空に近いなあと、ここへ来るたびに思う。
決して手の届かない所にある青い空が、伸ばした手に掴めそうで。

悟空は本社ビルの屋上に寝ころんで、秋の日差しをその身体一杯浴びていた。



静かな午後。



ほら、もうすぐ不機嫌な顔をした金色のあいつがここに来る。




Prank




さして重要ではないが、出席を義務づけられた経営会議。
巨大コングロマリットである会社のその中で小さな会社をいくつか任されている。

監査役。
それが悟空の役職。
後継者である悟空のそれが仕事。

実質的な経営に参加するのではなく、悟空は会社経営がうまくいっているか、不正はしていないか、そんなことをチェックする立場にいた。

だから半期決算のこの時期、監査役の悟空は経営会議には出席しないといけない。
業績の記された分厚いファイルを眺めながら、お経のような業務報告を聞かされるのだ。
ざっと目を通した限りは、不正もないし、業績の悪化を示すモノもない。
悟空は生あくびをかみ殺して、会議に参加していた。

眠気と戦いながら何とか午前中の会議を乗り越えた悟空は、昼休み、次の会議までの時間をこの屋上で過ごすことにしたのだった。











涼しい風に身を任せていると、不機嫌極まれりと言った風情の三蔵が、屋上の昇降口から姿を見せた。



玄奘三蔵───悟空のボディーガード。
金髪に紫暗の瞳の美丈夫。
大切だった彼人のクローン。
何もかも同じで、何もかも違う、悟空の思い人。



風に乱れる金糸が陽の光を弾く。
黒いスーツに金糸が映える姿は、悟空に肉食獣のしなやかな肢体を連想させた。
昇降口に立って辺りを見回す三蔵を寝ころんだまま悟空は見つめていた。
三蔵は、風に乱れる髪を煩そうにかき上げ、周囲を見回している。
入り口と反対の建物の屋根に寝転がっている悟空に気が付かない。
イライラしているのが手に取るようにわかって、悟空は声を立てずに笑った。






「お前は、姿が見えないと思うとここに居るんだな」

呆れた顔でよく言われた。

「だって、気持ちいいじゃん。空が近くて、風が吹いてて、お日様は暖かいし」

そう答えると、そうだなって頷くけど、一言多かったりするんだ。

「姿が見えないと、みんなが心配する」

ほらね。
だから、訊くんだ。

「さんぞは?さんぞは、心配しない?」

そしたら、くしゃって頭撫でて、

「っつたりめーだ、バカ」

って言って、綺麗な微笑みをくれた。
穏やかで、暖かくて、綺麗な”三蔵”。






自分を捜す三蔵の姿に、オリジナルが重なって、悟空は胸が痛んだ。








どこにいやがる?



ちょっと目を離したすきに、姿を隠してしまった。
あちこち探した末に、屋上へ行く悟空を見かけたと聞いて駆け上がってきた。
扉を開けて、その広さに絶句した。
見渡す限りのコンクリートの平面。
小柄な悟空であっても、立ったり座ったりしていればすぐにわかるだろうに、その影さえ見えない。
眩しい日差しにその紫暗を眇めて、三蔵は屋上のフェンス沿いに悟空の姿を捜して歩き始めた。

本社ビルの屋上は、その中央にヘリポートを設け、それを囲むように人が登って、楽しめるスペースを設けている。
屋上の出入り口と反対の場所に、ビルを発着するヘリのための小さな管制室と待合室を兼ねた建物があった。
三蔵は悟空はそこにいるかも知れないと足を向けた。
丁度、ヘリポートを横切りきった時、管制室の屋根に座る悟空の姿を見つけた。



何て所にいやがる。



三蔵は、呆れるやら安堵するやらで、足を速めた。











身体を起こした悟空は、三蔵が自分を見つけた事に気が付いた。
そう、走るようにこちらへ歩いてくる。
三蔵と反対側に、秘密のくぼみがあり、そこからすぐ会長室のサンルームに出られるようになっていた。
そのことを思い出した悟空は、あることを思いついた。



びっくりさせてやる。



ふっと、笑うと三蔵が建物の下に来た頃を見計らって、下を覗き込んだ。

「やっと、見つけたんだ」

遅いと言わんばかりの口調で言えば、見上げる三蔵がむっとするのがわかる。
それに気付かない振りで、悟空は笑った。

「なあ、ここから飛んだら鳥みたいに飛べるかな?」
「何だと?」

嬉しそうに告げる悟空のとんでもない言葉に、三蔵は瞳を見開いた。




一体、この子供は何を考えて生きているのだ。
こんな地上五十階建てのビルの屋上のその上の建物の屋根に登って、飛ぶだと?
自分の立場をわかって、言ってるのか?




