雨のように紅葉が降る
はらはらと、覆い隠すように
はらはらと、守ろうとするように
雨のように紅葉が散り急ぐ────



capriccio
世界が色付く季節。
それは大地が汚れを払う季節。
大地の申し子である少年も然り。
大地からの気に浄化され、その身に堪った澱みを消し去る。
そして、大地が愛し子の手を引く季節。

いつものように、大地は還ってこいと、悟空にその腕を伸ばしていた。
けれど、今日はいつもと様子が変わっていた。

「還らないって何度も言わせんなよ」

と、まろい頬を膨らませて、差し出された手を悟空は振り払った。
けれど、何故だか今日は強引にまた、悟空の手を取ろうとする。

「何なんだよぉ…」

掴まれまいと、飛び退きながら悟空は首を捻った。
いつもなら、悟空が嫌だと言うことは決してしてこない。
偶に、強引に連れて行こうとするけれど、それは三蔵が居ない淋しさに負けそうになっている時だったり、三蔵と喧嘩した時だったり、悟空の心に隙が出来た時だ。
それなのに、今日は朝から悟空の手を引こうとする行為が止まない。
もう何度目になるのか。
諦めようとしない。

「何か…あんの?」

その余りな態度に、悟空は逃げることを止めて問いかけた。
その途端、ぎゅっと、心臓を鷲掴みにされたような痛みが悟空を襲った。
激しい痛みに、悟空は思わず膝を付いて大地に蹲る。

「……っぁ…な、に…が…」

息の付けない痛みに悟空は胸の辺りを握りしめ、膝を付いた。

「痛…い…」

落ち葉の中に倒れ込もうとする身体を腕を付いて支えれば、風が自分も悟空を支えようと悟空の身体にまとわりつく。
と、微かに聲が聴こえた。

「………こ、え…?!」

呟いた途端、へたんと、俯せるように落ち葉の中に倒れ込んだ悟空はころりと仰向いた。

「…聲……?」

荒い息のまま呟けば、何かが悟空の琴線に触れてきた。
まとわりついた風がするりと悟空の頬を撫で、起こそうと髪を引っ張った。

「聲が…聴こえる……聲?」

微かに悟空の頭の奥で聴こえている聲。
どこかで聞いたことのある声。

「……誰…の…───っ!!」

がばっと、身体を起こした。
途端、走る痛みに悟空は顔を顰める。
が、構わず立ち上がると、叫んだ。

「どこ?案内してっ!」

言うなり、悟空は差し出された手を取って、走り出した。




「悟空、笙玄、出掛けてくる」

そう言って、三蔵が難しい顔付きで寝所に戻ってきたのは確か、三蔵の誕生日の三日前だった。
笙玄と夕餉の用意をしていた悟空が、びっくりした顔を向ける。
笙玄も驚いた顔で三蔵を見返した。

「どこに?」
「急でございますね」

驚く二人の質問に、三蔵は身支度をしながら、

「三仏神の下命だ。二、三日…もう少し掛かるか…ま、五日ほどで戻れるはずだ。だから、行事には出られねえと、ジジイ共に言っておけ」

と、笙玄に言い、

「お前は留守番だ」

と、悟空を指差して言った。

「何で?妖怪退治だろ?」

三蔵の言葉にむっとして、悟空が詰め寄れば、

「違うから安心して留守番してろ」
「何だよそれぇ…」
「そういうことだよ」

ぽん、と悟空の頭を叩いて三蔵は踵を返した。

「行ってくる」
「はい、お気を付けて」
「……いってらっしゃい」
「ああ」

ふわりと笑って三蔵は出掛けて行ったのだ。
いつものように。

なのに…今のこの胸の不安は何だというのだろう。
聴こえたあの聲は確かに、三蔵の声だった。

「あれって…三蔵に何かあったってこと…だよな…」

走りながら悟空は胸を苛む痛みが、三蔵の危機的状況を知らせているような気がして、走る速度を出来るだけ上げた。
















何事もなく仕事を終えて帰院するはずだった。
確かに、そのはずだった。
だが、人生何が待っているかなど誰にわかるはずもなく、偶然が偶然を呼んでこんな追い詰められた事態になるなど誰が予測しただろうか。
周囲を囲む野盗の集団に、三蔵は込み上げてくる疲労感を誤魔化すようにため息を吐いた。

