花一輪 |
沈丁花の花が咲いた。 今年はいつもの年よりもずっと早い。 蝋梅など新年明けてすぐにその蝋細工のような黄色い花弁と甘い香を寒風に揺らせていた。 梅も節分祭よりも早く開いて、春節が終わる頃には満開になっていた。 寺院の中に植えられている河津桜もまだ二月の半ばだというのに花開いて、それを見た僧侶達がびっくりしていた。 だから、今こうして今年一番最初の桜の最初の一輪を見つけたって不思議じゃない。 今朝、三蔵と言い合いをしてしまった。 「何でダメなんだよ!」 諦められなくて食い下がったら、ハリセンが振り下ろされた。 いつもそうだ。 でも、今回は違う。 「誤魔化すなよ!ちゃんと理由言えってば!」 法衣を掴んで揺さぶっても、手酷く振り払われて、睨みつけられるばかりで。 「何だよ!このおーぼー坊主!ハゲ!わからんちん!だいッ嫌いだぁ!」 手に触れた灰皿を三蔵に投げ付けて、俺は窓から外へ飛び出してきたのだ。 「…三蔵のわからんちん」 揺れる桜の花を見上げて、俺は悪態を吐いた。 「ちゃんと…言ってくれれば俺だって、我が儘言わねえのに…」 桜の幹に背を預けて、その枝を見上げた。 「言いたくない理由…なんだよな、きっと…わかってるけどさ、悔しいっていうか、淋しいって言うかさ…つまんねぇ」 一息吐いて、 「そう、思うだろ?なあ…」 枝先で揺れている花に同意を求めたら、 「わかってんなら、訊くな、バカ猿」 聞き慣れた声の返事が返ってきて、俺は文字通り飛び上がった。 「…さ、んぞ…」 予想もしなかった三蔵の姿に俺は一瞬、呆然となったけれど、すぐに三蔵を睨んだ。 「な、なんだよ、理由言いに来たのかよ」 桜の木に背中を預けて、俺は精一杯三蔵を睨んだ。 「どんなことをしても、括り付けてでも、閉じこめてでも置いていくから、無駄なことは考えんじゃねえぞ」 そう言って、煙草を足許に落とし、踏み消した。 「なんなんだよ…置いて行かれる俺の気持ちぐらい考えたっていいじゃんか」 三蔵の言葉に情けない言葉がこぼれ出て、つんっと鼻の奥が痛くなった。 「悟空」 堪えて睨みつける俺の名前を三蔵が呼んだ。 ずるい。 普段は滅多にちゃんと名前を呼ばないくせに、こんな時だけ呼ぶなんて狡い。 「な、名前呼んだって、俺、納得しねぇもん。誤魔化されないかんな」 負けそうだけど、負けない。 「……ったく」 見つめる俺のすぐ目の前まで来ると、ぽんと頭に手を置いた。 「あのなぁ……」 本当に聞き分けのない奴と言わんばかりの表情で、俺の顔を見つめた。 「っちゃんとした理由しか聞かな……」 俺の言葉は三蔵の腕の中に消えた。 「…明日行く所はな、お前を欲しがってるんだよ。連れて行けば置いて帰ってこなくちゃならなくなるんだよ」 顔を押し付けられた三蔵の胸からそんな言葉が聞こえた。 「だから…わかりやがれ」 そう聞こえた瞬間、また三蔵の腕に力が入った。 だから、それって──── 俺の胸にも桜が咲いた日。
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