Desire

こういう時、庭が広いのはいいと、悟空は思った。

煩わしいことから逃げるには最適だから。
だが、あの男からは逃げられない。
何処にいても、必ず見つかってしまう。



ほら、もう見つけた。



眉間にしわを寄せて、怒ってる。
綺麗な金糸と深い紫暗の瞳のボディーガード、三蔵。

「てっめえ、あれほど一人でうろうろすんなって言っただろうが」

東屋の陶器のベンチに座って、怒鳴りながら近づいてくる三蔵を面白そうな顔で見つめている。
その、人を小馬鹿にした顔が、三蔵の神経を逆なでする。

「いっぺん死にてぇらしいな、ああ?」

息を切らせて悟空を見下ろす三蔵に「まさか」とわざとらしく肩をすくめて見せる。
それが益々三蔵の怒りを煽るとわかっていて。

「悟空!」
「めんどくさいじゃん、茶話会なんて」

ぷいっと、横を向く。

「めんどくさかろうが、何だろうが、それがお前の仕事だろうが!」
「んじゃあ、三蔵が出ればぁ。三蔵、綺麗だからさ、お客達も喜ぶと・・・ってぇ!」

いい提案だと三蔵に嬉しそうに告げる悟空の頭にげんこつが落とされた。

「何すんだよ!ご主人様にむかってぇ」
「だぁれが主人だ。このクソガキが」
「ふんだ、ハゲ、鬼、くそったれぇ」
「何だとぉ・・」

口を尖らして、悪たれをつく幼い仕草に三蔵は簡単に乗せられてしまう。

「へーんだ」

あかんべえと、三蔵をさらに挑発すると、悟空は身軽に三蔵の腕をすり抜けて東屋の外に立った。

「こんのぉサル!」

三蔵はネクタイをゆるめると、本格的に悟空を捕まえるべく動き出した。

「捕まえたら、言うこと聞いてやるぅ」

両手を頭の上でひらひらさせ、悟空は逃げ出した。



風が二人の髪を弄び、歓声を乗せて行く。
悟空は本当に小猿よろしく、花壇の石垣の上、彫像やオブジェの土台とひらりひらりと飛び移っては逃げ、三蔵の伸ばした手をすり抜けて行く。

やがて庭園のあちこちに作られた噴水の側に出た。

「おーにさんこちらぁ」

ムキになって追いかけてくる三蔵をわざと挑発しながら、悟空は噴水の池の縁に登った。

白いシャツにブルージーンズの小柄な身体が舞う。
太陽の光を受けて光る水の中に溶けてしまいそうな錯覚を三蔵にもたらす。

三蔵は小さく舌打つと、池の縁に立って自分を面白そうに見つめている悟空に向かって地を蹴った。

「!?」

予告もなく自分に飛びかかってきた三蔵に悟空はびっくりして、逃げるのが遅れた。

「捕まえた!」
「わぁ…!」

三蔵の腕に捕まれた悟空の足が縁から外れた。

「なに?」

そう思った時には、大きな水柱が綺麗に空に駆け上がる噴水の水を押しのけるようにして盛大に上がった。

「ひっでぇー!」
「馬鹿野郎!そりゃこっちのセリフだ、くそガキぃ!」

噴水の池の中に座り込んでぼやく悟空と四つんばいになって肩を落とし、それでも怒りに震える三蔵がいた。

「冷てぇ」

濡れた髪をかき上げる悟空の白い肌に水のしずくが跳ねる。

「水浴びするには早ぇんだよ」

水気を振り落とすように頭を振る三蔵の金糸が、陽の光を受けて煌めいた。
その綺麗な光に一瞬、悟空は見惚れる。

「おい、約束だ。ちゃんと茶話会に出ろ。会長も今日は出席されるそうだ」
「おじいさまが?」
「お前の顔が見たいと仰られて、予定を変更されてのことだ」
「なら、出る」

