「きれぇ…」

小さく区切られた小振りの重箱。
萩蒔絵の三段重。

一の重には、秋の甘露。
二の重には、秋の実り。
三の重には、秋の彩り。

色、形様々な菓子と肴が並ぶ。
その彩りの美しさに子供は見惚れたため息を零す。
その本来の年齢にそぐわない幼い仕草に、笙玄は柔らかく口元を綻ばせた。

「もう、蓋を閉めていいですか?」

訊けば、見とれていた子供がほんのりと頬を染めて頷いた。
笙玄はそうと重箱の蓋を閉め、竜田の錦を染め抜いた茜色の風呂敷に重箱を包み、下げ籠に黄金の酒と果実の雫を入れ、盃と杯を入れた。

「用意、出来ましたよ」
「うん!」
「ありがと、笙玄」

包みと籠を持って、子供は極上の笑顔を浮かべた。



秋日和
昨日、三蔵の誕生祭だと、一日、早朝から夜遅くまで寺院の行事に付き合わされた三蔵は、まだ眠っていた。

毎年、毎年、出席する、しないで笙玄に前の晩から抵抗していた三蔵だったが、数年前から諦めたのか、腹をくくったのか、定かではないが、真面目に行事に参加するようになっていた。
といっても、この三蔵の生誕祭だけなのだが。
それでも、三蔵を知る人々にとっては、劇的な変化であった。

寺院に着院して以来、三蔵は三蔵法師がどうしても出席しなければならない行事以外、殆ど参加しない、毎月定められている説法会にも年に数えるほどにしか出席した事がない。
滅多に公の場へ姿を見せない三蔵は、その美貌と相まって、神秘的な存在として人々の憧憬を集めていた。

そんな三蔵が出たくもない公式行事に参加した翌日は、どんなことがあっても休みと決まっていた。
一部の例外を除き、緊急の仕事であろうが、何であろうが、一切取り次がないことになっている。
故に、昨日、三蔵の生誕祭に参加した三蔵は今日は休みだ。
故に、陽が高く昇る時刻まで寝ていてもいいのだ。

悟空はそっと荷物を居間の机に置くと、寝室へ向かった。
その扉を出来る限り音を立てないように開け、また閉じる。
そして、陽の光の差す寝台へ近づいた。
寝台に近づくほどに、掛布の隙間から見える三蔵の金糸が、陽の光に光って輝きを放つ。
悟空は寝台の傍らに立つと、そっと掛布の上から三蔵を揺り起こした。

「…さんぞ」

何度か揺するともぞもぞと身体を動かす三蔵に、悟空の口元が綻んだ。
いつもなら人の気配に敏感で、触れられるのが嫌いな三蔵は、寝室に入った時点で目を覚ましているはずだ。
だが、今日は部屋に入っても目が覚めない。
触れても目が覚めない。
それほど疲れたのか、安心しているのか。

「さんぞ…三蔵…」

遠慮がちだった悟空の手に力が入り、三蔵の身体をきつく揺り動かす。
と、掛布の中から腕が伸びたと思った瞬間、悟空の身体は布団の中に引きずり込まれてしまった。
その中で上がるくぐもった悲鳴。
バタバタと掛布が波打ち、やがて甘い声音が漏れ始めた。

















明るい陽の光を浴びる寝台に、悟空は薄紅の花を咲かせた素肌を晒して眠っていた。
三蔵はその寝姿を見下ろして穏やかに瞳を綻ばせると、ジーンズにシャツを羽織った姿で寝室を出た。

「三蔵様、まだいらしたのですか?」

丁度乾いた洗濯物を片付けに入って来た笙玄と顔を合わせたのだ。
笙玄の言葉に三蔵は怪訝な顔をした。

「なんだ?」
「あ…悟空が三蔵様と紅葉を見に出かけると、朝から用意を…えっ?」
「…ぁあ?」
「悟空は?」

笙玄の返事に三蔵は思わず寝室を振り返った。
それだけで何がどうなったのか、察した笙玄は小さくため息を吐いた。

「…お弁当も用意致しましょうか?」

笙玄の言葉に三蔵の顔が苦虫を噛みつぶしたようになる。
そして、暫く逡巡したあと、悔しそうな声が紡がれた。

「…………頼む」
「はい」

にっこりと、これ見よがしな笑顔を浮かべて笙玄は頷き、三蔵に背を向けたのだった。











悟空が目覚めた時、陽は既に西に傾き始めていた。
そして、三蔵の姿を見るなり、枕を投げつけ、まろい頬を怒りに紅潮させて喚き散らした。
悟空の怒りを受け止めながら三蔵は、怒りを孕んで睨み上げてくる薄い膜の張った金瞳を綺麗だと思った。

「三蔵のバカぁ……バカ…」

悪口が尽きたのか、悟空は力無く振り上げた腕をシーツに落とし、項垂れた。

「…三蔵に見せたかったのに…日が暮れちゃったら見られないじゃんかぁ…綺麗だったのに……」

ぐすっと鼻を鳴らす。
そのあまりに萎れた姿に、悟空がどれ程楽しみにしていたのか、窺い知れた。
そして、胸を刺す罪悪感。

だが、三蔵にも言い分があった。
昨日は本当に疲れていた。
よれよれで風呂に入り、日付が変わった時に悟空が嬉しそうに何か言っていた、その記憶が僅かに残るだけで、何も覚えていないのだ。
そう、先程、笙玄から聞くまでは。
だから、悟空の怒りを向けられても身に覚えがないといえばないのだ。

