初めて逢ったのは、愛しい人との思い出の花園。 忘れ得ぬ面影と温かな想いを残して───── 見つけ出した宝石は、内なる輝きを失っていた。 岩牢は近づくことさえ、拒んだ。 諦めて尚、泣き続ける子供の心に、求め続ける心に触れることも叶わず、それでも傍らに居たくて何度も訪れ、諦めた瞳で空を見つめる子供を見つめ続け、長い時が経った。 久しぶりに岩牢を訪れてみれば、全ては跡形もなく、子供の姿もなかった。 幸せな笑顔を載せて。 少年は聖職者で、少年と住まう場所は、子供には辛い場所のハズだった。 揺れる瞳で少年の背中を追い求めるその姿に、何度連れ去ってしまおうかと考えたか、計り知れない。 また、季節は巡り、花の頃を迎える。
花の影 花の雪
悟空は寺院の奥院の中の奥庭の一番外れにある桜の老木の下に佇んで、はらはらと舞い散る薄桃色の花を眺めていた。
昨日の朝から三蔵は仕事で、笙玄をお供に仰々しい行列と共に出掛けている。 帰りは今日の夕方。 その間は一人で留守番。 出掛けに三蔵と笙玄は、くれぐれも寝所と修行場との境の大扉から出ないように、笙玄が用意しておいたモノ以外食べないように、固く約束をさせた。
三蔵の煌びやかな行列を僧庵の屋根から見送った後、悟空はここを訪れていた。 もうすぐ寿命が尽きる桜の老木の最後の花を見るために。 はらはらと、まるで降り積もる雪のようなその中で、悟空は人の気配を感じて顔を上げ、すぐ傍の桜の枝を見た。 「……誰?…」 呟くように零れた声に男は静かに笑みを浮かべると、悟空の前に音もなく舞い降りた。 「焔…」 その音に被さるように男が名乗った。 「…ほ、むら?」 焔と名乗った男の言葉に、悟空はふわりと笑顔を浮かべた。
「金蝉に花、摘んで帰ってあげるんだ」 そう嬉しそうに笑って、黄色い花を摘む。 「どうしたの?焔?」 力一杯頷く。 「焔も大好き!」 そう言って、本当に幸せそうに、嬉しそうに悟空は笑った。 「あ、信じてない!本当だぞ!」 ぷうっと、頬を膨らませて焔の前に立つと、悟空は腰に手を当てて、自分より遙かに背の高い焔の顔を見上げた。 「そうか…」 悟空は、焔の腰の辺りから焔の顔を睨みつけ、焔の返事に、 「ホントだからね」 と、念を押す。 「わかった」 頷く焔に、にっと笑いかけると、悟空はまた、花を摘みだした。 「はい、焔の分」 ずいっと、目の前に差し出された小さな花束を焔は、そっと受け取った。 「ちゃんと飾ってな」 返事をしながら焔はふっと身体を屈めると、悟空の丸い頬に口付けた。 「なっ…」 悟空は顔を真っ赤に染めて、頬を膨らませるのだった。
黙って自分を見下ろす焔の瞳に、悟空は気が付いた。 自分を見上げてくる悟空の黄金の瞳の澄んだ美しさは、あの時と少しも変わらない。 「お前、何かあったのか?」 焔の言葉に、悟空の周囲の空気が冷えた。 「な、んで…?」 警戒心が、頭をもたげてきた。 そうだ、ここは寺院の奥院の一番奥の庭のそれも端。 「どうやってここに来たのさ」 焔の僅かにからかいを含んだ返事に、悟空は焔を睨みつけた。 「何しにきたのさ」 焔の予想もしなかった答えに、悟空の警戒が一瞬にして戸惑いに変わる。 「ああ、お前の顔が見たかったのさ」 すっと、悟空の頬に焔の手が触れた。 「気にするな、何でもない」 悟空が焔の手首に嵌められた鈍く光る金属に触れた。
動くたびに乾いて澄んだ音が洞窟の中に響く。
外は明るくて、綺麗。 かいま見える空は、何処までも青く広がって。
最初はどうして良いかわからなくて、自分を傷つけた。
