長い葬列が墓地まで続いていた。
本来なら葬儀など出されることもなく、内々で処理される事柄だったのだ。
だが、きちんと見送りたいと、強固に望んだ者がいたのだ。
その者の名前は、孫悟空。
巨大コングロマリットの次期総帥を約束された少年。
大地色の髪に稀なる黄金の瞳。
まだ十八才の小柄な幼さの色濃く残る少年だった。
悟空が見送る葬列は、つい昨日まで悟空のボディーガードを勤めていた男のものだった。
金色の髪に紫暗の瞳の男。
悟空が生まれた時からその身辺警護の為におかれた人間だった。
兄弟のように育てられた。
いつも側に居て、巨大な責任の重圧にともすれば押しつぶされそうになる悟空の気持ちを支えてくれた。
ぶっきらぼうで優しい太陽のように悟空を照らしてくれた、大切な人。
大きくなる事業の裏で、苦汁をなめる人間が居る。
逆恨みする人間もいる。
成功の影には必ずつきまとう影。
その影の中から生まれてくる悪意は、時に悟空を危険にさらした。
そんな危険から悟空を守ること、それが男が悟空の側に居る理由の全てだった。
だから、危険にさらされ、救う手だてが己の身体を投げ出すことしか無かった時、男は躊躇うことなくその身体を投げ出した。
まだ幼い大切な子供を置いて逝く、そのことだけが心残りだった。
それでも、この純粋で綺麗な子供を守れるのなら、大した事では無いのだ。
涙で曇る子供の黄金の円らを愛しげに見つめ、男は子供の腕の中で逝ってしまった。
だからこそ、子供は望んだのかもしれなかった。
大切な男の死を自分に納得させるために。
「…三蔵……」
埋葬され、真新しい盛り土の上に白い墓標が立てられる。
その根元に色とりどりの花を手向け、子供は泣き崩れた。
それが僅かひと月前の事だった。
今、目の前に三蔵と全く同じ姿の人間が、悟空の前にいた。
同じ声で、同じように不機嫌に悟空の名前を呼ぶ。
同じ金糸の髪に紫暗の瞳で悟空を見つめる───三蔵のクローン。
受け入れられない。
なのに、このクローンのことが気に掛かる。
それでも、受け入れるわけにはいかなかった。
何だというのだろう。
微睡む世界から起こされ、連れてこられた大きな屋敷。
目覚めた時、聞かされた仕事の内容。
それは子供のボディーガード。
大地色の髪の黄金の瞳の子供。
初対面から敵意剥き出しの子供。
口をきかない。
言うことを聞かない。
そんなことはどうでもよかった。
気にもなりはしない。
だが、たった一つ、三蔵の神経を苛つかせる許し難いものがあった。
視線。
まるで汚いものでも見るように自分を見つめる瞳。
金色の大きな瞳に敵意と侮蔑を滲ませて。
今日もそうだ。
身内の中に悟空の命を狙うものが居ることが最近、わかった。
安全なはずの自宅すら、安全では無くなった。
この家の当主と自分以外は誰一人信用できなくなったと言うのに、悟空は勝手な行動を止めようとはしなかった。
冗談じゃねぇぞ
内心の苛つきを隠して、今日も一人で外出しようとするのを止めた。
「どこへお行きになられるのです?」
「どこだっていいだろう」
「お一人での外出は、控えて下さるようにお願いしたはずです」
腕を掴んで、行かせまいとする三蔵を悟空は睨みつけると、その手を振りほどいた。
そして、踵を返す。
「どこへ…」
「もういい!部屋に帰る」
「悟空様!」
「触るな」
尚も伸ばされる三蔵の手を振り払って、悟空は自室へ向かった。
その足早に去って行く後ろ姿が、頑なに三蔵を拒否していた。
小さく舌打ちして、悟空の後を追いかけようとした三蔵に背後から声がかけられた。
「なかなか嫌われたものだな」
振り返れば、悟空の今は亡き父親の弟に当たる男が、にやにやと三蔵の感に障る笑顔をその肥大した顔に張り付かせて立っていた。
「これは、珪文様」
軽く頭を下げれば、珪文は尊大な態度で頷く。
「やはり、偽物では気に入らないと、いうことだろうな」
「どういう意味でしょうか?」
「言った通りの意味だよ」
「わかりかねますが?」
「偽物はしょせん本物にはなり得ないという事だ」
珪文の言葉に三蔵は僅かに紫暗を眇めて、身の内に沸き上がってくる怒りを抑える。
「これ以上悟空に嫌われて研究所に返されないように、悟空のご機嫌取りに励むことだな」
