春の日

「なあ、誕生日って何?」


忙しいこの時期にぽっかり空いた時間。
珍しく、本当に珍しくゆっくりと食事を摂り、うららかな春の昼下がり心地よい睡魔に身を委ね駆けた三蔵に、悟空は覆い被さるようにして聞いてきた。

「何が?」

満たされた気分と春のぬくもりで半分眠っていた三蔵は、悟空の問いかけを聞き逃していた。

「だから、誕生日って何?」
「誕生日?」

オウム替えしに問いかければ、長椅子に足を投げ出して座る三蔵の膝の辺りに座り直した悟空が頷いた。

「うん、誕生日」
「それがどうかしたのか?」

問い返せば、不思議そうに小首をかしげて、話し出した。

「えーとぉ…さっき、寺の小さい坊主達が、八日はお釈迦様って奴の誕生日だから嬉しいとか、なんとか言ってた。んで、お釈迦様ってのは、あの本堂に置いてあるおっきな奴のことだからわかったんだけど、誕生日ってわかんなかったからさ」

思い出し、思い出し話す悟空の幼い仕草を三蔵は、紫暗を細めて愛しそうに見つめていた。
話し終わって三蔵の顔を見れば、見たこともない穏やかな顔をした三蔵と悟空は出会った。



悟空はぽかんと、瞬時に見惚れてしまう。



いつも不機嫌な顔か、無表情な三蔵が、今は無防備で険のない穏やかな顔を悟空に向けている。
少し細められた紫暗の瞳は、綺麗なすみれ色に輝いていた。



悟空の話を黙って聞いていた三蔵は、悟空が頬をうっすらと赤らめてぼうっとしていることに気が付いた。

「どうした?」

問えば、はっと我に返り、何でもないと益々顔を赤くして首を振る。
そんな悟空に三蔵は怪訝な顔をするが、まあいいかという気分になる。
それほどに、今の三蔵は気持ちが寛大で、無防備な状態だった。


とことん疲れている証なのだろう。


確かに、今執り行われている春の祭礼の準備は一月以上前から始まり、準備の仕事が増えた分忙しさは半端でなくなり、三蔵は寝る時間のほとんど無い生活を強いられてきた。
その間に蓄積された疲労は、三蔵の身体と精神を追いつめてしまった。


余裕のない三蔵と不安定な悟空。


気持ちのすれ違いは、目を覆うばかりの状態になり、その間、ずいぶんとこの小猿に寂しい思いや辛い思いと我慢をさせた。

まだ、感情が落ち着かないで、いつも不安定に揺れていることはわかっていたのに。
気持ちに余裕の残っていない自分の八つ当たりで、祭礼が始まる直前、散々泣かせてしまった。

為に、この純粋な小猿を可愛がる側係の笙玄に悟空を泣かせた後、ねちねちと笑顔で説教されるとは思いもよらなかった。
だが、そのおかげでこうして小猿と二人だけの時間が持てたのだから、笙玄の説教も役に立つものだと思った。

悟空が笑っていれば、自分の気持ちもそれなりに安定する。
そのことを知った期間でもあった。




とりとめのない考えが朧になり、また沸いてきた眠気に微睡み始める。

「さんぞ?」

答えの返らない三蔵に訝しく思った悟空が、頬を染めたまま三蔵を見やれば、うつらうつらし始めた三蔵が居た。

「さんぞ…?」

乗り上げた膝から身を乗り出すように半ば眠っている三蔵の顔を覗き込めば、その気配を察してうっすらと紫暗が開いた。

「…んっ…ご…くう?」
「うん」

小さく頷けば、三蔵の手が悟空の後ろ頭に掛かり、自分の胸元へ引き寄せた。

「へっ?!……って、さんぞ?」

驚いて声を上げれば、

「喧しい…」

ほとんど眠っている声で返される。
悟空は、三蔵の胸に引き寄せられるまま頭を付け、静かに聞こえる三蔵の息と心臓の音に耳を傾けた。




そう言えば、あの岩牢から出してもらった日も、こんな日だった。
桜が咲いて、暖かくて、太陽が眩しかった。
そして、自分を出してくれた人は、目にしたどんな景色よりも綺麗で、手にしたいと憧れ続けたあの太陽より眩しくて、暖かだった。

あまり変わらない表情の下に溢れるほどの感情を押し殺し、気を張りつめて孤高に立つ人。
時折見せてくれる何気ない優しさが、どれだけ嬉しいか。
誰よりも繊細で、脆くて、でもとても強靱で柔らかな人。

この世界のどんなものより、誰よりも大切な大切な人。

この人の側に居られるのなら、何もいらない。
一緒に生きてゆけるのなら、何も望まない。
一緒に居る。
側に居る。

それだけが、願い。

「…さんぞ、大好き」

呟きは三蔵の胸に消えて。
悟空は穏やかな笑顔を浮かべた。




やがて、規則正しい寝息が二つ。
緩やかに香る春風の中、金色を頂いた少年と金色を抱く子供が眠っていた。




それは、金色の瞳の子供が、金色の少年に連れてこられて、丁度一年目の春。

その日は、子供がもう一度生まれた日。

永い暗闇から救い出された日。



生きていてくれてありがとう。

出逢った奇跡に感謝を─────




end

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