ふわふわした浮遊感。
White Haze
錫杖を走らせながら、悟浄が呆れた。───数の多さに。 気孔を放ちながら、八戒が困った笑顔を向けた。───強さに。 寸分違わぬ射撃の腕を見せながら、三蔵がうんざりした舌打ちをする。 如意棒を振るいながら、悟空は空腹を訴えた。───予定してない運動に。
八戒の焦った叫び声が、辺りに木霊した。 目の前で倒れ込む姿。 一瞬の閃光。 それに包まれた悟空の身体。 迫る妖怪達を薙ぎ払い、八戒は倒れた悟空に襲いかかる妖怪を気孔波で弾き飛ばす。 「悟空っ!」 駆け寄り、抱き起こした悟空に意識は無かった。 「そいつはもう目覚めない」 悟空を抱く八戒の周囲で声が響いた。 「どんなことをしても、孫悟空は二度と目覚めない」 嘲笑が響き渡った。 「何を!!」 周囲を見渡しても声の主の姿は見つけられない。 「どこに隠れてるんです?」 そう言いながら何もない空間を八戒は、睨み付けた。 「無駄だよ。お前には俺は見つけられない」 八戒は睨み付けていた表情をいつもの人好きのする笑顔に変えると、悟空を抱き上げる。 「例え三蔵法師であろうと無駄なことだ」 走る八戒の後を追いすがって、妖怪が刃を向ける。
妙な声を上げて、子供が目覚めた。 「起きたか」 もぞもぞと毛布の中から這い出てきた子供に、金色の美丈夫が声を掛けた。 「何、見てる。起きたのならさっさと、顔洗って、飯を食え」 不機嫌な口調で言われて、子供は我に返る。 「あっ、う、うん」 頷くと、布団から出て、側に寄っていく。 「おはよ、金蝉」 子供の遅蒔きながらの挨拶に、ぶっきらぼうな返事が返った。
銃を撃つ三蔵の姿を認めて八戒は叫んだ。 「さて、困りましたねぇ」 さして困ってないような笑顔を浮かべて、八戒は悟空を抱き込んだまま、三蔵が戦っている姿を眺めていた。 と、不意にしゃがみ込んだ。 それに答えるように、鎖の擦れる音がしたかと思うと、八戒の周囲に迫っていた妖怪が薙ぎ払われる。 「何、ぼうっとしてんだ?」 悟浄が、鎖の戻った錫杖を肩に担いで近づいてきた。 「はあ、ちょっと手が離せなかったものですから」 八戒は、少し困ったような曖昧な笑顔を悟浄に向けた。 「それ、ひょとしてサル?!」 八戒の腕の中で気を失っている悟空に悟浄が、気付いた。 「どしたの?」 口を開こうとした八戒が、振り向く。 「取りあえずこいつらを片づけないと、ゆっくり話もできねえな」 にやりと笑う悟浄の腕の一降りで、錫杖から唸りをあげて鎖が放たれた。
子供が差し出した本を見た男は一瞬目を見開くが、すぐにいつもの掴めない笑顔を浮かべると、その本をさりげなく受け取った。 「これは、悟空にはまだ難しいですから、もう少し大きくなったら読んでください」 言い含めるような男の言葉に、子供はちょっと小首を傾げて考えた後、素直に頷いた。 「わかった。じゃあ、違うのにする」 男の返事に子供は、にっこっと笑うと、貸してもらう本を捜しに、雑然と積み上げられ、詰め込まれた書棚をまた、物色し始めた。 「面白いものが見られるかも」 考える程に、面白くなってきた。 ───これくらいは、いいですよねぇ 子供が男に見せた本の内容より、少し内容の穏やかな本を子供に勧めるために。
「愛されてるねぇ、猿は」 と呟いて、鉛玉を食らった。 「実際の所、僕にもよくわからないんですよ。突然、閃光に包まれたかと思うと、倒れたものですから」 悟浄が、三蔵の腕の中の悟空を覗き込んだ。 「無いと、思います」 そう言いながら、三蔵を伺う。 「そーかよ。で?」 先を促す。 「正体が掴めなかったのが残念ですが、相手はもう二度と悟空は目覚めないと、どんなことをしても無駄だと笑っていました」 告げる八戒の瞳が、悔しげに伏せられる。 「どんなことをねえ・・・」 悟浄が新しい煙草に火をつけながらため息を吐いた。 「三蔵、どうしたら・・・」 八戒の言葉は、ふいっと、顔を上げた三蔵によって遮られた。 「三蔵?」 八戒と悟浄が、三蔵の視線を追う。 「来るぞ」 三蔵が言うが早いか、無数の岩が民家の壁を突き破って襲いかかってきた。