三蔵は侮蔑を含んだ珪文の言葉を聞きながら、殴り倒したい衝動を両手を白くなるほど握りしめることでようやく耐える。
珪文は、秘書の李塔天を促すと、あからさまな侮蔑を込めた笑い声を残し、去っていった。
その後ろ姿を叩頭して見送る三蔵の紫暗の瞳は、抑えきれない怒りに染まっていた。
湿り気を帯びた風が、悟空の大地色の髪を撫でて行く。
部屋へ戻る振りをして屋敷を抜け出してきた。
息が…つまる…
三蔵が側に居るだけで、呼吸が苦しくなる。
あの冷たく澄んだ紫暗に見つめられると、どうしていいかわからない。
三蔵は…死んだんだ
血の気の失せた白い顔で、でもとても穏やかな顔であの丘の静かな墓地で眠っている。
そう、彼だけが三蔵なのだ。
今、自分の側に居るあの三蔵は違う。
同じ顔でも、同じ声でも、どこが同じでも、全く違う。
なのに・・・・
嬉しくない…あいつは三蔵じゃないんだ…か…ら……
好意を抱き始めてる自分が許せない。
同じ姿で側に居る三蔵が許せない。
悟空は持て余す思いをため息に載せて、青く澄んだ空を見上げた。
「失礼致します」
部屋に戻っているというその言葉を信じて悟空の居室を覗いてみれば、部屋はもぬけの殻だった。
あんのくそガキ──!
手荒く扉を閉めると、三蔵は悟空を探して走り出した。
冗談ではない。
あの子供に何かあったら自分の存在が、許せなくなる。
許せなくなる…?
いつもいつも人のことを汚いものでも見るように睨みつけ、口を開けば逆らう言葉しか吐かない。
だが、見てしまったのだ。
夜半、寝苦しさに風に当たりに出たテラスで。
悟空の居室のバルコニーで声を殺して泣く姿を。
華奢な肩を震わせて、何かを求めるように夜空に両手を差し出して、届かぬ思いに打ちのめされて泣くその姿を。
三蔵のオリジナルが死んだ理由は、悟空に合う前に聞かされた。
悟空を取りまく事柄全ても聞かされた。
味方の誰一人いないそんな環境で、あの子供は大きくなった。
生まれた時から約束されたその地位のために、子供を取りまく大人達の思惑から少しでも守るために、オリジナルは悟空と共に育てられた。
両親と三蔵の愛情を一身に受けて、悟空は綺麗な心のまま大きくなった。
吟味され、選りすぐられたものを与えられ、教育されて。
味方の居ない環境を意識することなく、明るく素直に大きくなった。
だが、いま三蔵の目の前にいるのはそんなことはウソでした、と言われた方が信じられる子供だった。
レクチャーを受けた時に見た悟空の写真は、どれも無邪気に大輪の花のような笑顔を振りまいていて、見ているものを幸せな気持ちにしてくれるものばかりだった。
だから、実際に会った悟空が見てきた写真とかけ離れた表情で自分を見返すことが、三蔵には信じられなかった。
と同時に、悟空の口から放たれた言葉が、三蔵の胸に刺さって抜けないトゲになった。
「お前なんか、三蔵じゃない。俺の側に来るな」
身体を振るわせ、怒りも顕わに黄金の瞳で紹介された三蔵を睨み据えていた。
それでも、三蔵は仕事と、悟空の側に付き従った。
悟空に対する怒りが治まってよくよく悟空を観察すれば、頼りなげに瞳を揺らして、科せられた重責に立ち向かう姿が目につくようになった。
そんな時に見たバルコニーでの悟空の姿。
月光に溶け込んでしまいそうに儚げだった。
その姿と涙が、三蔵の心を違うもので埋め尽くした。
だから────何かあったら、自分が許せなくなる。
三蔵はバルコニーへ出ると、眼下に広がる庭を見渡した。
南の端の植え込みに、悟空の姿を認めた。
まずい!
三蔵は悟空が格好の標的に見えた。
遮るもののない無い庭で、無防備に立つその姿が。
三蔵は屋敷を迂回するよりはと、二階に位置するバルコニーからその身を躍らせた。
ぼんやりと綺麗に整えられた足下の花壇の花を見つめていた。
と、痛いほどに腕を掴まれて、振り向かされた。
「なっ…」
目の前に三蔵の焦った顔があった。
「こんな警備の薄い場所で、お一人で何をなさっているんですか!」
怒鳴る三蔵の姿に悟空は一瞬、無防備な顔をさらす。
が、すぐに三蔵を睨み返すと、掴まれた腕を振りほどいた。
「悟空様!」
呼び止める三蔵を無視して、悟空は庭の奥へと向かう。
こっの──ぉ!
