桜狩り
「三蔵、桜が咲いた」 窓辺に座った悟空が、嬉しそうに笑った。 柔らかな春の陽差しに透ける姿。 椅子をならして三蔵は思わず立ち上がった。 「な、に…?」 悟空の戸惑った問いかけに、三蔵は何でもないと、小さく息を吐き、そのまま、窓辺に座る悟空の傍へ寄った。 「ほら、あそこ」 窓のすぐ脇に立つ桜の枝に、数輪の花が咲いていた。 今年の春の訪れは遅い。 「ようやく、咲いたか…」 三蔵の言葉に頷きながら、悟空はすぐ傍らに立つ三蔵に身体を預けてきた。 「…どうした?」 もたれた悟空の身体に腕を回して支えながら、三蔵は唇を噛んだ。
西への旅が終わってどれくらいの日が過ぎたか。 ”三蔵”としての責務や身を寄せていた寺院の責任を放棄したわけでなく、しばらくは静養を兼ねた静かな時間を過ごしたかったのだ。
三蔵以外は、信じた。 そう、三蔵は漠然と気が付いたのだ。
近いのだと。
旅の間に、三蔵も悟空も数知れぬ怪我を負った。 この今になって、命の危険など無いようなこの時期になって。 誰に気付かれることなく、本人でさえ自覚しているかどうかさえ分からない状態で、少しずつ弱っていく。 幸せに笑っている実像が目の前で透けて、光に溶けそうになる姿に何度も心臓を鷲掴みにされて。 移りゆく大地と共に、普段のままその時を迎えるのだ。
透き通る指先を日に透かしながら、悟空が窓辺に集う鳥達に話していた。 「…もうすぐ、消えちゃうんだ、俺。ずっと三蔵の傍に居たかったのに、寿命なんだって。酷いよなぁ…」 くしゃっと歪む表情とこぼれ落ちる涙。 「まだ、三蔵といっぱいしたいことも行きたい所もあるのに…まだ、もっと三蔵の傍に居たいのに」 服の袖で頬を流れ落ちる涙を拭って、悟空は笑った。 「でもな、三蔵、もうすぐ俺が居なくなるって知らないんだ。それが嬉しい…いつもと同じまんまで、三蔵の傍を離れたい…でないと、俺、我が侭言っちゃうだろ?」 差し出した手にコマドリが乗り、小首を傾げる。 「一緒に来てって…逝きたくないって泣いて喚いて、三蔵を困らせちゃうからさ…今のまま、何にも知らないままで…」 笑う瞳からまた、涙が溢れた。 「………でも、俺が…逝った後、三蔵が知ったら、怒るんだろうな…でも、俺、今のまま三蔵の傍に居たいから……内緒な」 悟空は手に止まったコマドリを空に追いやり、声も立てずに泣き続けた。
それが望みだと、それが願いだと、泣きながら笑っていた悟空の話を聞いてしまったから。 喪失へ向かう時間の長さに怯えながら、三蔵は変わることなく、愛し子の傍に立っていた。
「満開になったらお花見に行こうな、三蔵」 微かな風に揺れる桜の花を見つめながら答える三蔵に、悟空はがばっと身体を起こした。 「ダメ!お花見なの。笙玄に弁当作ってもらって、お気に入りのあの場所へ行くんだ」 三蔵の法衣を握り締め、頬を膨らませて三蔵の顔を睨んでくる。 「何だよぉ」 むくれた口調ではたかれた差していたくもない頭をさする。 「ふん…満開になったらな」 仕方がないと言外に滲ませて頷いてやれば、悟空のむくれた顔が見る間に綻んでゆく。 「笙玄に言ってくる」 そう言って、座っていた窓辺から飛び降りると、笙玄を探しに仕事部屋を飛び出して行った。