子供がぷうっと頬を膨らませて、怒る。 「狡くなんかねえよ」 くっくっと笑いながら、男は最後の一枚を机の上に向けた。 「むうっ!」 負けたのが悔しくて、にやにや笑う男を上目遣いに睨む子供の瞳に、うっすらと涙が滲んでいた。 たかがトランプ。 子供相手に本気で相手をしなくてもと思うが、いい加減では相手に失礼と、男は手加減せずに相手をする。 「よし、もう一回だ」 男のその言葉に、今まで泣きそうに歪んでいた子供の顔が、ぱっと、明るくなる。 「今度はぜってー勝つもん」 机の上に身を乗り出して、机に伏せられてゆくトランプを目を輝かせて、子供は見つめていた。
「三蔵、生きてます?」 バラバラと砂埃を撒き散らして、三蔵が忌々しそうに身体を起こした。 「悟浄?」 悟浄の声に、三蔵が腕の中に抱き込んで庇っていた悟空を見せる。 「おやま、お優しいこ・・・」 悟浄の頬をかすめて、鉛玉が飛んだ。 「っつぶねえだろーが!」 その声に重なるように悲鳴が上がる。 「あら、まーだいらっしゃる?」 吐き捨てるように言う三蔵の声に、八戒と悟浄は顔を見合わせる。 「怒って、ますね」 二人はため息を吐くと、悟空を抱えた三蔵を挟むようにして身構えた。
桜の木の上から、下で酒を飲む金色の美丈夫を子供が呼んだ。 「可愛いですねえ」 にこにこと笑顔を向ける男に、金色の美丈夫は嫌そうな顔を向けただけで、盃をあおった。 たゆたい、微睡む時間。 子供の笑い声が耳に心地いい。 「このまま、過ごせればいいんですけどねぇ」 何を思ってか男が口にした言葉は、ここにいる誰もが望んでいた事だった。
目覚めない悟空。 意識がないだけで、その姿は眠っていると言っても過言ではない。 目覚めなければどうなる? この過酷な旅において、足手まとい以外の何者でもなくなる。
八戒が、瓦礫と化した周囲を見渡して言う。 「で、どうするよ?三蔵」 煙草に火を付けながら悟浄がお伺いを立てた。 「こいつを術に掛けたヤツを探し出す」 悟浄の返事を待たず、三蔵は悟空の身体を抱え直すと、歩き出した。 「なーんか焦ってる?」 歩く三蔵の後ろ姿を見ながら、八戒がため息を吐く。 「術を掛けたヤツを締め上げるしかねえんなら、やるっきゃないっしょ」 悟浄の足下の瓦礫が、弾けた。 「地獄耳」 ぽつりと呟いたと同時に頬を銃弾が掠める。 「くそ坊主が!」 不服そうに舌打ちする悟浄を促して、八戒は先を行く三蔵を追って走り出した。
「あれは・・・こ・・んぜ・・ん」 無意識に口をついて出るその名前は、誰よりも大切な、何よりも眩しい太陽。 「金蝉だ・・・」 もやを通して見るその姿は、変わらずに美しくて、眩しい。 「うん、この後、金蝉が俺に蹴躓いて転んで、おもっきし怒られたんだ」 楽しそうに笑う。 「あ、天ちゃんだ」 黒髪の白衣を着た眼鏡の若者が、金蝉と悟空に話しかけていた。 「天蓬・・・天ちゃん」 天界軍の元帥。 「捲兄ちゃんが、天ちゃんに怒られてる」 軍服を着た若者が、天蓬に怒られている。 「そうだ、こん時、捲兄ちゃんにめちゃめちゃ脅かされたんだ」 半泣きになった悟空を庇うように金蝉が立ち、いつも笑っている天蓬が、珍しく怒っていた。 「居心地が良かったんだ・・・」 呟く悟空の瞳が潤んでゆく。 「会いたいよう・・・もう一回会いたいよう・・・」 思いは言葉となって、悟空からあふれ出る。
「三蔵?」 悟浄と八戒が追いついて、立ち止まった。 「どうした?」 三蔵がそっと、悟空を下ろし、その場に寝かせた。 「なーる」 悟浄が錫杖を召還する。 「そう言うことですか」 八戒が、気孔波を三蔵が撃った空間に向けて、放った。 「なんとご大層なことで」 三蔵が吐き捨てる。 「三蔵は、悟空をお願いします」 八戒の言葉に三蔵が、一瞬、目を見開いた。 「飼い主は、ペットを守れって」 揶揄するような悟浄の視線に三蔵は、つまらなそうに鼻を鳴らすと言った。 「後で、殺してやる」 にやっと笑った悟浄の頬を銃弾がかすめた。 「なろぉ」 八戒の言葉に忌々しげに舌打ちすると、三蔵は銃口を妖怪達に向けた。