「…ったく、面倒くせぇ」

その呟きを強がりと取ったのか、野盗の間から嗤いが漏れる。

「坊さんよ、金目のもの全部出してもらおうか」

手にした円月刀をこれ見よがしにちらつかせて三蔵に迫ってくる。

「ねえよ、そんなもん」

言うなり、三蔵は銃の引き金を引いた。
油断していた野盗の一人が血しぶいて倒れる。

「てめぇ…このクソ坊主がっ!」
「うるせぇっ!」

わっと、押し迫ってくる野盗達に続けざまに銃を撃ち、三蔵は何人かを血祭りに上げた。
その一瞬の隙をついて囲みを破り、森の奥へ走る。

「野郎っ!」

逃げ出した三蔵の姿に、一瞬、毒気を抜かれたように見送った生き残った野盗達が目の色を変えて三蔵を追い始めた。
三蔵は走りながら銃の弾丸を入れ替え、振り向きざま撃つ。
先頭を走る野盗が仰け反って倒れ、その左右の者も三蔵の銃弾によって傷つけられてたのか、血煙を上げた。
倒されても野盗達は三蔵を追うことを止めない。
追ってくる野盗達を振り返れば、囲まれた時よりも減っているはずの人数が心なしか増えている。

「マジかよ」

大きな舌打ちを漏らして、三蔵は引き金を引いた。
また、一人が倒れ、その周囲も血を流して倒れる。
それでも野盗達の戦意は無くならないらい。
いや、むしろ仲間を殺されて上がっているだろう。
三蔵を追う目の色が殺気に染まっている。

「しつこい…」

木々の間を抜けて、灌木の茂みを飛び越えて、三蔵は走った。
その間に何度か銃弾を入れ替えたが、残弾は残り少なく、森の奥へ追い詰められていく。

「ええい、鬱陶しいっ」

銃を握ったままの手を力一杯振り下ろせば、すぐ後ろに迫っていた野盗の呻き声が聞こえた。
それを合図にするように三蔵は立ち止まり、振り返った。
追ってきていた野盗達も止まって、三蔵と対峙した。

「観念しな」
「ああ、やってくれた落とし前、付けて貰うぜ」

にやにやと手にした刀を閃かせ、野盗達が三蔵へ迫る。
そのにやけた顔に向かって銃口を定めた時、不意に突風が巻き起こった。

「な…──っ!?」

反射的に顔を庇う。
その三蔵の耳に野盗達の叫び声が一瞬、聞こえた。
そう思った時には既に、自分の身体が宙に浮いていた。
それはまるで巨大な腕に腰を抱えられているような感覚。

「!!」

ざわりと走った悪寒に身体が揺れたその時、三蔵は投げ出された。
それはもう、力一杯無造作に。

「な…何が…」

訳がわからずに顔を庇う為に覆っていた腕を下げれば、そこに広がるのは溢れる程の色だった。
赤、黄色、緑、茶色、褐色、紅、橙…まさに色の洪水。
その押し迫ってくるような色の迫力に、三蔵はただ、声もなく投げ出された格好のままそこにいた。
















大地と自然に手を引かれるようにして走っていた悟空は、三蔵と戦っていた野盗達と出くわした。
お互いにお互いを認めた瞬間、固まったが、三蔵を逃がしていきり立った野盗達は、新たな獲物として悟空を見定めた。