一の重には、卵焼き、ほうれん草のおひたし、きんぴらゴボウ、菜の花の辛子和え、若竹の木の芽和えとキンカンの甘煮。 悟空の見守る前で、笙玄は一つ一つ説明しながら重箱を重ね、桜水を染め抜いた風呂敷に包んだ。 「出来ましたよ。悟空」 幼い頃の仕草で、悟空は笙玄に抱きついた。 「悟空」 すりすりと額を笙玄の肩に触れ、とっておきの笑顔を悟空は見せた。 「三蔵様と楽しんできて下さいね」 曇った笑顔に笙玄は、小さくため息を吐く。 「そんな心配は無用ですよ。私は悟空と三蔵様の熱々な姿に当てられなくて、ほっとしてるんですから」 そう言って、笙玄は笑った。 「な、な、なに…そ、そんな、わけ…」 慌てる悟空に笙玄はくすくすと、笑いを堪えて悟空の額を弾く。 「あ〜〜っ!」 笙玄の仕草にからかわれた事に気が付いた悟空が、今度こそ顔を真っ赤にして。 「もうっ!」 膨れながら、結局悟空も笙玄に誘われるように笑い出してしまった。 「さ、急がないと三蔵様の気が変わってしまいますよ」 笑いすぎて滲んだ涙を拭う悟空を笙玄は促した。 「うん!」 弁当と水筒、冷酒の入った籠を二人で下げて三蔵の待つ玄関へ急いだ。
「綺麗…」 散々はしゃぎ回って、お弁当をお腹一杯食べて満足したらしい悟空は、桜の幹にもたれて座る三蔵の腕の中で、はらりはらりと時折花弁を散らす満開の桜を見上げていた。 「さんぞ…綺麗だね…」 三蔵の小馬鹿にした言いぐさにくすくすと、喉を鳴らして笑い、悟空は三蔵の手を取った。 「……さんぞ…」 ぎゅっと、三蔵の腕を抱き込む手に力がこもる。 「…さ、んぞ?」 拗ねたように眉を寄せる悟空の表情に、三蔵は小さく笑った。 「幸せじゃなきゃ、ここにいねぇよ」 そう言って、悟空に口付けた。
今日だと。
ただ、心に落ちた揺るぎない確信。 それでもこの手に抱き込んだ身体の柔らかさに安堵し、伝わる温もりに甘い想いが広がる一方で、鼻の奥がつんと痛くなる。
「そうか…そうだよな」 そう言って、悟空は笑い、三蔵の首に抱きついた。 ただ、抱き込んだ身体を透かして見える本来は身体に遮られて見えないはずの己の身体。 「うん…三蔵も幸せで、俺も幸せだ…うん…嬉しい…」 はんなりとした微笑みを浮かべた悟空を掻き抱いた腕は、宙を掻いた。 「…バカ猿」 呟いた三蔵の頬を、銀の雫が一筋伝った。
「よう、笙玄」 散り始めた桜の花びらを玄関先で掃いていた笙玄に、八戒と悟浄が声をかけた。 「三蔵と悟空は居ますか?」 悟浄が抱えた風呂敷包みを見つけた笙玄が、申し訳なさそうに首を振った。 「いねぇのか?」 八戒と悟浄は互いに顔を見合わせて、苦笑を零し合う。 「あなたが謝る事じゃないですから」 それでも申し訳ないと、表情の晴れない笙玄に、 「では、三人でお花見しましょう」 と、八戒が提案した。 「腕によりをかけて作りましたから、たくさん食べて下さいね」 小皿に取り分けられ、差し出された料理を受け取りながら、笙玄は苦笑を零した。 と、突然三人の傍を桜の花びらを抱き込んだ風が走り抜けた。 それは、春の陽差しを反射して、今ここにいない尊大な男の金糸と慈しむ少年の澄んだ金瞳のように光った。 「帰ってきたら、朝まで付き合ってもらいましょうね」 二人が帰って来る日暮れまでの時間、三人は笑い合いながら盃を酌み交わした。
end |
リクエスト:悟空の寿命ネタで、切なく、甘い感じの二人のお話。 |
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ありがとうございました。 謹んで、河原ノこのは様に捧げます。。 |
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