それは熟し切った果実のように、天にあった。
大地から見える空の殆どを占領してそれは、そこにあった。

大地に降り注ぐ光は赤く、全てを赤銅色に染めた。
もたらされる熱は大きさの割に弱く、それでも大地を枯らすには十分で、生きるモノの影は見えなかった。

大地は少しずつ空を占領する赤銅色の太陽に削られ、最期の時を迎えようとしていた。



Get out
純白の翼を振るわせて、少年が目覚めた。

幼い仕草でまだ眠い目を擦って、傍らに仰臥する人間を見やった。

「…金蝉…?」

呼べば、微かに閉じられた瞼が震え、透明なアメジストが姿を見せた。
金蝉と呼ばれた人間は、細い金糸を身体に纏い付かせ、白い布の上にその身体を横たえていた。
自分を見下ろす少年を見上げる瞳には、間違うことない死相が浮かんでいた。
声もなく少年に手を伸ばすと、痩せ細った身体を起こす。
金蝉の背中にも少年と同じ純白の翼があった。

「何?」

少年がその身体を支えるようにすり寄る。
そのまだ幼く華奢な身体を背中の白い翼と共に、枯れ枝のようになった腕に抱き込んだ。
そして、自分と少年の身体を包むように翼を広げた。

細い吐息の中から、ようやく音を拾い出すように金蝉は、少年の名を呼んだ。

「…ご……く…う……」
「何、金蝉?」

抱き込まれた腕から金蝉の顔を見上げれば、柔らかな紫暗が儚い笑みを一瞬浮かべた。
かと思う間もなく、二人を包む翼が音もなく吹き散らかされ、後には白い布が悟空の腕に残された。

「………ぁあぁ…」

上げる声もなく悟空は、そのままその場に踞った。

どれ程そうしていただろう。
やがてゆっくりと悟空は身体を起こすと、自分を包むように降り積もった金蝉の翼だったモノに祈るように額づいてそっと口付け、背中の白い翼を引きずるようにして外に出た。






世界は変わらず赤銅色で、動くモノのない荒涼とした岩と大地が続いていた。
振り返れば凍えた月のない夜が、世界を包んでいる。






翼を持つ自分達に惑星の外へ出て行く力もなく、日ごと夜ごとに大きくなる太陽を見つめながら、人々は翼だったモノを残し逝ってしまった。
死んだ母親から生まれた少年は、金蝉という名の青年に育てられた、この惑星の最後の子供だった。
明けない夜と暮れない昼、灼熱の大地と凍てつく大地、僅かな黄昏の大地、世界の狭間で少年は大きくなった。






時の止まった世界で、少年は、唯一傍にいた保護者を失った。
そして、赤銅色の世界で幽閉された咎人のように、一人生きることとなった。






悟空は偶に、その翼をはためかせて赤銅色の空を飛んだ。
その翼を振るわせて、偶に凍てついた夜空を飛んだ。
だが、大地を見下ろす瞳に、生命の動きは認められず、荒れ果てた大地が何処までも続いていた。
それでも、大地は悟空に安らぎを与えてくれた。
まだ、この大地は死んではいないのだと、そう告げてくれていた。






空を支配する太陽が、日ごとに大きく近くなって行く。
黄昏に染まる大地の後退が、その時が近いと、悟空に告げていた。






その日、いつものように赤銅色の空を見上げた悟空の瞳に、空を過ぎる光が見えた。
しばらくして、彼方に砂塵が舞い上がる。
その舞い上がった砂塵を見つめて佇んでいた悟空は、不意に今、空から落ちた光を追うように空へ舞い上がった。

空の高みから見下ろせば、舞い上がる砂塵の切れ目から見慣れぬ鉄の固まりが見えた。
少し高度を下げて目をこらせば、その鉄の固まりが黒い口を開け、中から人を吐き出した。
翼のない人間。
赤銅色の光にも色褪せない黄金が光る。
金色の翼のない人間は、鉄の固まりの周りを歩いては、何かしていた。
悟空は不思議な面持ちで、その姿を翼が疲れるその時まで、見つめ続けた。

「…綺麗な…生き物……人?」

悟空にとって人間とは、背中に翼を持つ者のことであり、翼を持たない人間は単なる生き物という認識しかない。
だが、近くに寄ってその姿を見れば、その生き物は金蝉のような金色の髪と紫暗の瞳を持ち、整った顔立ちをしていた。
赤銅色の光の中でも確かに分かるその綺麗さに、悟空はしばし見とれた。
そして、その生き物を見ることが、悟空の楽しみになった。











誰かに呼ばれた気がして目が覚めた三蔵は、船の翼に張ったテントから這い出して、身体を伸ばした。
操縦不能に陥って、軟着陸した惑星は、赤色巨星となった太陽のすぐ傍の惑星だった。
故障を誘発した爆発の原因を作った船外作業で、パートナーを失った。
その遺体を回収する間もなく、船は流されたのだった。

