Chocolate

「三蔵、チョコレートもらった!」

夕方、もうそろそろ仕事の区切りが付く頃、小猿が執務室に飛び込んできた。
すかさず、その頭にハリセンと怒鳴り声が飛ぶ。

「静かに入って来いって言ってるだろうが!」

見事に当たったハリセンの痛みに頭を抱えて、悟空は戸口に蹲った。

「痛ってぇ…!」

涙の滲んだ瞳で執務机の三蔵を見れば、素知らぬ振りで仕事を再開していた。
悟空は痛む頭をさすりながら、ハリセンの当たった勢いで手から落ちた箱を拾うと、三蔵の側に寄って行った。

「なあ、さんぞ」
「何だ?」

目を落とした書類から顔を上げることなく、三蔵が聞き返してくる。

「これ、もらった」

自分の方を向いてくれない三蔵の目の前に包みを突き出す。
突然、目の前を覆ったメタリックレッドの色に三蔵は思わず身体を引いた。

「な…」
「もらったんだってば」

すねた声に見やれば、ぷうっと頬を膨らませた悟空が立っていた。
その幼い仕草に、こいつはいったい今幾つなんだと、三蔵は関係のないことを思ってしまう。

「さんぞ、なあ、これ」
「だから、何なんだ?」

ため息混じりに聞いてやれば、

「チョコレート」

と、言ってメタリックレッドの包みを三蔵に手渡した。

「チョコレート?!」
「うん、山門のところでもらったんだ」
「誰に?」
「麓の街で友達になった女の子」
「そうか」
「うん」

嬉しそうに頷く悟空の笑顔に、三蔵は複雑な気分になる。

この小猿は、自分が何故、今日チョコレートをもらったのか、その意味を知らない。
そんな習慣は、寺院に暮らしていれば一番縁遠いものだ。
何より、ここは女人禁制。
誰も思いつきもしない。

悟空は、自分に寄せられる好意には実に素直だ。
だが、麓の街で知り合った同じ年頃の人間が異性に抱く感情に寺院の中で暮らしてきた悟空に、気が付けるとは思えなかった。

それでも恋愛感情は、持ち合わせていた。

時間はかかったが、三蔵の思いに悟空は答えた。
例えそれが、見渡す悪意ばかりの世界に自分に好意を抱いてくれた人間が、三蔵だけだった、そう言うことでもだ。

今更、他の奴に悟空を渡すことなど、三蔵は考えられなかった。
だからといって、悟空に好意以上のものを抱く輩を全て排除するわけにもいかない。
それは、この自由な魂を閉じこめることを意味する。

それだけはできない。

では、どうすればいいのか、三蔵は軽い頭痛を覚えて、微かに瞳を眇めた。
悟空は、手渡されたメタリックレッドの包みをじっと見つめている三蔵を不思議そうに見つめていた。











その女の子は、山門の石段に座って悟空を待っていた。
悟空は、山門横の山道から駆け下りてきて、女の子に呼び止められた。

「何?」

自分を呼び止めた女の子を悟空は、きょとんとした顔で見やった。
女の子は、しばらく逡巡した後、意を決したように悟空の顔を見た。

「??」
「あ、あのこれ悟空にあげる」

突きつけるように差し出されたメタリックレッドの包みを悟空は反射的に受け取った。

「う、うん。ありがと」
「うん、それチョコレートだから、三蔵様と食べて。じゃあ」

女の子は、頬を桜色に染めてそれだけ言うと、悟空の返事も待たずに街の方へ駆け出して行った。
悟空は手の中の包みと駆け去って行く女の子を交互に見つめていたが、木立の向こうへ女の子が見えなくなったのを機に、不思議そうに首を傾げながら、山門の中へ入って行った。
悟空は、回廊を三蔵の寝所へ向かいながら、ふと、三蔵や笙玄の言いつけを思い出した。
それは、

