「悟空、出てきてください。もうすぐ三蔵様がお戻りですよ」

何度目になるだろう、寝室に閉じこもった悟空に声をかけるのは。

昨日、傷だらけになって戻ってきて以来、食事もとらず、何かに怯えたように寝室に閉じこもって出てこないのだ。
三蔵が仕事で三日ほど留守にしている間にまた、悟空が変調を来してしまった。
原因が寺院の修行僧達の心ない危害であっても、これほどのことはなかった。



何か言われたのだろうか?



だが、どんなことも三蔵が言わないであろうことをさも三蔵が言ったと言って、悟空に告げる者達のことだ、たまたま三蔵の発した言葉尻を捉えて、本来の意味とはかけ離れた意味を持って悟空に告げたかもしれなかった。

何を聞いても寝室に内側からカギをかけて閉じこもっている悟空からは返事がなかった。

「悟空、せめて傷の手当をさせてください。ちゃんと手当をしないと化膿してしまいます」

笙玄は、なんとかこの扉を開けて欲しくて、届かない言葉をまた、告げるのだった。




be scared




夕方、日の暮れかけに三蔵は帰還した。
帰りを労う僧達を後目に三蔵は足早に寝所へと向かった。
大扉の前にいつもなら出迎える笙玄の姿はなく、寺院に近づくほどに大きくなった胸騒ぎが、現実のものだと三蔵に知らしめていた。




仕事の最中に変わった悟空の声。
穏やかに三蔵を呼んでいた声が、か細く不安な色に染まったのだ。

また、何かあったのだ。
悟空を傷つける何かが。

いつもそうだ。

三蔵の不在を良いことに修行僧達は悟空を傷つける。
これでもかと言うほどに。
妖怪だからと言うだけで。
三蔵の側には相応しくないとふざけた理由で。

一緒に居るためにしなければならない我慢もある。
だが、それにも限度があるのだ。
悟空は子供故の一途さと三蔵に迷惑をかけたくない、かけたら一緒にいられないその一心で耐えているのだ。
反撃すれば容易く勝てる相手だからこそ。
三蔵の側に居られなくなるからこそ。




三蔵は憔悴した笙玄の顔を表情を変えることなく見やっていたが、装束の中の両手は、拳が白くなるほど握られていた。
寝室の扉の前で三蔵は笙玄からの話を聞き終えると、深く深呼吸し、扉に手をかけた。
だが、中からカギをかけているのか、扉はがちゃがちゃ言うだけでびくともしない。
三蔵はノブから手を離し、扉に手を当てて静かに悟空の名前を呼んだ。

「悟空…」

それは側に居る笙玄ですら初めて聞く声。
柔らかく、包み込むような慈愛に満ちた声。
聞く者を安心させる声。

だが、扉の向こうで動く気配はない。
じっと、外の様子を窺う警戒した気配が感じられるだけ。
三蔵はまた、名前を呼んだ。

「…悟空」

しっとりと、柔らかく消える声。
扉の向こうの子供が、愛して止まぬ声。

動かない。
警戒と怯えと、まるで野生動物が放つ威嚇と攻撃の気配。
それは例えば、罠に掛かった時のように。

扉に手を当てて静かに悟空の名前を呼び続ける三蔵のまだ華奢な後ろ姿を笙玄は、居たたまれな思いで見つめた。

いつもいつも肩肘張って、周囲に警戒して、誰にも心を許さず、頼らず、強くあろうとする。
まだ甘えてもいい、泣きわめいてもいい、我が侭を言って困らせても。
心のままに自由に振る舞って良いはず。
それが許される年頃だと言うのに、戒律に縛られ、義務に縛られ、重たい責任を背負わされ、多大な我慢を強いられて。
心ない仕打ちや悪意に曝される。

側に居て少しでもその風当たりが弱くなれば、気持ちが休まればと思う。
だが、こうして傷つけられてしまった時、自分の無力さを実感してしまう。
自分の立場を思い知らされる。