「くっそう、せっかくの坊主を逃がしちまった」
「物足りねえが、このチビで我慢するか」
「ああ、あのクソ坊主め…」

野盗達の言葉に悟空の瞳がすっと、細められた。

「お前ら何言ってんのさ」

悟空の静かな声に野盗達が嗤い、悟空に飛びかかった。

「あの金髪の坊主と同じ目に遭わせてやるよ」

そう言って嘲るように、無防備に立つ悟空目がけて刀を振り下ろす。
その腕を悟空は無造作に掴んで、ねじり上げた。

「金髪の坊主…?そいつに何したのさ」

ぎりっと、ねじり上げれば、野盗の腕の骨が軋む。

「おぁ…襲ったんだよ、このクソガキっ」

腕を掴まれた野盗とは違う者が悟空の問いかけに答えるなり、切り込む。
その身体に腕を掴んでいた野盗を振り捨てるようにしてぶつけた。
鈍い音を立てて二人は勢いのまま吹っ飛び、近くの木に叩き付けられた。

「よくも三蔵を…っ!」
「ひ、怯むなっ!」

幼い悟空の怪力に野盗達はたたらを踏み、悟空を襲うことを躊躇する。
それを叱咤激励する声に、我に返った野盗達は一斉に悟空に襲いかかった。




最後の一人を叩き伏せ、悟空は如意棒を戻した。
そして、辺りを探るように見回した。
すると、また、手を引かれた。

「……何?」

問えば、風が向こうだと悟空を促す。
それに頷くと、悟空はまた、走り出した。

やがて辿り着いたそこは、以前、三蔵のためにと見つけた椛の林だった。

「ここは…」

林の入り口で立ち止まった悟空の背中を風が押し、自然が手を引っ張る。

「…ここにいるんだ」

頷いて気配を探れば、確かにそれはよく見知った大切な人の気配で。
悟空は深く積もった落ち葉をゆっくりと踏むようにして、林の奥へ進んだ。
木々は今を盛りと色付き、錦の衣を纏う。
澄み渡った空気が、ここに来るまで悟空が抱えていた不安や胸の痛みを消してくれる。

「…三蔵…?」

小さく三蔵の名前を呼べば、振り向く気配がした。
目の前の椛の木を過ぎれば、そこにあるのは椛の巨木。
その大きく張り出した梢の下に、目指す人が自分を振り返っていた。

「三蔵っ!」
「ご、くう…?」

姿を認めた途端、走って近づけば、血の匂いがした。
その匂いに慌てて三蔵を見れば、右のこめかみから顎にかけて赤く染まっていた。

「……怪我…してる」

言えば、

「もう乾いてる」

と、返事が返った。
その三蔵のどうしてココにいる?と、問う表情に、

「…みんなが連れてきてくれた」

と、答えれば、三蔵の瞳が見開かれたかと思うと、あからさまに不機嫌な顔になった。
その表情の変化に悟空が笑えば、三蔵の手が頬に触れた。

「何?」

暖かな三蔵の手の感触に笑顔を深めれば、

「何、泣いてやがる?」

と、言われた。
慌てて頬に手をやれば、確かに頬は濡れていて、目の前の三蔵の顔が滲んで見えた。

「あはは…何で…──っうぅ…」

笑って見せた悟空の顔はあっという間に歪んで、幼い身体が三蔵の腰に抱きついてきた。
そして、くぐもった泣き声が暫く聞こえていた。






「すっげえ胸が痛くて、ドキドキして、怖かった…」

帰る道すがら悟空は怒ったように三蔵にそう告げた。

「…せっかくの誕生日が命日になるなんて洒落になんないかんな」

言われて、今日が何の日か三蔵は思い出した。
だから、だろうか。
自分を疎ましく思っている奴等が、いやに自分に対して優しかったのは。
不本意ではあっただろうに。
三蔵は薄く口元を綻ばせて頷くと、声もなく礼を述べた。

「──もうっ、聞いてるのかよ!」

三蔵の態度に悟空がむうっとむくれれば、

「聞いてるよ、サル」

そう言って、ぽんと、悟空の頭を叩いたのだった。




end

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