A Day Excursion




寺院の中が、賑やかな空気に染まっていた。

「何だ?」
「今日は、門下の寺院が主催する小学の遠足で、子供達が見学に来ているんですよ」

書き上がった書類を手渡しながら笙玄の顔を見る。

「遠足?」

何だそれは?と、目顔で問う三蔵に笙玄は笑みを深くする。
その笑顔に三蔵は軽く眉を顰めたが、何も言わず、笙玄に先を話せと促した。




三蔵は、先代の三蔵法師である光明に拾われ、育てられた。
市井の子供達がごく当たり前に辿る生活など、知ることもなく大きくなった。
学校にすら行かず、同じ年頃の友人との関わりも知らず、過酷な道を歩んできたのだ。

今、手元で育てている養い子は、その天性の明るさと素直さで、寺院の麓の街に友達も多かったが、学校へは通っていない。
字の読み書き、数の計算など必要なことは、三蔵や笙玄が暇を見つけて教えていたので、その必要性を感じずにいた。
自然と大地に愛されている養い子は、いつも幸せそうに笑っていたから。

だが、同じ年頃の子供が何十人と集い、一日の大半を規律という名の校則で囲われた学校という閉鎖的な世界で学ぶことはたくさんある。
社会の縮図のような空間で擬似的な社会生活を営み、学ぶのだ。
寺院のような閉塞し、偏った空間ではない学校生活が、悟空には必要なもののような気がしたけれど、妖怪である悟空を受け入れてくれる学校は無いように思えた。




笙玄の話を聞きながら何事か思いついた三蔵は、笙玄にあることを命じた。
伝えられた内容に笙玄は頷くと、楽しそうに笑った。


















秋の色が濃くなり始めた頃、遊びに行こうとした悟空を笙玄が、呼び止めた。

「何?」

小首をかしげて呼び止めた笙玄の側に近づいた。

「これから遊びに行くのですか?」
「うん。何で?」
「私と一緒にお使いに行きませんか?って誘って良いですか?」
「お使い?笙玄と?」
「はい。ダメ…ですか?」
「行く、行く!」

ぱっと笙玄の腕に飛びつく。
その幼い姿に笙玄は瞳を細めて笑うと、悟空を連れて買い物に出かけて行った。







「おやつも買いましょうね」

両手に買い物袋を持った悟空に笙玄が、笑いかける。

「おやつ?」
「はい。いりませんか?」
「うーん、欲しいけどもてるかな?」
「大丈夫ですよ」

菓子屋で欲しいお菓子を買ってもらった悟空は、笙玄に寺院への帰り道、買い物の間中疑問に思っていたことを聞いてみた。

「なあ、今日は何かさ、俺の好きなもんいっぱい買ってくれたけど、何かあるの?」
「どうしてですか?」
「だって、笙玄楽しそうじゃん」

ちょっとその丸い頬を膨らませて、横を歩く笙玄を伺い見る。
そのすねた様子に笙玄は顔をほころばすと、「内緒ですよ」と言って理由を教えてくれた。

「三蔵と遠足?」
「はい」
「遠足って…何?」
「三蔵様とお弁当持って、おやつ持ってお出かけすることですよ」
「三蔵と?」
「はい」
「俺が?」
「はい」

ここでようやく、笙玄の話に納得した悟空の顔に、みるみるうちに輝く笑顔が花開いた。

「いつ?いつ行くの?」

歩く笙玄の前に立って、訊いてくる。

「明日、ですよ」
「ホントに?」
「はい」
「ホントに、ホント?」
「はい、本当ですよ」
「やったぁーっ!」

両手に持った荷物を振り回しながら、悟空は笙玄に抱きついた。
たくさんの荷物の上から抱きつき、満面の笑顔を笙玄に見せる。

「さ、帰って明日の準備をしましょうね」
「うん!」

跳ね回りながら寺院へ向かう悟空の姿に、笙玄も幸せな笑顔を浮かべるのだった。
















朝、悟空は待ちきれずに、三蔵より早くに目が覚めた。

起きるなり寝室のカーテンを開け放ち、窓を全開にする。
冷えた空気が、悟空の顔を撫で、暖かな室内に流れ込む。
起き抜けの薄い夜着に空気は酷く冷たく感じたが、そんなことより悟空は天気が気になった。
見上げる空は、夜が明けたばかりのまばゆさに輝いて、今日も良い天気だと告げていた。
悟空は大きく伸びをすると、まだ眠っている三蔵の上に飛び乗った。

「三蔵、朝だよ。晴れてるよ。なあ、早く行こう、三蔵ってばぁ」

眠っている三蔵の上にまたがって、上掛けの上から三蔵の身体を揺すって、叩いて起こす。
そんなことを短気な三蔵がいつまでもさせておくはずもなく、寝起きの悪さも手伝って、いつもの倍は盛大で小気味の良いハリセン音が、静かな寺院の空気を振るわせた。

