優しい時間
「三蔵、チビ知らねえ?」 ミルクの皿を持って悟空が執務室を覗いた。 「いねえぞ」 ぷうっと頬を膨らませてしまう。 「笙玄、もういいから一緒に探してやれ」 三蔵の言葉に笙玄は頷くと、膨れている悟空に向き直った。 「三蔵様のお許しが出ましたよ、悟空」 笙玄の言葉に膨れいた悟空の顔があっという間にほころぶ。 「いいの?」 それでも三蔵の顔を伺う悟空に、自分でも呆れるほど甘いと思いながら三蔵は悟空の機嫌を取ってしまう。 「ああ、かまわん。とっとと行って来い」 途端、先程とは打って変わった輝くような笑顔を浮かべて、返事を返すのだった。
チビというのは、十日ほど前に悟空が裏山で拾ってきた薄い茶色と白の毛をした琥珀色の瞳の子猫の名前だった。 その日から、寝てもさめても子猫にかかりっきりの悟空の姿を寺院のあちこちで見るようになった。
楽しい日々が続いた。
子猫は愛くるしい仕草でミルクをねだり、悟空にじゃれついた。
まだ幼い子猫が、部屋の扉を自分で開けて外へ出て行くことはまず、あり得ない。
「さんぞぉ──っ!」 何事と、顔を上げる三蔵の首に悟空は飛びついた。 「何だ?」 首にかじりつく悟空を引き剥がそうとしているところに、笙玄が戻ってきた。 「笙玄」 と呼べば、笙玄は困ったような表情で三蔵の側へやってきた。 「何があった?」 引き剥がそうとしても剥がれない悟空に諦めて、三蔵は悟空の身体を膝に抱き上げた。 「子猫…僧侶が捨ててしまったそうなんです」 笙玄の話に三蔵は、悟空が自分に抱きついて動かない理由に納得した。 「居なくなったもんはしょうがねぇ。無事に誰かに拾われていることを願ってやれ」 三蔵の言葉に悟空は泣き濡れた金の瞳で、そんなのごまかしだと、訴える。 「わかるさ。俺はお前の飼い主だからだ」 自信たっぷりに告げる三蔵の言葉に悟空は、呆れた顔をする。 「変なの…」 三蔵はふんと鼻を鳴らして、悟空を膝から下ろした。 「洗って…くる」 と言って、寝所に戻っていった。 「何だ?」 笙玄の言葉に三蔵は、何を言い出すんだとあからさまに眉を顰めた。 「あんなに可愛がっていたんです。それを捨てられて、ショックが大きいでしょうし、寂しいと思います。それに、最近三蔵様はお忙しくて、子猫に悟空の相手を任せっぱなしだったではありませんか」 三蔵は笙玄の言葉に、脱力を禁じ得ない。 「では、すぐに用意致します。悟空にも知らせてきますね」 バタバタと寝所へ走って行ってしまった。 「…なに…マジかよぉ…」 三蔵はぐったりと椅子に身体を預けると、こめかみを押さえて唸った。
弁当の包みをリュックに入れてもらって、悟空は嬉しそうに三蔵の少し前を歩いてゆく。 柔らかく暖かな陽ざしが木々の葉陰を写し、晴れた空はどこまでも青い。 三蔵は短くなった煙草を投げ捨てると、先を行く悟空を愛しげに見つめた。
子猫が捨てられたことが悲しいわけでなく、必要とされなかった事が悲しかった子供。
「なあ、向こうの方に行ってみねえ?」 分かれ道、悟空は立ち止まって行き慣れた原っぱとは違う道を指していた。 「好きにすれば…」 途中で三蔵の言葉は途切れ、訝しんだ悟空の耳に聞き慣れた声が聞こえた。 「八戒と…悟浄?」 そう?と三蔵を見れば、苦虫を噛みつぶした顔がそこにあった。 「あっ、来たよ」 指さす方を見れば、見たくもない姿が二つ、こちらに近づいてきた。 「悟空─っ!」 八戒が手を振っている。 「八戒─っ!悟浄─っ!」 悟空は嬉しそうに両手を振って二人を出迎えた。 「なんとか追いつきましたね」 二人を迎える悟空は嬉しそうに笑い、三蔵は不機嫌な顔を向けた。 「どこ行くんです?」 八戒の問いかけに悟空は三蔵とだよと、幸せな笑顔を向ける。 「じゃあ、僕たちもご一緒していいですか?」 と、問えば、 「いいよ、お弁当もあるし、ピクニックになる!な、さんぞ」 そう言って、三蔵を見やった。 「お邪魔だったぁ?」 シナを作って三蔵に問えば、すかさずハリセンが飛ぶ。 「ってぇな、邪魔なら邪魔って口で言え、クソ坊主」 話を振られた八戒が、そうですと、頷く。 「お菓子をたくさん作ったのでお裾分けに持ってきたんですよ。その途中で、こっち歩いてゆくあなた方を見つけたんです。それで、急いで後を追ってきたと、言うわけです」 そう言って、悟空の前に下げていた袋を見せた。 「ホントに?」 びっくりする悟空に優しい笑顔で頷いてやる。 「じゃあ、早く行こう!」 悟空は八戒の手を掴み、空いた手で三蔵の手を握ると二人を引っ張って、いつもの道を歩き出した。 「ご、悟空…」
幸せな笑顔が見たくて、甘くなる。 この子のためならば、この笑顔のためならば、何だって出来る、してやる。 優しい時間と優しい季節の狭間の出来事。
end |
リクエスト:悟空が拾ってきた猫を僧が何処かに捨ててしまい落ち込んでしまった悟空を心配した笙玄が、三蔵と悟空を散歩に行かせるが、悟浄と八戒が途中参加して散歩がピクニックに変わってしまうお話。 |
9000Hitありがとうございました。 謹んで、葵咲さまに捧げます。 |
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