冷たい雨になった。
悟空は痛む身体を抱き込むようにして、岩影に蹲っていた。
三蔵達とはぐれてどれぐらい経ったのだろう。

「置いて・・・行かれたかなぁ・・」

呟きの漏れる吐息は、熱かった。

「・・・さんぞ」

今、一番会いたい人の名を小さく呟くと、悟空は疲れたように目を閉じた。




Extend




縺れるようにして崖から妖怪と一緒に落ちた。


落ちる寸前伸ばした手は、後少し三蔵に届かなかった。


しがみつく妖怪を振りほどけず、下まで落下した。
幸い崖はさほどの高さは無く、長く鬱そうと茂った草むらにしがみついていた妖怪をクッションにして落ちたらしく、思ったほどのダメージは無かった。
が、地面に打ち付けられた衝撃は強く、意識は闇に呑まれた。

気が付いた時には、周囲は右も左も判らない闇に覆われていた。。
起き上がって、身体の下の妖怪を探ってみたが、既に事切れているらしく、冷たさだけが触れた手に伝わってきた。
それと同時に、周囲に立ちこめる血臭によく助かったと驚く。
ほっと、息を吐いて痛む身体を押して立ち上がった悟空を軽い目眩が襲った。

「!!」

目を瞑ってやり過ごし、悟空はその場から少し離れた所に手探りで進むと、座り込んだ。

「何か・・・気分悪りぃ・・・」

胃の辺りがむかついて、吐き気がした。
が、吐く程でも無いのか、喉にこみ上げてくるもはない。
悟空は空を見上げたが、闇が広がっているばかりで、星明かりすら見えなかった。
しばらくぼんやりしていたが、吐き気も幾らかましになってきたので立ち上がった。

「暗くてよく見えないや」

軽く目を擦って、小さく笑うと歩き出した。
足下のよく見えない暗闇の中を三蔵の気配を捜して歩く。
いつもなら夜目の利く悟空だったが、何故か今は闇を透かしてものを見ることが上手くできなかった。
探り探り三蔵達を捜してどれくらい歩いただろう。
不意に、足下の地面の感触が消えた。

「へっ?!」

考える暇もなく、悟空は斜面を転がり落ちた。

「痛っっ!!」

ガツッと、岩にぶつかる音と共に悟空の身体は止まった。

「つぅ・・ってぇ」

ぶつけた痛みに文句を言いながら悟空は立ち上がろうとして、違和感に気が付いた。

「あれ?」

いくら星明かりも見えない闇夜でも、夜目が聞きにくいとはいっても、自分の手足、ほんの近くなら見えるはずなのに、何も見えない。

「あれ・・?俺・・・」

目の前に手をかざしてみて、やっと気が付いた。

「目・・・見えない?!」

擦ってみるが、何も見えてはこなかった。

「嘘っ!」

信じられないと言う顔で、何度も目を擦っては周囲を見回す。

「見えねぇや・・・」

諦めたように笑う。

「こんなんなったら、・・・置いてかれるなぁ」

諦めを多分に滲ませた声で呟く。
その自分の言葉に悲しくなってきた。

「・・・ヤダ」

目頭が熱くなる。
と、頬に当たる雨粒に気が付いた。

「あ、雨?!」

ぽつりぽつりと降り出した雨に悟空は、呆然とただそこに座っていた。











薄暗い雨の中を三蔵達は、悟空を探して崖下の林に下りて来ていた。


いつものように簡単に片づくはずだった。
それが、捨て身で悟空に組み付いた妖怪の一匹が、引き離そうとする悟空を引きずり、縺れるように崖から悟空もろ共、身を投げた。
伸ばされた悟空の手を後少しのところで掴み損ねた。
その後悔が、三蔵を苛む。
悟空のすがるような一瞬の顔が、忘れられない。
三蔵は、雨で湿って火の消えた煙草を投げ捨てると、再び悟空の姿を求めて歩き出した。