笙玄は、扉が開くことを祈らずにはいられなかった。





















「なんでお前ごとき妖怪を三蔵様はお側に置かれる?」

「何が目的で三蔵様のお側に居る?」

「三蔵様がお優しいからつけあがって!」

「お前が三蔵様と呼ぶから!」

「お前のその餓えで、いつか三蔵様を喰ろうてしまうつもりだろう」

「この妖怪が!」
「この化け物が!」
「この餓鬼が!」

「仕方ないのだ。三蔵様は慈悲深いお方故」

「ご自身のご負担を顧みられず」

「お前がすがるから、三蔵様はそのお手をお離しにならない」

「お前の所為で、三蔵様が貶められる」

「お前がここに居る所為で、三蔵様が笑われる」

「三蔵様が嘲られる」

「お前の所為で」

「この妖怪が!}
「この化け物が!」
「この餓鬼が!」

打ち据えられる身体より、心が痛かった。
自分の存在は三蔵にとって負担以外の何ものでもないのだろうか。

誰か教えて。
誰か答えて。






三蔵、三蔵、三蔵、三蔵、三蔵………。






「お側に居たければ、呼ばぬ事だ」

「お側に居たければ、話さず、大人しくしておれ」

「妖怪風情が」
「化け物のくせに」
「餓えた鬼め」

投げかけられる言葉が恐かった。
自分が三蔵を呼ぶことが、三蔵の迷惑になるのだろうか。

誰か教えて。
誰か答えて。






三蔵、三蔵、三蔵、三蔵、三蔵…………。






悟空を詰り、痛めつけた僧侶達が去った後、悟空はしばらくその場に踞ったまま動くことが出来なかった。
投げつけられた言葉が、鋭い刃となって幾本も悟空の心に突き刺さって、悟空を怯えさせていた。

三蔵の側に居ることが、三蔵を苦しめている。
三蔵を呼ぶことが、三蔵の迷惑になっている。

それでもここを出て行くことが出来なくて。
せっかく掴んだ太陽を手放すことなど出来なくて。

悟空はのろのろと立ち上がると、痛む身体を引きずって寝所へ戻って行った。




寝所へ戻れば笙玄が、悟空のケガを見てびっくりして、手当をと走り寄ってきた。
その手をさけて、寝室に飛び込むとカギをかけた。
扉の外で笙玄が何か言っているが、悟空には形を成した言葉として捉えることは出来なかった。






三蔵、三蔵、三蔵、三蔵、三蔵、三蔵、三蔵…………。






無意識に声なき声は、三蔵を欲して、声の限りその名前を呼んでいるというのに。
悟空の肉声は、形になることは無かった。











虚ろなまま時は過ぎ、閉ざした扉の向こうから三蔵の気配がした。
はっと顔を上げるが、その顔にはいつもの輝くような笑顔を浮かべた子供ではなく、怯えて警戒し、今にも泣きそうな顔をした子供が居た。




さんぞ…さんぞ……さんぞぉ………




悟空を呼ぶ声が、聞こえた。

大好きな、大好きな、優しい三蔵の声。
暗闇に光を灯す、力強い声。
誰よりも悟空を幸せにしてくれる綺麗な声。

その声が、自分を呼んでいる。
呼んでいるのに、身体が動かない。
声が、出ない。




助けて!三蔵……助けて!




