a firm promise

十三夜の月が天空にあった。




白い翼を持つ悟空は、初めて見る欠けた月から目が離せなかった。




家のサンルームを覆うガラスを全て開け放って、吹き抜ける風に純白の羽を振るわせる。
その風に誘われるように悟空は緩く翼を広げ、小さく羽ばたいた。






三蔵に連れられてきた星、惑星ベルシオ。

三蔵達人類が生まれた惑星、地球とよく似た惑星で、自転周期は約二十四時間、公転周期はおよそ三百六十五日。
傍らに月を一つ従えた緑なす星。

夜空に浮かぶ月は、時間と共に満ち欠けを繰り返す。

悟空の生まれたあの惑星では、月は常に丸く、凍てついた夜をその凍えた光で照らしていた。
自転の止まった惑星しか知らない悟空にとってそれは酷く不思議な現象で、日が昇り、日が沈む、その事実と共に悟空の気持ちを掴んで離さなかった。






見上げる月の柔らかな金色の光に照らされる横顔は、遠い昔の聖堂に飾られた天使の絵そのままに清楚で美しく、儚い。

三蔵が教えてくれたボタンを操作して、悟空はサンルームの天井を全開に開け放った。
そして、ゆっくりと翼を広げ、羽ばたく。



ふわりと、身体が浮いた。



細かな羽を散らし、二、三度大きく羽ばたくと、悟空は夜空へと空高く舞い上がった。

月は変わらず高い位置で、悟空を見下ろしている。
久しぶりに飛ぶ空は少し冷えて悟空の肌を刺したが、それよりも空を飛ぶ開放感に悟空の心は高鳴った。




三蔵と暮らし初めて、僅か十日ほど。
たった一人で暮らしていたあの頃に比べれば、むしろ幸せで嬉しい。

だが、折りたたんだ翼を広げることは滅多になくなって。

好きな時に翼を広げ、好きなだけ大空を飛ぶ。
太陽に近づいたり、月に染まったり、星達を纏ったり、高く、遠く空を駆けめぐる。

その願いは、滅多に叶えられなくて。

だから、偶にこうして人気のない深夜、空を飛ぶことが何より嬉しかった。






庭で水やりをしていた三蔵は、軽い羽ばたきの音に上を見た。
その視界に、翼を広げ空へ舞い上がる悟空の姿が、映る。
思わず止めようと声を上げかけて、唇を噛んだ。




野生の鳥を篭の中に閉じこめておく不自然さを三蔵は、空を飛ぶ悟空の姿に実感する。

三蔵とて、思うままいつでも自由に青い空を澄んだ夜空を飛ばせてやりたいと思う。
思うが、悟空が人類にとって希有な存在で在ることもまた、事実なのだ。

人類が初めて異星人と接触して早、三桁の年月が過ぎようとしていた。
その間に、は虫類に似た者、人類と見分けが付かない者、動物に似た者など形態は様々であったが、悟空のように外見は全くの人類そのものであるにもかかわらず、純白の翼を持ち、尚かつ空を惑星の重力に関係なく飛ぶ者は、誰一人として居なかった。

そんな悟空が、好奇心旺盛な科学者達に見つかったらどんな目に遭わされるか。
自分の仕事柄、いつ知られるか分からないのだから。

だからこそ、隠してきた。
だが、それは悟空を縛り付けることに他ならなくて。
自由に飛ばせてやりたいと思う気持ちとの板挟みに、三蔵は苛つきを押さえられなかった。




悟空の姿を目で追っていた三蔵は、悟空が街外れの森へ飛んで行くのを確認すると、踵を返した。

悟空の後を追う三蔵。
こんな夜中に、外を出歩く者など誰一人無い。
静まりかえった道に、三蔵の走る息づかいと、足音だけが響いていた。
















悟空は森の上で何度か旋回した後、ぽっかりと空いた森の空間に舞い降りた。

舞い降りた先に、小さな泉があった。
覗き込めば小さいくせに泉は底知れぬほどに深く、鏡面のように静かな水面に十三夜の月を映し出している。

「…綺麗…」

緩く翼をたたんで、悟空は泉に近づき、そっと覗き込んだ。
十三夜の月の姿が、僅かの風に小さく揺れる。
それに一瞬、金眼を見開いた悟空はすぐに瞳を細めると、岸辺に膝を着いて両手を泉の中に浸けた。

