初めて逢ったのは、愛しい人との思い出の花園。
偶然見かけたのは、蓮池のほとり。
最後に見たのは、深い慟哭に彩られた殺戮の中。

忘れ得ぬ面影と温かな想いを残して─────
怠惰なまま流れる茫洋とした時の中で探した黄金の宝石。

見つけ出した宝石は、内なる輝きを失っていた。
子供は、全てを諦めた瞳で暗い岩牢に座っていた。
そこから救い出して、また陽の光を与えたくて、望むモノ全てを与えたくて・・・・・。

岩牢は近づくことさえ、拒んだ。

諦めて尚、泣き続ける子供の心に、求め続ける心に触れることも叶わず、それでも傍らに居たくて何度も訪れ、諦めた瞳で空を見つめる子供を見つめ続け、長い時が経った。

久しぶりに岩牢を訪れてみれば、全ては跡形もなく、子供の姿もなかった。
焦燥に駆られながら探せば、子供はあいつの魂を宿した少年の傍らにあった。

幸せな笑顔を載せて。

少年は聖職者で、少年と住まう場所は、子供には辛い場所のハズだった。
それでも与えられる仕打ちから逃げ出すことよりも、少年の傍らに在ることを子供は望んで。

揺れる瞳で少年の背中を追い求めるその姿に、何度連れ去ってしまおうかと考えたか、計り知れない。
そして、寺院の鐘楼で少年の帰りを待つ頼りなげな姿に、堪らず声をかけ、抱きしめてしまった。
二度と、触れることは叶わないと思っていた子供の身体。
抱きしめた痩躯に、押さえていたモノが溢れ出す。
それでも、時が満ちたわけでなく─────

また、季節は巡り、花の頃を迎える。




花の影 花の雪




悟空は寺院の奥院の中の奥庭の一番外れにある桜の老木の下に佇んで、はらはらと舞い散る薄桃色の花を眺めていた。




昨日の朝から三蔵は仕事で、笙玄をお供に仰々しい行列と共に出掛けている。
行きたくない、したくないと、全身で訴えながらも、外せない行事に苦虫を何万匹も噛みつぶした顔をして、笙玄に笑顔で脅されながら出かけて行った。

帰りは今日の夕方。

その間は一人で留守番。

出掛けに三蔵と笙玄は、くれぐれも寝所と修行場との境の大扉から出ないように、笙玄が用意しておいたモノ以外食べないように、固く約束をさせた。
悟空もまだ、僧侶達に一人で逢うのが恐かったので、言われるまでもなく大扉から外へ出る気は無かった。




三蔵の煌びやかな行列を僧庵の屋根から見送った後、悟空はここを訪れていた。

もうすぐ寿命が尽きる桜の老木の最後の花を見るために。

はらはらと、まるで降り積もる雪のようなその中で、悟空は人の気配を感じて顔を上げ、すぐ傍の桜の枝を見た。
そこに薄紫の打ち掛けを纏った、黒髪の美しい男が座っていた。
悟空を見下ろす瞳が、穏やかで優しい。