迷惑でも邪魔でもいいから、今はここに来て。
側に居て。

悟空は昨日より痛む身体を引きずって扉に向かう。

三蔵に会いたくて。
三蔵の顔が見たくて。
三蔵に触れたくて。

扉に手が届く寸前、悟空は床に倒れた。
首だけを扉に向けて、涙に濡れた瞳が三蔵を呼ぶ。




さんぞ…さんぞ……さんぞぉ………
























扉の向こうで動く気配がしたかと思う間もなく、倒れる音が聞こえた。

「悟空?」

はっとして、三蔵が呼びかけるその頭を、大音声が襲った。

「…っつうっ…!」

頭を押さえ、扉に縋りついて身体を支える。

「三蔵様!」
「来るな!そこにいろ」

三蔵を心配して駆け寄ろうとする笙玄の動きを三蔵が止める。
そして、二、三度頭を振ると、三蔵は銃を取り出して扉を撃ち、蹴破るようにして寝室の中へ入った。

そこには、床に倒れ、それでも身体を何とか起こそうと震える腕でもがく、泣き濡れた傷だらけの子供が居た。

「悟空!」

駆け寄り、抱き起こす三蔵に悟空はすがりつく。

「大丈夫だ。もう、大丈夫だ」

すがりつき、震える身体をゆっくりと宥めるように撫でる。
そのゆっくりとした仕草と三蔵の声に、次第に悟空の震えは治まっていった。

三蔵は悟空が落ち着いたのを見計らって抱き上げると、寝台に座らせた、
そして、ケガの具合を見ると、笙玄に医師の康永を呼びに行かせた。






「何があった?」

ケガの治療を受けてる間に、何があったのか問いただす三蔵に悟空は何も答えず、ただ首を振るだけだった。

「ちゃんと話さねえと、わからねえだろうが」

それでも悟空は、頑なに口を閉ざしたままだった。

「…悟空」

三蔵が深いため息を吐くと、悟空の肩が怯えたように揺れた。
それを三蔵が見逃すはずもなく、険しい表情になる。

「何を怖がってる?」

はっと顔を上げ、「何でもない」と言いかけた悟空の身体が、凍り付いたように固まった。
そして、ぎこちなく三蔵の顔を見上げる。

「何だ?」

ただならぬ悟空の気配に三蔵の顔色も変わる。

「悟空?おい、サル?」

悟空の顔が、みるみる泣きそうに歪んだ。
三蔵の問いかけに、悟空は嫌々をするように首を振ると自分の喉を指さした。
その様子に、康永は治療の手を止めて悟空の喉を診た。
そして康永は頷くと、ぽんぽんと悟空の頭を軽く叩いて、残りの傷の治療を再開した。

「康永?」
「先生?」

三蔵と笙玄の問いかけに、康永は目顔で頷き、悟空には穏やかな笑顔を向けるのだった。




睡眠薬を飲ませて眠らせてから、康永は居間に場所を移して話を始めた。

「言葉が出ないようですな。今回は身体より心意的な原因のようですな」
「心意的?」
「バカ共が、悟空を追いつめるようなことを言ったんでしょう。何を言われたか大概、想像は三蔵様にもおつきでしょうが…」

ため息混じりの康永の説明に、三蔵の纏う空気の温度が下がる。

「言った奴らのことはこの際放っておかれませ。何より今は、悟空の方が大事。違いますか?」

諭す口調の康永を三蔵は無言で睨みつける。

「優しくしてやりなさいませ。悟空の中の不安が消えれば言葉も自然に戻ってくるでしょう。それまでは、バカ共に遭わせないように」
「…わかった」

康永の言葉に三蔵はそれだけ言うと席を立ち、寝室に入って行った。
その後ろ姿を見送って、笙玄が息を吐く。

「お前も注意しなさい。悟空を不安にさせないように。いいね」
「はい。先生」
「傷の消毒は一日置きでいいから、気分転換に診療所へ連れてお出で」
「わかりました」
「では、退散するよ」

康永はぽんと笙玄の強張った肩を叩くと、診療所へ引き揚げて行った。





















悟空の安らかな寝顔を寝台の端に座って三蔵は、その紫暗を揺らして見つめていた。

その胸を過ぎるのは、後悔。

声が聴こえて、探して、探して。
見つければほんの子供で。

何も知らず、綺麗なままで。
純粋で綺麗な魂。

生まれたての雛が、初めて見た物を親と思うように。
何の疑いもなく三蔵に懐いた。
信じた。

「三蔵」と、自分の名前を呼ぶたびに、幸せそうに笑って。
「悟空」と、名前を呼んでやるたびに、嬉しそうな笑顔を浮かべて。

連れて来なければ、こんな仕打ちを受けずに済んだはず。
連れてこなければ、これほど傷付くこともなかったはず。

側に置かなければ、こんなに泣かなくてもよかった・・・・・はず。

だが、見つけてもあの暗い岩牢に、また置き去りに出来たのか。
連れ出して、見も知らぬ人間に預けることが出来たのか。

引き取りたいと申し出てくれた人間が、少し前に居た。
一時は、手放す覚悟までしたのに、結局、悟空は三蔵のもとに戻ってきた。
ならば、もう手放さないと決めたではないか。
ならば、どんなことがあっても傍らに置いておくと決めたではないか。






