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朝から三蔵は不機嫌の指数が常の百パーセントを越えていた。
生誕祭だと?
自分に誕生日はない。
───十一月二十九日。この日にあなたは生まれたのですよ
まだ、素直で小さくて、人に言われる言葉一つ一つが胸に刺さっていた頃。 それから、毎年その日の朝、光明三蔵は目が覚めた養い子を膝に乗せ、
───江流、お誕生日おめでとうございます
そう言って、柔らかく抱きしめてくれた。
で、何で生誕祭だ?
機関車のように煙を吐き出しては、イライラと動物園のシロクマよろしく寝所の居間を行ったり来たりする落ち着かない三蔵の姿を悟空は、呆れた顔で眺めていた。
窓、開けたいなあ…
そんなことを思う。
どうすんだろ?
ぼんやりとそんなことを考えて見る。
三蔵と暮らし始めて毎年、十一月のこの日が近くなると寺院と三蔵の攻防が始まる。 嫌なら嫌と、いつもならはっきり言う三蔵がこの日に限って、嫌々で渋々なのがありありとわかる顔で承諾する。 今年は比較的粘った三蔵の勝ち。
生誕祭─── 悟空が拾われてすぐの年の生誕祭に三蔵は、悟空を連れて一週間ほど雲隠れしたことがあった。 それに懲りた三蔵は、一度は拒絶をしてみせるという姑息な手段をとるようになった。
嫌なら止めちゃえばいいのに
思っても口にしない。 もう吸い殻を消せないほどに盛り上がった灰皿で三蔵は、短くなった煙草をもみ消した。 「入れ」 許可する声が異様に低い。 「失礼いたします」 側係の笙玄が衣装箱を持って入ってきた。 「そろそろお召し替えをして下さいませ」 苦虫を噛みつぶしたような何とも言えない表情で頷くと、三蔵は着替え始めた。
正式な三蔵の装束。
何度見ても、いつ見てもその姿は神々しいばかりで、夢を見ている気分に悟空をしてくれた。 悟空は惚けた顔で笙玄に促されて寝所を後にする三蔵を見送るのだった。
いつもより少しだけ豪華な食事を前に悟空は手を出さずに座っていた。 「どうしたんです?」 笙玄が不思議そうに悟空に訊ねる。 「…うん。今日は三蔵を待ってるんだ」 悟空のまっすぐな思いに笙玄は頷くと、 「わかりました。でも、少しはお腹に何か入れとかないと持ちませんから、そのスープだけでも飲んで下さいね」 そう言って笑った。 「わかった」 素直に悟空は頷くとスープを飲み始めた。
全ての行事が終わったのは日付が変わろうとする時刻だった。 半分衣を脱ぎながら寝所の扉を開けた三蔵は、長椅子に踞って眠る悟空を見つけて驚いた。 「こんな所で何やって…」 呟いた言葉は途中で途切れた。 「……んのバカは」 三蔵はため息を吐くと、眠っている悟空のそばに寄って行った。 「おい、サル、起きろ」 肩を揺すって悟空を越しにかかった。 「この、起きやがれ」 三蔵は悟空の鼻をつまんで、口を手で押さえた。 「…ぷっ、ふぁーっ!!」 大きく息を吸って悟空が目覚めた。 「何すんだよ、さんぞ!」 息苦しさのために顔を赤くして怒鳴る。 「てめぇが起きねえからだろうが」 鼻の頭に皺を寄せて三蔵が反っくり返る。 「へっ?!俺、寝ちゃってたんだ。起きてさんぞ待ってるはずだったのに」 ぷうっと頬を膨らませ、上目遣いで三蔵を睨む悟空に苦笑が湧く。 「そうかよ」 むくれる悟空の言葉に被さるように部屋の時計が十二時を知らせた。 「あっ、日付が変わっちゃった…」 むくれていた顔がしゅんとうなだれてしまう。 「……さん…ぞ?」 見上げた瞳が心なしか揺れている。 「俺の生まれた日は29日。明日…いや、もう今日だな。覚えとけ」 三蔵の言葉に戸惑う悟空の頭を三蔵は、かき混ぜた。 「いいんだよ。誕生日なんて俺にはねえんだからいつだってな」 悟空の横に腰を下ろすと、三蔵は煙草に火を付けた。 「俺は生まれてすぐ河に捨てられた捨て子だから、いつ生まれたなんて知らない。だから、いつだっていいんだよ。ただ、十一月二十九日はお師匠様が、俺を拾った日だから、その日を俺が生まれた日だと決めて下さった。それだけのことだ」 静かに語られた内容に悟空は息を潜めて、ぎゅっと三蔵の衣を握りしめた。 「お前が何も思わなくて良いんだよ。お前だって似たようなもんだろうが」 三蔵の言葉が悟空の胸に染みた。 そうだ、自分も生まれた日なんて知らない。 「でも…」 そう言って面白そう喉を鳴らす。 「じゃあ、俺だけ?」 頷く三蔵に悟空はやっと笑顔を向けた。 「じゃあ、一番だな」 一人納得する悟空を訝しげに三蔵が見下ろす。 「三蔵、誕生日おめでとう」 そう言って幸せそうに笑った。 「ああ」 ちょっと面食らった様な顔で三蔵が頷くと、悟空の笑顔はさらに花開いた。 「え?!」 三蔵の口づけにきょとんとして、意味を掴みかねた悟空のお腹が盛大に鳴った。 「ぶっ!」 三蔵が吹き出す。 「わあぁ!!」 その大きな音に顔を真っ赤にする悟空に、 「待つなら、飯ぐらいちゃんと食ってから待ってろ」 そう言って悟空をテーブルへ座らせた。 「見ててやるから、とっと食っちまえ」 満面の笑顔で頷くと、悟空は冷め切った夕食をおいしそうに食べ始めた。 「何?」 胸を張って約束する悟空に一抹の不安を覚えたが、三蔵との約束だけは守る悟空のことだからと、三蔵は悟空を信用する事にした。 三蔵と自分だけの秘密の約束事。 それができたことに悟空は、ドキドキした。 二人だけの秘密。 その魅惑的な言葉に悟空は顔が緩んで仕方なかった。 嬉しそうに笑い、食事を平らげてゆく悟空を見つめながら、
お前だけが知ってればいい
それは三蔵の十八回目の誕生日の二人の約束。
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