小さなもみの木に 今夜は異国の神様の誕生日。
|
A Little Fir |
十二月。 師走。 年の瀬。 大晦(おおつごもり)。 寺院は忙しい。 広大な敷地に点在する本堂を初めとする無数の建物のすす払いに始まる一連の年末行事に、修行僧達は駆り出される。
朝から三蔵は、側係の笙玄の監視の元、逃げ出すこともままならず、入れ替わり立ち替わり挨拶に訪れる住職達の挨拶を受けていた。 「ご尊顔を拝し、恐悦至極でございます」 不機嫌な顔もできないが、頬笑むことなど爪の先程も思わない三蔵は、静かな無表情を決め込んで機械的に頷いていた。 前に立つ住職達はみな、同じ顔。
三蔵が忍耐の限界に挑んでいる頃、昨年、とある事件で知り合った八戒と悟浄に会うために、悟空は寺院の麓の街に下りていた。 新年まで、後一週間。 街は、色とりどりの煌めく飾りで飾られ、通りは様々な買い物客で賑わっていた。 「悟空」 目に鮮やかな紅い髪の男と、優しい微笑みを湛えた男が悟空を呼んだ。 「八戒、悟浄」 二人を見上げる悟空に八戒が、穏やかに訊ねる。 「ううん、そんなに待ってねえよ」 ほっとしたように笑う八戒の笑顔に悟空の笑顔が深くなる。 「三蔵サマはどーした?」 と、にやにや笑いながら訊いた。 「仕事。ずーっと」 答える悟空は、つまらなそうに口を尖らす。 「そうですか。じゃあ僕たちは、三蔵の分まで遊びましょうね」 八戒が、楽しそうに告げる。 「そーだな。忙しい三蔵なんかほっといて、遊ぼうぜ」 悟浄が、面白そうに言った。 「うん」 頷く悟空に笑顔が、戻った。 「じゃあ、まず食事をしながら何するか決めましょう」 八戒の提案に悟空は万歳をすると、八戒の腕に飛びついた。
食事が終わり、悟空がデザートを食べながら話す三蔵の話を聞きながら、八戒と悟浄は目の前の小猿を愛しげに見つめていた。 「さて、悟空、これから何しましょう?」 にこにこと八戒が、食べ終わった悟空に訪ねた。 「おう、いいぜ」 煙草を灰皿に押しつけ、悟浄が頷いた。
赤、緑、白、金、銀。 様々なものが、悟空を不思議な世界へと誘う。 店のショーウィンドウのとりどりのお菓子や煌めく飾りに、悟空はその金色の瞳を輝かせて見つめた。 「なあ、何でこんなに街ん中、綺麗なんだろ」 不思議そうに八戒と悟浄を悟空は振り返った。 「えっ?」 八戒がびっくりした顔をした。 「八戒・・・・?」 どうしたのかと、コートの裾を引っ張って、悟空が訊く。 「あ、いえ。悟空、今日が何の日か知っていますか?」 と、反対に八戒が悟空に訊いてきた。 「さんぞが、寺のじゅーしょくの爺ちゃん達から挨拶を受ける日。んで、さんぞの機嫌の悪い日」 誇らしげに胸まで張ってしまう。 「違うの?」 固まった二人の様子に悟空は、間違った答えを言ったのかと、上目遣いに二人を伺う。 「・・・って悟空」 どう言ったものかと八戒が、ため息混じりに言いかけた言葉は、悟浄の笑い声に遮られてしまった。 「ってぇな、サル」 ガキ呼ばわりされて、言い返そうと身を乗り出した悟空は、”クリスマス”と言う耳慣れない言葉に、出鼻をくじかれた。 「くすります?」 不思議そうに聞いてくる悟空に八戒は、苦笑を押さえきれない。 「ごめん、。知らない・・・ごめん」 うつむいてしまった悟空の頭を悟浄が、軽く撫でる。 「一緒に来てください」 そう言った。 「えっ・・・」
穏やかな笑顔を浮かべた八戒に導かれるように悟空は、小さな教会に連れて来られていた。 教会は煉瓦造りの建物で、真ん中の建物を挟んで鐘楼が二つ建っていた。 扉の正面に作られた色とりどりのステンドグラス。 「悟空、さ」 八戒に肩を抱かれ、悟空は祭壇の下まで近づいて行った。 「・・・この人、誰?」 キリストの像を見上げたまま、八戒の説明を聞く悟空の瞳が、微かに潤んでいた。 「八戒、も少しここにいてもいい?」 胸の辺りを握りしめ、キリスト像を見上げたまま、悟空は消え入りそうな声で八戒にいった。 「ええ、構いませんよ」 頷きながら八戒は、悟空を見やった。 「あいつ、初めてか」 お互いに見交わして、小さく笑い合った。
