Conscious

荒々しい音を立てて扉が開かれたかと思う間もなく、叩き付けるように扉が閉じられた。
そのあまりな大きな音に、床で絵本を読んでいた悟空が、飛び上がるようにして振り返った。
そこには、珍しく顔を紅潮させ、肩で息をした三蔵が立っていた。

「…さんぞ…?」

どうしたのかと、悟空は恐る恐る問いかける。
その声に悟空の方を振り返った紫暗の瞳を彩る怒りに、悟空は竦み上がった。

「さ…さん…ぞ?」
「サル、水持ってこい」

吐き捨てるように悟空に言いつけると、窓の下の長椅子に荒々しく腰を落とした。
悟空は何時にない怒りのオーラをまき散らし、イライラと落ち着かない三蔵を呆然と見つめていた。

「サル、水!」
「あっ、う…うん」

怒鳴られて悟空は慌てて水をくみに走った。

「はい、水」

恐る恐る差し出された水を奪うようにとると、一気に飲み干す。

「もう一杯」

ぐいっと差し出されたコップを悟空は受け取ると、また水をくみに走り、大急ぎで戻ってきた。
戻ってみれば、三蔵は先程とうって変わって、疲れたようにぐったりと身体を長椅子に沈み込ませて、目を瞑っていた。

「…あ、さんぞ…水」

小さな声で三蔵を呼ぶと、億劫そうに目を開け、悟空の差し出した水を受け取った。
今度はゆっくりと飲み、テーブルにコップを置いた。
悟空はそんな三蔵の側に立って、じっと不安を湛えた金の瞳で見つめていた。




三蔵はいつも感情をあまり表に出さない。
大抵は無表情か、不機嫌な顔をしている。
その三蔵が怒りも顕わに自室に戻ってきた。
長椅子に座って、組んだ両手に額を乗せてうつむいている三蔵からは、今も怒りが治まっていないことがひしひしと伝わってくる。



一体何があったと言うのだろう。



これほどの怒りを三蔵が覚えるほどの何があったと言うのか。
悟空は三蔵の側でかける言葉を飲み込んだまま、立ちつくしていた。





しばらくはそうしていた悟空ではあったが、やはり三蔵の怒っている理由を知りたい欲求には勝てず、そっと三蔵を刺激しないように声をかけた。

「何かあった?」
「うるせぇ!」

間髪入れずにうつむいたまま返される返事に含まれる棘に悟空は、
思わず目を瞑って身を竦ませる。

「で、でも…」

それでも三蔵が気になる悟空は言葉を続ける。

「黙れ、サル」
「サルって言うな」
「喧しい!」

顔を上げることなく返される言葉に先程のような棘はなく、代わりに痛みを悟空は感じた。

「さんぞ?」

悟空は少し三蔵に近づいて名前を呼ぶ。
小首を傾げてうつむいたままの三蔵を覗き込んだ。
と、不意に身体を起こした三蔵に腕をとられ、そのまま引っ張られて、悟空は三蔵に抱き込まれてしまった。

「な、何?!」
「黙れ」

驚いて身じろぐ悟空を黙らせると、その細い肩先に顔を埋めた。

「三蔵…」

呼んでも答えは返ってこない。
悟空は長椅子に座る三蔵の膝の間に入り込む形で、抱き込まれて身動きできないでいた。
聞きたい事は結構あったが、自分を抱き込む三蔵から伝わる痛みに悟空は少し悲しそうな顔をして、抱かれていた。




何が稚児だ。
誰が稚児趣味だ。
それも妖怪に手を出しただと。
三蔵にあるまじき行為だと。

三蔵らしいって何だ?

一体何処を見てそんな馬鹿げた事をぬかしやがる。

あの日、お師匠様より頂いた「三蔵」という称号。
お師匠様が望んだことでなければ、こんなもの受け継ぎはしなかった。



───強くおありなさい、玄奘三蔵法師



こんな思いをしてまで手にしていたいものでは断じてない。

でも───

お師匠様からあの日奪われた天地開眼経文。
それを取り戻し、仇を討つまではと我慢してきた。
くだらねえ仕事も義務だと思えば、こなしてきた。
それが何だ。



───しかたねえから、連れってやるよ



こんな猿一匹のことでそこまで言うのか、あのカス共は。
こいつは、この猿は慰みものなんかじゃない。
こつは俺のペットだ。



───三蔵、大好き



こつは俺の……






悟空を抱きしめる三蔵の力が強くなった。
悟空はその強さに息苦しさを感じて身じろぐ。
それでも三蔵の手の力は緩まず、肩に置かれた顔も上げられなかった。
傾きかけた陽の光に光る金糸をしばらく見つめていた瞳を悟空は、窓の外へ移した。
夕焼けが始まっていた。
茜色に染まる寺院の屋根瓦が、沈む夕日に光っているのが見えた。
その光が金の瞳に反射して、一瞬黄金のきらめきを放つ。
さっきまでの怒りや、胸を突く痛みは、もう三蔵からは感じられなかった。
今は、静かな気持ちが満ちている。
悟空は肩先にある三蔵の頭に自分の頬を付けた。
その時、

「…悟空」

三蔵の声がした。
悟空の好きな、静かで優しい色を含んだ声で呼ばれた。

「何?」

そっと答える。
その悟空の声にようやく顔を上げた三蔵の静かな瞳と目が合った。

紫暗の瞳に悟空が映っている。
黄金の瞳に三蔵が映っていた。

「悟空…」

もう一度、三蔵が名を呼ぶ。

「…さんぞ」

悟空も三蔵の名を呼ぶ。
ゆっくりと、三蔵の顔が近づき、お互いの唇が触れた。
離れた途端、驚きに見開かれる金の瞳。

「…ど…して……」

吐息のような声で悟空が問う。
その問いに三蔵は一瞬目を伏せ、もう一度悟空を見上げた。

「悟空──」

名を呼ぶ。
全ての思いを込めて、三蔵が名を呼ぶ。

やがて、悟空の顔にゆっくりと花が開くように笑顔が生まれた。
儚げで透明な笑顔。

「うん、大好き」




それは心ない言葉から生まれた真実。
それは怒りによって気付いた心。

誰よりも強く
誰よりも─────




end

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