「……誰?…」

呟くように零れた声に男は静かに笑みを浮かべると、悟空の前に音もなく舞い降りた。
地に足が着くその時、微かに鎖の擦れる音が聞こえた。

「焔…」

その音に被さるように男が名乗った。

「…ほ、むら?」
「そうだ。お前は?」
「…悟空」
「悟空か、良い名だ」

焔と名乗った男の言葉に、悟空はふわりと笑顔を浮かべた。
その笑顔を見て、焔はあの頃を思い出す。
何の屈託もなく、毎日あいつの傍らで笑っていたあの頃のことを。
















「金蝉に花、摘んで帰ってあげるんだ」

そう嬉しそうに笑って、黄色い花を摘む。
それを黙って見つめる焔の視線に気が付いて、悟空は不思議そうに焔の顔を見上げた。

「どうしたの?焔?」
「…いや、何でも…で、お前はあいつが好きか?」
「あいつ?」
「金蝉」
「うん!大好き!」

力一杯頷く。

「焔も大好き!」

そう言って、本当に幸せそうに、嬉しそうに悟空は笑った。
その言葉に、焔は薄く笑う。

「あ、信じてない!本当だぞ!」

ぷうっと、頬を膨らませて焔の前に立つと、悟空は腰に手を当てて、自分より遙かに背の高い焔の顔を見上げた。

「そうか…」
「そうだよ。疑わないでよね。俺、嫌いな奴と一緒には居たくないし、好きな人とはいつまでも一緒に居たいんだよ。わかってる?」
「あ、ああ」

悟空は、焔の腰の辺りから焔の顔を睨みつけ、焔の返事に、

「ホントだからね」

と、念を押す。

「わかった」
「ならいい」

頷く焔に、にっと笑いかけると、悟空はまた、花を摘みだした。
そして、両手に一つずつ花束を作ると、その内の一つを悟空は焔に差し出した。

「はい、焔の分」
「?!」
「焔にあげる!」

ずいっと、目の前に差し出された小さな花束を焔は、そっと受け取った。

「ちゃんと飾ってな」
「ああ…」

返事をしながら焔はふっと身体を屈めると、悟空の丸い頬に口付けた。

「なっ…」
「礼だ、悟空」
「もうっ!」

悟空は顔を真っ赤に染めて、頬を膨らませるのだった。
















黙って自分を見下ろす焔の瞳に、悟空は気が付いた。
自分と同じ金色の瞳と深い蒼い色のオッドアイ。
その瞳の美しさと底知れない深さに、悟空は見とれた。

自分を見上げてくる悟空の黄金の瞳の澄んだ美しさは、あの時と少しも変わらない。
だが、その瞳に微かな翳りを焔は見つけた。
見つけたらその原因が知りたくなる。
原因が誰にあるのか、はっきりわかっていても。

「お前、何かあったのか?」
「えっ…?」

焔の言葉に、悟空の周囲の空気が冷えた。

「な、んで…?」

警戒心が、頭をもたげてきた。

そうだ、ここは寺院の奥院の一番奥の庭のそれも端。
普通の人間が入ってこられる場所ではない。
それに気付いて、悟空は瞠目した。
焔が現れるまで、誰の気配もしなかった。
ただ、桜と風と大地の声しか聞こえなかった。
では、目の前にこうして立っている焔と名乗った男はどうやってここに来たのだろ。
悟空は信じられない顔を焔に向けた。

「どうやってここに来たのさ」
「さあな」

焔の僅かにからかいを含んだ返事に、悟空は焔を睨みつけた。

「何しにきたのさ」
「お前に会いに」
「お、俺に?」

焔の予想もしなかった答えに、悟空の警戒が一瞬にして戸惑いに変わる。

「ああ、お前の顔が見たかったのさ」

すっと、悟空の頬に焔の手が触れた。
それと同時に、最初に聞いた乾いた鎖の擦れる音が聞こえる。
その音を辿った悟空は、瞳を見開いた。
悟空の視線の先に気が付いた焔が、苦笑を浮かべる。

「気にするな、何でもない」
「何でもないって…それ…」

悟空が焔の手首に嵌められた鈍く光る金属に触れた。
焔の両手首に嵌められた見覚えのある枷。
長い鎖に繋がれた両手に、悟空はあの頃の自分を重ねた。
















動くたびに乾いて澄んだ音が洞窟の中に響く。
座る時、立つ時、歩く時、寝る時、起きる時。
両手、両足、首に嵌められた黒い枷。



なんでこんなモノを嵌められたのか。
なんでこんな暗いところに居るのか。



何も思い出せなくて、何も見えなくて。
幼い胸に残るのは、底知れない喪失感と罪悪感。



一体何を失くしたのだろう。
一体どんなことをしたのだろう。



何も覚えていなくて、何も聞こえなくて。
幼い胸に芽生えたのは、計り知れない孤独。



外は明るくて、綺麗。
外は眩しくて、暖かい。

かいま見える空は、何処までも青く広がって。
見上げる太陽は何よりも眩しくて、見つめていると涙が、溢れた。



最初はどうして良いかわからなくて、自分を傷つけた。
傷の痛みだけが、自分が生きているとわからせてくれたから。
身体を苛む痛みだけが、この手に握れるモノだったから。



それも長くは続かなくて・・・・・。



いつの間にか全てを諦めてしまった。



どれくらいの時間、そうしていたのか。
そんなことすら考えられなくなった時、あの手が差し伸べられた。






声が聞こえた。






世界が拓けた。
















焔の枷を痛そうな顔で見つめる悟空の顎を焔は捉えた。

「何を気に病む。これはお前には関係ないだろう?」
「…でも…」
「思い出すのか?あの岩牢のことを」
「……!」

面白そうに焔は笑うと、悟空の唇に己のそれを重ねた。
一瞬、悟空は固まったが、すぐに抵抗を始めた。
だが、それは一瞬遅く、焔は悟空の後頭部を押さえて、動きを封じてしまっていた。

「…んっ…ふっぁ……っ…」

緩く、深く、悟空の官能を呼び覚ますように焔は悟空の口腔を侵し続けた。
焔に抱き込まれた悟空の身体が、小刻みに震えてくる。
身体の奥からじわりと滲み出した身に覚えのある感覚に、悟空は戦慄した。
それは、三蔵の腕の中でしか感じたことのない感覚。
三蔵だけが与えてくれる感覚。
それをこの男が自分の身体にもたらそうとしている。
悟空は、抗う腕に力を込めた。
だが、それを簡単に封じ込めて焔は、悟空の身体から官能を呼び覚ましてゆく。

「や、め…やっ……はな…ぅん…」

角度を変える焔の唇が離れるたびに、悟空の口から漏れる吐息が艶を増してゆく。
より深く、唇を合わせ、焔は思う様悟空の口腔を蹂躙し続けた。
飲みきれない唾液が悟空の顎を伝い、やがてかくんと、悟空の膝が折れた。
完全に力が抜けてしまった悟空の身体を腕に抱いて、焔は桜の根元に座った。

