ってから今まで、ハサミを入れることなく、悟空の華奢な背中で揺れていた。 悟空の失った過去と現在を繋ぐ唯一のモノ。 斬ばらに散った大地色の髪。 怪我が治ったら、綺麗に切りそろえてやらなければならないだろう。
「よし、もう良いだろう」 ぽんと、悟空の背中を叩いて、康永は傷の完治を告げた。 「やったぁ──っ!」 悟空は椅子の上から歓声を上げて飛び上がった。 「さんぞ、もう大丈夫だってさっ」 にこっとそれは嬉しそうに窓際の長椅子に座る三蔵へ笑いかける。 「先生、ありがとうな」 Tシャツを着て頷く悟空の頭を軽く撫でると、康永は笙玄の傷も大丈夫だと完治を告げた。 「やった。笙玄ももう大丈夫なんだ」 悟空の喜びように笙玄はほんのりと頬を染めて康永に礼を述べ、三蔵と悟空に心配を掛けたと、頭を下げた。
その日の午後、三蔵は悟空を連れて物干しに居た。 「なあ、髪の毛、やっぱ、切るのか?」 三蔵に促されるまま丸椅子に座り、背を向ける。 「こんな斬ばら、どうしようもねえだろうが」 ふっと、悟空の肩の力が抜ける。
お粗末なことだな…
自分の思いこみや決めつけに、呆れにも似た感情が湧き起こる。 「…なんかさ、今までのことが無くなっちまうような気がして…」 悟空のうなだれた声に、三蔵は後ろからその背中を緩く抱きしめた。 「さんぞ…?」 振り返ろうとする悟空の頭を前に向けさせたまま、三蔵は静かな声音で告げた。 「無くならねえよ、そんなもん。増えるばっかりで、減らねぇよ」 頷く悟空の項に、触れるか触れないかの口付けを落とし、三蔵は抱擁を解いた。 「うん…さんぞ…」 声に出してもう一度、悟空は頷いた。
風は切られた髪を掬い上げ、大地へ運ぶ。 新たな気持ちに、新たな想いをのせて、また、日々が始まる。
西へ旅立つ少し前の一つの始まり───
end |
リクエスト:三空で、悟空が髪を切るお話 |
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ありがとうございました。 謹んで、空無様に捧げます。 |
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