「きれぇ…」 小さく区切られた小振りの重箱。 一の重には、秋の甘露。 色、形様々な菓子と肴が並ぶ。 「もう、蓋を閉めていいですか?」 訊けば、見とれていた子供がほんのりと頬を染めて頷いた。 「用意、出来ましたよ」 包みと籠を持って、子供は極上の笑顔を浮かべた。
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秋日和 |
昨日、三蔵の誕生祭だと、一日、早朝から夜遅くまで寺院の行事に付き合わされた三蔵は、まだ眠っていた。 毎年、毎年、出席する、しないで笙玄に前の晩から抵抗していた三蔵だったが、数年前から諦めたのか、腹をくくったのか、定かではないが、真面目に行事に参加するようになっていた。 寺院に着院して以来、三蔵は三蔵法師がどうしても出席しなければならない行事以外、殆ど参加しない、毎月定められている説法会にも年に数えるほどにしか出席した事がない。 そんな三蔵が出たくもない公式行事に参加した翌日は、どんなことがあっても休みと決まっていた。 悟空はそっと荷物を居間の机に置くと、寝室へ向かった。 「…さんぞ」 何度か揺するともぞもぞと身体を動かす三蔵に、悟空の口元が綻んだ。 「さんぞ…三蔵…」 遠慮がちだった悟空の手に力が入り、三蔵の身体をきつく揺り動かす。
明るい陽の光を浴びる寝台に、悟空は薄紅の花を咲かせた素肌を晒して眠っていた。 「三蔵様、まだいらしたのですか?」 丁度乾いた洗濯物を片付けに入って来た笙玄と顔を合わせたのだ。 「なんだ?」 笙玄の返事に三蔵は思わず寝室を振り返った。 「…お弁当も用意致しましょうか?」 笙玄の言葉に三蔵の顔が苦虫を噛みつぶしたようになる。 「…………頼む」 にっこりと、これ見よがしな笑顔を浮かべて笙玄は頷き、三蔵に背を向けたのだった。
悟空が目覚めた時、陽は既に西に傾き始めていた。 「三蔵のバカぁ……バカ…」 悪口が尽きたのか、悟空は力無く振り上げた腕をシーツに落とし、項垂れた。 「…三蔵に見せたかったのに…日が暮れちゃったら見られないじゃんかぁ…綺麗だったのに……」 ぐすっと鼻を鳴らす。 だが、三蔵にも言い分があった。 それでも素直に受けた。 「せっかくの誕生日のお祝いだったのに……」 ぽつりと漏れた言葉に三蔵は紫暗を見開いた。 「………悟空」 名前を呼べば、薄い肩先が揺れた。 「三蔵様、ご用意出来ました」 三蔵の答えに笙玄の返事が返り、気配が遠ざかった。 「……な、に?」 不安げな表情で三蔵を見上げてくる金眼の目尻に堪った雫を三蔵は親指の腹で拭う。 「連れて行ってくれるんだろう?」 と、笑った。 「誕生祝いなんだろ?」 そう言われて、ようやく悟空の顔に笑顔が広がった。 「悟空?」 再び項垂れた悟空の頭を三蔵は軽く叩き、顔を上げさせた。 「いいんだよ。気にせず連れて行け」 渋る悟空に三蔵は小さく息を吐き、告げた。 「今日は満月なんだよ」 三蔵の言わんとする事がなかなか腑に落ちなかった悟空だったが、やがて、”満月”の意味を掴んだ悟空の顔にもう一度、笑顔の花が咲いた。
日の落ちた空は山の端に入り日の名残を残し、濃紺の衣を黒に染め変えてゆく。 「三蔵、こっち」 いつもより少し厚着をした子供の大地色の髪が薄闇に跳ねる。 「…笙玄の奴…」 二人をにこやかに送り出した側係の笑顔が思い出されて、三蔵は腹が立つ。 「悟空はお昼もたべてないですからね。あ、それとこれは悟空が三蔵様のために用意したモノですから」 そう言って渡された小振りの重箱と手提げ籠。 「俺が持つって」 差し出される手を断って、三蔵は荷物を抱えなおした。 「まだか?」 代わりに目的地への距離を聞けば、この坂を越えた所だと返事が返る。
「ここだよ」 坂を上りきった先に不意に開けた景色に、三蔵は息を呑んだ。 昇ったばかりの満月の柔らかな光に照らされた紅葉。 紅葉した木々の妖艶な輝きとそれを包む大地の気に、三蔵は圧倒された。 「綺麗だろ?な、気に入ってくれた?」 声もなく見惚れる三蔵に悟空が笑った。 「悟空!」 はっと、我に返った三蔵が荷物を取り落として、悟空の腕を掴んだ。 「さんぞ?」 倒れ込んだ姿勢のまま、三蔵に抱き締められた悟空は不思議そうな声音で三蔵の名を呼んだ。 見惚れた景色のその中で、カンテラの柔らかな光に浮かび上がった悟空の姿に、三蔵は何より見惚れた。 何者にも代え難い存在。 その姿が沸き立つ大地の気にほんの一瞬かき消された。 無意識にこぼれ落ちた名前と、伸ばした腕。 「なあ、三蔵?」 抱き締めた腕の中で悟空がもぞもぞと身じろぎ、一向に答えない三蔵の様子に悟空は小さく笑った。 「俺、三蔵の傍にいるよ?」 耳元で聞こえる三蔵の声に悟空はくすぐったそうに首を竦めて。 「誕生日おめでと」 回した腕に力を込めて、 「大好き」 ぐりぐりと三蔵の胸に額を押し付けた。 「知ってる」 答えた声は、宵闇に零れて融けた。
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