a declaration of wor
初秋の早朝、子供は珍しく目覚めた。 今日も残暑の厳しい日になりそうだった。 子供は、寝台から音もなく抜け出すと、居間の窓を開け放った。 音もなく地面に降り立つ。 「おはよ…」 小さく呟くと、子供は風のように走り出した。
微かな物音で、三蔵は目が覚めた。
気配がしない。 声は聴こえているというのに。 三蔵は、小さく舌打ちすると寝台から降りた。 「…バカ、が」 窓から悟空が出て行った事を知った。
悟空は息の一つも乱さず、その場所へ辿りついていた。 そこには真っ白な芙蓉の花が、群生して辺りに甘い香りを放っていた。 「呼んだ?」 その白い花に向かって話しかける。 「…そう、初めて咲いたんだ」 花の訴えに悟空は、はんなりとした笑顔を浮かべた。
悟空は愛しそうに芙蓉の花を撫でた。 「えっ、折っていいの?」 花の申し出に悟空が、驚きの声を上げた。 以前、初夏の日、クチナシの花たちもそう言って、たくさん悟空にその身を捧げてくれた。 「い、いいよ。せっかく初めて咲いたのに…」 断る悟空に花達は、悲しげに揺れる。 「じゃあ、ひとつだけ…な」 そう言って悟空は、すぐ目の前に咲いていた花を手折った。
花を持って戻る途中で、悟空は三蔵と出逢った。
立ち止まった悟空を見つけた三蔵は何も言わず側によるなり、目にも留まらぬ早業で悟空の頭にハリセンを振り下ろした。 「っつてぇ…」 頭を抑えてしゃがみ込んだ悟空に三蔵はふんと鼻を鳴らすと、 「帰るぞ、サル」 そう言って、踵を返した。 「あ、待って!」 悟空は、慌てて立ち上がると、先を行く三蔵の後を追った。
朝食の準備をしていた笙玄は、机の上の花に気が付いた。
やがて、準備が整ったのを見計らったように、三蔵がきちっと僧衣に着替えて姿を見せた。 「おはようございます」 笙玄の挨拶に、 「ああ」 と、それぞれが答えて、食卓に着いた。 「今日は、悟空も早起きですね」 にっこり笑えば、曖昧な返事が返ってくる。 「何かあったんですか?」 と、問えば、三蔵の顔を伺い見る。 「この花が、どうかしたのですか?」 笙玄の問いに三蔵は、うんざりした口調で告げた。 「このバカが、摘んできたんだよ」 三蔵の言葉に笙玄は笑いながらその花を見つめ、名前を思い出した。 「その子、酔芙蓉って言うんだって」 悟空の指す方を見れば、白い八重の花はほんのりピンクに染まっていた。 「本当ですね」 考え、何かと会話しているような仕草を悟空はすると、 「お酒を飲んだみたいに赤くなるからって、人間が付けたんだって」 そう言って、「勝手だよな」と笑った。
そう、最近三蔵はこういった悟空の仕草が気になって仕方なかった。 悟空は三仏神の話では、五百年以上も前に東勝神州は傲来国、花果山の山頂に宿りし仙岩に大地のオーラが集まって生まれた大地母神が愛し子。 あの五行山で見つけて寺院に連れてきて一年あまり、大地の愛し子だと言われてもピンと来なかった。 考えてみれば、悟空は大地が生んだ存在だと言っても良い。 だが、三蔵は納得できない。 頭で理屈をこねて、納得できる理由ができあがっても、納得出来ない。 そう、ただ苛つきを覚えるのだ。 今も、今朝悟空が自分で摘んできた酔芙蓉の花と会話する姿に、三蔵は苛つく。 「くっちゃべってないで、ちゃんと食え」 さして意味のない注意を悟空に与えると、三蔵は気持ちのイライラを隠すように朝刊を広げた。
