Desire |
こういう時、庭が広いのはいいと、悟空は思った。 煩わしいことから逃げるには最適だから。
「てっめえ、あれほど一人でうろうろすんなって言っただろうが」 東屋の陶器のベンチに座って、怒鳴りながら近づいてくる三蔵を面白そうな顔で見つめている。 「いっぺん死にてぇらしいな、ああ?」 息を切らせて悟空を見下ろす三蔵に「まさか」とわざとらしく肩をすくめて見せる。 「悟空!」 ぷいっと、横を向く。 「めんどくさかろうが、何だろうが、それがお前の仕事だろうが!」 いい提案だと三蔵に嬉しそうに告げる悟空の頭にげんこつが落とされた。 「何すんだよ!ご主人様にむかってぇ」 口を尖らして、悪たれをつく幼い仕草に三蔵は簡単に乗せられてしまう。 「へーんだ」 あかんべえと、三蔵をさらに挑発すると、悟空は身軽に三蔵の腕をすり抜けて東屋の外に立った。 「こんのぉサル!」 三蔵はネクタイをゆるめると、本格的に悟空を捕まえるべく動き出した。 「捕まえたら、言うこと聞いてやるぅ」 両手を頭の上でひらひらさせ、悟空は逃げ出した。
やがて庭園のあちこちに作られた噴水の側に出た。 「おーにさんこちらぁ」 ムキになって追いかけてくる三蔵をわざと挑発しながら、悟空は噴水の池の縁に登った。 白いシャツにブルージーンズの小柄な身体が舞う。 三蔵は小さく舌打つと、池の縁に立って自分を面白そうに見つめている悟空に向かって地を蹴った。 「!?」 予告もなく自分に飛びかかってきた三蔵に悟空はびっくりして、逃げるのが遅れた。 「捕まえた!」 三蔵の腕に捕まれた悟空の足が縁から外れた。 「なに?」 そう思った時には、大きな水柱が綺麗に空に駆け上がる噴水の水を押しのけるようにして盛大に上がった。 「ひっでぇー!」 噴水の池の中に座り込んでぼやく悟空と四つんばいになって肩を落とし、それでも怒りに震える三蔵がいた。 「冷てぇ」 濡れた髪をかき上げる悟空の白い肌に水のしずくが跳ねる。 「水浴びするには早ぇんだよ」 水気を振り落とすように頭を振る三蔵の金糸が、陽の光を受けて煌めいた。 「おい、約束だ。ちゃんと茶話会に出ろ。会長も今日は出席されるそうだ」 悟空は、嬉しそうに笑うと、ざぶざぶと噴水の池から上がった。
悟空の声に三蔵は我に返ると、慌ててその後を追った。
テラスに続く窓際に立って、三蔵は悟空を静かな瞳で見つめていた。 髪の色と合わせたダークブラウンの仕立ての良いスーツを着て、穏やかな笑顔を客達に振りまいている。 「…ふん、ガキ」 ごく小さくため息を吐いた。 「退屈させてしまいましたか?」 声を掛けられて顔を廻せば、悟空の保護者であり、グループの総帥である光明が、柔らかな笑顔を湛えて立っていた。 「会長」 三蔵は居住まいを正し、叩頭した。 「堅苦しい挨拶はいいですよ。三蔵」 光明の言葉に三蔵は、顔を上げた。 「あなたには、感謝しているのですよ。三蔵が死んでからというもの誰も側に近づけようとしなかったあの子が、あなたを側に置き、心を開くようになった。あなたにとっては辛いことの方が多いでしょうが、あの子のためと思って、私の我が侭を聞いてくださいね」 そう言って、光明は何とも言えない笑顔を三蔵に見せた。 「おじいさま」 そう言って浮かべる笑顔は、何よりも幸せそうで。
悟空のあの幸せそうな大輪の花を思わせる笑顔を独り占めしたい。
悟空が、自分をまだ心の底から受け入れていないと知っている三蔵に、向けることのない唯一の笑顔。 向けられないからこそ、こうして向けられる相手の側に居る時にしか見られないからこそ、三蔵は独り占めしたいと思ってしまう。
「…ぞう、三蔵、三蔵ってば!」 ぐいっと腕を引っ張られることで、我に返った。 「…な、にか?」 反応の遅い三蔵を睨みつけると、悟空は軽く三蔵の頬を叩いた。 「何しやがる!」 顔を茶話会の会場に向ければ、三々五々、客達が帰り始めている。 「あ、ああ、すまない」 素直に謝る三蔵に悟空は、怪訝な顔をする。 「どうしたのさ?気持ち悪いじゃん、素直に謝るなんて」 ぷいっと顔を背けると、戸口に立つ光明の側へ悟空は小走りに駆けて行った。
夜、光明の側で仕事を手伝って帰宅した悟空は疲れ切っていたのか、自室に入るなりベットへ倒れ込むと、「着替えろ」と言う三蔵の声も聞こえないまま、眠ってしまった。 「このガキ、俺に着替えさせる気か?」 腰に手を当てて、仁王立ちで見下ろす悟空は、すやすやと気持ちよさそうに眠っている。
どくんと、脈打つ胸に三蔵はその紫暗を見開いた。
こんな子供に…俺が?
「…ん…さん、ぞ…」 灯った熱を煽るように悟空の寝言が、聞こえた。
シャツを脱がし、ベルトに手を掛けた。 三蔵はそっと顔を近づけ、丸めた身体に口付けを落とした。 「……っや…ぁ…」 胸の飾りを唇がかすめた時、眠る悟空の口から甘い吐息が漏れた。
少しずつ手に入れる。この身体も心も何もかも全て…
もう一度三蔵は、悟空の身体に口付けを落とすと、悟空からは見えない位置に一つの花を咲かせ、満足そうな笑顔を浮かべた。
眠って力の入らない悟空の身体を引き起こし、三蔵は悟空にパジャマを着せると、ベットにその身体を納めた。 「おやすみ」 と呟くと、薄く開いた唇に己の唇を重ねた。 「必ず…手に入れるからな」 嫌々と緩やかに首を振って身体を丸め、また深い眠りに落ちた悟空の額に、名残惜しげに軽く口づけると、三蔵は自室に戻っていった。
ぱたんと、扉が閉まってしばらくすると、悟空が目を開けた。 ”三蔵”なら絶対にしない事。 何もかも同じで、何もかも違う。
もう手にしてるのにな…
三蔵を庇った、その時点で自分は三蔵の手に落ちたのに。
いいよね、”さんぞ”…
ただでなんかやらない。
「バカ三蔵…」 そう呟く悟空の顔は、赤く染まっていた。
まだ、二人の物語は、始まったばかり。
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