自転の止まった惑星に夜はなく、永遠に続く昼と乾燥、明けない夜と凍結、昼と夜の境の黄昏れ、太陽の熱に灼かれた大地は、ひび割れ、赤茶けた姿を明けない夜の冷たさに凍えた大地は、氷に覆われた姿を晒していた。
軟着陸した場所は、トワイライトゾーンにぎりぎりかかる位置で、太陽の熱に灼かれることは無かったが、気温はスペーススーツを通しても熱を感じるほどだった。
ただ、呼吸可能な大気の存在は有り難かった。

三蔵は、しばらくその荒涼たる景色を眺めながら、自分を呼んだ声について考えた。
だが、船を中心に半径二十キロの範囲に、どんな生命活動も探知することはできなかった。

「こんな状況じゃ、無理ねぇか…」

苦く笑った記憶を思い出す。
ならば、呼ばれた声もまた気のせいなのだろう。
三蔵は簡易食のパッケージを一つコンテナから取り出すと、船の中へ入って行った。
簡易食を食べながら、端末のキーボードを叩く。
この名も知らぬ星に降りて船内クロノメーターで三日。
船の観測データーを信じれば、この惑星はもうすぐ空を圧迫する赤色巨星に呑み込まれる。
時間はなかった。

故障箇所は何とか三蔵の腕でも直せるもので、作業に手間取らなければ惑星が太陽に呑み込まれる前に飛び立てるはずだった。

端末のスイッチをモニターに切り替え、焼き切れた回路を繋ぐ作業に三蔵は、取りかかった。











船の修理を始めて二日目、惑星に不時着して五日目、三蔵は不意に地上に射した影に驚いて、空を見上げた。
そこに、白い鳥が飛んでいた。



鳥…だと?



白い翼を広げて赤銅色の空を舞う、純白の鳥。
三蔵は腰の双眼鏡でその鳥をもう一度、見上げた。
それは鳥などではなく、

「…羽の生えた、人間?!」

信じられないと紫暗を見開いて自分の上空を飛ぶその姿を三蔵は、追い続けた。

一方悟空は、上空から見下ろしていた生き物が自分に気付いたことに、狼狽えた。
生き物の綺麗な姿をもっと近くで見たくて、影が差すことを失念して近づきすぎたのだ。
後悔しても見つかってしまった事実は消すことなど出来ず、悟空はゆっくりと生き物の前に舞い降りる決心を固めた。

ゆっくりと目の前に舞い降りてくる羽の生えた人間──鳥人──の少年。
焦げ茶色の髪に、見たこともない黄金の瞳。
何よりその背丈ほどもある純白の翼。
重さなど感じさせないその白い翼を背中にたたむ姿に、三蔵は遠い昔の宗教画に描かれていた天使を思い出した。

間近で見る生き物は、本当に美しかった。
赤銅色の太陽の光の中でも輝く黄金の髪。
自分を見つめる軽く見開かれた紫暗の瞳は、何処までも深い色を湛えていた。

しばらく、お互いに声を発することなく、互いに見惚れた。

そして、先に我に返ったのは、悟空だった。
恐る恐る悟空は、口を開いた。

「…あの、誰?」

その少し舌足らずな声に、三蔵は我に返った。

「お前こそ…なんだ?」
「あ…俺、悟空」

三蔵の問いに、悟空は慌てて答える。

「三蔵だ」

悟空の答えに、答えるように三蔵が答える。
そして、悟空が口を開こうとしたその時、大地が揺れた。
二人同時に、空の太陽を見上げる。

「…もう少し、大丈夫かな」

悟空がほっと、息を吐きながら目の前の三蔵に笑いかけた。
だが、それに三蔵は答えることなく、踵を返すと船の傍の測定器に取り憑いた。
いくつかのボタンとキーを操作する。
そして、画面に出された結果に、その柳眉を寄せた。
同じように三蔵の傍で、三蔵の作業を見守っていた悟空は、三蔵の表情に顔を曇らせ、また、赤銅色の太陽を見上げた。

「おい、時間がない」
「えっ…?」

焦りを含んだ三蔵の声に、悟空はきょとんとその顔を見返した。

「いや、いい…」

悟空の顔に何も理解していないことを悟ると、三蔵は作業を再開した。






悟空は黙って、作業をする三蔵を地面に座り込んで、飽きもせずに見つめ続けた。

三蔵は作業の手を休めることなく、偶に悟空が呟くように投げてくる問いかけに答えてやった。

「三蔵って、どこから来たの?」
「よその星」

「それは、何?」
「宇宙船」

「それに乗ると、どこに行くの?」
「この星の外」

「何で、三蔵には羽が無いの?」
「何で、お前には羽がある?」
「え…あ、生まれつき…」
「俺も生まれつきだ」




赤色巨星に呑み込まれるまで、あと二十時間足らず。
肥大化した太陽に、誘われるようにこの惑星は太陽に近づいている。
これ以上近づけば、惑星はロシュの限界を迎え、バラバラになってその身を太陽に捧げる。
それまでに、太陽の重力に引きずられて脱出出来なくなる前に、何としてもここから飛び立たなければならない。
三蔵は、そこにいる悟空の存在すら忘れて、船の修理に没頭した。