「ねえ、三蔵、どう思う?」

尚も答えを求める悟空を無視して、三蔵は管制室の屋根に登るためのはしごを探した。
悟空が顔を覗かせている場所に向かって右の隅に、鉄のはしごが作りつけられているのを見つけた。

「ねえ、三蔵ってばぁ」

くすくすと笑いながら身を乗り出して、訊いてくる悟空に

「てめえ、そこを動くんじゃねえぞ」

と、指さして言い置くと、はしごを登りだした。
その様子を見て取った悟空は、密かにいたずらな笑みをこぼすと、秘密のくぼみの真上に立ち、そして、はしごを登って来る三蔵を待った。

はしごを登り切って、屋根に立ち上がった三蔵は、悟空が屋根の端に立っているのを見つけた。

「悟空!」

慌てた三蔵の声に背を向けていた悟空が、ゆっくり振り返る。

「三蔵…」

それはそれは綺麗な笑顔を見せると、まるで羽が舞うように飛んだ。

「悟空!!」

ほんの数メートル。
駆け寄った時には、悟空の姿はなかった。

「…な、にを…」

全身から音を立てて血が引いて行く。
完全に血の気の失せた白い顔をさらして、三蔵はその場にへたり込んだ。




何だというのだ。
あんな綺麗な笑顔を見せて。
何故?

何なんだ…。

まるで迎えがそこにでもいるように。
誰が?

…悟空……。




どれぐらい惚けていただろう。
三蔵は、はっと我に返ると、下に落ちたであろう悟空の姿を捜すべく、悟空の飛んだ場所から身を乗り出し、絶句した。

「三蔵─っ!びっくりしたぁ?」

にこにこと手を振る悟空が、そこにいた。






そこから記憶がなかった。






気が付けば、頬を赤く腫らし、泣きじゃくる悟空が目の前にいた。

「…ご、ごめん…ごめ、ん…ぃっく…」

泣きながら謝る悟空は、泣き腫らした黄金で三蔵を見上げた。




初めて悟空は、激昂した人間と出会った。
それがどれほどの痛みと後悔をもたらすか、悟空は身に染みた。

秘密のくぼみから見上げた三蔵の顔は、紙のように白かった。
その顔がみるまに赤くなり、音もなく悟空の目の前に飛び降りてきた。
目の前に降り立った三蔵の纏う怒気が、悟空の顔から笑みを奪った。

「…三蔵?」

恐る恐る掛けた声に返された無機質な紫暗に、瞬時に心が冷えた。

そう、悟空はやりすぎたのだ。
どれ程三蔵が悟空のことを思っているか知っていての行為。
それは、三蔵の気持ちを試すどころか、踏みにじるような行為だったのだ。



気が付いた時には、遅かった。



何か言いかけた悟空の頬は凄まじい痛みに襲われ、ついで息も出来ないほどの激しい口付けをされた。
その口付けと頬の痛みから伝わる痛いほどの三蔵の想い。
襟首を掴まれ、息も絶え絶えになるほど貪られて悟空は、ようやく解放された。

「ご…めん…」

上がる息もそのままに悟空は、三蔵に謝った。
その言葉に許しの返事はなく、悟空は胸の痛みに涙を溢れさせた。




見上げてくる泣き濡れた黄金を目にして、ようやく三蔵は我に返った。

「三蔵…」

不安に染まった瞳に、濡れた唇に、震える華奢な身体に、三蔵は言い知れぬ安堵と愛しさを覚えた。
悟空の謝罪の言葉を聞きながら、三蔵はそっと赤く腫れた頬に手を触れる。
びくっと、悟空の身体が震えた。

「……悟空…」

そのまま顔を上げさせると、そっと口付けを落とした。
震える瞼の間から新たな雫が、伝い落ちる。

「二度と、こんなことするんじゃねえぞ」
「うん…ごめん、三蔵…」

頷く悟空にまた口付けを落とし、三蔵は悟空を抱きしめた。
悟空は黙ってされるがまま、三蔵に身を委ねている。
柔らかな悟空の髪に鼻先を埋めて、しばらく二人は動かなかった。

互いのぬくもりが、互いに生きていることを伝え合う。
許しも、悔恨も、涙も、愛しさも、全ては生きていてこそのもの。
その証をここに。
その約束をここに。





二人の何かが変わった日。




end




リクエスト:悟空に振り回される三蔵サマ
30303 Hit ありがとうございました。
謹んで、如月たえ様に捧げます。
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