Moonlight Dance |
悟空はカーテンの影で、手にしたカクテルを一気に呷ると、そこにあったテーブルに叩き付けるように置いた。 薄いカクテルグラスに、澄んだ音を立てて細いヒビが入る。 それでも苛つきが収まらない悟空は、窓に映る自分の姿にくしゃっと顔を顰め、シャドーボクシングのまねごとを数回繰り返すと、一つ、ため息を吐いた。
何…やってんだろ……
苛ついていた気分が、今後は滅入ってくる。
前回のお見合いを兼ねた園遊会をすっぽかした事が、いたく祖父の気持ちを傷つけたようで、ことあるごとにちくちくと、柔らかな笑顔を浮かべた光明が悟空を責め立てるようになった。
それが、昨夜の話となる───。
「もう分かった、分かりました。お見合いでも何でもしますから!おじいさま、その奥歯に物の挟まったような言い方しないで…」 同意を求められてもと、天蓬はため息を吐き、三蔵は無言を押し通す。 「では、悟空の気持ちが決まったので、早速、明日の夕方、お見合いパーティーを開きましょうね」 光明の言葉にびっくりして声の裏返った悟空に、それは嬉しそうな笑顔を光明は見せる。
その夜、自室へ戻った悟空は光明の即決に、どうにも気持ちの収まりがつかず、三蔵に当たり散らした。 「気が済んだか?」 静かな三蔵の声に悟空は、三蔵の顔を見上げる。 綺麗で豪奢な金糸、深い紫暗。 お見合いを嫌って、いや三蔵の態度が気に入らなくて逃げ出して、三蔵を振り回し、喧嘩に巻き込んで、バカみたいに自分が三蔵を振り回した罰でも受けるようにケガをした。 どんどん惹かれて行く。 だが、違う。 三蔵なら「仕方ねえ奴」と言って、頭を撫でてくれる。 この三蔵は違う。 何も言わないで、静かな瞳で見返すばかり。 「何て顔してる。そんなに嫌か?」 悟空の顔を覗き込んで見当違いなことを聞いてくる。 「別に…」 間近に迫った三蔵の顔から自分の顔をふいっと、背けて背を向ける。 「たった一日、いや半日だけだ。我慢できるだろう?」 まるで小さなだだっ子をあやすような口調で三蔵が言うから、悟空がお見合いすることなど何でもないことだと涼しい顔でいうから、悟空は思わず三蔵を突き飛ばし、部屋から飛び出してしまった。
「捜しにもきやしない…三蔵のくせに……」 悟空はもう一度、目の前の窓に映った自分に顰め面をすると、どうでも良い着飾った娘達の相手をするべく、パーティー会場へと戻るのだった。
三蔵は窓の傍に佇んで、悟空の姿から目を離さない、いや、離せないでいた。 大地色の柔らかな髪、意志の強い、時に儚い表情を見せる黄金の瞳、均整の取れた少年らしさが色濃く残る男にしては華奢な身体、舌足らずな心地良い声。 仕立ての良いブルーグレーのタキシードを着て、華やいだ会場に立つ姿は、そこにいる着飾ったどんな女より美しく、透明な存在に見えた。 結婚───それは、悟空がこの巨大なコングロマリットの跡継ぎである限りは、避けて通れない問題だった。 もし、悟空が女であったなら悟空を取りまく全てを切り捨て、かっ攫えるのに。 愛しているから、好きだからではどうしようもない立場の自分と悟空。 柔らかな笑顔で話しかけてきた花嫁候補の女性と話す悟空を見つめながら、三蔵は我知らず、自嘲の笑みを浮かべるのだった。