それでも・・・・・・・・・・。






傷付き、三蔵と離される不安に怯える姿を見れば、後悔が湧き上がる。
泣き濡れる黄金の瞳を見れば、決心が揺らぐ。

「……悟空、お前はこんな俺の側に居て、幸せか?」

三蔵はほんのりとした桜色の悟空の頬にそっと触れると、誰にも見せたことのない笑顔を浮かべたのだった。





















悟空のケガは治っても、声と言葉は戻らなかった。

そんな悟空との生活にも慣れた頃、また、悟空はあの言葉を今度は、三蔵と一緒に聞くこととなった。

寺院の奥庭で、三蔵と散歩をしていたその時に、声は聞こえた。
その途端、悟空が凍り付く。

「おい?」

歩みを不意に止めた悟空に、三蔵は怪訝な顔をしたが、すぐにその声に気が付いた。



「なんであんな妖怪を三蔵様はお側に置かれる?」
「仕方ないのだ。三蔵様は慈悲深いお方故」
「三蔵様がお優しいからつけあがっているんだろうさ」
「ご自身のご負担を顧みられない三蔵様に苦労をかけてることを知らないで」
「あいつがすがるから、三蔵様はお手をお離しにならないんだ」
「そうだな。それにあいつの所為で、三蔵様が貶められるんだ」
「本当に、あいつがここに居る所為で、三蔵様が笑われるんだ」
「何とかならないかなあ」
「さあな…三蔵様のご意志しだいなんだから、俺たちにとやかく言う権利はないさ」
「でも、現状は知って頂いてるといいけどな」
「ああ。さ、これを運んじまおう」

そこに三蔵と悟空が居ることに気が付かないその修行僧たちは、声高く話ながら立ち去っていった。



三蔵は彼らの目の前へ飛び出して、撃ち殺したい衝動に駆られたが、傍らの悟空が怯えきって三蔵に縋りつくから、三蔵は身動きが出来なかった。

ここでようやく三蔵は、悟空が声を失った原因をハッキリと悟った。

言われたのだ。
修行僧達から暴行を受けたあの日も。
今よりももっと激しい言葉で。
今よりももっと痛い言葉で。

三蔵は縋りつく悟空をきつく抱きしめて、その心に届くように悟空に話し出した。

「いいか、一回しか言わねえからようく聞いとけ。お前を俺の側に置くのは、俺がお前を必要としているからだ。俺は必要でない奴を側に置くほど、酔狂じゃねえ。それに、お前が居ることで俺は何も、嫌な思いも、苦しい思いもしてねえ。わかるな?」

ぎこちない動作で、悟空が三蔵の腕の中で頷く。

「お前は、お前の意志でここに、俺の側に居るんだろう?俺が何を言っても離れないって言っていたのは、嘘か?」
「嘘じゃない!俺は、三蔵の側に居る。誰が何言ったって、絶対、離れない」

三蔵の腕の中から身体を捩って抜け出すと、悟空が叫んだ。

「なら、居ろ。離れんじゃねえぞ」
「うん!」

三蔵の言葉に元気よく頷いて、悟空は小さく声を上げた。

「三蔵、声…声が出る…」
「ふん、げんきんなサルだ」

嬉しそうな悟空の声に、三蔵は鼻を鳴らす。

「サルじゃない!サルって言うなぁ」

噛みつく悟空に背を向けて、三蔵は歩き出した。

「あ、待って!」

悟空は歩き出した三蔵の腕に飛びつくと、一緒に歩き出した。






一緒に行こう、その気持ちのままに。

誰に断ることもなく、自由に。

側に、傍らに、お互いが居ることだけを信じて。




end




リクエスト:三蔵が居ない間に坊主達にいじめられてしゃべれなくなり、部屋から怯えて出られなくなった悟空を必死になって何とかしようとする三蔵の切ないお話。
50505Hit ありがとうございました。
謹んで、いっきー 様に捧げます。
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