Coppice

空から子供が降ってきた。




「…つてぇ…」
「……っつぅ」

子供と男は折り重なるようにして、ブナの木の根本に倒れ込んだ。
子供はちょうど男の腹の上に乗るように落ちた。
男は全くの無防備な状態で、上から降ってきた子供を受け止める羽目になった。
子供を腹の上に乗せたまま男は、その衝撃に半分意識を飛ばしてしまっていた。
下敷きになった男をクッションにした子供の方がダメージが少なかった分、回復が早かった。
自分の下敷きになっている男に気が付き、慌てて飛び退く。
が、男は意識が朦朧として、子供がどいたことも気が付かない様子だった。

「ご、ごめん!」

謝りながら覗き込んだ男の顔を見た子供は、声を上げた。

「…あっ!!」

それは、あの庭であった淋しげな瞳をした人だった。
黒髪の右が金色で、左が青い瞳をした人。

「くっ…」

子供の声に男は意識がはっきりしてきたのか、何度か頭を振ると、顔を上げた。
と、心配そうに自分の顔を覗き込んでいる大きな金の瞳が間近にあった。
男は、ドキッとする。

「ご、ごめん。あの、あのさ、ケガ…してない?」

子供の必死に自分を気遣う震えた声に男は微かに頬笑むと、

「大丈夫だ。お前は?」

と、答えてやった。

「お、俺はへーき。でも…」
「俺も平気だ」

そう言って身体を起こし、胡座をくんで座った。
子供はなおも心配そうに男を見ていたが、もう一度、大丈夫だと笑ってやると、ようやく安心したのか、男の横に膝を割り開いてぺたんと座った。

「お前、何してたんだ?」

男が問えば、

「木登り!」

明るい返事が返ってきた。

「そうか。で、どうして降ってきた?」

問われて子供は、照れくさそうに笑うと言った。

「足が滑って、落ちた…」

残念そうにうつむく。

「滑って落ちたのか」
「うん。何か人に言われると悔しい」
「はっ…」

ぷうっと頬を膨らませた子供のすねた様子に男が声を上げて笑う。
子供はその様子にびっくりした顔をする。
それに気付いた男が怪訝な顔になる。

「何だ?」
「やっ…声出して笑うんだって、びっくりした」
「俺だって笑うことはある」
「だよね」

子供が納得した笑顔を男に向ける。
男も子供の笑顔に笑顔で返した。




奥まった屋敷の庭で会ったとき、男は酷く淋しそうで、一人にしたら消えて無くなりそうな気がした。
その淋しさが消えるまで、側にいたいとあの時、思った。
でも、大切な人との約束の時間が迫っていて・・・・
大好きな金色の太陽の側に居ても、男の事が気になって仕方なかった。
次の日、もう一度あの庭の東屋まで行って、夕暮れまで待っていたが、男には会えずじまいだった。
それが今日偶然、格好悪いこと甚だしい状態で再会するとは思わなくて、子供は嬉しいのに恥ずかしくて胸がどきどきしていた。




こんなにも偶然が重なるのは、一体どういうことだろうかと思う。

太陽のような子供にこうして会うたびに、男の心は金色の光で満たされて行く気がした。
与えられた屋敷で過ごすとき、黄色い花の咲く広野に出かけたとき、散歩に出たとき、何処かでこの子共に会いはしないかと期待していた。
あの庭で触れた子供の唇の甘さを思い出すたび、自分の元へ留めておきたいとそんな欲が胸の内に膨れ上がって、今にも溢れ出してしまいそうだった。

