ひと夜




小さな命が消えた。
抱えた手のひらの中で、花が散るように。




それは、自分の力が及ばなかった結果だった。




守りたいとか、守らなければならないとか、そんなことは関係なかった。
ただ、その小さな手で自分にすがりついてくるから。
その綺麗な円らで見上げてくるから。




だから・・・・・。






相手は多かった。
襲われた時よりも人数は減っているはずなのに。




小さな命を抱えて戦うその方法が、違っていたのだろうか。
でも、どれが正しかったのかなんて分からない。
岩陰に隠して戦えば良かったのか。
抱えて走れば良かったのか。
求める相手に渡して楽になれば良かったのか。




分かるわけない。




三蔵や悟浄、八戒を、助けを待っている自分も許せなかった。
自分は一人でこの大地に立っているはずなのに、一人になるとこうも弱気が頭をもたげてくる。
それを振り切って、この繋いだ手を離さないように戦った。






・・・・・なのに。






動かない骸を抱きしめ、悟空は声もなく泣いた。

夕日が山の端に掛かる頃、ようやく悟空は小さな骸を大地の腕に委ねた。
赤く染まった服を傍の泉で洗い、何事も無かったように装う。

「…ごめん…な」

繋いだ手を離してしまったそのことを思うと、悟空は謝ることしかできなかった。
小さな石と黄色い小さな花を添えて、悟空は墓標に替えた。




ぺたんと座り込んで無心に祈る悟空の回りに、動物達が寄り集まってきた。
大地の子が流す涙を拭うために。

花が開く。
大地の子を慰め、小さな命を悼むために。

声もなく、悟空は涙を流し、天は傍に月を呼んだ。




夜の帳が空を包む頃、悟空は袖口で涙を拭い、立ち上がった。
そして、

「…ありがと」

そう言って悟空は何とか笑顔を浮かべると、三蔵達が待つであろう場所へ向かって走り出した。





















林の向こうから、月明かりに照らされた小さな影が走ってくる。
その姿を認めて、三蔵は小さく安堵のため息を吐いた。

戦いの途中で四人バラバラになり、三蔵達は無事合流を果たしたが、悟空だけ丸一日、戻って来なかった。
捜しに出たい思いに苛まれながらも、間断なく襲ってくる刺客達の所為で動くことができずに一日を過ごした。

近づいて来た姿は、どこにもケガを負っている様子もなく、駆け寄る八戒と悟浄に明るいいつもの笑顔を向けていた。



聴こえる声は、泣いているのに。



野営は小川と言うにはいささか問題があるが、川と言うにはおこがましいせせらぎの側に張った。
時間的には夜中に近いが、いつものように賑やかに三蔵のハリセンをもらいながら一日ぶりの食事を摂り、ふざけながら、笑いながらそれぞれ、思い思いの場所に寝ころんだ。






月が中天を過ぎる頃、悟空は寝床を抜け出した。
足音を殺して三蔵達の側を離れる。
緩やかな夜風に包まれながら悟空は、せせらぎの側に一抱えもある大きな岩を見つけ、腰を下ろした。
すると、大地が音もなくその身体を震わせた。
震える大地の子の心がそのまま伝わったように。

「大丈夫…だから……」

大地の心配を気遣うように悟空は、はんなりとした笑顔を浮かべた。

膝を抱えた上に顎を乗せて、身体を丸くする。
まるで傷付いた動物が、傷の癒えるのを待つような姿を連想させる。
夜風はそんな悟空を抱くようにその身体を包み、大地色の髪を撫でる。
西へずいぶんと傾いた月は、その光が暖かくないことを悔やむように大地の子の姿を朧に照らしていた。




いつもいつも三蔵に頼ってばかりだと思う。

さっきだって、三蔵の姿が見えた途端、すがりついて泣きそうになった。

一体、自分は強くなったのか、弱くなったのか。
あの時、砂漠での戦いの時、誓ったことは何だったのか。

強くなる。
心も体も技も。
無様に負けないために。
自分の心に正直に生きるために。
そう誓ったのに・・・・・。

三蔵が、八戒が、悟浄が傍にいてくれることが心地良い。
甘えたいわけではないけれど、子供でいられる場所だから。
こんな甘えがあったから、あの小さな命を散らせてしまったのだろうか。




出会いは、偶然。
必然のある偶然。




知らない間に弱くなっている心に、自分で気が付くためのものだったのだろうか。
綺麗なものが消えて行くのをこの目で見て、体験するまで。

「俺って…やっぱり、バカ…かな…?」

ぽつりと呟く。
それに答えが、返った。

「バカだな。その上、サルだ」

その声に振り返れば、静かな瞳の三蔵が、煙草をくゆらせながら立っていた。
悟空は、

「……かも…」

と、小さく笑うと、また顔を膝に埋めて丸まった。

三蔵は何も言わず、夜風に吹かれながら煙草を吸っていた。
岩の上に丸まる悟空の背中が、これ以上の三蔵の進入を拒んでいたから。




何があったのか、言おうとしない。
それはそれで構わない。
自分の中で整理がつき、感情に折り合いが付けばいずれ、言葉となって外へ出てくることだ。
だが、頭に響く声なき声は、その心が悲嘆にくれていると、訴えてくる。
三蔵は深いため息を煙草の煙と一緒に吐き出すと、朧に光る月を見上げた。








何か悔しいかも知れない。
いや、悔しい。

三蔵の気配を背中に感じる。
そこに三蔵の気配があるだけで、気持ちが和らいでくるのが分かるから。
今まで思い詰めていたことが、解れてくる。
張りつめた気持ちが緩んでくる。
気持ちが緩んでくれば、涙が滲んでくる。




小さな命が消えたことを三蔵は知らない。
その命がつかの間、悟空の傍らに在ったことも。
その命が、悟空の手の中で消えてしまったことも。

言えない。
話せない。

それは甘えになるから。
それは頼ることになるから。

それでも、三蔵は小さな悟空の変化を見逃さない。

それが三蔵。

悟空がこの世界で側に居たいと思う唯一の人間。








膝に埋めた顔を上げて空を見れば、東の空に明けの明星が小さく輝くのが見えた。

「…さんぞ」
「何だ、サル?」
「…サルって……言うなよ…」
「ふん…」

じゃりっと煙草を踏み消す音がしたかと思うと、踵を返し、歩き出した気配がした。

ゆっくりと振り返れば、暁光が射す。
その光に三蔵の金糸が一瞬、輝きを増す。

手にした命は消えたけれど、そこに在った思いはここに、悟空の心に残る。
差し出した手を三蔵が掴んでくれたように、いつか自分も自分に向かって差し出された手を掴んであげたいと思う。

三蔵に誇れる強さで。
三蔵が与えてくれる程の優しさで。






悟空は岩から降りると、八戒達のところに戻って行く三蔵の後を追った。
紫暗の空に登る金色の太陽のように。




end




リクエスト:何かに心を痛めた悟空が一人で立ち直ろうとするが、三蔵の無言の行為に自然に落ち着いていく自分に「悔しい」と思うお話。
22222 Hit ありがとうございました。
謹んで、翠條 さまに捧げます。
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