A Day Excursion
寺院の中が、賑やかな空気に染まっていた。 「何だ?」 書き上がった書類を手渡しながら笙玄の顔を見る。 「遠足?」 何だそれは?と、目顔で問う三蔵に笙玄は笑みを深くする。
三蔵は、先代の三蔵法師である光明に拾われ、育てられた。 今、手元で育てている養い子は、その天性の明るさと素直さで、寺院の麓の街に友達も多かったが、学校へは通っていない。 だが、同じ年頃の子供が何十人と集い、一日の大半を規律という名の校則で囲われた学校という閉鎖的な世界で学ぶことはたくさんある。
笙玄の話を聞きながら何事か思いついた三蔵は、笙玄にあることを命じた。
秋の色が濃くなり始めた頃、遊びに行こうとした悟空を笙玄が、呼び止めた。 「何?」 小首をかしげて呼び止めた笙玄の側に近づいた。 「これから遊びに行くのですか?」 ぱっと笙玄の腕に飛びつく。
「おやつも買いましょうね」 両手に買い物袋を持った悟空に笙玄が、笑いかける。 「おやつ?」 菓子屋で欲しいお菓子を買ってもらった悟空は、笙玄に寺院への帰り道、買い物の間中疑問に思っていたことを聞いてみた。 「なあ、今日は何かさ、俺の好きなもんいっぱい買ってくれたけど、何かあるの?」 ちょっとその丸い頬を膨らませて、横を歩く笙玄を伺い見る。 「三蔵と遠足?」 ここでようやく、笙玄の話に納得した悟空の顔に、みるみるうちに輝く笑顔が花開いた。 「いつ?いつ行くの?」 歩く笙玄の前に立って、訊いてくる。 「明日、ですよ」 両手に持った荷物を振り回しながら、悟空は笙玄に抱きついた。 「さ、帰って明日の準備をしましょうね」 跳ね回りながら寺院へ向かう悟空の姿に、笙玄も幸せな笑顔を浮かべるのだった。
朝、悟空は待ちきれずに、三蔵より早くに目が覚めた。 起きるなり寝室のカーテンを開け放ち、窓を全開にする。 「三蔵、朝だよ。晴れてるよ。なあ、早く行こう、三蔵ってばぁ」 眠っている三蔵の上にまたがって、上掛けの上から三蔵の身体を揺すって、叩いて起こす。 「なにすんだよぉ、痛いじゃんかぁ」 殴られた頭を抑えて、あまりの痛みに涙を浮かべた瞳が、三蔵を見上げて睨んでいた。 「喧しい!人が寝てる上で騒ぐたぁ、イイ度胸じゃねぇか、ああ?」 殴られた拍子に床に転げ落ちた悟空を見下ろす三蔵の瞳は、怒りに染まっていた。 「騒いでたんじゃねぇもん。起こしてたんだもん」 怒り冷めやらぬ三蔵の夜着を掴んで、悟空は先程までの輝くような嬉しさと正反対の、酷く不安に染まった瞳を三蔵に向けていた。 「…サル?」 三蔵は、そのあまりな変わりように眉を顰めた。 「だ、って、約束しても三蔵、すぐ仕事だ、って無しになっちゃうから…」 最後にはうつむいてしまう。 「バカ猿…」 うなだれた悟空の柔らかい髪をくしゃっと掻き混ぜ、そのまま顔を上げさせた。 「今日は、絶対何もない。お前との約束だけだ」 悟空は三蔵の首に抱きつく。 「さんぞ、大好きぃ」 ぐりぐりと三蔵の肩に顔をすりつける悟空の背中を二、三度叩くと、三蔵は諦めたようなため息を吐いた。
悟空が跳ねるたびに、背中のリュックが踊る。 辿る道は、初めての道。 地図を片手の三蔵と一緒に歩く秋の道。 空はどこまでも高く澄んで、乾いた風が浮かんだ汗を拭ってくれる。 やがて、分かれ道に出た。 「なあ、さんぞ、どっち?」 立ち止まって振り返れば、金色に染まった愛しい人が地図を見つめて立ち止まっていた。 「左」 悟空は左に足を進める。
「着いたぞ」 道端の珍しい草に気を取られていた悟空は、三蔵の呼ぶ声に慌てて駆け寄った。 「ホント?」 三蔵が指さす先に目をやれば、そこは一面の秋桜の花畑だった。 「すっげぇ…」 秋の日差しに光る色とりどりの秋桜。 「なあ、行ってみよう?」 背中の荷物を秋桜畑の入り口に立つナナカマドの木の根元に置くと、悟空は三蔵の手を引っ張った。 花の丈は高く、三蔵の金糸がようやく覗くほどの高さ。 「すっげぇ、花の森だ」 三蔵の手を握り、きょろきょろと周囲を見渡す。 「さんぞ、そこにいる?」 時々、三蔵に声を掛けながら悟空は、三蔵と一緒に花畑の奥へと進んでいった。
どれぐらい進んだのだろう、一陣の強い風に煽られて、秋桜の花達が二人を覆い隠した。 「悟空?」 呼べば、 「さんぞ?」 すぐ近くで声がする。 「どこだ?」 訊けば、 「こっち」 と返事が返るのに。 「おい、サル」 不機嫌な声。 「サルってゆーな」 少し怒った声。 姿の見えない二人の声だけのいつもの会話。 そんな二人に風が笑いかけ、日差しが揺れる。 「迷路だ」 答えれば、 「俺を捕まえてよ」 風が静寂を運んできた。
秋桜の迷路の鬼ごっこは、結局悟空が勝ったのか、三蔵が勝ったのか。 幕切れは悟空の盛大な腹の音だった。 ひとしきり笑った後、二人は笙玄が作ってくれた弁当を広げた。 と、悟空は何かを見つけたのか、また、秋桜畑の中に駆け込んでいった。
「悟空ーっ!」 三蔵の良く通る声が、秋桜畑に響いた。 秋の日は釣瓶落とし。 空がほんのり夕焼けに染まっていた。 「帰るぞ」 荷物を片づけ、背負いながら悟空は名残惜しそうに秋桜の花畑を眺めていた。 「行くぞ」 促せば、返事は帰るが、悟空は動こうとはしなかった。 「…また、来年一緒に来てやる」 くしゃっと悟空の頭を掻き混ぜると、三蔵は踵を返した。 「うん、また来ような」 悟空は「またな」と、秋桜に手を振ると、先を行く三蔵の後を追った。
帰りの道、遊び疲れた悟空の足取りは危うかった。 「な、に?」 びっくりして立ち止まれば、 「おぶされ」 と言われた。 「いいの?」 悟空はほわっと頬笑むと、三蔵の背中におぶさった。 「重くない?」 おずおずと聞く悟空に三蔵は 「相変わらず軽い」 とだけ答えると、歩き出した。
幸せな一日をありがとう。 楽しい時間をありがとう。 遠足という名の思いやりをありがとう。 この一時が、思い出となるように。
緩やかな日常の小さな心遣い。
end |
リクエスト:悟空の遠足 |
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ありがとうございました。 謹んで、濱本様に捧げます。 |
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