薄紅に染まる酔芙蓉の森。 その花の中に、悟空の姿があった。 「ずいぶん色がついたね」 側の花に顔を近づけて話す。 「おかしい?でも綺麗だよ」 ふわりと笑う悟空の笑顔に花達が一斉に輝く。 「みんなと居ると楽しいよ。でもね、三蔵と居る時が一番楽しいんだ」 そう言って、輝く笑顔を浮かべるのだった。
今朝の悟空の様子が、何故か三蔵の気持ちを不安にさせていた。 書きかけの書類もそのままに三蔵は寝所へ向かうと、僧衣を脱ぎ捨て、普段着に着替えると、悟空を探すべく、寺院を後にした。 悟空を探す足取りは、まるで走るようで。
「三蔵は、優しいんだって。そんで、暖かくて、楽しくって、幸せなんだ」 酔芙蓉の森で、赤く色を染めてゆく八重の花に、悟空は三蔵と居る嬉しさを、その幸せを話して聞かせる。 「還ってこいっていうの?」 ざわめきの中の要求に気が付いた悟空が、戸惑った声を上げた。 「…そうだね、気持ちいいよね。うん、俺もそう思う」 酔芙蓉の木の根元に座り込んだ悟空は、儚げな笑顔を浮かべた。 「…気持ち…いいね……ぇ…」 微睡みが悟空を捉えたその刹那、切り裂くような声が悟空の心を貫いた。
悟空!
まっすぐな金色の矢。 強くて、眩しくて、輝く太陽の光。 「…さん…ぞ…?」 ぼやっとした視界に、金色が見えた。
悟空の居るはずの場所へ走るように向かう三蔵の胸を、喪失感が襲った。
大切なもの。 自分を呼んでいたのだ。
───そして・・・・・。
辿り着いた芙蓉の森で見たものは、身体が半分以上透けた悟空だった。
「悟空!」 その声に、世界は一瞬で敵意を持った。 「…さん…ぞ…?」 名前を呼ぶ、その声に森のざわめきが覆い被さった。 「悟空!こっちに来い!」 風に叩き付けられ、煽られてなお三蔵は悟空の名を呼び、その手を差し出した。 側へ、大切な人の側へ。 「三蔵──っ!」 悟空の呼ぶ声を遮るように、花々が行く手を塞ぐ。 「さんぞ?」 さっと、悟空の顔が青ざめる。 「三蔵…さんぞ…?」 悟空の呼ぶ声に三蔵の声が返る。 「悟空、どこだ?」 その声に痛みを我慢する気配を感じて、悟空は叫んだ。 「もう止めてよ──ぉ!」 悲痛な声は木霊を呼び、森中に響いた。 「三蔵!」 走ってくる幼い影に三蔵は、安堵のため息を吐くとその場にへたり込んでしまった。 「三蔵、三蔵…さんぞぉ…」 透明な雫をその黄金に溜めて、悟空は荒い息を吐く三蔵の顔を見上げた。 「泣くな、俺は大丈夫だ」 尚も涙声で心配する悟空の頭をくしゃっと掻き混ぜると、三蔵は微かに笑った。 「帰るぞ」 そう言って三蔵は立ち上がった。 「うん…」 悟空も立ち上がる。 ただ、残念だという気配と三蔵に対する押し殺した敵意は、傷付いた三蔵の肌を刺した。 そして、自分の腰にしがみつく悟空に視線を落とした。 我らが愛し子を還せ。 それは大地の誓いと宣言。 こいつは絶対に還さない。 手に入れたのは悟空という名の子供。 不適な宣戦布告を三蔵は、大地相手にやってのけた。 「さんぞ…?」 帰ると言っておきながら、自分の顔を見つめて動かない三蔵を訝しげに悟空が呼んだ。 「…ああ、なんでもねぇよ」 そう言って、もう一度悟空の髪を掻き混ぜると、三蔵は踵を返した。
それが始まり。 何よりも愛しいものを手放さないために。
end |
リクエスト:三蔵が初めて悟空が「大地の子」であること、「自然が常に悟空を呼んでいる」ことを自覚した瞬間 |
2222Hitありがとうございました。 謹んで、神樹さまに捧げます。 |
close |