「…っ…」

浸けた両手の熱を奪うような水の冷たさに、悟空は眉を顰める。
だが、それも一瞬。
水面に映った月の姿を掬い上げるように、水を両手で掬う。
何度繰り返しても水は、華奢な悟空の手を滑り落ち、月の姿も掬えない。

「掴めそうなのに…」

ぺたんと岸辺に座り込み、天の月を見上げる。

「綺麗だね。俺の知ってる月は蒼く冷たくて、空を覆うほどに大きかったんだ。いつも満月で、こんな風に欠けたり、また満ちたりしなかったからさ、不思議…」

濡れた手もそのままに膝を抱え、その身体を翼で覆ってしまう。
その姿は、まるで何かから身を守るように見えた。

「…金蝉、俺…ちゃんと生きてるよ。金蝉が言ってたよその星で…」

外に出られないことが、自由に空を飛べないことが、悟空を孤独にする。
頼る三蔵に、無理は言えなくて。
自分と同じ姿の人間が居ないことを知れば知るほどに、心細くて、寂しくて。

「……居ていいのかな…」

ぽろりと、零れた言葉が夜風に消えた。











森の中、悟空の姿を捜して三蔵は、走った。
僅かに生まれた胸騒ぎに急かされるように、三蔵は走る。

仄明るい森の中、木々の狭間から漏れる僅かな煌めきに三蔵は、気が付いた。
そして、思い出す。
この森の中程に、小さな草原と泉があることに。



悟空…



三蔵は立ち止まって小さく深呼吸すると、ゆっくりその煌めきに向かって歩き出した。
木々の間を抜け、辿り着いたのは森の空間。
ぽっかり空いた小さな草原に、探す悟空の姿を見つけて三蔵は、大きく息を吐いた。

純白の翼で身体を覆い、何かから隠れているように見える。
十三夜の淡い月光が照らすその姿は、酷く儚げで、今にも月光に溶けてしまいそうで。
三蔵の身体が、本人の意志とは無関係に動いた。






不意に後ろから抱き込まれる感覚に、悟空ははっとして顔を上げた。
だが、振り向こうとした顔は、柔らかな髪の感触と夜目にも鮮やかな金色に止められた。

「…さんぞ……?」

不安に彩られた悟空の問いかけに三蔵は、

「……すまない」

と、謝る。

「何言って…!」

驚いて身を捩ろうとした悟空の身体は、翼ごと三蔵に抱えられているため動かすことが出来なかった。

「いいから、このまま聞け」
「……な、に…?」

三蔵のいつにない声音に、悟空は大人しくなった。
抱えた腕の中のぬくもりに、先程の胸騒ぎが消えて行く。
背中から伝わるぬくもりに、先程の不安と寂しさが消えて行く。

「悟空、お前のような人間は、この広い世界にお前だけしか存在しない。だが、お前をこの星へ連れて来たことを俺は、後悔していない」
「…うん」
「だがな、お前の居た星でのように、お前を自由に外へ出してやることもましてや自由に空を飛ばしてやることも今の俺にはできない」
「分かってるよ。三蔵の所為じゃないから…」
「…違うんだ」
「何が?」
「俺は……」

三蔵が何を言おうとしているのか、悟空は抱きしめる三蔵の腕の震えから悟ってしまった。
告げようとする三蔵の言葉を遮るように、悟空は声を大きくした。

「あの、あのな、三蔵…」

自分の腕に添えられた悟空の手が、ぎゅっと服の袖を掴んでくることに、三蔵もまた、悟空の言わんとしていることに気が付いた。

「居て良いんだよ…悟空」
「…ホントに?」
「ああ、何処へもやらねぇ」
「うん…さんぞ……」

三蔵の腕に縋るように悟空は、泣き出した。
その微かな嗚咽とまろい頬を零れ落ちる透明な雫を十三夜の淡い月光と三蔵の腕が包み込み、離すモノかと力が込められる。

愛しさを己の内に抱えた二人を西へ傾いた十三夜の月が、いつまでも見下ろしていた。




end

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