それは、偶然。

それは、必然。

それは、出逢う奇跡。



intention
いつものように乗ったはずだったのに。

一体何がどうなったのか。
理解する前に虜になっていた。

綺麗に澄んだ黄金の瞳に。
甘い薫りの柔らかな大地色の髪に。
華奢な肢体に。






三蔵の勤めるビルは、合理化に色付く社会の風潮から少し外れていた。
今時、何処の誰がオフィスビルにエレベーターガールを置くだろう。
エレベーターガールと言えば、デパートである。
そのデパートですら昨今の不景気で経費削減だとばかりに、自動運転のエレベーターに切り替わっているというのにだ。
三蔵は父親の趣味をどうこう言うつもりはないが、一緒に乗り合わせる彼女たちの好奇の視線は煩わしいモノで、一人で乗りたいといつも思う三蔵であった。




その日も三蔵はいつもの時間に出勤し、いつものようにエレベーターに乗った。
会社役員専用のエレベーターのはずだった。




三蔵は若干二十三才の若さで、父親の光明が経営する会社の専務を務めている。
大学に入学した頃から会社を手伝い、卒業するまでに三蔵が手がけた仕事の結果は、大人達を瞠目させた。
その手腕と決断力、行動力、そして何より備わったカリスマ性が大学と卒業と共に、専務の椅子に三蔵を着かせたのだった。

若い三蔵に会社の女子社員は熱い視線を送る。
だが、その秀麗な美貌とは裏腹に、苛烈な性格の三蔵のお眼鏡に叶う女子社員は一人もいないようだった。




薄い桜色のスーツに白いラインが襟と袖口に入った制服を着た女がにこやかに、いつものように媚びを含んだ笑顔で迎え入れたのだと思っていた。

が、それは三蔵の錯覚だったのだろうか。
今自分が見ている女の後ろ姿はいつもよりずっと小さく、華奢な感じがするのは、気のせいだろうか。

そんなことを考えている三蔵に声がかけられた。

「どちらまで?」

と。
一瞬、三蔵は何を言われたのか理解できなかった。

「何だ?」

と、思わず聞き返す。

「どちらまで?」

もう一度、そのエレベーターガールが言った。

「決まっている。十七階の俺のオフィスだ」

そう不機嫌な声で返せば、エレベーターガールが振り返った。

小さな容に、その存在を誇示するような大きな黄金の瞳、桜色の頬、薄く紅を引いたような唇、細い項、華奢な身体。

その姿は、三蔵の胸を貫いた。

「いいえ、ここは体感エレベーター。私と貴方の関係はどこまでいくのでしょう?と、お聞きしているのです」

小首を傾げるようにしてまっすぐ三蔵を見返すエレベーターガールの視線に、三蔵は見惚れてしまった。
そして、我知らず言葉が零れ出ていた。

「お前の気持ちが手にはいるまで…」
「”私の気持ちが手にはいるまで”ですね」
「…あぁ…」

遠くでエレベーターガールの声が聞こえた気がした。











「三蔵に好きな人は居るの?」

大きな瞳でうるうると見上げてくる瞳に三蔵は勝てた試しがなかった。

「いねえよ」

と、答えてやれば、どこか安心したように笑う。
その姿が愛しくて華奢な身体に手を伸ばせば、するりとその腕をすり抜ける。

「悟空、お前は?お前に好きな奴は居るのか?」

などと、およそ自分らしくないセリフが口をついて出た。
すると、この愛しくて堪らない小猿は、ほんのりと頬を染めて小さく頷くではないか。
途端、三蔵の胸に湧き上がる怒り。
この愛らしい小猿の心を射止めた見知らぬ人間に抱く焼け付くような嫉妬。
押さえきれない怒りに、悟空の細い腕を掴むなり、抱きしめていた。

「…さ、んぞ…苦しい…」

悟空の上げる抗議の声を無視して抱きしめる腕に力を込めれば、力一杯胸を叩かれた。
その痛みに我に返れば、今にも零れそうなほどの透明な雫を湛えた黄金が見返していた。

「…すまん」

そっと、腕を離せば、

「…バカ。俺の好きな人はねえ…」

そう言って小さくため息を吐くと、不安げに見下ろしてくる紫暗の瞳に笑いかけ、悟空はふわりと三蔵の首に腕を回し、その耳元に小さく囁いた。
その言葉に、三蔵の紫暗は見開かれ、ついで嬉しげにほころんだ。
三蔵は首に廻った悟空の腕を外すと、そっとその桜色の唇に口付けを落とした。





