三蔵は立ち去る悟空の後を追うと、もう一度その腕を掴んだ。
「てめぇ、俺のことが気にくわねえならそれでもいい。だがな、ちったあ自分の立場を考えやがれ。てめぇの勝手な行動が、いろんな奴に迷惑をかけるんだって事もわかんねぇのか、このクソガキ」
───いろんな奴が、お前を守ってるんだ。ちったぁ、考えて行動しろ、サル
「お前は、誰がどう言おうとこの家の跡取りなんだよ」
───この家の財産とお前のじいさまが頑張ってる会社は、全てお前が引き継ぐんだから、覚悟しとけよ
掴まれた腕を今度は振りほどくこともせず、悟空はその黄金の瞳を零れんばかりに見開いて、三蔵の言葉を聞いていた。
そして、
「──…っ…その声で同じ事…言うんだ…」
薄い幕を張った瞳を揺らせて呟く。
「……?」
見やれば、悟空が小刻みに震えて三蔵を見返していた。
「おじいさまは、何で……何も、誰も三蔵の代わりになんかならないのに…なるわけないのに、どう…して…」
「オリジナルが、お前のお気に入りだったからだ」
三蔵の言葉に悟空は、きっと唇を噛むと、力一杯三蔵を振りほどいて、突き飛ばした。
「違う!三蔵は、三蔵だったんだ。誰よりも大事で、大好きだったんだ!それを死んだからって、死んだからって…そんなの…」
言葉は、こぼれ落ちる涙で途切れてしまう。
涙ながらの悟空の言葉に、三蔵の中で抑えていた何かがふっつりと、切れた。
泣き濡れる悟空の腕を再び掴み、今度は抱きすくめる。
抗う悟空を押さえ込むようにして、その唇を奪った。
逃れようとする頭を後ろから押さえつけ、貪るようにその唇を、口腔を蹂躙した。
抗う悟空の動きが治まり、三蔵にすがりつくまで、強引な口付けは続いた。
だが、唇を離した瞬間、悟空の平手打ちが三蔵の頬を打った。
息を荒げ、三蔵を睨み据える瞳が、黄金色の炎のように閃く。
三蔵はそんな悟空に、満足そうな笑いを口の端に浮かべた。
その笑顔に悟空は唇を噛むと、三蔵に背を向けた。
その肩に、光が跳ねた。
それは、ほんの一瞬で、永遠の時間のような気がした。
庇うために投げ出された身体。
その身体をまた、庇うように差し出される身体。
身のうちに走る痛みは、撃たれた痛みか、失う痛みか。
血塗れた身体を抱き留める腕が、重かった。
抱き留める身体が、軽かった。
人々の怒号と喧噪と。
罵る声と悲痛な容。
呪詛と怨嗟と欲望と。
全てが終わった時、心はひび割れ、乾ききっていた。
青ざめた顔を痛みに歪ませて、それでも悟空は三蔵の無事を訊いてきた。
荒い息の下、三蔵の無事を知ると意識を失った。
自分がターゲットだということを完全に失念した、悟空の信じられない行動だった。
守られるべきものが、守るべきものを守ろうとする、それに三蔵の思考は一時、麻痺してしまった。
腕の中の悟空の流す血を見た後の記憶が、判然としない。
だが、周囲の人間の三蔵に向けられる言葉や態度から、悟空を撃った犯人は捕まったと知れた。
悟空の暗殺を命じた大元は、逃走のために蜥蜴がしっぽを切って追っ手をまくように狙撃犯の逮捕とそれに属するものの捕縛の影で、逃れてしまったらしかった。
そして、一緒にいながら悟空にケガを負わせた三蔵にも非難が、浴びせられた。
その非難を悟空の祖父である光明が、一蹴してしまった。
考えの読めない柔和な笑顔を湛えて。
「悟空が自分で三蔵を庇ったんです。三蔵に非はありません。これも悟空にはよい経験となりました。私は、そんな経験を悟空にさせてくれた三蔵に、感謝します」
集まった親類縁者、会社役員などの前で、ごく当然のごとく。
そんなことを漏れ聞いた屋敷の使用人が、悟空に付きっきりで看病する三蔵に荷物を届けに来たついでに話して行ったが、今の三蔵にはどうでもよかった。
撃たれた傷は幸いに、急所を外れていた。
出血は酷かったが、手当が早く大事には至らなかった。
だが、意識だけが戻らなかった。
まるで、目を覚ますことを拒否しているように三蔵には思えた。
このまま一度も目を覚ますことなく、オリジナルの所へ逝ってしまうのではないか。