「いいか、知らねえ奴からは物をもらうな。知ってる奴からも物はできるだけもらうな。もし、もらったらもらったそのままで、まず俺に見せろ。俺が居なかったら笙玄に見せろ。笙玄も俺も居なかったら、どっちかが戻ってくるまで、開けたり、食ったりするな」

と言うものだった。



何故、こんなまどろっこしい言いつけを悟空にさせたのか。



それは、以前、何も知らないまま、寺院の修行僧から食べ物をもらい、三蔵に報告しないで口にした悟空は、その食べ物に仕込まれた薬の所為で一週間以上寝込み、生死の境を彷徨った。
仕込まれた薬は、少量の猫いらず───つまりは毒薬。
幸い、悟空が妖怪だった為に大事には至らなかったものの、死にかけた経験は悟空を怯えさせ、行為は三蔵の逆鱗に触れた。
悟空にその食べ物を与えた修行僧は、放逐され、悟空は長い間、人を見ると怯えた。

無防備に好意を見せて寄ってくるものを信じてしまう悟空。
それが、悪意に裏打ちされた好意であっても。
そんな汚れない思いを踏みにじられて酷く傷ついた悟空は、三蔵にさえ怯える日々を過ごした。

だから、言いつけという名の約束が生まれた。



悟空は、もう一度包みを見ると、三蔵に報告すべく回廊を走りだした。











「なあ、それ食べてもいいか?」

待ちきれなくなった悟空が、三蔵の僧衣の袖を引いた。
それで我に返った三蔵は、エサを待つ犬のようにしっぽを振る悟空を見て、頷いた。

「ああ、食っていい」
「やったぁ」

言うなり、三蔵の手から包みを取ると、メタリックレッドの包みを開く。
広げた包みから綺麗な澄んだ赤い色の箱が出てきた。
嬉しそうに箱の蓋を開ければ、一口サイズのハート型のチョコレートが箱一杯入っていた。
悟空は、そっと一つ取ると口に入れる。
広がる甘さに大輪の花が咲いた。

「うめぇ!さんぞ、これ美味い」

三蔵を見た悟空の顔が、チョコレートの美味しさに輝いている。

「さんぞも食べてみろよ」

一つチョコレートを取ると、三蔵の口元へ持っていく。
三蔵は一瞬、顔を後ろへ引くが、何も言わずに口を開けた。
悟空は三蔵の口にチョコレートを入れた。
そっと三蔵の顔を窺い見る。

その金と紫が合った。

そう思った途端、悟空は三蔵の腕の中にいた。

「さんぞ?!」

呼ぶ声に唇が重ねられた。

「んっ…」

重ねられた唇から伝わる甘さに悟空は、目眩を覚える。
重ねた唇に伝える甘さを三蔵が、楽しむ。

離された口づけに悟空は、顔に朱を登らせて三蔵を軽く睨んだ。

「な、何すんだよ」
「確かに美味かったよ、猿」

抗議の言葉を無視して告げられた言葉に、さらに悟空の顔が赤く染まる。

「猿ってゆーな。エロぼーず」
「ああ、悪かったなエロ坊主で」

答える口調にからかいを含ませて、三蔵の紫暗がほころぶ。
三蔵の腕の中で悟空は言い返せず、唸りながら三蔵を睨む。
潤んだ瞳は、三蔵の雄を煽るには十分に扇情的で。

「離せよ、チョコ食べるんだから」

言えば、

「後で食え」

言葉と共に口づけが降って来た。
拒絶の言葉を紡ぐ前に声は、艶を帯び、先の行為を促してしまう。

「…エロ…ぼー……ず」
「黙ってろ、猿」

それは、思いを告げる日の出来事。
チョコレートという甘くほろ苦いお菓子に込められた思い。
その意味を知るのはまだ先でいい。

今は、まだ…

やがて知るその日は、その両手一杯に溢れるほどの思いをお前にやろう。
この世のたった一つの宝のお前に。




end

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