Moonlight Dance

悟空はカーテンの影で、手にしたカクテルを一気に呷ると、そこにあったテーブルに叩き付けるように置いた。
薄いカクテルグラスに、澄んだ音を立てて細いヒビが入る。
それでも苛つきが収まらない悟空は、窓に映る自分の姿にくしゃっと顔を顰め、シャドーボクシングのまねごとを数回繰り返すと、一つ、ため息を吐いた。



何…やってんだろ……



苛ついていた気分が、今後は滅入ってくる。
背中でざわめきを聞きながら、悟空は昨夜のことを思い出した。






前回のお見合いを兼ねた園遊会をすっぽかした事が、いたく祖父の気持ちを傷つけたようで、ことあるごとにちくちくと、柔らかな笑顔を浮かべた光明が悟空を責め立てるようになった。
毎日、針のムシロに座っているようで、悟空は居心地の悪いことこの上なかった。
光明の笑顔の攻撃に、遂に悟空は音を上げたのだった。




それが、昨夜の話となる───。




「もう分かった、分かりました。お見合いでも何でもしますから!おじいさま、その奥歯に物の挟まったような言い方しないで…」
「ずいぶんな言い方ですねぇ。ねえ、天蓬、三蔵?」
「…会長…」
「……」

同意を求められてもと、天蓬はため息を吐き、三蔵は無言を押し通す。

「では、悟空の気持ちが決まったので、早速、明日の夕方、お見合いパーティーを開きましょうね」
「あ、明日ぁ?!」
「はい、明日です」

光明の言葉にびっくりして声の裏返った悟空に、それは嬉しそうな笑顔を光明は見せる。
その傍らで、頭を抱える天蓬と天を仰ぐ三蔵の姿があった。




その夜、自室へ戻った悟空は光明の即決に、どうにも気持ちの収まりがつかず、三蔵に当たり散らした。
寝台の枕を投げ、思いつく限りの悪口を並べ立てる。
それを三蔵は黙って聞き流し、悟空の言葉と共に気持ちが落ち着いたのを見計らって、床に散らばった枕やクッションを拾いながらベットへ近づいた。

「気が済んだか?」

静かな三蔵の声に悟空は、三蔵の顔を見上げる。

綺麗で豪奢な金糸、深い紫暗。
誰より綺麗で、大切な悟空のボディーガード。

お見合いを嫌って、いや三蔵の態度が気に入らなくて逃げ出して、三蔵を振り回し、喧嘩に巻き込んで、バカみたいに自分が三蔵を振り回した罰でも受けるようにケガをした。
守りきれなかったと悔やむ三蔵に、自分から口付けて・・・・。

どんどん惹かれて行く。
オリジナルの三蔵が、遠くなる。

だが、違う。

三蔵なら「仕方ねえ奴」と言って、頭を撫でてくれる。
決して甘やかすのではない方法で、悟空の気持ちのささくれを取ってくれる。
あの大きな優しい手で。

この三蔵は違う。

何も言わないで、静かな瞳で見返すばかり。
姿形は同じで、癖までも同じ、声までも同じなのに、違う人格、違う人間。
そんなことを考えていたら、つんと鼻の奥が痛んできた。
金の瞳に薄い膜が張ってくる。
今にも泣き出しそうな顔を抱えた膝に半ば埋めて、悟空は三蔵を見つめていた。
その姿に気が付いたのか、悟空が投げ散らかした枕やクッションをベットに投げ入れると、悟空の横に腰を下ろした。
きしりと、ベットのスプリングが小さく軋む。

「何て顔してる。そんなに嫌か?」

悟空の顔を覗き込んで見当違いなことを聞いてくる。

「別に…」

間近に迫った三蔵の顔から自分の顔をふいっと、背けて背を向ける。

「たった一日、いや半日だけだ。我慢できるだろう?」

まるで小さなだだっ子をあやすような口調で三蔵が言うから、悟空がお見合いすることなど何でもないことだと涼しい顔でいうから、悟空は思わず三蔵を突き飛ばし、部屋から飛び出してしまった。
そのあと屋敷の中をうろうろと歩き回り、一番奥の両親の寝室だった部屋で、眠れない夜を過ごしたのだった。




「捜しにもきやしない…三蔵のくせに……」

悟空はもう一度、目の前の窓に映った自分に顰め面をすると、どうでも良い着飾った娘達の相手をするべく、パーティー会場へと戻るのだった。
















三蔵は窓の傍に佇んで、悟空の姿から目を離さない、いや、離せないでいた。

大地色の柔らかな髪、意志の強い、時に儚い表情を見せる黄金の瞳、均整の取れた少年らしさが色濃く残る男にしては華奢な身体、舌足らずな心地良い声。

仕立ての良いブルーグレーのタキシードを着て、華やいだ会場に立つ姿は、そこにいる着飾ったどんな女より美しく、透明な存在に見えた。

結婚───それは、悟空がこの巨大なコングロマリットの跡継ぎである限りは、避けて通れない問題だった。
ちゃんとした生まれのきちんと育てられた伴侶を娶らなければならない。
それは取りも直さず、悟空の次の後継者を育てることになるのだ。
これは悟空が果たさなければならない義務と責任。
でなければ、何代も続く血脈が途絶えてしまう。
切ってはいけない流れなのだ。

