それは熟し切った果実のように、天にあった。 大地に降り注ぐ光は赤く、全てを赤銅色に染めた。 大地は少しずつ空を占領する赤銅色の太陽に削られ、最期の時を迎えようとしていた。
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純白の翼を振るわせて、少年が目覚めた。 幼い仕草でまだ眠い目を擦って、傍らに仰臥する人間を見やった。 「…金蝉…?」 呼べば、微かに閉じられた瞼が震え、透明なアメジストが姿を見せた。 「何?」 少年がその身体を支えるようにすり寄る。 細い吐息の中から、ようやく音を拾い出すように金蝉は、少年の名を呼んだ。 「…ご……く…う……」 抱き込まれた腕から金蝉の顔を見上げれば、柔らかな紫暗が儚い笑みを一瞬浮かべた。 「………ぁあぁ…」 上げる声もなく悟空は、そのままその場に踞った。 どれ程そうしていただろう。
世界は変わらず赤銅色で、動くモノのない荒涼とした岩と大地が続いていた。
翼を持つ自分達に惑星の外へ出て行く力もなく、日ごと夜ごとに大きくなる太陽を見つめながら、人々は翼だったモノを残し逝ってしまった。
時の止まった世界で、少年は、唯一傍にいた保護者を失った。
悟空は偶に、その翼をはためかせて赤銅色の空を飛んだ。
空を支配する太陽が、日ごとに大きく近くなって行く。
その日、いつものように赤銅色の空を見上げた悟空の瞳に、空を過ぎる光が見えた。 空の高みから見下ろせば、舞い上がる砂塵の切れ目から見慣れぬ鉄の固まりが見えた。 「…綺麗な…生き物……人?」 悟空にとって人間とは、背中に翼を持つ者のことであり、翼を持たない人間は単なる生き物という認識しかない。
誰かに呼ばれた気がして目が覚めた三蔵は、船の翼に張ったテントから這い出して、身体を伸ばした。 自転の止まった惑星に夜はなく、永遠に続く昼と乾燥、明けない夜と凍結、昼と夜の境の黄昏れ、太陽の熱に灼かれた大地は、ひび割れ、赤茶けた姿を明けない夜の冷たさに凍えた大地は、氷に覆われた姿を晒していた。 三蔵は、しばらくその荒涼たる景色を眺めながら、自分を呼んだ声について考えた。 「こんな状況じゃ、無理ねぇか…」 苦く笑った記憶を思い出す。 故障箇所は何とか三蔵の腕でも直せるもので、作業に手間取らなければ惑星が太陽に呑み込まれる前に飛び立てるはずだった。 端末のスイッチをモニターに切り替え、焼き切れた回路を繋ぐ作業に三蔵は、取りかかった。
船の修理を始めて二日目、惑星に不時着して五日目、三蔵は不意に地上に射した影に驚いて、空を見上げた。
鳥…だと?
白い翼を広げて赤銅色の空を舞う、純白の鳥。 「…羽の生えた、人間?!」 信じられないと紫暗を見開いて自分の上空を飛ぶその姿を三蔵は、追い続けた。 一方悟空は、上空から見下ろしていた生き物が自分に気付いたことに、狼狽えた。 ゆっくりと目の前に舞い降りてくる羽の生えた人間──鳥人──の少年。 間近で見る生き物は、本当に美しかった。 しばらく、お互いに声を発することなく、互いに見惚れた。 そして、先に我に返ったのは、悟空だった。 「…あの、誰?」 その少し舌足らずな声に、三蔵は我に返った。 「お前こそ…なんだ?」 三蔵の問いに、悟空は慌てて答える。 「三蔵だ」 悟空の答えに、答えるように三蔵が答える。 「…もう少し、大丈夫かな」 悟空がほっと、息を吐きながら目の前の三蔵に笑いかけた。 「おい、時間がない」 焦りを含んだ三蔵の声に、悟空はきょとんとその顔を見返した。 「いや、いい…」 悟空の顔に何も理解していないことを悟ると、三蔵は作業を再開した。
悟空は黙って、作業をする三蔵を地面に座り込んで、飽きもせずに見つめ続けた。 三蔵は作業の手を休めることなく、偶に悟空が呟くように投げてくる問いかけに答えてやった。 「三蔵って、どこから来たの?」 「それは、何?」 「それに乗ると、どこに行くの?」 「何で、三蔵には羽が無いの?」
赤色巨星に呑み込まれるまで、あと二十時間足らず。
大地が揺れる間隔が短くなったと、悟空は抱えた膝の上に顎を乗せて考えた。 「星の外へ出ることが出来れば、悟空だけでも生き延びることが出来るのに…不甲斐なくてすまんな」 くしゃりと大きな手で頭を撫でてくれた。
金蝉…
金蝉を失って初めて、悟空の頬を涙が伝った。 「…それ…船ってぇの直ったら、行っちゃうんだね」 悟空の言葉に、三蔵は思わず振り返った。 「お前は…どうするんだ?」 答えを聞くまでもない問いかけに悟空は薄く笑うと、三蔵の予想通りの答えを返してきた。 「ちゃんと見送ったげるから…安心して…」 自分はこの星に残るのだと、告げてくるその言葉に、三蔵は何故か腹が立った。 つい、何時間か前に出逢ったばかりの異星人。 三蔵は足場から降りると、悟空の前に立った。 「お前も行くんだよ」 そう告げていた。 「拒んでも連れていく。みすみす死ぬと分かっているこんな場所にお前を置いて行くわけにはいかないからな。何より、俺の寝覚めが悪い」 有無を言わさない三蔵の言葉に、悟空はただ金眼を見開いたまま、三蔵の姿を凝視し続けるのだった。
三蔵が悟空をこの星から連れ出すと宣言してから八時間後、惑星が呑み込まれるまで残り十時間足らずで、船の修理は完了した。 手早く機材やテントを片付け、三蔵は傍らに座り込む悟空にその手を差し出した。 「来い、悟空」 煮え切らない悟空に三蔵は小さく舌打つと、徐に悟空の身体を抱え上げた。 「ちょ、ちょっと…あ、あの…三蔵?」 バタバタと暴れる悟空を無視して、背中の羽と共に悟空の軽さに内心驚きつつ、三蔵は船のタラップを駆け上がった。 「しっかり歯ぁ食いしばっとけよ」 悟空が返事をする前に、離陸に伴うGが悟空の身体を打ちのめした。
「…い、おい…」 軽く頬を叩かれる痛みに、悟空は意識を覚醒させた。 「あ…三蔵……」 目の前に三蔵の顔を見つけて、悟空はあやふやな笑顔を浮かべた。 「どこも痛まないか?」 訊かれて初めて、悟空は自分の置かれた場所がどこか思い至った。 惑星の表面に無数の亀裂が走り、やがて音のない光が一瞬光る。 「…消え…ちゃった…」 幼子のように悟空が、泣き出した。
星の最期に立ち会って、拾った翼を持った少年の命一つ。 赤く熟し切った太陽の赤銅色の光に照らされた、純白の翼に幸あらんことを。 願わくばその未来が、共にあらんことを。
三蔵は悟空の翼に顔を埋めて、柄にもないことを祈るのだった。
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