そう思う己の思考に、戦慄した。
悟空は、撃たれる前言ったではないか。
オリジナルが、何より大事で、大切だと。
零れる涙を拭うこともせず、三蔵の腕の中で言い放ったではないか。
お前は、違うと。
その言葉に我を忘れた。
貪るように触れた悟空の唇は、目眩がするほど甘かった。
抱きしめた身体は、自分のために在るように、腕の中に収まった。
離したくない。
オリジナルなんか忘れさせてやる。
目も眩む嫉妬に三蔵は、己が気持ちを自覚したのだ。
滑稽なほど、この子供に惚れていることに。
悟空から与えられるものが、拒絶だけだったというのにだ。
口付けの後、悟空の平手が頬に飛んだ。
睨み返してくる黄金の瞳が、燃え立つような怒りに染まっていた。
その瞳すら愛しいと思った自分に苦笑が漏れた。
そして、思う。
この愛しい存在が目覚め、元気になるのならどんなことでもしてみせると。
目の前のベットに横たわる悟空の目覚めをただ、ひたすらに三蔵は願うのだった。
見慣れない白い天井が見えた。
しばらく見つめて、横を向いた。
そこには四角く切り取られた風景が見えた。
反対側を向いた。
そこには、金色の海が見えた。
瞬いて、もう一度見れば、それはあの三蔵の寝顔だった。
三蔵…?
疲れ切った面差しが、三蔵の憔悴ぶりを悟空に伝えていた。
そして、ようやく自分がどこにいるのか、理解した。
そうだ、悟空を庇う三蔵を庇って撃たれたのだ。
焼け付く痛みに薄れる意識の端で、三蔵が真っ青な顔をして叫んでいるのを見た。
無事…だったんだ…
自分が眠っているベットの端に身体をもたせかけたまま眠っている。
三蔵が、無事でよかったと思う。
悟空は、はんなりとした微笑みを浮かべた。
拒み続けた、存在。
それでも、三蔵が戻って来てくれたようで嬉しかった。
付き合えば、三蔵と似て異なる部分が酷く多くて。
同じなのに違う、三蔵に惹かれてゆく自分が、どうしても許せなかった。
そう思う端から、目の前の生きている三蔵を好きになってゆく。
受け入れたいけれど受け入れるわけにはいかない想いに、押しつぶされそうだった。
だから、反発した。
少しでも三蔵を遠ざけようと、努力した。
自分の側にいれば、また、同じ事が起こるから。
なのに、三蔵は離れて行くどころか、益々片時も側を離れないようになって。
胸の痛みは、嫌が上にも増して、愛しい分だけ憎しみが生まれて、自分の思いなのに自分でどうにも出来なくなってしまっていた。
ただ、救いは、三蔵が自分のことを嫌っていることだった。
それなのに・・・・・。
撃たれる前に三蔵が自分に与えた強引な口付け。
そこから伝わる三蔵の想い。
その焼け付くような想いに、抗う気持ちが根こそぎ持ってかれた。
唇を噛んで背を向けるしか、無かった。
そして─────
目の前にある金糸に触れようと手を伸ばした。
その気配を感じたのか、三蔵の瞼がゆっくりと持ち上がり、何より美しい紫暗の宝石が現れた。
何度かまばたき、身体を起こして軽く頭を振る。
その仕草に見とれてしまう、三蔵という人間のクローン───いや、三蔵という人間。
ごめん…もう、俺…ダメだ…ごめん、さんぞ……
「…起きた?」
掠れた声で問いかければ、凄まじい勢いで三蔵が振り向いた。
その瞳が、大きく見開かれる。
「何、びっくりしてんの?」
口元に浮かぶ微笑みを隠すことなく、三蔵に向ける。
三蔵はただ、ただ、紫暗の瞳を見開いて、動くことすらしない。
「何か言いなよ。俺、生きてるよ、三蔵」
手を伸ばせば、ようやくゼンマイ仕掛けの人形のような仕草で手を掴んだ。
その手に力を入れる。
「三蔵…」
「あ、ああ…何だ?」
やっと返事が返ってきた。
その返事に、悟空は今まで三蔵が見たこともない笑顔をみせた。
そう、あの写真の中の笑顔。
いや、それよりも何倍も透明で明るい笑顔だった。
「…側にいてね」
紡がれた言葉に三蔵は瞳を見開いた後、黙って頷いた。
けぶるような紫暗の瞳がそっと閉じられ、握った手に柔らかな口付けが触れた。
神よ、感謝します…
今、二人の物語が始まる。
end
|