もし、悟空が女であったなら悟空を取りまく全てを切り捨て、かっ攫えるのに。
クローンである自分の立場も何もかもかなぐり捨て、二人して姿を眩ませるのに。
だが、悟空は男で、自分はクローンで。

愛しているから、好きだからではどうしようもない立場の自分と悟空。
何より悟空の心は、オリジナルに盗られたまま、自分の手元には無いではないか。

柔らかな笑顔で話しかけてきた花嫁候補の女性と話す悟空を見つめながら、三蔵は我知らず、自嘲の笑みを浮かべるのだった。






と、人々のざわめきと共に、黒髪の長身の男が会場に姿を見せた。
その男が進む先の人並みが自然に割れ、道が出来る。
男はしなやかな足取りでそのできた道を真っ直ぐに、女性と話している悟空に向かって歩いてゆく。
悟空は自分の周りの人々のざわめきに気が付き、ゆっくりと振り返った。
そこに黒と見紛う程の濃い紫のダブルのスーツを隙無く着こなした、見覚えのある男が立っていた。

「…焔?」

微かな悟空の問いかけに、焔はそのオッドアイを嬉しそうにほころばせ、悟空の頬に口付けた。

「逢いたかったよ、悟空」

焔の口付けに周囲の女達からため息やら、小さな悲鳴が上がる。
悟空はこれ以上ないほど瞳を見開いて、目の前で嫣然と頬笑む焔を声もなく見上げていた。

「今日は如何されたのでしょう?」

静かな三蔵の声音が焔の後ろから聞こえ、その声に悟空は我に返った。
焔は後ろを振り返ると、楽しそうに瞳を眇めてしれっと、答えた。

「やあ、三蔵。今日はね、光明会長のご招待にあずかったんだよ」
「そうでしたか。知らぬ事とはいえ、失礼致しました」

無表情で焔に礼を返す三蔵に、焔は身体を近づけると何事かを囁いた。
その言葉にすっと、三蔵の纏う空気が冷える。
三蔵の纏う空気の色が変わったことに、悟空は気が付いた。

「三蔵?」

声を掛けたところで、音楽が流れ出した。
そこ、ここでパートナーの申し込みが始まり、ダンスが始まった。
その流れに押されるように三蔵と悟空は離れ、焔が悟空の手を取った。

「悟空、私と踊ってくれるかい?」
「えっ?」
「いいね」

ろくに悟空の返事も待たず、悟空をフロアの中央へ導くと、焔は悟空の華奢な腰に手を回して踊り出した。
仕方なしに悟空も焔に逢わせて、ステップを踏む。
軽やかに舞う二人の姿に、踊っていた人々は動きを止め、その姿に魅入った。











会場を見下ろす回廊からその様子を光明は、楽しそうな笑顔を浮かべて見つめていた。
今夜は、予行演習。
本番はもう少し後。
悟空を狙う輩を燻り出す準備は出来た。
後は、悟空がこちらの意図にそって動いてくれるかと言うことだけだ。

「…まぁ、焔が何とかしてくれるでしょう。三蔵、うかうかしてたら悟空を取られちゃいますよ」

喉を鳴らして小さく笑うと、光明は焔と踊る悟空を焼け付くような視線で見つめている三蔵にウィンクを投げたのだった。











流れるワルツに乗って、焔の腕の中で悟空が踊る。
男二人が踊っているというのに、その姿は男女が踊る姿よりも優雅で洗練され、美しかった。

その二人の姿を三蔵は、白くなるほどに握り締めて見つめていた。
先程、耳元で囁かれた言葉が、三蔵の心を焼き焦がす。
三蔵の悟空に対する気持ちを分かった上での挑発としか取れない言葉。

ただでさえオリジナルの影にどうしようもなく、手が出せないというのに、その上、男の求婚者など願い下げだ。
今は、まだ悟空の気持ちが、オリジナルに向いていることが救いだと言えばそうなのだが、目も眩むような嫉妬と己の立場とが、どうしようもなく三蔵を苛立たせるのだった。

フロアで踊る二人の綺麗な姿を見ていられなくなった三蔵は、夜風に当たって頭を冷やそうと庭へ出た。
今悟空と顔を合わせれば、何を口走るか分からなかったから。
三蔵はバルコニーから庭に降りると、煙草に火を付けた。
そして、胸一杯煙草を吸い上げると、深呼吸するようにその煙を吐き出した。






悟空は焔と踊りながら、三蔵が庭に出て行く背中を見咎めた。
後を追いたいと、瞳を彷徨わせたが、焔の手を振りほどいてダンスを止めるには、皆の関心が集まりすぎていた。
曲の終わりまであと少し、悟空は逸る気持ちを抑えて焔と踊り続けた。

曲が余韻を残して終わると、悟空と焔に歓声と拍手が雨のように降り注いだ。
それににこやかに答えながら、悟空は三蔵の姿を捜した。
だが、会場に三蔵の姿はなく、まだ庭に居ることを悟空に伝えていた。
悟空は、女性客に取り囲まれた焔を会場に残し、音もなくバルコニーから庭へ降りた。