桜の下でのお花見。 香る思いを悟空は抱き込むようにして見入っていた。 長く伸びた髪、尖った耳、伸びた爪。 その彼が踞る悟空を見下ろしていた。 「ここは居心地がいいだろうな。だが、お前が今見ているその風景は遠い。その手を差し伸べても届かぬものだ」 そっと頬を撫で、その輪郭をたどる。 「過去の幸せに浸ってお前はどうする?それでお前は満足するのか?」 告げられた質問の形を取った断定に悟空の瞳が見開かれる。 「望むのはお前の自由だ。誰に遠慮することも無いだろう。だが、今は何より側にいたいと思う存在がお前にはあるはず。思い出に浸って忘れてしまったか?」 呟く悟空の脳裏を一瞬、金の光が過ぎる。 「”外”へ戻ればここでの事はお前は忘れてしまう。ならば、お前の気が済むまでここにいることを俺は止めはしない。だが、いずれは”外”へと戻らねばならない。わかっているな」 噛んで含めるように話すその瞳は、柔らかく暖かい。 「”外”って・・・」 揺らめく瞳に笑いかけると、その瞼に口づけを贈る。 「よく考えるがいい。お前にとって大切なものについて、”外”について。今、お前の見ているものについて。だから、お前が戻るまでの間、お前の大切なものは俺が守ってやる」 もう一度、悟空の瞼に口づけると、もう一人の悟空は姿を消した。
三蔵の焦った声が、聞こえた。 「悟空!!」 八戒と悟浄が叫ぶ。 「死ねーっ!!」 刃は悟空の心臓を貫いたはずだった。 「う・・そだ・・」 信じられないものを見るように妖怪は自分の胸に刺さった刃を見つめたまま、倒れた。 「悟空!」 悟浄が側に走り寄る足を止める。 「・・・まさか」 小さな影が立ち上がった。 「ってめぇ・・」 悟浄が唸るように呟く。 「久しいな、沙悟浄」 いつもの悟空より幾分低い声音で悟浄を見つけて、笑う。 「悟空?」 戸惑う八戒に視線を向ける。 「玄奘三蔵、今日は、楽しませてもらう」 喉を鳴らして笑うと、悟空は三蔵のすぐ側に迫っていた妖怪を腕の一振りで引き裂く。 「三蔵、これは・・・」 駆け寄ってきた八戒と悟浄を見やって、三蔵は舌打ちする。 「知るか」 悟浄が色をなす。 「ペットだろうが何だろうが、あんなサルは、見たことねぇんだよ」 忌々しげに言い捨てる三蔵の額に青筋が浮かんでいる。 「金鈷着いてますよ、三蔵」 煽るようなことを指摘する八戒が恨めしい。
長くのびた大地色の髪、尖った耳、伸びた爪、猫のような光彩の金の瞳。 金鈷が外れた時にしか現れないもう一人の悟空。 それが今、金鈷をはめたままその姿を見せていた。
指摘され、反射的に振り返った三蔵は、銃を放った。 「流石だ、玄奘三蔵」 にいっと笑って、三蔵の側に寄る。 「三蔵!」 悟浄と八戒が色めく。 「騒ぐな。何もせぬ、なあ、玄奘三蔵」 面白そうに笑うと、三蔵に手を伸ばす。 「触るな」 その手が触れる前に、三蔵は打ち払う。 「悟空がいいか。わかりやすい奴」 ぎりっと、音がしそうなほど唇を噛みしめる三蔵の姿に悟浄と八戒は驚く。 「俺は、悟空が求めればこうして意志を持って入れ替われる。覚えておくがいい。悟空が暴走するその裏には、玄奘三蔵、お前にすら理解できない深淵があるということを。今回、このような形でお前達に相まみえるのは面白いな。なあ、玄奘三蔵」 三蔵が言い返すより早く、悟空は地を蹴り、岩の影に如意棒を突き立てた。 「ボスキャラみたいですね」 八戒の言葉に悟浄は頷くと、拳を握りしめ、悟空を睨め付けたまま立ちつくしている三蔵を見やった。 「お前のお陰で楽しめた。礼を言う。だが、悟空を惑わせた罪は償ってもらおう」 叫びざま、周囲の岩が悟空めがけて襲いかかる。 「このぉ!!」 雨のように降り注ぐ岩は、三蔵達にも襲いかかった。 「三蔵!悟浄!!」 八戒が、三蔵と悟浄を庇って、防護壁を張る。 「代償はもらった」 にぃと、笑ったその笑顔に、妖怪は凍り付いた。 「お、おい三蔵・・」 あまりに凄惨な仕打ちに悟浄が、三蔵に止めろと振り返る。 「喧しい!」 地を這うような声が返ってくる。 「三蔵・・」 八戒が、気遣わしげな眼差しを三蔵に向ける。
困ったように空腹を訴える。 ───さんぞ 舌足らずに自分を呼ぶ声。 ───さんぞ、大好き かけがえのない存在が今、消えようとしている。 「悟空」 その怒りの矛先は確かに、変化した悟空に向かっていた。