「三蔵!悟浄!!」

八戒の呼ぶ声に三蔵は、走った。
茂った木立を抜けると、八戒が呼んでいる姿が見えた。

「サルがいたのか?」

三蔵の出てきた反対の木立から悟浄が、走り出てくる。

「いえ、まだ。でも、一緒に落ちた妖怪の遺体はここにありますから、悟空もこの辺りにいると思います」

そう言う八戒の足下には、血まみれの身体を雨に打たせた妖怪の死体が、転がっていた。
その周囲に悟空の気配はない。

「ケガ、してないといいですけど」

周囲を見回しながら、八戒が心配そうに言う。

「打ち身ぐらいしてんじゃねぇの」

悟浄の言葉に八戒は、苦笑を漏らす。
普段、サルだ、ガキだと悟空をからかいの種にしている悟浄だったが、あのまっすぐな瞳の小猿を悟浄は悟浄なりに可愛がっていた。
軽口をたたいているようでその実、悟空のことを心配している。

「で、どーこ行ったんだぁ、サルは?」

濡れた髪を鬱陶しそうに掻き上げながら、悟浄が呟く。

「三蔵、どうします?」

指示を仰ぐように八戒は、三蔵を見た。
三蔵は、何かを見つけようとするように林の奥へ顔を向けている。

「三蔵?」

八戒が、訝しげに三蔵の名を呼んだ。

「何、サルの声でも聞こえる?」

にやにやと三蔵の顔を覗き込もうとした悟浄を押しのけると、三蔵は、林の奥に向かって歩き出した。

「三蔵、どうしたんです?」
「マジ?!」

呼び止める八戒の声と驚きに彩られた悟浄の声を無視して、三蔵は悟空の辿った道を歩き出した。











「置いてか・・ないで・・・・」

うわごとのように呟きながら、悟空は雨に濡れたまま、うつらうつらしていた。



「なあ、歌なんだぜ。雨の降る音は」
「まあた、言ってんのか。くだらねえ」
「くだらなくなんかない。ホントだかんな。すっげぇ優しいんだぞ」
「そうかよ」
「そーだよ」


あれは、何時だったろう。
三蔵と雨の歌のこと話したっけ。

雨の降る日の三蔵の様子が、心配で堪らなかった。
少しでも三蔵の気持ちが和むのなら何でも良かった。
雨の歌のことを話ながら、面倒だと言わんばかりの口調でも返事が返ってくるのが嬉しくて、三蔵の気分が紛れるのが何よりも嬉しかった。
今でも、雨の日に時折見せる三蔵の思い詰めたような空気が、悟空を不安にさせた。
こんな冷たい雨の降る夜は、特に・・・・。
それでも聞こえる雨の歌は、優しかった。
今は、その歌も置いて行かれるかも知れないという恐怖に塗られた悟空の心に届かない。
抱え込んだ膝に顔を埋めた悟空の呟きは、静かな雨の音に溶けて、消えた。


───三蔵・・・











濡れた草むらを掻き分け、三蔵は悟空の滑り落ちた斜面の縁に立った。
足下を見れば、滑り落ちただろう痕跡が、色濃く残っている。
その後を目で辿れば斜面に突き出た岩陰に小さな影が、踞っているのが見えた。
三蔵の後から来た八戒がその姿を認めた途端、悟空の元に駆けだしていた。
そんな八戒の姿を見送りながら、悟浄は三蔵の顔を見た。
三蔵は、出遅れたことを後悔するように小さく舌打ちすると、悟空の元へ斜面を下り始めた。
その様子に悟浄は、小さな笑いを漏らし、後に続いて下りて行った。



八戒は、岩陰に踞る悟空に呼びかけた。

「悟空、悟空!」

細い肩を揺すれば、ゆっくりと顔を上げた。

「・・・んっ、さん・・・ぞ」

八戒を見上げる顔は青ざめて、瞳は焦点を結んでいない。

「大丈夫ですか?わかりますか?」

軽く頬を叩きながら八戒は、呼びかけた。
触れる頬は、熱い。

「悟空、しっかり」

呼びかけを続けながら、八戒は悟空の傷の具合を手早く調べる。
そこへ、三蔵が悟浄と共に着いた。

「八戒、サルは?」

悟浄が、悟空を上から覗き込むようにして様子を窺う。

「ケガしてますが、大丈夫です」

答えながら、八戒は悟空の気をはっきりさせようと、呼びかける。

「悟空、立てますか?」

悟空の反応は、一向にはっきりしない。
こめかみの傷の所為かも知れなかった。
傷口の血は、固まっていたが、深く傷つけていることは、容易く見て取れた。
三蔵は、悟空の側によると、八戒に問いかけるような視線を投げた。

