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それは一瞬だった。

何故、その僧侶が刃物など持っていたのか。
何故、自分に向けられたのか。
そんなことはどうでもよかった。
ただ、回廊に散った大地色の髪と鮮血が、明るい陽の光に照らされているのが夢のようだと、悟空は思った。

「うわぁあああ───っ!!」

目に映った鮮血の赤に錯乱したその僧侶は、尚も手に持った刃物で斬りつけられた衝撃から立ち上がりかけた悟空をまた、襲った。

「…っうぅ…」

避けきれず 、もう一度受けた刃は、悟空の背中を切り裂き、髪を結っていた紫の組紐が血しぶきと共に宙を舞った。

「妖怪なんかみんな死んでしまえばいいんだぁ──っ!」

回廊に倒れ込んだ悟空に、僧侶はまた斬りつける。
その振り上げた刃が、銃声と共に弾け飛んだ。
止めることも出来ずに遠巻きに集まっていた僧達の人垣が割れ、銃を構えた三蔵と側係の笙玄が姿を見せた。

「…さん……ぞ…」

悟空は三蔵の姿を認めると、相好を崩し、そのまま気を失った。

「悟空!」

三蔵の脇を駆け抜けて、笙玄が走り寄る。
三蔵の登場に固まっていた僧侶は笙玄の声にはっと我に返るなり、弾き飛ばされた刃物をもう一度握った。
そして、気を失った悟空を抱き起こす笙玄に向かって斬りつける。

「うぁあああ──っ」
「悟空!」
「笙玄!」

気を失った悟空を庇う笙玄の二の腕が切り裂かれるのと三蔵が僧侶の肩を撃ち抜くのとは同時だった。
肩を撃ち抜かれた痛みに転げ回る僧侶もそのままに、三蔵は笙玄と悟空に駆け寄った。

「笙玄!」
「三蔵様。大丈夫です。それより早く悟空を…」
「ああ…」

三蔵は法衣が血で汚れるのも構わず、悟空を抱きかかえると寝所へ走った。
その姿を見届けて、笙玄は駆けつけてきた僧兵達に事後処理を頼む。

「お前もケガして居るではないか」

僧兵の一人に気付かれて、笙玄は「大丈夫」だと笑う。
そんな笙玄に呆れた顔をすると、僧服の袂を裂いて血の流れる笙玄の傷口を縛った。

「ありがとうございます」
「ああ。三蔵様の元へ早く行って差し上げろ」
「はい」

笙玄は軽く会釈すると、寝所へ向かった。





















「また今回は、派手にやられたなあ」

麻酔で眠った悟空の背中を治療しながら、康永はため息を吐く。

悟空が寺院の僧侶達に傷つけられるのは今に始まったことではなかった。
妖怪だと言うだけで理不尽な暴力を何度も受けてきた。
だが、刃傷沙汰は初めてだった。
それは、世間の不穏な空気が寺院の中にも影響を及ぼしていることの確かな現れであった。

閉鎖された空間の寺院には、日々凶暴化する妖怪の影響はまだ及ばないと何処かで安心していた。
だが、修行僧達は、月に二回、近隣の街へ托鉢に出掛ける。
参拝に訪れる信者達とも接触をする。
家族のある者は実家の様子が、耳に入る。

決して閉鎖され、世間の情報が全く入ってこない空間ではないのだ。
その現実を三蔵の目の前に突きつけた事件となった。




「三蔵様、悟空は…」

ちょうど悟空の手当が終わった所に、笙玄が戻ってきた。
心配で青ざめた顔に、三蔵は頷いてやる。
すると、ほっと詰めていたであろう息を吐いて、安心した笑顔を浮かべた。

