月 光

僧庵の屋根の上に小さな影が、月の明るい光に照らされていた。

今夜は満月。

一年の内で一番月のきれいな夜。



その月に誘われるように悟空は夜中、外へ出た。
月光に透ける薄い夜着から華奢な身体が透けている。
大地色の髪は月の光の黄金をはき、金の瞳は底知れない深い色を湛えていた。
悟空は屋根の上で膝を抱えて座り、大きな月を見上げている。
秋の夜風が悟空の髪を愛しげに揺らしてゆく。
月光が悟空を包み込むように照らした。



「いくら呼んでもダメだって」

くすくす笑いながら悟空は、話していた。

「俺、ここにいるよ」



誰と?

夜風と?

月光と?

風に揺れる木々と?

夜活動するもの達と?



「だって、ここには三蔵がいるんだよ」

嬉しそうに笑う。
今にも月に溶けてしまいそうな笑顔。

「でも、今日は三蔵、仕事でいないんだ…」

淋しげに伏せられる瞳。
夜風が悟空を抱くように纏い付く。

「うん、淋しいけど明日には帰って来るから、大丈夫」

膝頭に顔を埋めるように身体を丸めて、言い聞かせるように呟く。
月光を捕らえた金色は、黄金の光を滲ませる。

「大丈夫。平気だよ…俺。うん、大丈夫…」



「…何が大丈夫だ」



突然の声に悟空は振り返った。



そこには、酷く不機嫌な顔をした人がいた。
まるで月光が、悟空の思いを光に編み込んで創り上げたような美しい姿をした愛しい人。
悟空は、金の瞳を見開いたままその姿を見つめた。
息をすることも忘れたように見入る悟空に、その人は金糸に月光を纏い付かせ、深い紫暗の瞳を眇めた。

「うるせぇ、ヤツ」

紡がれた言葉に悟空が、我に返る。
呪縛を解かれたようなぎこちない声で、名を呼ぶ。

「さん…ぞ…」

屋根の上を悟空の側まで来ると、三蔵はまだ驚きから醒めない悟空を見下ろす。

「雑音だな」
「…えっ?…何が?!」
「お前が…な」

くっと笑うと、悟空の隣に腰を下ろした。
三蔵の言葉に不思議そうな顔をして、隣に座った三蔵を見やる。

「どして…さんぞ…どうして?」

悟空の呟くような問いかけに三蔵は薄く笑うと、悟空を抱き寄せ口づけた。

「…んっ…」

柔らかな唇を舌先でなぞり、そっと口腔に進入させる。
奥に縮こまった悟空の舌を絡め取ると、その柔らかな感触を存分に味わう。

まるで手元につなぎ止めておこうとするような口づけ。

「…ふぁ、んっ…」

角度を変え、より深く悟空の口腔を犯す。
悟空の手がすがりつくように三蔵の法衣を掴む。
重ねた口元から悟空の甘い吐息が漏れる頃、ようやく三蔵が唇を離した。
離れた三蔵の顔を見上げ、どうしたのかと問いかけようとする悟空を黙ってその腕に抱き込む。

「…さんぞ?」

吐息のような悟空の声にちらと視線をやったが何も言わず、三蔵は明るい満月を見上げた。

「今日は十五夜か」

三蔵の呟きに身体を預けたままの悟空が頷く。

「うん、一番きれいな月の日」

三蔵の腕の中に踞るようにして同じように悟空も月を見上げた。
そのまま二人は月明かりの中、寄り添って大きな満月を見つめていた。






やがて、ぽつりと悟空が言った。

「おかえり、さんぞ」

返事の代わりに三蔵は、悟空を抱く腕に力を込めた。






声が、聞こえる声があまりにも煩く呼ぶので急いで帰って来てみれば、悟空は僧庵の屋根に登って月を見ていた。
屋根の上で満月に照らされたその姿が、今にも月光に溶けてしまいそうで、三蔵は慌てて悟空の側に走った。
屋根に登って見つけた悟空は、誰かと話していた。

姿の見えない誰か。

大地の愛し子たる悟空を取り巻く全てのものに三蔵はこの時初めて、恐怖を覚えた。



取られる



いつもなら自然相手に話したと言っても、その姿を見ても失うかも知れないなどという恐怖を感じたことは無かった。
それなのに今夜はこの明るい月光の所為か、
何処までも澄み渡った夜の所為か、
三蔵は悟空を奪われるという恐怖を自然相手に感じたのだった。

風が愛し子を還せと、三蔵の金糸を揺らす。
夜の大気が愛し子をそのかいなに抱きたいと震える。

三蔵は大地の意思を聴いた。
悟空を還せという明確な意志を───






三蔵は風にさえ悟空を触れさせるものかと深々と悟空の小さな身体を抱き込む。

腕の中のこのぬくもりは確かなもの。
ここに存在しているという証。
それなのに失う恐怖が心に忍び込んでくる。
圧倒的な大地の思い。

知らずに悟空を抱き込む腕に力が入っていた。
そんな三蔵の仕草に悟空は身をよじって三蔵と向き合った。

「さんぞ、どうしたのさ?」

自分を連れ戻そうとする大地の意思。
三蔵の不安と恐怖。

「俺ちゃんと側にいるよ。三蔵がダメだって言ったって、側にいるよ」

まっすぐに見返す金の瞳。

「大丈夫だよ、さんぞ」

敏感に胸の内を察する子供。

「…ああ」

三蔵は己の内の不安を悟空に気付かれた事を苦々しく思う反面、悟空の言葉に安心する。
そんな自分の気持ちを押し隠すように三蔵は、悟空に再び口づけた。

「…んっ…」

甘い声が塞いだ悟空の口から漏れても、抱き込んだ身体の力が抜けても、三蔵の口づけは終わらなかった。

それは、この金色の大地の愛し子が、自分もので有ると誇示するように、口づけはその先の行為を暗示する。

三蔵の与えた快感に熱を持ち始めた悟空の身体をしっかりと抱き込み、三蔵は挑むような視線を月に向けた。



お前達には渡さない



心の内で宣言する三蔵に夜風が纏い付くように流れ、腕の中の悟空の髪を揺らした。

「こいつは、俺のなんだよ」

そう小さく呟いて笑った三蔵の笑顔に、月の光が少し揺れた。




end

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