「酷くこめかみを傷つけています。それ以外は打ち身と擦り傷です」

三蔵の変わりに悟浄が、訊く。

「深いのか?」
「はい。かなり酷くぶつけたらしくて少し抉れてます。でも、大丈夫だと思います。ただ・・・」
「ただ?」
「意識がはっきりしていないようで、・・・三蔵?」

二人の会話を黙って聞いていた三蔵は、ぼうっと八戒の方を見ている悟空の傍らに膝を着いた。
そして、静かに名前を呼ぶ。

「悟空・・・」

その声に悟空は、怯えたように肩を揺らすと、声のした方に顔を向けた。

「・・・・さ・・んぞ・・?」

不安げに名を呼び、手が伸ばされた。

「ああ、ここにいる」

答えて、伸ばされた腕が一瞬、とまどい、法衣を掴んだ。

「悟空?」

訝しげな三蔵の声に、

「・・・さんぞぉ・・置いてか・・ないで」

すがるように訴えて、悟空は気を失った。
倒れる身体を受けとめながら、三蔵は、顔を潜めるのだった。











悟空が、意識を取り戻したのは、雨の中を発見されてからほぼ二日が過ぎようとする昼間だった。


意識のない悟空を連れて、ジープを可能な限り飛ばして、襲撃を受けた場所からすぐ近くの街に駆け込んだ。

こめかみの傷は、八戒がすぐに塞いではいたが、酷く頭を打っているので医者の一応診察を受けた。
身体の傷も、脳波にも異常は見られなかったので、安心はしたが、意識が戻らないことが心配事の最後だった。
八戒が付きっきりで看病していたが、悟空が目覚めたとき、三蔵と交代した所だった。

「気が付いたか?」

意識の戻った悟空の微かな身じろぎに、読んでいた新聞から顔を上げて、三蔵は声を掛けた。
寝起きの掠れた声で、三蔵を呼ぶ。
その声に三蔵は、新聞を寝台に置くと、悟空の側に寄った。
見下ろす黄金の焦点は、定まっていない。

「さんぞ・・・どこ?」

手を伸ばし、三蔵に触れようとする悟空の手は、三蔵の立っている場所とは全く違うところを彷徨っていた。
その様子に、三蔵は嫌な予感を覚えるが、すっと手を伸ばし、あらぬ方向を彷徨っていた悟空の手を掴んでやる。

「ここだ」

握られた手に悟空は、嬉しそうに笑顔を浮かべたが、すぐにすまなそうに顔を曇らせた。

「・・・ごめん。迷惑かけて」
「いい。今はケガを治すことだけ考えてろ」
「でも・・・」
「無い脳味噌でいらんこと考えるな。いいな」
「・・・うん」
「なら、もう少し寝ろ」

そう言いながら、三蔵は悟空の額に手を触れた。

「・・気持ち・・いい」

三蔵の手の冷たさに悟空が、ほっとした表情を浮かべる。

「熱が、あるな。ちょっと待ってろ」

そう言って、寝台から離れようとした三蔵は、法衣を引っ張られて振り返った。
悟空が、不安な表情で法衣の袂を握っていた。

「離せ。氷をもらってくるだけだ。すぐ戻る」
「・・・・・ん」

ゆっくりぎこちない動作で手を離す悟空の様子に三蔵は小さくため息を吐くと、悟空の上に覆い被さった。
そして、その額に軽く口づけを送ると、部屋を出ていった。
悟空は、額を押さえたまま顔を朱に染めて、上掛けで顔を覆っていた。











