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朝から三蔵は不機嫌の指数が常の百パーセントを越えていた。




生誕祭だと?
誰の?
釈迦の生まれたのは四月だ。
じゃあ誰だ?




自分に誕生日はない。
生まれてすぐ、川に流された捨て子の自分に。
光明三蔵が拾い上げてくれた日を誕生日にと、決めたのは何時だったか。



───十一月二十九日。この日にあなたは生まれたのですよ



まだ、素直で小さくて、人に言われる言葉一つ一つが胸に刺さっていた頃。
生まれた日を知らない、覚えていないとバカにされ、泣かされた涙の後を見つけた光明三蔵が小さな自分の養い子を膝に乗せ、柔らかく頬笑んで告げた言葉だった。

それから、毎年その日の朝、光明三蔵は目が覚めた養い子を膝に乗せ、



───江流、お誕生日おめでとうございます



そう言って、柔らかく抱きしめてくれた。
そのことが嬉しくて、その日を心待ちにしていたあの頃。




で、何で生誕祭だ?




機関車のように煙を吐き出しては、イライラと動物園のシロクマよろしく寝所の居間を行ったり来たりする落ち着かない三蔵の姿を悟空は、呆れた顔で眺めていた。
三蔵の吐き出す煙で居間は白いもやがかかっている。



窓、開けたいなあ…



そんなことを思う。
でも、今声を掛けたら間違いなく、鉛玉が飛んできそうだった。



どうすんだろ?



ぼんやりとそんなことを考えて見る。




三蔵と暮らし始めて毎年、十一月のこの日が近くなると寺院と三蔵の攻防が始まる。

嫌なら嫌と、いつもならはっきり言う三蔵がこの日に限って、嫌々で渋々なのがありありとわかる顔で承諾する。
そのことがわかっていて、出たくないと往生際悪く三蔵は拒絶をしてみる。
遠回しに僧正達がこれ以上無いほどの渋面の三蔵の抵抗をあっさりとかわす、珍しい光景を見るのもこの日ならではのことだ。
悟空は物珍しげにそんなやりとりを朝から幾度となく見て、いい加減三蔵も諦めればいいのにと、思ってしまう。

今年は比較的粘った三蔵の勝ち。
生誕祭は、午後からとなったから。




生誕祭───
それは三蔵の誕生日を祝う式典。
要するに、三蔵が公の場で信者や皇帝にお誕生会をしてもらう日。
だから、この日は三蔵は逃げ出せない。

悟空が拾われてすぐの年の生誕祭に三蔵は、悟空を連れて一週間ほど雲隠れしたことがあった。
戻ってみれば大騒ぎになっていて、三蔵は僧正達の前で延々お説教を聞かされたあげく、皇帝に自分から誤りに行かされ、年末年始の寺院の行事という行事に有無を言わさず参加させられたという散々な目にあった。

それに懲りた三蔵は、一度は拒絶をしてみせるという姑息な手段をとるようになった。
が、そのストレスは相当なもので、その時に口を挟もう物なら、例え悟空であろうがもれなく鉛玉が飛んでくることとなった。



嫌なら止めちゃえばいいのに



思っても口にしない。
命は惜しい。
でも、イライラと煙草を吸って、うろつく三蔵を見るのも悟空は嫌だった。

もう吸い殻を消せないほどに盛り上がった灰皿で三蔵は、短くなった煙草をもみ消した。
そのタイミングを計ったように寝所の扉が叩かれた。

「入れ」

許可する声が異様に低い。
悟空は息を潜めて長椅子に座っていた。

「失礼いたします」

側係の笙玄が衣装箱を持って入ってきた。
捧げ持たれた衣装箱には、純白の衣と、銀糸で織られ、鳳凰を金糸と帝王紫の糸で刺繍された袈裟が入っており、その上に磨き上げられた金冠が乗せられていた。

