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空から子供が降ってきた。
「…つてぇ…」 子供と男は折り重なるようにして、ブナの木の根本に倒れ込んだ。 「ご、ごめん!」 謝りながら覗き込んだ男の顔を見た子供は、声を上げた。 「…あっ!!」 それは、あの庭であった淋しげな瞳をした人だった。 「くっ…」 子供の声に男は意識がはっきりしてきたのか、何度か頭を振ると、顔を上げた。 「ご、ごめん。あの、あのさ、ケガ…してない?」 子供の必死に自分を気遣う震えた声に男は微かに頬笑むと、 「大丈夫だ。お前は?」 と、答えてやった。 「お、俺はへーき。でも…」 そう言って身体を起こし、胡座をくんで座った。 「お前、何してたんだ?」 男が問えば、 「木登り!」 明るい返事が返ってきた。 「そうか。で、どうして降ってきた?」 問われて子供は、照れくさそうに笑うと言った。 「足が滑って、落ちた…」 残念そうにうつむく。 「滑って落ちたのか」 ぷうっと頬を膨らませた子供のすねた様子に男が声を上げて笑う。 「何だ?」 子供が納得した笑顔を男に向ける。
奥まった屋敷の庭で会ったとき、男は酷く淋しそうで、一人にしたら消えて無くなりそうな気がした。
こんなにも偶然が重なるのは、一体どういうことだろうかと思う。 太陽のような子供にこうして会うたびに、男の心は金色の光で満たされて行く気がした。 望んでも、望んでも手に入らない宝物。
「この木に登っていたのか?」 男が、すぐ横の大きなブナの木を指さした。 「うん。菩提樹より高いから登ってみたかったんだ。でも、落ちちゃった」 男の申し出に子供は大きな瞳を見開いたが、すぐに嬉しそうに大きく頷いた。 「でも、おじさん登れるの?」 大丈夫?と、心配そうに小首を傾げる。 「坊ず、俺は焔だ。おじさんじゃない」 誇らしげに頷く。 「ああ、登れるさ。お前よりもうまくな」 そう言って、男は子供の髪をかき混ぜ、立ち上がった。 「行くぞ」 言うなり男は木に登り始めた。 「あ、ずりーっ!」 子供も慌てて男の後を追って、木に登り始めた。 何度か子供は足を滑らせて、落ちそうになったが、そのたびに男に助けられ、ようやく太い枝の上に二人は出た。 風が二人の汗ばんだ身体を心地よく乾かしてゆく。 そこから見る天界の景色は、美しかった。 様々な色に溢れ、何処までも広く、何処までも高い。 それなのに、ここから見渡す世界は美しくて─────
そっと、頬に触れるぬくもりに男は、我に返った。 「泣くなよ…泣いたらお、俺どうしていいかわかんないからさ」 子供の言葉に泣いてるのはお前の方だろうと、頬に触れた子供の手を自分の手で包み込む。
涙…だと…?!
愛しい人が下界で命を落としたと聞かされたときですら流さなかった涙が、何故、今、何もない今になって流れるのか。 「すまんな」 小さく謝罪する男に子供は抱きついた。 「焔のそれ、邪魔なことない?」 抱きついたまま子供は男の両手の枷を差して言う。 「いや、お前は?」 子供の気持ちに揺るぎはなかった。
触れるだけの口づけ。
瞳を覆っていた手を離すと、零れんばかりに見開かれた金の瞳が現れた。 「あ…えっ…あ…」 あまりのうろたえた様子に男は苦笑を浮かべた。 「わ、わ、笑うな…よ」 ぷいっと横を向いた瞬間子供はバランスを崩した。 「わっ!!」 身体が滑って、落ちかける。 「悟空!」 男も慌てて、子供の縋った腕に力を入れ、落ちないように支える。 「ありがと。あー恐かった」 ほっとしたように胸をなで下ろして、子供は笑った。 「焔、明日も会える?」 と、聞いてきた。 「嫌…か?」 問いかける瞳は不安に揺れて、男の心を揺さぶった。 側に居て欲しい子供。 「ああ、明日でも毎日でも」 男の答えに子供は破顔した。 「でも、さっきみたいなのはナシだかんな」 男の返事に子供はその幼い顔に朱に染めて膨れた。
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