「よかったです。でも、傷の具合は大丈夫でしょうか?」
「心配いらぬよ。出血の割には浅い傷だからね」

手を洗った康永が、洗面所から出てきてそう告げた。

「そうですか。先生、ありがとうございました」

深々と頭を下げる。

「三蔵様、着替えを今お持ち致します」

三蔵の血で汚れた姿に、笙玄は慌てて着替えを取りに衣装部屋へ踵を返した。
その腕を三蔵が掴んだ。

「お前もその腕、ちゃんと始末しろ」
「え…」

三蔵にそう言われて、自分も怪我をしていたことを思い出す。
僧兵が結んでくれた僧服の袖も、裂けた作務衣も血で濡れていた。

「あ、ああ…いえ、大したことはないので、大丈夫…」
「見せてご覧」

康永が、三蔵が掴んだままの笙玄の腕を診察する。

「三蔵様、居間をお借りします。笙玄、お出で」
「でも、三蔵様の着替えを…」
「自分でするから、てめぇは、その腕を診てもらえ」
「は、はい…」

笙玄は康永に引きずられるようにして、居間へ連れて行かれた。
その姿に、三蔵は小さくため息を吐くと、寝台に眠る悟空の顔に視線を移した。

白い枕に散った大地色の髪。

拾ってから今まで、ハサミを入れることなく、悟空の華奢な背中で揺れていた。
毎朝、もつれた髪を梳いて、悟空が持って来た組紐やリボンで一つに結った。

悟空の失った過去と現在を繋ぐ唯一のモノ。
口には出さずとも、何処かでそう認識していた。
断ち切ることは出来ないモノのようで、切れとは言えなかった。
その髪が、たかが錯乱した僧侶の刃で断ち切られた。

斬ばらに散った大地色の髪。

怪我が治ったら、綺麗に切りそろえてやらなければならないだろう。
三蔵は、悟空の髪が短くなる事への淋しさと、何処かしら安心する気持ちに、その紫暗を僅かに曇らせるのだった。





















「よし、もう良いだろう」

ぽんと、悟空の背中を叩いて、康永は傷の完治を告げた。

「やったぁ──っ!」

悟空は椅子の上から歓声を上げて飛び上がった。
その首筋で、中途半場に切りそろえられた髪が、揺れる。

「さんぞ、もう大丈夫だってさっ」

にこっとそれは嬉しそうに窓際の長椅子に座る三蔵へ笑いかける。
それに、頷き返してやると、益々悟空は嬉しそうに笑顔を花開かせた。

「先生、ありがとうな」
「ああ、悟空が大人しくしてたから、予定より早く治ったんだよ」
「うん」

Tシャツを着て頷く悟空の頭を軽く撫でると、康永は笙玄の傷も大丈夫だと完治を告げた。

「やった。笙玄ももう大丈夫なんだ」
「ああ、すっかり元通りだから安心おし」
「うん!」

悟空の喜びように笙玄はほんのりと頬を染めて康永に礼を述べ、三蔵と悟空に心配を掛けたと、頭を下げた。
それに悟空は笑顔で答え、三蔵は小さく頷きを返す。
そんな二人に柔らかな笑顔で答える笙玄の肩をぽんぽんと軽く叩き、悟空の頭をくしゃりともう一度撫でると、康永は診療所へ戻って行った。




その日の午後、三蔵は悟空を連れて物干しに居た。

「なあ、髪の毛、やっぱ、切るのか?」

三蔵に促されるまま丸椅子に座り、背を向ける。

「こんな斬ばら、どうしようもねえだろうが」
「…うん。でもさ、なんか…さ」
「切っちまって、嫌だったらまた伸ばしゃいい」
「そっか…そうだよな」

ふっと、悟空の肩の力が抜ける。
それを見て、緊張していたのかと三蔵は、苦笑を浮かべた。
日頃から、あまりモノに拘ったり、執着したりしない悟空。
唯一、拘りを見せるのは必ず三蔵のことだ。
髪のことも三蔵が思うほど気にしてはいないと、何処かでそう決めていた。
だが、いざこうしてハサミを入れるとなって初めて、悟空は悟空なりに思い入れがあったのだと、三蔵は気が付いた。



お粗末なことだな…



自分の思いこみや決めつけに、呆れにも似た感情が湧き起こる。

「…なんかさ、今までのことが無くなっちまうような気がして…」

悟空のうなだれた声に、三蔵は後ろからその背中を緩く抱きしめた。

「さんぞ…?」

振り返ろうとする悟空の頭を前に向けさせたまま、三蔵は静かな声音で告げた。

「無くならねえよ、そんなもん。増えるばっかりで、減らねぇよ」
「そっかな…」
「ああ、また始まるんだよ、悟空」

頷く悟空の項に、触れるか触れないかの口付けを落とし、三蔵は抱擁を解いた。

「うん…さんぞ…」

声に出してもう一度、悟空は頷いた。
それを合図に、三蔵は悟空の髪にハサミを入れたのだった。




風は切られた髪を掬い上げ、大地へ運ぶ。
見渡す空は何処までも蒼く澄み渡り、大地の御子を優しく見下ろす。

新たな気持ちに、新たな想いをのせて、また、日々が始まる。
少年らしくなった子供の姿に、新たな思い出が積もる。




西へ旅立つ少し前の一つの始まり───




end




リクエスト:三空で、悟空が髪を切るお話
40000 Hit ありがとうございました。
謹んで、空無様に捧げます。
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