「そろそろお召し替えをして下さいませ」
「……解った」

苦虫を噛みつぶしたような何とも言えない表情で頷くと、三蔵は着替え始めた。
普段着を脱ぎ、真新しい白衣を着、白の帯を締める。
その肩に純白の衣が掛けられ、袖を通す。
最後に袈裟を着け、金冠を被った。




正式な三蔵の装束。




何度見ても、いつ見てもその姿は神々しいばかりで、夢を見ている気分に悟空をしてくれた。
輝く金糸が映えて、深い紫暗の瞳が夜明け前の空の色に光る。

悟空は惚けた顔で笙玄に促されて寝所を後にする三蔵を見送るのだった。











いつもより少しだけ豪華な食事を前に悟空は手を出さずに座っていた。
いつもなら遅いと解っている日は、三蔵を待たずに側係の笙玄と食事を摂る悟空が、今日に限っては手を出そうとはしなかった。

「どうしたんです?」

笙玄が不思議そうに悟空に訊ねる。

「…うん。今日は三蔵を待ってるんだ」
「でも、今日は生誕祭で信者の方々とお食事をなさる日ですから、お帰りは何時になるかわかりませんよ」
「わかってる。でも、今日は待っていたいんだ」

悟空のまっすぐな思いに笙玄は頷くと、

「わかりました。でも、少しはお腹に何か入れとかないと持ちませんから、そのスープだけでも飲んで下さいね」

そう言って笑った。

「わかった」

素直に悟空は頷くとスープを飲み始めた。
笙玄はそんな悟空の姿に笑顔を深くするのだった。











全ての行事が終わったのは日付が変わろうとする時刻だった。
三蔵にとって苦痛以外の何ものでもない行事が終わって、寝所に向かう足取りは軽かった。

半分衣を脱ぎながら寝所の扉を開けた三蔵は、長椅子に踞って眠る悟空を見つけて驚いた。

「こんな所で何やって…」

呟いた言葉は途中で途切れた。
居間のテーブルには手を付けてない夕食が所狭しと並んでいた。
万年欠食児の悟空が食事を摂っていないことは明らかだった。

「……んのバカは」

三蔵はため息を吐くと、眠っている悟空のそばに寄って行った。
見下ろす寝顔は穏やかで、少し開いた口元が嬉しそうに笑っていた。

「おい、サル、起きろ」

肩を揺すって悟空を越しにかかった。
何度か肩を揺するが、悟空の目は覚めない。

「この、起きやがれ」

三蔵は悟空の鼻をつまんで、口を手で押さえた。
しばらくすると、息苦しくなった悟空が手足をばたつかせ始めた。
それを見て、三蔵は手を離した。

「…ぷっ、ふぁーっ!!」

大きく息を吸って悟空が目覚めた。

「何すんだよ、さんぞ!」

息苦しさのために顔を赤くして怒鳴る。

「てめぇが起きねえからだろうが」

鼻の頭に皺を寄せて三蔵が反っくり返る。

「へっ?!俺、寝ちゃってたんだ。起きてさんぞ待ってるはずだったのに」
「何、言ってんだ?」
「だって、今日は三蔵の生まれた日なんだろ?何もあげるもんねえけど、俺もおめでとうぐらい言いたいじゃん」

ぷうっと頬を膨らませ、上目遣いで三蔵を睨む悟空に苦笑が湧く。

「そうかよ」
「そうだよ!」

むくれる悟空の言葉に被さるように部屋の時計が十二時を知らせた。

「あっ、日付が変わっちゃった…」

むくれていた顔がしゅんとうなだれてしまう。
そんな姿に三蔵はぽんと、悟空の頭に手を乗せた。

「……さん…ぞ?」

見上げた瞳が心なしか揺れている。

「俺の生まれた日は29日。明日…いや、もう今日だな。覚えとけ」
「えっ、で、でも28日がそうだってみんな言ってたのに…だから、俺も誕生日おめでとうって言いたかったから…」

