今日は、体調が良かった。 悟空はベットから降りて、窓から外を覗いた。 今日は、暖かい。 三蔵が医大生になって、もうすぐ三度目の春が巡ってくる。 あの幼い日、広い空の下を思いっきり走ってみたいと言った悟空に、いつもの不機嫌な顔を更に不機嫌に顔を顰めて、三蔵がしてくれた約束。 窓から見える中庭を通って、もうすぐ三蔵が会いに来てくれる。 と、聞き慣れた足音がした。 ぱっと、悟空の顔が輝く。 悟空は窓から離れると、病室の入り口に向かって軽く走った。 「さんぞ…っ!!」 調子が良いことが嬉しくて、悟空は軽く走った。 胸が刺すように痛んだ。 開け放った病室の入り口に、コンビニの袋を下げた三蔵の姿が見えた。 「…さ…んぞ……」 崩れ折れる身体を駆け寄った三蔵の腕が受けとめる。 「悟空!」 驚き見開かれる紫暗の瞳を綺麗だと思った瞬間、悟空の意識は闇に呑まれた。
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Call my name |
小春日和。 昨日までの寒さが嘘のように今日は、暖かい。 三蔵は温かな陽ざしを浴びて通い慣れた病院への道を歩きながら、これほどに暖かければ、悟空と散歩ができるなと、そんなことを思った。
生まれた時から治療する手段の極端に少ない心臓病を持つ幼なじみ。
───広い空の下を思いっきり走りたい
だが、それは永遠に叶わぬ夢だと、言ったそばから諦めきった笑顔を浮かべた。
───俺が治してやるよ、お前の病気。
その時の悟空の顔は、忘れない。
───ホント? ───ああ、だから、待ってろ。
今にも泣きそうなほどに瞳を潤ませて、それでも笑って。
───うん!さんぞ、約束な ───ああ、約束だ。 と。
気が付いた時には、固い約束となって目の前にあった。 それから脇目もふらずにここまで来た。 だから、頑張ることができた。 それが、今ここで全てが、無駄になるかも知れなかった。
広い空の下を思いっきり走る。 「さんぞ、あっちの木まで競争!」 三蔵が悟空に追いつく前に、悟空はそう言って走り出した。 頭上に広がる空は、何処までも高く、果てなく広がる。 それは夢に見続けた風景。 悟空は嬉しげな笑い声を上げて、果てない緑の大地を走り続けた。
弱々しい鼓動が刻む波形。
二十四時間。
悟空に残された時間だった。 医大生の自分だからこそわかる。
人工呼吸器の鞴の規則的な音と心電図が奏でる金属音の中、医師は悟空の両親、兄弟達に向かって、ゆるく首を振った。 母親が優しい仕草で愛し子の髪を撫で、何かを呟いていた。 器械の音に混じって聞こえてくるその歌声に、三蔵は母親の底深い愛情と哀しみを垣間見た。 と、三蔵の握り締めた手に触れる感触に、そちらを見やれば、悟空の一番上の兄が居た。 「血が出てる…」 そっと握り締めた三蔵の拳を開かせると、掌に爪が食い込んだのだろう血が広がっていた。 「……天蓬、俺は…」 その言葉を途中で、悟空の母親が攫った。 「三蔵君、呼んでやって。貴方の声で、悟空の名前を呼んでやって。きっと、喜ぶから」 三蔵は一瞬、戸惑った視線を天蓬に向けた後、悟空の傍らに近づいた。 「悟空…」 血の付いていない方の手で悟空の華奢な小さな手を握る。 「すみません」 母親はそう言って、儚げな悟空とよく似た笑顔を向けた。 「…悟空…」 この声が届くのなら戻ってこい。
───悟空…
「呼んでる…」 寝ころんでいた身体を起こして、悟空は空を見上げた。 「…ほら、呼んでる」 耳をすませば、微かに自分を呼んでいる声が聞こえる。 「なあ、さんぞ、誰かが呼んで…」 隣に居るはずの三蔵の姿がなかった。 「さんぞ?」 慌てて探せば、草原の向こうに歩いてゆく三蔵の後ろ姿が見えた。 「あ、待って!置いてかないでよ!」 たっと、駆け出す。 「…えっ?」 立ち止まって胸を掴む。 「あっち?」 と、問えば、三蔵は頷き、 「向こうで待ってる」 そう告げて、三蔵の姿がかき消すように消えた。 「えっ?!やだっ!三蔵!!」 消えた三蔵を探してぐるりと辺りを見渡せば、そこは最早あの美しい大地ではなく、岩ばかり転がる荒れ地になっていた。 「…うそっ!」 悟空はへたり込みそうになる。 「呼んでる…三蔵の、声…?」 悟空は声のする方を探し、すぐに見つけた。 「三蔵……」 悟空はきゅっと、唇を引き結ぶと、声のする方へ向かって歩き始めた。 「三蔵!」 居ても立っても居られない。 悟空は息の続く限り、三蔵の声に向かって走り続けた。
信じてもいない神にすがる思いで、三蔵は悟空の名前を呼び続けた。 還って来い。 還って来い。 明けの明星が夜空に登る頃、悟空を取りまく全ての、三蔵以外全ての人間が悟空の死を信じた。 「…ご、くう?」 覗き込む三蔵の気配に、皆がどうしたのかと視線を三蔵に向けた時、それは起こった。 隣室で待機している医者を天蓬が呼びに走った。
そして─────
三蔵…と、人工呼吸のマスクの中の唇が告げた。
目を開けて、最初に見たのは三蔵の憔悴しきった顔だった。 そして知る。 もう少しで、約束を違えてしまうところだったと。 もう二度と、三蔵にあんな顔はさせない。 このマスクが取れたら最初に言おう。 もう二度と、こんな事にはならないからと。
───さんぞ、だあい好き…。 と。
end |
リクエスト:「Keep your vow」の悟空が発作を起こし、意識が戻った時、憔悴した三蔵を見て、この人を置いて逝けないと思うまでのお話。 |
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ありがとうございました。 謹んで、京月 翔さまに捧げます。 |
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