「…悟空…」

意識の飛んでしまった悟空を膝に抱き、焔は愛しげにその名を呼んだ。
切なく、甘いその声で。

「悟空…」

何故、自分ではないのだろう。
何故、あいつなのだろう。

この綺麗な魂をもった黄金の宝石を手に入れることができるのが自分でないことをどれ程悔やんできたことか。
あいつの傍で幸せに笑う笑顔を見るたびに、身を焦がす醜い思い。
こうして触れて思い知る己の欲。

誰にも渡せない。
誰にも触れさせない。
閉じこめて・・・・・。

自分だけを見るように。
自分だけを求めるように。
そうできたなら、なんと幸せなこと。






─────だが・・・。






「…悟空」

額の金鈷に触れ、大地色の髪に、丸いまだ幼い頬を辿り、艶めく唇に触れる。

「…悟空…」

慈しむように触れる指先が、微かに震えていた。
どんなに望んでも手に入れられない黄金の宝石。
唯一無二の愛し子。

「悟空」

呼ぶ声に微かに嗚咽が混じって、一筋透明な雫がこぼれ落ちた。

「……悟空」

離れがたいと、悟空の身体を掻き抱いて、焔は悟空の肩に顔を埋めた。










はらはらと薄桃色の花びらが音もなく降り積もる。

叶わぬ思いに身を焼く男と何も覚えていない子供を隠すように。










どれ程そうしていたのか。
腕の中の悟空が、身じろいだ。
焔はそっとその身体を降り積もった花びらの褥に横たえると、悟空の瞳に手をかざした。

「…悟空、もう少し眠れ。次に逢う時は、もう我慢しない。それまではあいつの傍で笑っていろ」

もう一度触れるだけの口付けを残して、焔は姿を消した。





















夕暮れ、三蔵が帰ってきた。

いつもならこの時間には寝所に戻っているはずの悟空の姿が無いことに、三蔵は眉を顰めた。
笙玄も悟空の姿が見えないと、心配そうに顔を曇らせている。



どこ行った、あのサルは…。



苛ついて舌打ちする三蔵の頬を柔らかな風が触れた。
その風に何を感じたのか、三蔵は着替えることもせず、そのまま寝所を飛び出して行った。
後には、桜の花びらが数枚、床に散っていた。










風が、三蔵を導く。
まるで急き立てるように。

純白の衣に銀の袈裟。
頂く金糸に花びらが散る。










はらはらと、音もなく降り積もる薄桃色の花びら。

眠っている子供を守るように降り積もる。

頬に、髪に、身体に。











息を切らせて辿り着いて見れば、悟空は舞い散る花びらの中で眠っていた。
その姿に、三蔵は背筋が冷える。
音もなく駆け寄った三蔵は、悟空の傍らに膝を着いた。

風が、緩やかに花びらを舞上げる。

三蔵は眠っている悟空の頬にそって手を触れて、安堵のため息を吐いた。
触れた指先に伝わる仄かなぬくもり。

「…悟空……」

そっと呼べば、睫毛が震えて、黄金の華が咲いた。

「…さんぞ?」

少し掠れた声で自分を見下ろす三蔵を呼んだ。




生きている。
ここに、確かに。

なぜ、ここへ来るまでに思ったのだろう。
なぜ、眠っているはずの悟空を見て、背筋が冷えたのだろう。

考えても答えなど出ないのだけれど。

だから、三蔵は己の心が、意味もなくざわつくのをどうしようもなかった。




悟空は自分を見下ろす三蔵の瞳に、何を見たのか、

「おかえり…」

はんなりとした笑顔を浮かべた。
その笑顔に三蔵は黙って頷くと、悟空の手を引っ張って身体を起こしてやった。

「…こんな所で寝るんじゃねぇぞ」

そう言って、悟空の頭を掻き混ぜる。

「うん…ゴメン」

くすぐったそうに、申し訳なさそうに首を竦めて悟空は謝った。

「わかったんなら、いい」
「うん」

悟空が立ち上がる。
三蔵も立ち上がる。
二人の肩に、髪に、はらはらと薄桃色の雪は降り積もる。

「戻るぞ」

三蔵が眩しそうに桜の老木を一瞬見上げ、踵を返した。

「あ、待って」

悟空が慌てて、後を追う。
一度、振り返って、悟空はそっと、自分の唇に触れた。
そして、

「ばいばい…」

と、桜に手を振って、三蔵の後を追って走り出した。











はらはらと音もなく降り積もる薄桃色の雪。

花影に密やかな想いを隠して。

はらはら・・・・

・・・・はらはら・・・

─────花の雪




end




リクエスト:寺院にいる悟空の所へやってくる焔の切ないお話。
75000 Hi tありがとうございました。
謹んで、蒼さまに捧げます。
close