十六夜の月と窓から漏れる明かりで庭は思った以上に明るく、三蔵の姿はすぐに見つかった。

小さな噴水の淵に身体を預けて、煙草を吸っている。
闇に紛れるような黒いスーツに白いYシャツ、濃紺のネクタイが、月明かりに柔らかく輝く金糸を引き立てていた。
焔より少し華奢な、でも肉食獣を思わせる無駄のない動きとしなやかな仕草。
オリジナルの三蔵が柔らかな月光のイメージならクローンの三蔵は苛烈な夏の陽ざしのイメージだった。

悟空はしばらくそんな三蔵を見つめた後、そっと傍に寄り、声を掛けた。

「仕事さぼって、何してんの?」

悟空の声にちらと視線を投げただけで、三蔵は何も答えなかった。

「答えないの?それとも、俺と焔のダンスに妬いた?」

くすくすと密やかな笑いを零しながら、悟空は三蔵の顔を覗き込んだ。
その瞬間、噛みつくような口付けが降ってきた。

「…なっ…ぅんん…っ!」

悟空の抵抗など赤子の手を捻るより簡単に封じ込め、三蔵は無言のまま悟空の口腔を思う様貪った。
ゆっくりと触れるだけの口付けを最後に三蔵が離れた途端、悟空はぺたんと地面にへたり込んだ。

「…三蔵!」

濡れた唇を手の甲で拭いながら、悟空は噴水の淵に縋って立ち上がった。
三蔵を睨む潤んだ金眼が、月光に怪しく光る。

「…お前は……」

今の行為を後悔するように悟空の視線を避けて三蔵はうつむき、零れかけた言葉は飲み込まれた。
悟空は目の前で何かを耐えるような三蔵の姿を見て、急速に怒りが萎んでいくのを感じた。
そして、焔が三蔵に何か囁いたことを思い出した。

「さんぞ…?どうしたのさ、何か焔に言われたのか?」

悟空の問いかけに、三蔵の肩が微かに揺れた。




憎らしいほどに、いっそ殺してしまおうかと思うほどに愛しい存在。
守らなければならない大切な存在。
それが悟空。
自分の様子が気になったのか、傍に来た悟空の気配を感じ、その声を聞いた途端、身体中の血が沸騰した。
何も考える間もなく、その唇を奪っていた。
湧き上がる衝動を抑えきれない。
抱き込む腕の中の華奢な身体の強張りが解けたその感触で、我に返った。

名残惜しげに唇を離せば、怒りに染まった黄金と目があった。
力の抜けて居るであろう膝を叱咤するように立ち上がり、自分を睨み上げてくる濡れた黄金の瞳に、問いかけたい衝動に駆られたが、何をどういう風に訊いたらいいのか言葉は見つからず、声を飲み込んだ。
自分の犯した行為に悟空は何も言わず、情けなくも俯いてしまった自分に労るような言葉を投げてきた。

時折見せる悟空のこの優しい態度に、希望を抱き、縋ってしまう自分が居る。
気持ちを切り捨てて、役目にだけ徹することも、オリジナルの面影を払拭するほどの力もなく、少しずつでもその心を手に入れると誓った、その誓いが崩れていく。
掻き抱き、結婚などせず、自分のモノに、自分だけのモノになって欲しいと縋ってしまいそうになる。
それができたらどれ程楽だろう。




嵐のように吹き荒れる三蔵の思いなど何も気付かない悟空は、何も答えない三蔵に、小さくため息を吐き、

「何言われたのか知らないけど、何言われても俺、お前を手放す気ないからさ、気にすんなよな」

ふわりと悟空は笑って、三蔵の身体を抱きしめた。
すると、壊れ物にでも触れるような仕草で、三蔵が抱き返してきた。
悟空は三蔵の胸の影で、幸せそうな微笑みを浮かべると、目を閉じた。






「…ねえ、踊ろうか?」

どれくらい抱き合っていたのか、気が付けばパーティー会場から音楽が聞こえてくる。
ゆっくりと顔を上げた三蔵を見上げて、悟空は笑った。

「返事は?」
「…はぁ」

悟空の言葉に、三蔵は煮え切らない返事をする。
そんな三蔵にじれて、悟空は三蔵の手を取ると、自分の腰に回した。

「悟空?」
「踊れないわけ無いよね、三蔵?」

軽く睨むようにして悟空は確認すると、まだ戸惑っている三蔵を押し切るようにステップを踏み出した。
それに釣られるように三蔵もステップを踏み出す。

柔らかな月の光の中、金色を頂く男と金色を宿す少年が軽やかに踊る。

華奢な腰を抱き、日向の香りの悟空と踊る。
大きな腕に抱かれ、煙草の香りに包まれて三蔵と踊る。

今この時が、永遠であればいいのに。
今この時が、終わらなければいいのに。

それぞれの胸に抱く思いをよそに、月の光の中で踊る姿は美しく、透明だった。






────もうすぐ、嵐がやってくる。




end

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