望んでも、望んでも手に入らない宝物。
でも、手元に置いたら壊してしまう宝物。
それがこの金色の子供。




「この木に登っていたのか?」

男が、すぐ横の大きなブナの木を指さした。

「うん。菩提樹より高いから登ってみたかったんだ。でも、落ちちゃった」
「そうか、なら、俺と登るか?」

男の申し出に子供は大きな瞳を見開いたが、すぐに嬉しそうに大きく頷いた。

「でも、おじさん登れるの?」

大丈夫?と、心配そうに小首を傾げる。

「坊ず、俺は焔だ。おじさんじゃない」
「俺も坊ずじゃない。悟空だ」
「悟空か」
「うん」

誇らしげに頷く。
そして、もう一度、ちゃんと木登りができるのかと、聞いてくる。

「ああ、登れるさ。お前よりもうまくな」

そう言って、男は子供の髪をかき混ぜ、立ち上がった。
子供はくすぐったそうに首を竦める。

「行くぞ」

言うなり男は木に登り始めた。

「あ、ずりーっ!」

子供も慌てて男の後を追って、木に登り始めた。

何度か子供は足を滑らせて、落ちそうになったが、そのたびに男に助けられ、ようやく太い枝の上に二人は出た。

風が二人の汗ばんだ身体を心地よく乾かしてゆく。

そこから見る天界の景色は、美しかった。

様々な色に溢れ、何処までも広く、何処までも高い。
暗い牢で育てられた。
許されて外に出されても何の自由もなかった。
唯一、ただ一人の女性と愛した人とも離された。
聞こえる声は、死を望む声。
向けられる視線は蔑みの目。
望まれぬ者にとって居場所の無い世界。

それなのに、ここから見渡す世界は美しくて─────




そっと、頬に触れるぬくもりに男は、我に返った。
隣に座る子供が、今にも泣きそうな顔で男の頬に小さな手を伸ばしていた。

「泣くなよ…泣いたらお、俺どうしていいかわかんないからさ」

子供の言葉に泣いてるのはお前の方だろうと、頬に触れた子供の手を自分の手で包み込む。
その時になって、自分が泣いていることに気が付いた。



涙…だと…?!



愛しい人が下界で命を落としたと聞かされたときですら流さなかった涙が、何故、今、何もない今になって流れるのか。
どうしてこの子供と居るときに。

「すまんな」

小さく謝罪する男に子供は抱きついた。
そして、潤んだ瞳で男を見上げる。
その仕草に男は子供の頭を軽く叩いた。
ちゃりと鎖が澄んだ音を響かせる。

「焔のそれ、邪魔なことない?」

抱きついたまま子供は男の両手の枷を差して言う。

「いや、お前は?」
「じゃまっけだけど、これしてないと金蝉の側に居られないんだって。それに焔にも会えなくなんのやだもん」
「そうか」
「うん」

子供の気持ちに揺るぎはなかった。
あの金の光を頂いた男と有るために我慢するのだと言いいながら、自分にも会えないと嬉しいことを言う。
男は、抱きついた子供の顎に手をやると自分の方を向かせた。
何?と、不思議そうに見返す瞳を片方の手で隠すと、そっと口づけた。
子供の身体が電気を受けたように震える。



触れるだけの口づけ。



瞳を覆っていた手を離すと、零れんばかりに見開かれた金の瞳が現れた。
と、見る間に子供の顔は熟れたトマトのように真っ赤になり、慌てて口を両手で覆った。

「あ…えっ…あ…」

あまりのうろたえた様子に男は苦笑を浮かべた。

「わ、わ、笑うな…よ」

ぷいっと横を向いた瞬間子供はバランスを崩した。

「わっ!!」

身体が滑って、落ちかける。
とっさに男の腕にすがりつく。

「悟空!」

男も慌てて、子供の縋った腕に力を入れ、落ちないように支える。
半分枝からずり落ちた子供をもう一度引き上げ、枝に座らせてやった。

「ありがと。あー恐かった」

ほっとしたように胸をなで下ろして、子供は笑った。
そして、

「焔、明日も会える?」

と、聞いてきた。
男の瞳が驚愕に開かれる。

「嫌…か?」

問いかける瞳は不安に揺れて、男の心を揺さぶった。

側に居て欲しい子供。
共にあることを願って止まない子供。
捜しても会えない、偶然を待たなければならない出会いが、約束される。
願ってもないこの申し出に男は頷いた。

「ああ、明日でも毎日でも」

男の答えに子供は破顔した。

「でも、さっきみたいなのはナシだかんな」
「わかった。今度は聞いてからする」
「焔!」

男の返事に子供はその幼い顔に朱に染めて膨れた。
その仕草に愛しさを募らせて、男は笑いが止まらなかった。




end

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