声が聞こえた。
世界が拓けた。
焔の枷を痛そうな顔で見つめる悟空の顎を焔は捉えた。 「何を気に病む。これはお前には関係ないだろう?」 面白そうに焔は笑うと、悟空の唇に己のそれを重ねた。 「…んっ…ふっぁ……っ…」 緩く、深く、悟空の官能を呼び覚ますように焔は悟空の口腔を侵し続けた。 「や、め…やっ……はな…ぅん…」 角度を変える焔の唇が離れるたびに、悟空の口から漏れる吐息が艶を増してゆく。 「…悟空…」 意識の飛んでしまった悟空を膝に抱き、焔は愛しげにその名を呼んだ。 「悟空…」 何故、自分ではないのだろう。 この綺麗な魂をもった黄金の宝石を手に入れることができるのが自分でないことをどれ程悔やんできたことか。 誰にも渡せない。 自分だけを見るように。
─────だが・・・。
「…悟空」 額の金鈷に触れ、大地色の髪に、丸いまだ幼い頬を辿り、艶めく唇に触れる。 「…悟空…」 慈しむように触れる指先が、微かに震えていた。 「悟空」 呼ぶ声に微かに嗚咽が混じって、一筋透明な雫がこぼれ落ちた。 「……悟空」 離れがたいと、悟空の身体を掻き抱いて、焔は悟空の肩に顔を埋めた。
はらはらと薄桃色の花びらが音もなく降り積もる。 叶わぬ思いに身を焼く男と何も覚えていない子供を隠すように。
どれ程そうしていたのか。 「…悟空、もう少し眠れ。次に逢う時は、もう我慢しない。それまではあいつの傍で笑っていろ」 もう一度触れるだけの口付けを残して、焔は姿を消した。
夕暮れ、三蔵が帰ってきた。 いつもならこの時間には寝所に戻っているはずの悟空の姿が無いことに、三蔵は眉を顰めた。
風が、三蔵を導く。 純白の衣に銀の袈裟。
はらはらと、音もなく降り積もる薄桃色の花びら。 眠っている子供を守るように降り積もる。 頬に、髪に、身体に。
息を切らせて辿り着いて見れば、悟空は舞い散る花びらの中で眠っていた。 風が、緩やかに花びらを舞上げる。 三蔵は眠っている悟空の頬にそって手を触れて、安堵のため息を吐いた。 「…悟空……」 そっと呼べば、睫毛が震えて、黄金の華が咲いた。 「…さんぞ?」 少し掠れた声で自分を見下ろす三蔵を呼んだ。
生きている。 なぜ、ここへ来るまでに思ったのだろう。 考えても答えなど出ないのだけれど。 だから、三蔵は己の心が、意味もなくざわつくのをどうしようもなかった。
悟空は自分を見下ろす三蔵の瞳に、何を見たのか、 「おかえり…」 はんなりとした笑顔を浮かべた。 「…こんな所で寝るんじゃねぇぞ」 そう言って、悟空の頭を掻き混ぜる。 「うん…ゴメン」 くすぐったそうに、申し訳なさそうに首を竦めて悟空は謝った。 「わかったんなら、いい」 悟空が立ち上がる。 「戻るぞ」 三蔵が眩しそうに桜の老木を一瞬見上げ、踵を返した。 「あ、待って」 悟空が慌てて、後を追う。 「ばいばい…」 と、桜に手を振って、三蔵の後を追って走り出した。
はらはらと音もなく降り積もる薄桃色の雪。 花影に密やかな想いを隠して。 はらはら・・・・ ・・・・はらはら・・・ ─────花の雪
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リクエスト:寺院にいる悟空の所へやってくる焔の切ないお話。 |
75000 Hi tありがとうございました。 謹んで、蒼さまに捧げます。 |
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