「・・・呼んで・・る?」 霞のかかった頭の中に灯る光。 「・・・あれ・・は」 射抜く瞳。 「・・・さ・・ん・・」 大切な、誰よりも、何よりも・・・・。 「さ・・んぞ・・・」
「三蔵!!」 悟空は立ち上がった。 優しい、幸せな日々。 それでも、自分を今呼んでいる彼の方が大切だから。 「・・・ごめん」 小さく呟いて、悟空は走り出した。
「玄奘三蔵、そんなに俺が憎いか?」 悟空の言葉に三蔵の足が止まる。 「無垢な悟空の方が大事か?」 妖怪が最後の力で悟空の足下から、刃を振りかざした。 「さすがにいい腕をしている」 妖怪に向けられていた銃口が、悟空と向き合った。 「元に戻らないのなら、俺を殺すか?簡単な奴め」 殺気を孕んだ三蔵の声にも動じることなく、悟空は三蔵を嘲笑う。 「悟空は俺にとっても大事なんだよ。玄奘三蔵」 銃口を払うようにして三蔵に近づく。 「悟空に何か有れば、その命で償ってもらおう。覚えておくがいい」 感情のこもらない声音が、三蔵の胸を抉る。 「・・・・!」 悟空は酷く酷薄な笑みを見せると、ゆっくりと目を閉じた。 「お帰り」 吐息のような声で呟くと、その身体から力が抜け、三蔵の胸に倒れ込んできた。 「?!」 咄嗟に受けとめる悟空の身体は、すぐに身じろぎ、やがて、金色の花が咲いた。 「・・・さんぞ?」 か細い声が、三蔵の名を呼んだ。 「・・・っつ、この・・」 目にも止まらぬ早業で、ハリセンが子供の頭で乾いた音を立てた。 「戻ったんですね、悟空」 ほっとした八戒の顔。 「起きたか、サル」 安心したように細められる紅い瞳。 「何で、殴るんだよ、さんぞ」 忌々しそうに返される金色の答え。 「何だよそれぇ」 三蔵の言葉にむくれる悟空に悟浄が、囁く。 「心配してたぞー三蔵様」 振り返った悟空の目の前を銃弾が掠めた。 「いやん、恥ずかしがりぃ」 ちゃかす悟浄に銃を撃つ三蔵の頬が、うっすらと赤いことに誰も気づかなかった。
「さんぞ?」 戸惑ったような声で悟空が名を呼ぶ。 それには答えず、三蔵は悟空を抱く腕に力を込める。 「・・・さんぞ・・?」 そっと、三蔵の背中に腕を回しながら、どうしたのかと名を呼ぶ。
そして、全身を焼き焦がすような怒り。 誰であろうと、この無垢な魂を連れ去ることは許さない。 自分が見つけた。 全てを引き替えにしてもいいほどの思い。 あの溢れるほどの怒りは、独占欲。 あいつは、この無垢な魂を守るためなら悟空を自分のうちに閉じこめることぐらい簡単にやってのけるだろう。
見上げる黄金の澄んだ瞳。 「・・・悟空」 見返す紫は物言いたげに揺れたが、 「いや、いい」 答えは無かった。 どれほどの心配をかけたのか。 「さんぞ、俺・・・目が覚める直前、三蔵が呼んでる声が聞こえたんだ」 何を言い出すんだと、少し呆れた顔をする三蔵にはんなりと笑いかけながら、 「白い闇の中で、三蔵の声は俺を導いてくれた。だから、迷わず戻ってこれたんだ」 悟空は、煙草をくゆらす三蔵の前に立つ。 「あそこは居心地が良くて、俺の失った懐かしいものがたくさんあって、幸せな気持ちも一杯あった。でも、何かがったりなかった。それが何かわかったのは、あいつがきっかけだけど、でも・・・」 先を促す三蔵に身体を預けるように抱きつく。 「ちゃんと自分で気がついたんだ。俺にとって三蔵が一番大事だって。だから、戻ってこれた。だから俺、側に居ていいよね?・・ね?」 息がかかるほど顔を近づけて、悟空が確かめるように三蔵に言った。 「好きにするさ」 囁かれた言葉は静かに。 「うん、大好き」 答える声は、吐息のごとく。 柔らかく微笑んだ悟空の唇に三蔵の口づけが降りた。
end |
リクエスト:敵の術に悟空がはまって、心の中で迷子になり、金鈷をはめたままの斉天大聖出現。最後は三空なお話。 |
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ありがとうございました。 謹んで雪夜様に捧げます。 |
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