白いコートに白いマフラー。 静かに教会の空気に溶け込むように佇む子供は、そのまま空気に溶けて、消えそうな錯覚を傍で見ている二人に起こす。 「悟空、そろそろ行きますよ。三蔵との約束の時間に遅れますから」 八戒の声に返事をしても、悟空は動こうとはしなかった。 「おい、サル。行くぞ」 悟浄が出口に向かいながら声を掛ける。 「うん・・・」 魅入られたように佇む悟空。 「さ、悟空」 八戒に引っ張られるように悟空は、祭壇の前を離れた。
寺院へ帰る道すがら、先程とはうって変わって静かになった悟空を心配げに見つめながらも、どうやって気分を元に戻してやれるのか、八戒は考えあぐねていた。 「?!」 びっくりしたような不思議そうな顔で、悟浄とその包みを交互に見た。 「やる。開けて見ろ」 おずおずと差し出された手に、その包みを悟浄はのせてやった。 「何、これ?」 街の街灯に照らされて星が、小さな光を放っていた。 「・・・きれい。ありがと、悟浄」 はんなりとした笑顔を悟空は、悟浄に向ける。
三蔵は、知っているのだろうか。
細い三日月に導かれるように、三人は黙って、三蔵の待つ寺院へ向かって歩き続けた。 「悟空?!」 八戒が捕まえようと手を伸ばした。 「三蔵」 八戒の耳元に囁く。 「くそ坊主が!」 今度は悟浄の顔のすぐ横を熱い風が、通った。 「サルの相手をして、これが礼か?」 三蔵の不機嫌な声が、返ってくる。 「てめえ、この・・・」 言い返そうとする悟浄を押さえ込むようにして八戒は、二人に背を向けた。 「八戒、悟浄ーっ!ありがとうーっ!!」 元気な悟空の声に八戒は、今夜何度目になるかわからない苦笑を浮かべた。
窓辺に樅の木を飾る悟空を居間の長椅子に座って、三蔵は黙って見つめていた。 「さんぞ、今日は何の日か知ってる?」 振り返らないまま悟空が聞いた。 「今日?」
「わかんない?」 振り返って、楽しそうに聞いてくる。
小猿は、何を持って帰って来た? そこで、翠の目をした男のことを思い出した。
いらんことを
窓辺に座って答えを嬉しそうに待つ悟空を見やって、三蔵はため息と共に答えた。 「異国の救世主の誕生日」 三蔵の答えに悟空は、その瞳を見開く。 「何で?何で、知ってんの?」 答えない三蔵に悟空はじれる。 「なあ、さんぞ」 自分に近づいてくる三蔵の姿を目で追いながら、悟空は理由を聞くことを止めない。 「さんぞ・・・」 答えない三蔵の僧衣を掴む。 「昔、な。旅の途中で見たんだよ」 悟空の丸い頬を指でたどりながら、ようやく答える。 「そっか。じゃあ、あいつは見た?十字架に磔にされてる・・イエス・キリトス」 金の瞳を輝かせて、話す。 「俺、そいつを見たとき何か胸がぎゅって痛かったんだ。んで、三蔵を思いだしたんだ」 悟空を見つめる紫暗が、先を促す。 「ぜってーないって思うのに、いつか三蔵もイエスってヤツみたいな事するんじゃないかって思っちゃって、だから・・・」 その先は、三蔵の口づけに飲み込まれた。 「・・・さんぞ・・」 静かに告げられる言葉に悟空は、微かに頷く。 「うん、さんぞ」 はんなりと頬笑む悟空の儚げな笑顔に三蔵は、口づけを落とす。 「・・・さん・・ぞ」 間近に覗く紫暗の瞳は、穏やかな光を宿し、身体を辿るその手は優しく悟空を包んでゆく。 「傍に居てやるよ」 囁きは悟空の身に溶けて、全身に染み込んでゆく。 静かに降り積もる愛しさの数だけ、長く傍に居られることを願って。
end |
close |