「なにすんだよぉ、痛いじゃんかぁ」

殴られた頭を抑えて、あまりの痛みに涙を浮かべた瞳が、三蔵を見上げて睨んでいた。

「喧しい!人が寝てる上で騒ぐたぁ、イイ度胸じゃねぇか、ああ?」

殴られた拍子に床に転げ落ちた悟空を見下ろす三蔵の瞳は、怒りに染まっていた。
そんな三蔵の怒りなどどこ吹く風で、悟空は立ち上がると、また、三蔵の起き上がった膝の上に乗り上げた。

「騒いでたんじゃねぇもん。起こしてたんだもん」
「何をぉ」
「だって、今日なんだろ?遠足っていうの。今日三蔵と一緒に一日居られるんだろ?」

怒り冷めやらぬ三蔵の夜着を掴んで、悟空は先程までの輝くような嬉しさと正反対の、酷く不安に染まった瞳を三蔵に向けていた。

「…サル?」

三蔵は、そのあまりな変わりように眉を顰めた。

「だ、って、約束しても三蔵、すぐ仕事だ、って無しになっちゃうから…」

最後にはうつむいてしまう。
悟空の言うことも、気持ちもよく理解できた。
実際、何ヶ月も前から約束し、その日に仕事を入れないように注意していても、突発的に発生する仕事など予想することも出来ず、悟空が楽しみにしていた約束を反故にしたことが、数え切れないほどあったからだ。
浮かれては居ても、約束が流れる不安は悟空の中から消えないでいるのだった。
三蔵は、小さくため息を吐くと、

「バカ猿…」

うなだれた悟空の柔らかい髪をくしゃっと掻き混ぜ、そのまま顔を上げさせた。

「今日は、絶対何もない。お前との約束だけだ」
「…ホント?」
「ウソじゃねぇよ」
「ホント…?」
「ああ」
「ホントに?」
「しつこい!」
「うん、さんぞ…うん!」

悟空は三蔵の首に抱きつく。
その勢いに三蔵は悟空の身体を支えきれず、後ろに倒れてしまった。

「さんぞ、大好きぃ」

ぐりぐりと三蔵の肩に顔をすりつける悟空の背中を二、三度叩くと、三蔵は諦めたようなため息を吐いた。
















悟空が跳ねるたびに、背中のリュックが踊る。
悟空が振り向くたびに、肩から提げた水筒が踊った。

辿る道は、初めての道。

地図を片手の三蔵と一緒に歩く秋の道。

空はどこまでも高く澄んで、乾いた風が浮かんだ汗を拭ってくれる。
色づく大地は、愛し子の笑顔によりその色を増して、錦の衣を打ち振る。

やがて、分かれ道に出た。

「なあ、さんぞ、どっち?」

立ち止まって振り返れば、金色に染まった愛しい人が地図を見つめて立ち止まっていた。

「左」
「左?」
「ああ、左だ」
「わかった」

悟空は左に足を進める。
道は緩やかな登りで、脇に咲くフジバカマやオミナエシの小さな花が風に揺れている。
はしゃぎながら前を行く悟空の姿に、三蔵は連れてきて良かったと胸をなで下ろした。
悟空の喜びが、自分と一日邪魔の入らない場所で一緒に居られる事だとしても。
大勢の子供と一緒の学校行事のような遠足でなくとも、こうして見慣れた場所ではない初めての場所で、気ままな一日を過ごす。
そんな遠足も良いではないか。
その子供の出来る範囲で、楽しく、幸せであれば。
ささやかな望みは、十分叶えられるのだから。
三蔵は先を行く悟空の喜びように、愛しそうにその瞳を眇めるのだった。






「着いたぞ」

道端の珍しい草に気を取られていた悟空は、三蔵の呼ぶ声に慌てて駆け寄った。

「ホント?」
「ああ、見ろ…」

三蔵が指さす先に目をやれば、そこは一面の秋桜の花畑だった。

「すっげぇ…」

秋の日差しに光る色とりどりの秋桜。
背の高い花は、悟空と三蔵を誘っているように風に揺れていた。

「なあ、行ってみよう?」

背中の荷物を秋桜畑の入り口に立つナナカマドの木の根元に置くと、悟空は三蔵の手を引っ張った。
三蔵は何も言わず、悟空に手を引っ張られるまま、秋桜畑の中に入って行った。

