日だまりで少年が眠っていた。

柔らかな初夏の日差しが、地面に木の葉の影を落とす。
年を重ねたサンザシの白い花が、少年の寝顔を優しく見下ろしていた。



日だまり
各部屋がそれぞれ独立したコテージになった宿屋に昨夜、辿り着いた。

四人は疲れ切っていて、取りあえず二部屋を確保すると、気を失うようにして眠りについた。

朝、と言っても、もうほとんど昼と言ってもいい時間に泥のような眠りから目が覚めた。
それでも、身体は眠りを要求し、四人は抗うことなく眠りのかいなに身を委ね、次に目覚めたのは、宿について二日目の朝だった。






最初に目が覚めたのは、八戒。
気持ちよく身体を伸ばし、窓を全開にする。
晴れ渡った空と頬を撫でる風に、今日の日が穏やかであることを思う。


次に目覚めたのは、三蔵。
起き抜けの一服とばかり、煙草に火をつけた。
くわえ煙草で窓を開け、陽の光の眩しさにその紫暗を細める。
振り返れば、幼い寝顔を幸せそうにほころばせた子供が気持ちよさそうに眠っている。


三番目は、悟浄。
八戒が入れるコーヒーの香りに誘われるように目覚めた。

「…んっ…」

気持ちよさそうに身体を伸ばす仕草がネコ科の動物にも似て、八戒は思わず口元をほころばす。

「おはようございます」
「ああ、おはようさん」

差し込む朝日に明るい紅を光らせて、悟浄は窓辺に立つ八戒に笑いかける。

「飲みます?」

マグカップを示せば、当然のように頷きが返って。
コーヒーの香りに混じって、嗅ぎ慣れた煙草の匂い。

「今日も良い天気ですよ」

差し出すカップを受け取りながら、悟浄は窓の外を眺めた。


最後に起きたのは、悟空。
もぞもぞと掛布の間から抜け出して、寝台の上に膝を割開いて座る。

「…ん…さんぞ?」

幼い仕草で目を擦り、大切な太陽を一番に呼ぶ。
その声に、窓辺の三蔵は振り返る。

「起きたか」
「うん…お、はよ」
「ああ」

まだ、眠たげな声で返事をしながら寝台から降り、三蔵の側へとてとてと裸足のまま歩く。
ぱふっと、音がするように三蔵の胸に抱きつく身体を、手に持つ煙草が触れないように抱き留める。

「…どうした?」
「……ん…」

起き抜けに三蔵に抱きつくなど、寺院に居る時ですら滅多になかった。

抱きつく時は、夢見が悪かった時。
不安に心が怯えた時。
寂しい時。

今回もそうなのだろうか。

答えを待っていると、何度か胸に顔をすりつけて、悟空は顔を上げた。

「…さんぞぉ、だーい好き…」

ほわんと幸せな笑顔を見せる。
そんな悟空の様子に三蔵が、怪訝な顔をすると、

「キスしてぇ」

と、なんのてらいもなく口にする。

「…バカ…猿…」

小さく呟いてその唇に口付けを落とす。
ついばむように何度も。
そして、ゆっくりと身体の奥の熱を呼び覚ますような口付けへ変わって行く、それ。
何度も角度を変え、逃げる悟空を追いつめて、追い上げる。

「…ん…ふぁ…ぅん」

漏れる吐息が甘く掠れ、抱える身体から力が抜ける。
その身体を抱え上げ、三蔵はまた、口付けを落とす。
疼き始めた身体の熱に悟空は、これからの行為を思ってうっすらと頬を染めた。

「…さん…ぞ…う…」
「誘ってんじゃねぇ…」
「う…ん…」

三蔵は頷く悟空の艶やかに光る金眼に薄く笑うと、その華奢な白い首筋に顔を埋めた。











昼下がり、久しぶりにくつろぐ四人の姿が、そこここにあった。



三蔵は、コテージの庭先の日陰で煙草をくゆらせながら新聞を読んでいる。

八戒は、悟浄に手伝わせて、洗い上げた洗濯物を取り入れていた。

「あっ!」

風が、するりと八戒の手からタオルを取っていく。

「悟浄…」
「おっ…」

飛んできたタオルに悟浄が手を伸ばす。
その手をまた、するりとかいくぐって、タオルは風に乗った。
掴み損ねた悟浄は、そのまま芝生の上に寝ころんでしまった。
その姿に八戒がびっくりしたような、困ったような笑顔を浮かべた。



風に乗ったタオルは、ひらりひらりと空を舞い、サンザシの枝に引っかかった。

その木の根元には、遊び疲れた子供が眠っていた。

大地色の柔らかな髪と陽の下を好むくせにあまり日焼けしていない肌。
まだ幼さを色濃く残した輪郭に、木の葉の影が口づける。
額の金鈷が、木漏れ日に鈍い金色の光を弾いた。