それでも素直に受けた。
寝起きに悟空を引きずり込んで、その甘い身体を欲したのは自分なのだから。
悟空の計画を台無しにしたのは自分なのだから。

「せっかくの誕生日のお祝いだったのに……」

ぽつりと漏れた言葉に三蔵は紫暗を見開いた。
そうだ。
そう言えば、今日はそんな日だったと、思い出す。

「………悟空」

名前を呼べば、薄い肩先が揺れた。
そこへ扉を叩く音がして、次いで、笙玄の声が聞こえた。

「三蔵様、ご用意出来ました」
「解った」
「はい」

三蔵の答えに笙玄の返事が返り、気配が遠ざかった。
二人の扉越しのやり取りに、悟空は顔を上げて、三蔵を見ていた。

「……な、に?」

不安げな表情で三蔵を見上げてくる金眼の目尻に堪った雫を三蔵は親指の腹で拭う。
そして、

「連れて行ってくれるんだろう?」

と、笑った。
その言葉に悟空は何を言われたのか理解できなかったようで、ぽかんとした顔を三蔵に向ける。

「誕生祝いなんだろ?」

そう言われて、ようやく悟空の顔に笑顔が広がった。
が、すぐに笑顔が萎む。

「悟空?」
「…でも、日が暮れる…」

再び項垂れた悟空の頭を三蔵は軽く叩き、顔を上げさせた。

「いいんだよ。気にせず連れて行け」
「でも…」

渋る悟空に三蔵は小さく息を吐き、告げた。

「今日は満月なんだよ」
「満月…?」
「ああ、満月だ」

三蔵の言わんとする事がなかなか腑に落ちなかった悟空だったが、やがて、”満月”の意味を掴んだ悟空の顔にもう一度、笑顔の花が咲いた。

















日の落ちた空は山の端に入り日の名残を残し、濃紺の衣を黒に染め変えてゆく。
その薄暗がりをカンテラを下げた子供と、大きな荷物を提げた青年が枯れ葉を敷き詰めた山道をゆるゆると辿っていた。

「三蔵、こっち」

いつもより少し厚着をした子供の大地色の髪が薄闇に跳ねる。
その後ろ姿に付いて歩きながら、三蔵は荷物の重たさに疲れたため息を零した。

「…笙玄の奴…」

二人をにこやかに送り出した側係の笑顔が思い出されて、三蔵は腹が立つ。
用意された弁当の多さに目を剥く三蔵に、

「悟空はお昼もたべてないですからね。あ、それとこれは悟空が三蔵様のために用意したモノですから」

そう言って渡された小振りの重箱と手提げ籠。
その全てを三蔵が持って運んでいるのだ。
痺れて来た手を休めるために荷物を置いて立ち止まれば、前を行く子供がその気配を察して駆け戻ってくる。

「俺が持つって」

差し出される手を断って、三蔵は荷物を抱えなおした。

「まだか?」

代わりに目的地への距離を聞けば、この坂を越えた所だと返事が返る。
ならばと、三蔵が歩き出したのを見て、悟空もまた、歩き出した。






「ここだよ」

坂を上りきった先に不意に開けた景色に、三蔵は息を呑んだ。

昇ったばかりの満月の柔らかな光に照らされた紅葉。
紅く色付くモノ、黄金に輝くモノ、混じり合い折り重なる錦。
そして濃い緑のままの木々。
艶やかに光を放つ梢。
舞い落ちた葉が織りなす絨毯は、月光を浴びて絹の光沢を見せる。

紅葉した木々の妖艶な輝きとそれを包む大地の気に、三蔵は圧倒された。

「綺麗だろ?な、気に入ってくれた?」

声もなく見惚れる三蔵に悟空が笑った。
カンテラに照らされた笑顔が、一瞬、その景色に融ける。

「悟空!」

はっと、我に返った三蔵が荷物を取り落として、悟空の腕を掴んだ。
突然の出来事に悟空は、バランスを崩し、三蔵の腕の中へ倒れ込む。
その拍子に手に持ったカンテラがぽすんと、二人の足許に落ちた。

「さんぞ?」

倒れ込んだ姿勢のまま、三蔵に抱き締められた悟空は不思議そうな声音で三蔵の名を呼んだ。

見惚れた景色のその中で、カンテラの柔らかな光に浮かび上がった悟空の姿に、三蔵は何より見惚れた。
嬉しそうに綻んだ金眼が月光とカンテラの明かりに、蜜色に融ける。
月光を浴びるその姿は、儚さをまといながらも力強く、命の輝きに満ちていた。

何者にも代え難い存在。

その姿が沸き立つ大地の気にほんの一瞬かき消された。
その一瞬で、三蔵は魂が冷えた。

無意識にこぼれ落ちた名前と、伸ばした腕。
倒れ込んできた身体に鼓動が跳ねる。
そして、腕の中の確かな温もりに三蔵は安堵の息を吐いた。

「なあ、三蔵?」

抱き締めた腕の中で悟空がもぞもぞと身じろぎ、一向に答えない三蔵の様子に悟空は小さく笑った。

「俺、三蔵の傍にいるよ?」
「…ああ」
「何処にもいかねえって」
「解ってる」
「さんぞ?」
「うるさい」
「…さぁんぞってば」
「喧しい」

耳元で聞こえる三蔵の声に悟空はくすぐったそうに首を竦めて。
そろそろとその腕を三蔵の背中に回した。

「誕生日おめでと」

回した腕に力を込めて、

「大好き」

ぐりぐりと三蔵の胸に額を押し付けた。
その仕草に三蔵はため息を吐いて、

「知ってる」

答えた声は、宵闇に零れて融けた。




end

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