花の丈は高く、三蔵の金糸がようやく覗くほどの高さ。
悟空に至っては、少し離れれば花に隠れて見えなくなってしまう。

「すっげぇ、花の森だ」

三蔵の手を握り、きょろきょろと周囲を見渡す。
生い茂ってくる秋桜が、ともすれば側に居る、手を握っている三蔵の姿さえ隠してしまう。

「さんぞ、そこにいる?」
「ああ」

時々、三蔵に声を掛けながら悟空は、三蔵と一緒に花畑の奥へと進んでいった。




どれぐらい進んだのだろう、一陣の強い風に煽られて、秋桜の花達が二人を覆い隠した。
舞い上がる風に顔を庇った拍子に手が離れ、二人は秋桜の中に孤立した。

「悟空?」

呼べば、

「さんぞ?」

すぐ近くで声がする。
声の方を向いても秋桜の花と枝が見えるだけ。

「どこだ?」

訊けば、

「こっち」

と返事が返るのに。
声のする方へ歩いても秋桜の花弁が揺れるだけ。

「おい、サル」

不機嫌な声。

「サルってゆーな」

少し怒った声。

姿の見えない二人の声だけのいつもの会話。

そんな二人に風が笑いかけ、日差しが揺れる。
秋桜たちは、大地母神が愛し子をその体内に迎え入れた喜びで、より一層輝きを増す。

「迷路だ」
「迷路だ」

答えれば、

「俺を捕まえてよ」
「なに?」
「鬼ごっこだよ、さんぞ」
「おい、サル、何勝手にほざいて…」

風が静寂を運んできた。
悟空の気配が、一瞬途切れる。
三蔵は忌々しげに舌打ちすると、悟空を捕まえるべく歩き始めた。




秋桜の迷路の鬼ごっこは、結局悟空が勝ったのか、三蔵が勝ったのか。

幕切れは悟空の盛大な腹の音だった。
そのあまりに大きな音に普段、滅多に声を出してまで笑わない三蔵が、本当におかしいと笑った。
三蔵の笑い顔に悟空は最初、恥ずかしいのと三蔵の笑いに怒っていたのだが、楽しげに笑う三蔵の笑顔に悟空もいつしか笑い、二人は声を上げて笑い合った。

ひとしきり笑った後、二人は笙玄が作ってくれた弁当を広げた。
悟空は食べながら、昨日の話や鬼ごっこの最中に見つけたモノの話を三蔵に話して聞かせた。
三蔵は時々相づちを入れながら、ゆっくりと食事をした。
大量にあった弁当のほとんどが悟空のお腹に治まり、片づけた後、二人は風に揺れる秋桜を何も言わずに眺めていた。

と、悟空は何かを見つけたのか、また、秋桜畑の中に駆け込んでいった。
だが、もう三蔵はその後を追わず、シートに横になると、空を見上げた。
秋特有の澄んだ高い空。
吐き出す紫煙が細い奇跡を残して空へ上がって行く。
遠くで悟空が生き物を見つけたのだろう、はしゃぐ声が微かに聞こえる。
長閑な時間を三蔵は、心ゆくまで楽しむ事にした。
愛しいモノのすぐ傍らで。






「悟空ーっ!」

三蔵の良く通る声が、秋桜畑に響いた。
すぐに秋桜を掻き分け悟空が、姿を見せた。

秋の日は釣瓶落とし。

空がほんのり夕焼けに染まっていた。

「帰るぞ」
「うん」

荷物を片づけ、背負いながら悟空は名残惜しそうに秋桜の花畑を眺めていた。

「行くぞ」

促せば、返事は帰るが、悟空は動こうとはしなかった。

「…また、来年一緒に来てやる」

くしゃっと悟空の頭を掻き混ぜると、三蔵は踵を返した。
離れがたい思いと三蔵と二度と来ないだろう思いに沈み込んでいた悟空は、三蔵の言葉に幸せな笑顔を浮かべた。

「うん、また来ような」

悟空は「またな」と、秋桜に手を振ると、先を行く三蔵の後を追った。




帰りの道、遊び疲れた悟空の足取りは危うかった。
ふらふらと、今にも転びそうで。
三蔵は見かねて、悟空の前に背中を向けてしゃがんだ。

「な、に?」

びっくりして立ち止まれば、

「おぶされ」

と言われた。

「いいの?」
「かまわん。このままだと帰り着く前に日が暮れる」
「うん、ありがと」

悟空はほわっと頬笑むと、三蔵の背中におぶさった。

「重くない?」

おずおずと聞く悟空に三蔵は

「相変わらず軽い」

とだけ答えると、歩き出した。
三蔵の歩くリズムと振動が、悟空を眠りへと誘い、悟空は三蔵の背中で眠ってしまった。




幸せな一日をありがとう。

楽しい時間をありがとう。

遠足という名の思いやりをありがとう。

この一時が、思い出となるように。



緩やかな日常の小さな心遣い。




end




リクエスト:悟空の遠足
19393 Hit ありがとうございました。
謹んで、濱本様に捧げます。
close