三蔵の言葉に戸惑う悟空の頭を三蔵は、かき混ぜた。

「いいんだよ。誕生日なんて俺にはねえんだからいつだってな」
「さんぞ?」

悟空の横に腰を下ろすと、三蔵は煙草に火を付けた。
ゆっくり紫煙を吐き出して天井を見上げる。

「俺は生まれてすぐ河に捨てられた捨て子だから、いつ生まれたなんて知らない。だから、いつだっていいんだよ。ただ、十一月二十九日はお師匠様が、俺を拾った日だから、その日を俺が生まれた日だと決めて下さった。それだけのことだ」

静かに語られた内容に悟空は息を潜めて、ぎゅっと三蔵の衣を握りしめた。
そんな悟空を三蔵はそっと、抱き寄せる。

「お前が何も思わなくて良いんだよ。お前だって似たようなもんだろうが」

三蔵の言葉が悟空の胸に染みた。

そうだ、自分も生まれた日なんて知らない。
だから、岩牢から出してくれた日を生まれた日だと、三蔵が決めてくれた。
一緒だ。

「でも…」
「寺の奴らが最初に聞き違えたんだ。なんせ、みんなジジイばっかりだからな」

そう言って面白そう喉を鳴らす。

「じゃあ、俺だけ?」
「何が?」
「三蔵のホントの生まれた日知ってるの」
「だな」

頷く三蔵に悟空はやっと笑顔を向けた。
その笑顔を見て、ようやく三蔵も部屋へ帰ってきた気になるからおかしなものだ。

「じゃあ、一番だな」
「あ?」
「うん、一番だ」

一人納得する悟空を訝しげに三蔵が見下ろす。
悟空は顔を上げ、しっかりと訝しげな三蔵の顔を見つめて、

「三蔵、誕生日おめでとう」

そう言って幸せそうに笑った。

「ああ」

ちょっと面食らった様な顔で三蔵が頷くと、悟空の笑顔はさらに花開いた。
そのあまりに幸せな笑顔につられて、三蔵の顔もほころぶ。
三蔵はそっと見上げる悟空の額に口づけた。

「え?!」
「祝いの礼だ」
「??」

三蔵の口づけにきょとんとして、意味を掴みかねた悟空のお腹が盛大に鳴った。

「ぶっ!」

三蔵が吹き出す。

「わあぁ!!」

その大きな音に顔を真っ赤にする悟空に、

「待つなら、飯ぐらいちゃんと食ってから待ってろ」

そう言って悟空をテーブルへ座らせた。

「見ててやるから、とっと食っちまえ」
「うん!」

満面の笑顔で頷くと、悟空は冷め切った夕食をおいしそうに食べ始めた。
その嬉しそうに食べる姿を見やりながら、三蔵は思い出したように悟空を呼んだ。

「何?」
「いいか、二十九日が俺の生まれた日だなんて、誰にも言うなよ」
「何で?」
「何でもだ。約束できるな?」
「俺と三蔵の秘密だな」
「そうだ」
「わかった。約束する。俺、ぜってー誰にも言わない」
「よし」

胸を張って約束する悟空に一抹の不安を覚えたが、三蔵との約束だけは守る悟空のことだからと、三蔵は悟空を信用する事にした。

三蔵と自分だけの秘密の約束事。

それができたことに悟空は、ドキドキした。

二人だけの秘密。

その魅惑的な言葉に悟空は顔が緩んで仕方なかった。
おかげで、口に入れてる食事の味がよくわからなかった。
そして、自分を見つめる三蔵の紫暗の瞳が穏やかな光に包まれているのを見つけて、益々ドキドキして、でも幸せで気持ちがはち切れそうな悟空だった。

嬉しそうに笑い、食事を平らげてゆく悟空を見つめながら、



お前だけが知ってればいい




三蔵は胸の内で呟いた。
そして、明日が休みだと知ったらこの小猿はどうするだろう。
簡単に想像できる悟空のリアクションを思って、微かに口の端をほころばせる三蔵だった。

それは三蔵の十八回目の誕生日の二人の約束。




end

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