悟空は、嬉しそうに笑うと、ざぶざぶと噴水の池から上がった。
三蔵もその後に続く。
そして、早く来いと笑う悟空に今度は三蔵が見惚れた。
濡れて張り付くシャツに肌が透けて見える。
髪の張り付く項に匂い立つような色香を感じて三蔵は思わず手を伸ばし、その身体をかき抱きそうになった。



な…にを…



「先、行くよぉ」

悟空の声に三蔵は我に返ると、慌ててその後を追った。

















テラスに続く窓際に立って、三蔵は悟空を静かな瞳で見つめていた。

髪の色と合わせたダークブラウンの仕立ての良いスーツを着て、穏やかな笑顔を客達に振りまいている。
時々、窓際に立つ三蔵に「退屈だ」と、視線を送ってくるのを三蔵は無表情な顔で無視する。
すると、悟空は客に気取られないように三蔵にしかめ面をしてみせ、また客達の談笑に入っていくのだった。

「…ふん、ガキ」

ごく小さくため息を吐いた。
と、

「退屈させてしまいましたか?」

声を掛けられて顔を廻せば、悟空の保護者であり、グループの総帥である光明が、柔らかな笑顔を湛えて立っていた。

「会長」

三蔵は居住まいを正し、叩頭した。

「堅苦しい挨拶はいいですよ。三蔵」

光明の言葉に三蔵は、顔を上げた。
光明は三蔵に穏やかな笑顔を向け、視線を悟空に向けた。
その視線を追ってもう一度悟空へ視線をやった。

「あなたには、感謝しているのですよ。三蔵が死んでからというもの誰も側に近づけようとしなかったあの子が、あなたを側に置き、心を開くようになった。あなたにとっては辛いことの方が多いでしょうが、あの子のためと思って、私の我が侭を聞いてくださいね」
「わかっています。ご心配には及びません」
「ありがとう。私は、あの子にはいつも笑っていてほしいと思っています。これも我が侭ですね」

そう言って、光明は何とも言えない笑顔を三蔵に見せた。
そこへ三蔵と話す光明を見つけた悟空が、人の輪から抜け出して二人の側に寄ってきた。

「おじいさま」
「悟空は、いつも元気ですね」
「はい、おじいさまもお元気そうでよかった」

そう言って浮かべる笑顔は、何よりも幸せそうで。
三蔵は胸に湧き上げる暗い思いに、ぎゅっと手を握りしめた。




悟空のあの幸せそうな大輪の花を思わせる笑顔を独り占めしたい。




悟空が、自分をまだ心の底から受け入れていないと知っている三蔵に、向けることのない唯一の笑顔。
自分がオリジナルであれば、無条件で向けられていたであろう笑顔。

向けられないからこそ、こうして向けられる相手の側に居る時にしか見られないからこそ、三蔵は独り占めしたいと思ってしまう。
裏を返せば、悟空のただ一人になりたいという浅ましい願望。
いつか、必ず、その心からオリジナルの面影を消し去ってみせると、また、その心に誓う三蔵だった。




「…ぞう、三蔵、三蔵ってば!」

ぐいっと腕を引っ張られることで、我に返った。
いつの間にか、自分の考えに沈んでいたようだった。
見れば、悟空がその黄金の瞳に怒りの色を這わせて、三蔵を見上げていた。

「…な、にか?」

反応の遅い三蔵を睨みつけると、悟空は軽く三蔵の頬を叩いた。

「何しやがる!」
「起きた?おじいさまが社に戻られる。茶話会もお開き」
「えっ?」

顔を茶話会の会場に向ければ、三々五々、客達が帰り始めている。
それを戸口で光明が見送っている姿が、見えた。

「あ、ああ、すまない」

素直に謝る三蔵に悟空は、怪訝な顔をする。

「どうしたのさ?気持ち悪いじゃん、素直に謝るなんて」
「…悪かったな。俺だってそう言う時もある」
「ふーん、三蔵のくせに」
「何だと?」
「何でも。俺、おじいさまと会社に行くから。来るんだろ?」
「ったりめーだ」
「なら、早くしなよ」