と、人々のざわめきと共に、黒髪の長身の男が会場に姿を見せた。 「…焔?」 微かな悟空の問いかけに、焔はそのオッドアイを嬉しそうにほころばせ、悟空の頬に口付けた。 「逢いたかったよ、悟空」 焔の口付けに周囲の女達からため息やら、小さな悲鳴が上がる。 「今日は如何されたのでしょう?」 静かな三蔵の声音が焔の後ろから聞こえ、その声に悟空は我に返った。 「やあ、三蔵。今日はね、光明会長のご招待にあずかったんだよ」 無表情で焔に礼を返す三蔵に、焔は身体を近づけると何事かを囁いた。 「三蔵?」 声を掛けたところで、音楽が流れ出した。 「悟空、私と踊ってくれるかい?」 ろくに悟空の返事も待たず、悟空をフロアの中央へ導くと、焔は悟空の華奢な腰に手を回して踊り出した。
会場を見下ろす回廊からその様子を光明は、楽しそうな笑顔を浮かべて見つめていた。 「…まぁ、焔が何とかしてくれるでしょう。三蔵、うかうかしてたら悟空を取られちゃいますよ」 喉を鳴らして小さく笑うと、光明は焔と踊る悟空を焼け付くような視線で見つめている三蔵にウィンクを投げたのだった。
流れるワルツに乗って、焔の腕の中で悟空が踊る。 その二人の姿を三蔵は、白くなるほどに握り締めて見つめていた。 ただでさえオリジナルの影にどうしようもなく、手が出せないというのに、その上、男の求婚者など願い下げだ。 フロアで踊る二人の綺麗な姿を見ていられなくなった三蔵は、夜風に当たって頭を冷やそうと庭へ出た。
悟空は焔と踊りながら、三蔵が庭に出て行く背中を見咎めた。 曲が余韻を残して終わると、悟空と焔に歓声と拍手が雨のように降り注いだ。 十六夜の月と窓から漏れる明かりで庭は思った以上に明るく、三蔵の姿はすぐに見つかった。 小さな噴水の淵に身体を預けて、煙草を吸っている。 悟空はしばらくそんな三蔵を見つめた後、そっと傍に寄り、声を掛けた。 「仕事さぼって、何してんの?」 悟空の声にちらと視線を投げただけで、三蔵は何も答えなかった。 「答えないの?それとも、俺と焔のダンスに妬いた?」 くすくすと密やかな笑いを零しながら、悟空は三蔵の顔を覗き込んだ。 「…なっ…ぅんん…っ!」 悟空の抵抗など赤子の手を捻るより簡単に封じ込め、三蔵は無言のまま悟空の口腔を思う様貪った。 「…三蔵!」 濡れた唇を手の甲で拭いながら、悟空は噴水の淵に縋って立ち上がった。 「…お前は……」 今の行為を後悔するように悟空の視線を避けて三蔵はうつむき、零れかけた言葉は飲み込まれた。 「さんぞ…?どうしたのさ、何か焔に言われたのか?」 悟空の問いかけに、三蔵の肩が微かに揺れた。
憎らしいほどに、いっそ殺してしまおうかと思うほどに愛しい存在。 名残惜しげに唇を離せば、怒りに染まった黄金と目があった。 時折見せる悟空のこの優しい態度に、希望を抱き、縋ってしまう自分が居る。
嵐のように吹き荒れる三蔵の思いなど何も気付かない悟空は、何も答えない三蔵に、小さくため息を吐き、 「何言われたのか知らないけど、何言われても俺、お前を手放す気ないからさ、気にすんなよな」 ふわりと悟空は笑って、三蔵の身体を抱きしめた。
「…ねえ、踊ろうか?」 どれくらい抱き合っていたのか、気が付けばパーティー会場から音楽が聞こえてくる。 「返事は?」 悟空の言葉に、三蔵は煮え切らない返事をする。 「悟空?」 軽く睨むようにして悟空は確認すると、まだ戸惑っている三蔵を押し切るようにステップを踏み出した。 柔らかな月の光の中、金色を頂く男と金色を宿す少年が軽やかに踊る。 華奢な腰を抱き、日向の香りの悟空と踊る。 今この時が、永遠であればいいのに。 それぞれの胸に抱く思いをよそに、月の光の中で踊る姿は美しく、透明だった。
────もうすぐ、嵐がやってくる。
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