宿の主人に氷をもらって部屋へ戻る途中で、三蔵は買い物から戻ってきた八戒達と会った。
目敏く三蔵の持つ洗面器を見つけた八戒が、どうしたのかと訊いてきた。

「熱がある」
「悟空、気が付いたんですか?」
「ああ」
「よかった。熱だけですか?」

ほっと息を吐きながら話す八戒達と部屋に向かいながら、三蔵は八戒の質問に黙って頷いた。
扉の前で足を止めた三蔵に八戒と悟浄は、怪訝な顔をする。

「何してんだよ、部屋、入んねえのか?」
「三蔵?」
「いいか、悟空は目が見えてない」
「えっ?!」

三蔵の言葉に、一瞬、二人は耳を疑うが、三蔵がこんな時に嘘を付くはずもないと、思い直す。

「み、見えてないって・・三蔵、まさかケガの所為じゃ・・」

八戒の推測に、三蔵は頷く。
原因として挙げるならそれしかない。

「多分な」
「って、どーすんの?」

悟浄が、訊く。
その問いに三蔵は、答えず、それぞれに用事を言いつける。

「悟浄、お前、すぐ医者呼んでこい」
「あ、ああ」
「八戒、あいつの食えそうな物を作ってやってくれ」
「いいですけど、三蔵は?」
「大事な小猿の側に居てやるんだよな」

三蔵が答える前に、悟浄がにやついた声で答える。
その言葉に一瞬、三蔵の頬がさっと朱に染まる。

「あーら、図星?」

言った悟浄も驚く三蔵の反応に、どれだけ悟空のことを三蔵が心配していたのか、伺い知れた。

「喧しい!」

と言って、取り繕うように怒鳴った三蔵は、両手が洗面器とタオルの所為で塞がっていて、銃が撃てないことを真剣に悔やんだ。
その様子が、悟浄の言葉を肯定していると気が付いているのかいないのか、八戒は、胸の内で苦笑を浮かべる。

「今更、誤魔化しても遅いっつうの」

にやにやとからかうような笑みを浮かべながら言う悟浄に、今にも手に持った洗面器を投げつけそうな三蔵の様子に八戒は、慌てて割って入った。
これ以上、悟浄に何か言われたら、せっかくその気になった三蔵が、へそを曲げかねない。
そうなれば、置いて行かれるかも知れない不安に怯えている悟空が、悲しむ。
不安定な悟空を任せられるのは、八戒としては嬉しいかぎりなのだが、自分では不安定な悟空の原因を取り除くことはできない。
それが、わかっているからこそ、悟空の精神安定剤たるこの不機嫌な顔をした養い親にもう少し自覚を持って、悟空に接して欲しいと、腹立たしい思いを八戒は、抱いていた。
だから、割って入って三蔵に見せる笑顔は、完璧で、その声は限りなく穏やかだった。

「三蔵、悟空が待っていますよ」
「そーよ、小猿ちゃんが待ってるわよ」
「悟浄!」
「てめぇ、ぜってー後で殺す」

ふるふると身体を震わせて、三蔵は地を這うような声音で告げると、部屋へ入って行った。

「素直に俺が看病するから、手を出すなって、言やぁいいもんを・・・」

閉じた扉に目をやりながら、悟浄が言う。

「そうですね。でも、そこが三蔵ですから」
「って、怒ってない?」

八戒の不穏な空気を敏感に察して、悟浄はお伺いを立てる。

「いいえ、怒ってませんよ、僕は」
「そうか?」

にっこりと頬笑むその笑顔が、怒ってるんだろうがとは言わず、疑うような視線を投げるだけにする。

「はい。それより、悟空の目、大丈夫でしょうか?」

ふと、真顔になり、悟空のいる部屋の扉を心配そうに見やる。

「ああ、大丈夫さ」

悟浄はそう言って、荷物を抱え直すと、隣の部屋の扉を開けた。











医者の診断は、予想通りの物だった。


一時的な、失明。


ケガが完全に治り、体力が回復すれば元に戻るだろうということだった。
実際、先の検査で、脳にも視神経にも異常は見られなかったのだから、そうとしか診断できないことは判っていた。
それでも、それぞれが、それぞれを納得させる意味で、医者の診断は、必要なことだった。