ぷいっと顔を背けると、戸口に立つ光明の側へ悟空は小走りに駆けて行った。
その背中を見送りながら、三蔵の口から無意識のうちにため息が漏れていた。
















夜、光明の側で仕事を手伝って帰宅した悟空は疲れ切っていたのか、自室に入るなりベットへ倒れ込むと、「着替えろ」と言う三蔵の声も聞こえないまま、眠ってしまった。

「このガキ、俺に着替えさせる気か?」

腰に手を当てて、仁王立ちで見下ろす悟空は、すやすやと気持ちよさそうに眠っている。
三蔵は一つ舌打ちすると、うつぶせの悟空をひっくり返し、上着を脱がせ、ネクタイをほどき、カッターシャツのボタンを外した。
そのはだけた白いシャツから見える悟空の少年らしい薄い胸と意外なほどに白い肌に、三蔵の手が止まった。



何を…



どくんと、脈打つ胸に三蔵はその紫暗を見開いた。



こんな子供に…俺が?



「…ん…さん、ぞ…」

灯った熱を煽るように悟空の寝言が、聞こえた。
眠っていても悟空は、オリジナルを呼んでいる。
起きている時も自分を呼ぶその言葉の下で、オリジナルを呼んでいる。



側に居ろと、お前は言ったではないか。
この俺に側に居ろと。
そう言いながら、お前はまだ、オリジナルを呼ぶのか。
この俺の目の前で。



衝動のままに悟空の胸に手を這わせば、その肌はしっとりと手に吸い付くようで。



シャツを脱がせながら、身体のラインを辿って行く。
その微かな感触に悟空はまだ、気付かない。

シャツを脱がし、ベルトに手を掛けた。
ベルトを外し、ズボンのジッパーを下ろして行く。
そのままズボンを脱がせると、肌寒さを感じたのか僅かに悟空が身体を丸めた。

三蔵はそっと顔を近づけ、丸めた身体に口付けを落とした。
羽のように柔らかな口付け。

「……っや…ぁ…」

胸の飾りを唇がかすめた時、眠る悟空の口から甘い吐息が漏れた。
起きたのかと慌てて顔を離せば、そうではなく、悟空が目覚める気配はなかった。
それに安堵の息を吐く。



少しずつ手に入れる。この身体も心も何もかも全て…



もう一度三蔵は、悟空の身体に口付けを落とすと、悟空からは見えない位置に一つの花を咲かせ、満足そうな笑顔を浮かべた。



眠って力の入らない悟空の身体を引き起こし、三蔵は悟空にパジャマを着せると、ベットにその身体を納めた。
そして、

「おやすみ」

と呟くと、薄く開いた唇に己の唇を重ねた。
そして、ゆっくりと口腔を味わった。
息苦しさに悟空の意識が覚醒する寸前まで。

「必ず…手に入れるからな」

嫌々と緩やかに首を振って身体を丸め、また深い眠りに落ちた悟空の額に、名残惜しげに軽く口づけると、三蔵は自室に戻っていった。






ぱたんと、扉が閉まってしばらくすると、悟空が目を開けた。
半ば睨むように部屋の扉を見つめ、悟空は自分の唇に指を這わせた。

”三蔵”なら絶対にしない事。

何もかも同じで、何もかも違う。
簡単に心を奪ってしまった三蔵。



もう手にしてるのにな…



三蔵を庇った、その時点で自分は三蔵の手に落ちたのに。
気付かない三蔵。
なら、もう少しこの状況を楽しんだって良いんだろうな。



いいよね、”さんぞ”…



ただでなんかやらない。
覚悟しといてよ。



「バカ三蔵…」

そう呟く悟空の顔は、赤く染まっていた。






まだ、二人の物語は、始まったばかり。




end

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