広い公園があった。
そこはちょうど天帝の居城と観世音菩薩の居城との中間に位置していた。
菩提樹を中心に桜、沙羅双樹の木が植えられ、そこ此処に東屋が設けられ、瀟洒なベンチもそこかしこに置かれた、整然と整備された公園だった。
その公園のほぼ真ん中に大きな噴水があった。
白い大理石で造られた三重に重なる噴水。
常に空へ高く水を吹き上げ、水のベールが日差しに煌めいて虹を創っていた。
子供はその噴水の縁に立って、平均台よろしく両手を広げて危ういバランスで歩いていた。
落ちそうで落ちない、バランス。
身軽い動きで、その縁の上を跳ねたり、飛び降りたり、飛び乗ったりと遊んでいた。
公園で飼われている鳩が、時折、子供の頭に止まったり、肩に止まったりする。
子供はそのたびにくすぐったそうに笑い声を上げる。
やがて鳩に急かされるように子供は噴水の縁に座ると、腰にぶら下げていた袋を取った。
袋の口を開け、中に手を突っ込んだ。
その手を出すと、パッと空へ投げる。
それは、米焦がしの粒。
子供にねだられて、子供の養い親が用意したものだった。
少し前、滅多に外に出ない子供の養い親が子供と一緒に散歩にこの公園に来た時、鳩にエサをやる親子連れを見て、子供があれを自分もやりたいとごねたことに始まる。
その時、駄々をこねる子供に養い親は、その美しい眉間にしわを寄せ、次に来た時に必ずエサを持ってくることを約束して、子供を納得させたのだった。
そして今日、我慢のきかない子供に押し切られる形で鳩のエサを持って、公園に出向いていたのだった。
噴水の側で遊ぶ子供から少し離れたベンチに養い親は座って、子供の楽しげな様子を所在なげに眺めていた。
午後の日差しが、養い親の金糸の髪を黄金色に輝かせ、紫の瞳は光を受けて柔らかな色を見せていた。
子供の蒔くエサに鳩が寄ってくる。
鳩は子供の頭に止まり、肩に手に止まり、エサをねだる。
子供はそんな鳩の羽ばたきをくすぐったそうに首を竦めて笑う。
幸せな光景だった。
その姿を男は、楼閣のテラスから見つけた。
天帝に気まぐれに呼び出され、衆目の中に曝され、嘲られる。
恥ずかしい奴と、いたぶられ、貶められる。
目眩を起こすような羞恥に耐え、神経をすり減らす天帝との謁見。
その気晴らしに登った楼閣は、ちょうど公園の噴水の辺りが見渡せる所にあった。
見下ろす公園は明るい日差しに溢れ、愛しい子供の日溜まりのような笑顔がよく映えた。
鳩に集られるようにしてエサをやる姿に、男の口元がほころぶ。
落ちるぞ
鳩に押されるような格好になっている子供の様子に、男はハラハラするより噴水の中に落ちた子供の姿を思って顔が自然に笑ってしまう。
片手に持っていたエサ袋の中に一羽の鳩が首を入れた。
それに気づいた子供がその鳩を袋から離そうとして、バランスを崩した。
やった
背中から子供は噴水の中に落ちた。
水しぶきが上がり、鳩が一斉に飛び立つ。
子供は水をまき散らして水中から顔を出した。
男はその様子があまりにも想像通りなので、笑いが止まらない。
濡れて張り付いた髪を掻き上げた子供の額の金鈷が、金色の光を放つ。
噴水の中に座り込んだ子供の頭上に戻ってきた鳩が、一羽止まった。
それまでびっくりしていた顔が途端にふくれっ面になる。
噴水の周りに戻ってきた鳩に子供は、噴水の中に浸かったまま頬を膨らませて文句を言っている。
鳩はその丸い目を子供に向けて、小首を傾げた。
そんな鳩に苛立った子供は水を掬うと、鳩めがけてかけた。
すると戻ってきた鳩が驚いてまた、一斉に飛び立った。
子供はその様子に声を立てて笑うと、気が済んだのか、バシャバシャと水を掻き分けて、噴水から出たところで、養い親に首根っこを捕まえられた。
ばつの悪そうな顔で子供が養い親に怒られている姿を男は、顔をほころばせて見つめていた。
また、怒られて。懲りんヤツめ
養い親は怒りながらも自分の着ていた上着を脱ぐと、子供にかけてやった。
子供は上着にすっぽり包まれて嬉しそうに笑うと、不意に養い親に飛びついた。
養い親は飛びついた子供を不機嫌な顔で受け止め、何か子供に告げた。
その言葉を受けて子供の顔が大輪の花のような笑顔に変わった。
その二人の姿に男は、胸の痛みを覚えた。
どんなに子供と会って話をしようとも、子供に笑顔を向けられようとも決して手に入れられない存在だと改めて知る。
「…悟空」
子供の名を呼ぶ。
届かない声。
子供は養い親の上着をまとい、手を引かれて観世音菩薩の居城の方へ戻っていった。
子供をその目に移すたびに思いは募る。
子供と会う度に欲望は溢れてゆく。
手に入らないが故に欲し、手に入らないが故に願う。
子供の養い親のあの金色の男が憎らしい。
子供の触れる全てのものが憎らしい。
この手に捕まえて、閉じこめておきたい。
楼閣から見下ろす公園は、愛しい子供の姿がなくなっただけで男の目には色褪せて見えた。
風に香る仄かな花の香りに男は、ため息を一つ吐くと、楼閣を後にした。
ささくれた心が子供の笑顔によって癒され、子供笑顔によって己の孤独を知る。
手に入れたい宝。
壊したい宝。
思いばかりが先走る。
そんな自分に我知らず嘲りを含んだ歪んだ笑いが男の顔を彩る。
静かに歩む男の両手の鎖が乾いた音を立てた。
そして、誰も待つ者のいない場所へ帰る男の足取りは、天帝に呼び出されて城に向かう時より重たかった。
何より子供の無邪気な笑顔が、その胸に痛みを残し、孤独の影を濃くしていた。
明日は子供との約束の日。
思いを遂げる日。
end
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