「よかったですね、悟空」
「うん・・・」
「たくさん食べて、早く元気になって下さいね」
「ありがと、八戒」

けぶるような瞳で悟空は、はにかんだような笑顔を浮かべた。

「じゃあ、夕飯、何か美味しい物を作りましょうね」
「それまで、三蔵様に優しーく看病してもらいな」

そう言って悟浄は悟空の頭を撫でる。
悟空は、くすぐったそうに笑うが、いつもほどの華やぎはない。

「三蔵様は、俺達にお前の看病は、任せられないんだと。愛されてるぞーお前」
「えっ?!あ・・う・・・うん」

悟浄の言葉に悟空が、戸惑った様に頷く。
頷く悟空を見ながら、悟浄が、揶揄するような視線を三蔵に投げてよこした。
その視線の意味を知って、三蔵は懐に手を入れるが、見えない悟空を不安にさせるわけにはいかないと、必死の思いで銃を抜くことを思いとどまる。
そんな三蔵の姿を八戒は、微笑ましい物を見るような気分で眺めていたが、これ以上ほっておくと、三蔵のただでさえ細い堪忍袋の緒が切れかねないと、するりと悟浄の腕をとった。
不意に腕をとられた悟浄が「何だ?」という顔をするのににっこりと笑うと、八戒は何か言いたげな悟浄を連れて部屋を出て行った。
二人の出て行った気配に悟空は、身体の力を抜くと、深く寝台に身体を沈めた。

「疲れたか?」

寝台の端に座って、三蔵が悟空の様子を窺う。

「ちょっと・・・見えないと何かさ、恐いし、緊張するみてぇ」
「そうか」
「うん」

頷いた悟空の額に三蔵は、絞ったタオルをのせた。
その冷たさに悟空は、気持ちよさそうに息を吐くと、笑った。
愁いを含んだ笑顔。
その笑顔を見ながら、三蔵はそっと、息を吐く。




驚愕と一緒にすがるように伸ばされた悟空の腕。
手が届かず、崖下へ落ちる悟空を見た。

冷たい雨の中、あの時のことが甦ってくる。
大切な人を失ったあの時のことを。

雨の中探す身体が震えた。
掴み損ねた悟空の手。
何度も甦る、落ちる寸前の悟空の顔。

妖怪の死体をみつけた時、一瞬、息ができなかった。
そこに悟空の骸がない、それだけにすがるように悟空の気配を探した。


胸の内にある悟空の声。
その声を頼りに悟空を探す。
今、胸の内に広がるどす黒い不安を押さえる唯一の希望。


それが”声”。


日頃は、気にもとめない悟空の声。
二人が出会うきっかけをくれた声。


その自分を呼ぶ微かな声に逸る気持ちを抑えて、悟空の姿を求めた。



見つけた姿は、酷く小さく見えた。
そして、見つけた時の嬉しさ。
生きていてくれた、それが全て。

すがりついた腕を、抱き留める腕の中で意識を失った悟空の身体の温もりに、震える自身に、どれ程この存在を失うかも知れないという恐怖に、囚われていたかを思い知る。




そして今、目の見えなくなった悟空は、置いて行かれるそのことを恐れて、怯えていた。

足手まといは、置いて行く。
それは、この旅の暗黙のルール。

だからこそ、悟空は、目の見えなくなった自分は、足手まといになると、置いて行かれると判断した。
誰よりも一人になることが恐い、この小猿が。
その恐怖が、無意識に置いて行くなとすがる。
見えないけぶるような黄金の瞳で訴える。
そんな瞳に誰が、逆らえるのだろう。




三蔵は、うとうとしかけている悟空の顔に自分の顔を寄せると、悟空にだけ聞こえる声で告げた。
それと同時に落とされる口づけ。
その口づけに悟空は、ほころぶような笑顔を見せ、その言葉に一筋の涙をこぼした。
それを息のかかる距離で見た三蔵の口元は、満足げな笑みを浮かべていた。

身体を離すその時に、もう一度口づけは悟空に舞い降り、何もかもを包む声が、悟空を眠りの縁に誘う。
穏やかな寝息を立て始めた悟空の寝顔を三蔵は、しばらく見つめていた。


何ものにも代え難い愛しい存在。
失う恐怖に思い知った。
差し伸べたこの手を掴んだこの無垢な存在を離すものか。
たとえ、この身がどうなろうと。
掴んだこの手は、二度と離さない。

「早く、治くなれ・・悟空」






その後、三蔵には珍しく、悟浄のからかいも八戒の笑顔攻撃にも、切れることもめげることもなく、悟空の完治まで、悟空の世話を焼いた。
そのことは、長い間、かっこうの三蔵をからかうネタになった。
そこには、怒りに震える三蔵と幸せそうに笑う悟空の姿が、常にあった。




旅は、まだ続く。




end




リクエスト:対のお話。三蔵と悟空の二人で、相手の何かが欠けた場合のお話
7777 Hit ありがとうございました。
謹んで、雪 夜様 に捧げます。
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