大地が揺れる間隔が短くなったと、悟空は抱えた膝の上に顎を乗せて考えた。
金蝉が逝く前に、大地が揺れだして、夜の部分が今よりも少なくなったらこの星は、太陽に抱かれて、燃え尽きるのだとそう教えてくれた。
その時、お前が一人なのが悔やまれると、苦しい息の下でそう言っていた。

「星の外へ出ることが出来れば、悟空だけでも生き延びることが出来るのに…不甲斐なくてすまんな」

くしゃりと大きな手で頭を撫でてくれた。
そのすぐ後、金蝉は目を覚まさなくなって、次に目を開いた時にはもう・・・。



金蝉…



金蝉を失って初めて、悟空の頬を涙が伝った。
目の前で一生懸命に作業をする三蔵の姿に、金蝉の姿が重なったのかも知れなかった。

「…それ…船ってぇの直ったら、行っちゃうんだね」

悟空の言葉に、三蔵は思わず振り返った。
足場から見下ろす悟空の頬は涙に濡れて、自分を見上げる瞳は寂しそうに揺れていた。

「お前は…どうするんだ?」

答えを聞くまでもない問いかけに悟空は薄く笑うと、三蔵の予想通りの答えを返してきた。

「ちゃんと見送ったげるから…安心して…」

自分はこの星に残るのだと、告げてくるその言葉に、三蔵は何故か腹が立った。

つい、何時間か前に出逢ったばかりの異星人。
純白の翼に華奢な身体、焦げ茶色の髪に、黄金の瞳の少年。
舌足らずに話す声は柔らかく、物怖じしない。
多分、いや、きっとこの星の最後の生き残り。
心細いはずなのに、儚げに笑うその姿に、三蔵は訳の分からない痛みと怒りを感じるのだ。

三蔵は足場から降りると、悟空の前に立った。
そして、

「お前も行くんだよ」

そう告げていた。
その言葉に、悟空はこれ以上ないほどに金眼を見開き、後ずさった。

「拒んでも連れていく。みすみす死ぬと分かっているこんな場所にお前を置いて行くわけにはいかないからな。何より、俺の寝覚めが悪い」

有無を言わさない三蔵の言葉に、悟空はただ金眼を見開いたまま、三蔵の姿を凝視し続けるのだった。






三蔵が悟空をこの星から連れ出すと宣言してから八時間後、惑星が呑み込まれるまで残り十時間足らずで、船の修理は完了した。

手早く機材やテントを片付け、三蔵は傍らに座り込む悟空にその手を差し出した。

「来い、悟空」
「…でも…」
「来るんだよ」
「…三蔵、俺……」

煮え切らない悟空に三蔵は小さく舌打つと、徐に悟空の身体を抱え上げた。

「ちょ、ちょっと…あ、あの…三蔵?」

バタバタと暴れる悟空を無視して、背中の羽と共に悟空の軽さに内心驚きつつ、三蔵は船のタラップを駆け上がった。
そして、そのまま操縦席のシートに悟空を翼ごと固定する。
自分も大急ぎで操縦席に着くと、これ以上早くは出来ないというスピードで発進準備を行った。
その間にも目の前の観測器のモニターが、レッドゾーンに入ったことを告げてくる。
三蔵はナビゲートを船のコンピューターに任せ、予備動作もなくメインエンジンに点火した。
轟音と共に船が、地表を離れる。

「しっかり歯ぁ食いしばっとけよ」

悟空が返事をする前に、離陸に伴うGが悟空の身体を打ちのめした。
気を失う寸前、悟空は枯れた大地と凍てついた大地の赤茶けた自分の惑星の姿をその目に映したのだった。











「…い、おい…」

軽く頬を叩かれる痛みに、悟空は意識を覚醒させた。
ぼんやりした意識と視界が焦点を結ぶ。

「あ…三蔵……」

目の前に三蔵の顔を見つけて、悟空はあやふやな笑顔を浮かべた。

「どこも痛まないか?」

訊かれて初めて、悟空は自分の置かれた場所がどこか思い至った。
慌てて立ち上がった悟空の目の前に広がる光景に、悟空は声もなかった。

惑星の表面に無数の亀裂が走り、やがて音のない光が一瞬光る。
そして、ゆっくりと惑星は砕かれた石のように横へその破片を散らしながら、赤銅色の太陽に飲み込まれて行った。

「…消え…ちゃった…」
「ああ…」
「……ふぇ…ぇぇ…」

幼子のように悟空が、泣き出した。
三蔵はその肩を引き寄せ、そっと抱きしめてやった。
静かな機械音に混じって、何時までも悟空の泣き声が船内の空気を振るわせていた。






星の最期に立ち会って、拾った翼を持った少年の命一つ。

赤く熟し切った太陽の赤銅色の光に照らされた、純白の翼に幸あらんことを。

願わくばその未来が、共にあらんことを。






三蔵は悟空の翼に顔を埋めて、柄にもないことを祈るのだった。




end

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