目的の階に着いたことを知らせるベルの澄んだ音が、エレベーター内に響いた。

途端、引き戻される現実。

「専務、十七階でございます」

うつむいていた顔を上げれば、いつもの見慣れたエレベーターガールが、怪訝な顔をして三蔵を見つめていた。

「…あの…どうかなさったのですか?」

虚ろな表情を浮かべた三蔵を心配する声が聞こえる。
その声に片手を上げて「何でもない」と答えると、三蔵はエレベーターを降りた。






自分のオフィスの窓から眼下に広がるオフィス街の街並みを見つめながら、ふと、手が唇に触れた。

そこには確かな感触が残っている。
あれは、夢では無かったのだ。
では、一体何だったのだろう。
自分はあの少女の名前を知っていた。




悟空…




そう、あの少女は・・・・・少女だったのだろうか。
それすら確信が持てない程に、あやふやな記憶。
ただ、あのたぶん少女の大きな黄金の瞳と自分の名を呼んだ少し舌足らずな声。
そして、この唇に残る柔らかな感触。

三蔵は忘れることができなかった。


























あの奇妙な体験はあの日一度きりで、それから何度エレベーターに乗ろうと、あの悟空という子供に会うこともなかった。
だが、その面影は時間が経つほどに三蔵の気持ちを騒がせ、落ち着かなくさせた。
それが、三蔵には腹立たしいやら、やるせないやら、想いの持って行き場を見つけられず、秘書の八戒を呆れさせるような失態をしでかす始末だった。

そんなある日、三蔵は父親である光明の代理で、最大の取引先である会社のオーナーの息子の誕生パーティーに出席した。

たかだか今年十八になる子供の誕生日に、つきあいだからと言うだけで出席する三蔵の心は鬱陶しい気分の何ものでもなかった。
こんな馬鹿げたパーティーに休みを潰して出席するより、あの悟空という子供を捜しに行きたいと思う三蔵だった。
手っ取り早く祝辞を述べて退散しようと心に決めて、当主とその息子を捜した。






そして、二人を見つけた時、いやその息子を見つけた時、三蔵の時間は止まった。






何を言ったのか、どう振る舞ったのかさえ記憶が、そこから消し飛んでいた。
気が付けば、悟空と名乗った少年と二人きりで、屋敷のバルコニーから、庭で繰り広げられているパーティー会場を見下ろしていた。

「三蔵さん、俺、何かした?」

自分を穴の開くほどに見つめる三蔵の視線が痛くて、悟空は堪りかねて三蔵をバルコニーに誘ったのだ。
二人きりになっても三蔵は、悟空を見つめるばかりで何も言おうとしない。
だから、悟空の方から訊ねてみることにしたのだった。

「…会いたかった…」
「えっ?」

小さな声で告げられた言葉に悟空は思わず三蔵の顔を覗き込んだ。
その途端、三蔵の腕の中に抱きすくめられていた。
きつく、きつく抱きしめられた悟空の耳に、信じられない言葉が告げられた。

「…な、にを…」

言葉もなく悟空は抱きしめられる腕の中から三蔵の秀麗な顔を見上げた。
そこには悟空に出会えた喜びと共に不安に揺れる紫暗の瞳があった。
しばらくそうやって抱きすくめられたままいた悟空だったが、不意に身を捩るようにして三蔵の腕の中から逃れた。

「俺、男だよ?あなた、わかっててそんなこと言うんだ。それも初対面じゃないか」

まっすぐに見返す澄んだ金眼に三蔵は小さく笑うと、言った。

「関係ねぇんだよ。初対面だろうが、男だろうが、俺には関係ねぇ。ただ、俺にはお前が必要なんだよ。それだけなんだよ」

受けとめる紫暗もまた澄んで、まっすぐに悟空を見返した。

「なら、その気持ち、受けるよ。でも、受けるだけだよ。俺、あなたのことよく知らないから、それからだよ」
「ああ、構わねぇよ」
「じゃあ、よろしく」

そう言って、悟空は嫣然と笑った。





















そっと、三蔵が悟空に想いを告げた日、悟空はクローゼットの奥深くへ一つの箱をしまった。
もう二度と、着ることはない魔法の洋服を。

そう、あの・・・・・桜色の洋服。




───やっと、捕まえたんだから、覚悟しといてよね、三蔵









それは、偶然。

それは必然。

出逢うために、出逢った奇跡。




end

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