大地の愛し子。

風は、その眠りを妨げないように吹き渡る。
その風に煽られて、タオルが枝を離れた。
一瞬、風が止む。
まるでしまったと、首を竦めたように。
タオルが、悟空の顔の上に落ちた。

「……ぅん」

顔に落ちたタオルを払いのけようと、手が泳ぐ。

「な…に…?」

うまく取れずに、瞳が開いた。

「タオル…?」

掴んで身体を起こせば、八戒と悟浄が何か話ながら、洗濯物を取り入れている姿が見えた。
八戒が話す内容に、悟浄が答える。
その答えが面白いのか、八戒の笑う声が微かに聞こえてくる。
タオルを握ったまま、悟空はその二人の様子を見つめていた。



───ええ、好きですよ



声が、聞こえた。

優しい声。




洗濯して洗い立てのモノをいつも用意してくれた。
綺麗なシーツとふかふかのお布団に寝かせてくれた。
美味しいご飯を作ってくれた。



───悟空…



三蔵とは違う音で名前を呼ばれるのが好きだった。
優しい笑顔が好きだった。
穏やかな仕草が好きだった。



───ダメですよ、三蔵様に叱られますよ



たまに怒られたけど、
たまに困らせたけど、
たくさん心配かけたけど、
大好きだった。






「…どうしてるかな、笙玄…」

呟く声に、涙がにじんだ。

「元気だろうさ、きっと」
「えっ?」

振り返れば、呆れた顔をした三蔵が立っていた。
ぽかんとしているうちに、悟空の横へ腰を下ろし、三蔵は同じように八戒と悟浄の方へ視線を向けた。






晴れた日によく見かけた、悟空と笙玄の仲むつまじい姿。
その姿に苛立ちを何度覚えたろうか。
その苛立ちもいつの間にか消えて、その姿に心がなごむ自分が居た。

支えになるのは、お互いしか居ない。
そんな中で、心の深いところにまで入り込んで、住み着いた存在。
敵意ばかりの中で、唯一日だまりのように安心できる存在だった。




手紙が、十日ほど前に届けられた。



手紙には彼らしい穏やか文字が、綴られていた。

元気でいるだろうか。
病気はしていないか。
ケガなどしていないか。
たくさん食べているだろうか。
煙草の吸い過ぎはよくない・・・・・。

二人の事を心配する内容がほとんどだった。
その優しい手紙の最後に、ぽつりと、寺院を出たことが、迷いをのせた文字で書かれていた。

西への旅が無事に終わって長安に戻って来た時、一番に出迎える約束を違えることとなったことを許して欲しいと。

理由は・・・・・。




三蔵に笙玄の気持ちは、よく理解できた。
だが、彼が可愛がり、慈しんだ子供に、その思いが理解できるだろうか。
きっと・・・。

告げるのはもう少し先にと。

悟空は、旅の最初ははしゃいでいた。
だが、葉と出逢って以降、笙玄のことを思い出しては、ふさぎ込むことが多くなった。
ホームシック───と言い切るには無理の在る気持ち。
その気持ちを悟空なりに整理をつけたらと、決めていた。






「八戒と笙玄って似てる…」
「あほう、八戒ほどあいつは、腹黒くねぇぞ」
「そうか…」
「そうだよ」

立ち上がった。

「さんぞ?」

びっくりして見上げる悟空に三蔵は、口角を上げることで答えると、手を差し出した。
目の前に差し出された手を悟空は一瞬、見つめた後、そっと手を伸ばす。
すると、軽く引っ張り上げられるように立たされた悟空は、そのまま三蔵の腕に抱き込まれた。

「泣くんじゃねえ」

耳元で言われた言葉に悟空は、瞳を見開く。

「泣いて…ない」

言い返せば、答えの変わりに悟空を抱く腕に力が込められた。

「…なら、いい」
「うん…」

もう一度力を込めた後、三蔵は悟空を離した。

「さんぞ…」

はんなりと笑う悟空の頭を軽く撫でると、ずっと悟空が握りしめているタオルを顎でしゃくった。

「八戒に持って行ってやれ」
「あ…うん」

三蔵に促されて八戒達の方へ歩き出した悟空が振り返れば、サンザシの木下で三蔵は煙草に火をつけていた。
木漏れ日に煌めく金糸の髪。

ただ一つの太陽。

三蔵は知っていたのだ。
ことあるごとに笙玄を思い出して、ナーバスになっていたことを。
でも、もう大丈夫。

そう、約束。
この旅から無事戻ったら、とびっきり美味しい料理を作って、長安の町の入り口まで迎えに来てくれると。
約束したのだ。

それを楽しみに、いつもの自分に戻れる。
もう大丈夫。

悟空は、掴んだタオルを振り回して、三蔵に手を振ると、八戒と悟浄の下へ走り出した。




日だまりのようなあの人にもう一度会うために。
大好きな人達とまた、暮らせるように。

願いはひとつ。



───いつでも笑っていて下さい。私は、悟空の笑顔が大好きですよ



風に乗って願いは届く。




end

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