on his way home

ひたひたと人の気配のない夜道を三蔵は帰る道を辿っていた。
その姿に沖天にかかる月が柔らかな光を投げかけていた。

全てが眠りにつく時間。

引き留める仕事先の寺院の僧侶たちの手を振り切って出てきた。
急ぎの仕事だと酷く急かされて、いつもなら必ず出かけることを告げて納得させて置いてくる養い子に何も告げることも顔を見ることもできずに追い立てられるように出かけてきた。

それほど急いで訪れた依頼先で待っていたのは実にくだらない仕事だった。
そのあまりな内容に、腹が立つやら情けないやら。
どこにもぶつけられない感情を全て無表情という仮面の中に押し込め、自分で自分を褒め称えたいほどの忍耐を持って最速で片づけた。

そして、仕事先の寺院を飛び出してきたのだ。

依頼人達の感謝の気持ちも、寺院へ帰るには遅い時間だということも、いつもの何倍も疲れていることも三蔵の足を止める理由にはならなかった。
ただ、寺院へ、黙って置いてきた養い子の元へ帰りたかった。

だから、わき目もふらず、月が照らす夜道を三蔵は歩いていた。
黙々と待っているだろう養い子のことだけを胸に描きながら前だけを向いて。

やがて、寺院の麓の街に入った時、三蔵はふと、足を止めた。
薄暗い街灯の照らす道の向こうを伺う。
じっと、暗い道の向こう、何かの気配を伺うように、探るように見つめ、目を凝らす。
と、警戒し、堅い表情が、訝しげなそれに変わった。
そして、近づいてくる気配の持ち主が誰なのか気付いたのか、訝しげな顔が、ゆっくりとほころんでゆく。

「バカが…」

呟く言葉に苦笑まで混じって。
こんな時間に、という気持ちより何より嬉しさが込み上げてくる。
三蔵はほころび浮かぶ口元の笑みもそのままに、近づく気配に向かって歩き始めた。

やがて、軽やかな足音が聞こえ、小柄な影が見えた。
影は三蔵の姿を認めたのか、一瞬、戸惑うように立ち止まった。
その様子に、

「おい」

声をかければ、弾かれたように駆け出し、三蔵の懐に飛び込んできた。

「三蔵っ!」

受け止めた影は、何よりも大事な存在。
寺院に置いてきた養い子だった。

子供は飛びつく瞬間に三蔵の名前を一度呼んだきり、胸元に顔を埋めて動かない。
ただ、背中に回った手が、法衣を握りしめる力が、子供の気持ちを代弁していた。

三蔵は何も言わず大地色の頭をくしゃりと撫でた。
その感触に子供はぐりぐりと三蔵の胸に頭を擦りつける。
そのどうにも幼い仕草に口元がほころんで、酷くささくれていた三蔵の気持ちが柔らかく解れてくる。

「悟空…」

名前を呼べば、子供の身体が大きく震えた。

「顔、上げねえのか?」

言えば、三蔵の背中に回した腕に力が入った。
その様子に三蔵の口からため息が漏れる。
その吐息にまた、子供の身体が震えた。

「悟空」

もう一度、今度は耳元に唇を寄せるように身体を屈めて名前を呼んだ。
それでも子供は顔を上げようとはせず、三蔵に一層しがみついて少しでも離れないと言わんばかりだ。

その頑なな様子に、どれほど子供が一人で不安だったのか、寂しかったのか伺えて三蔵の眉根が寄った。
けれど、いつまでもここでじっとしている訳にはいかない。
子供はきっと黙って寺院を抜け出して来たはずだ。
気付いていなければいいが、ああいう出かけ方をしてきた時の子供の状態をよく知る側仕えの僧侶が、子供を放って置くわけがないから、きっと今頃、寝室にいない子供を捜して心配しているはずだ。

「…ったく、仕方ねえな」

小さく呟いて三蔵はふわりと、子供の華奢な身体を抱きしめた。
その感触に、ようやく子供がそろそろと顔を上げた。

「……さん…ぞ…」

上げた視線の先に柔らかな光を湛えた紫暗の瞳があった。











遊びに出掛けた裏山でたくさんの木の実やキノコを拾った。
晩秋の森の最後の稔りを見つけて、悟空はとても嬉しかった。

明日は三蔵の寺院を上げての誕生祭。
次の日は三蔵の公休日で、一日一緒にいられる日だ。
もちろん、三蔵の誕生日でもあるから、この今日収穫した稔りで、笙玄に何か美味しい物を作ってもらおうと考えている。
甘いお菓子も作ってもらって、二人でのんびり過ごすのだと二日後を今から楽しみにしていた。

けれど、楽しみに帰った悟空に告げられたのは、急な依頼で三蔵が出掛けたという報告だった。
いつもなら、どんなに急いた仕事でも、必ず悟空の顔を見て、行ってくると告げて出掛けるはずの三蔵が、それすら出来ないほど、急いで、急かされて出掛けたという。

「…危険な仕事…?」

問えば、

「…よく、わかりません。ごめんなさい、悟空」

と、困惑した返事が返った。
それは、側仕えにすら告げる暇もなく飛び出して行ったということなのだ。

「そっか…」
「悟空…?」

笑ったつもりが笑えて無かったのか、笙玄が大丈夫かと、様子を窺う。

「いつ帰ってくるの?」

明後日ならいいと、願いながら訊けば、

「たぶん…二、三日ぐらいと…」

あやふやな答えが返った。
では、明後日は三蔵が居ない確率が高いではないか。

「悟空…大丈夫ですか?」

問われて、自分が酷く意気消沈していることに悟空は気付いた。
三蔵が仕事でいないなんて、いつものことだ。
そう、いつものことだから。
自分は…、

「大丈夫…──あ、これ…今日、山で集めたんだ」

手に提げてすっかり忘れていた籠を差し出せば、笙玄がにこりと、笑顔を見せて受け取った。

「たくさんですね」
「うん…三蔵に食べてもらいたくて…」

笙玄の言葉に頷けば、

「では、美味しい物をたくさん作りましょうね」

悟空が帰り道、想像していた通りの返事が返った。
そのことが、何だか嬉しいような、寂しいような気持ちになる。
だから、

「でも、間に合わないじゃん…」

言ってしまう。
言いたくないのに。

「大丈夫ですよ、間に合いますから、ね?」
「ぜってぇ間に合わない。だから…それ、捨てていいから」
「勿体ないですよ。せっかく、悟空が一生懸命集めた物でしょう?ちゃんと、美味しいものにしないと、ですね」

拗ねた悟空の言葉に、何も咎めることなく紡がれた優しい笙玄の言葉だったけれど、悟空は素直に頷くことができなかった。






三蔵が遠出の仕事でいないけれど、三蔵法師の生誕祭は例年通り行われた。
賑わう寺院を余所に、悟空は部屋に籠もっていた。

側仕えの僧侶が、気を利かせて悟空が好む出店の食べ物や菓子を運んでくれたが、いつものようにそれに見向くこともなかった。
気遣ってくれる優しさに背を向け、悟空は泣きたいような、淋しいような、やるせない気持ちを抱えたまま、三蔵が居ない部屋に籠もっていた。

そして、三蔵からの連絡もないまま、日は明け、悟空が心待ちにしていた日も、三蔵は戻ってこなかった。

「……さんぞの…バカ…」

日暮れて、夜の帷が降り、日付も変わる時間、何もする気にはなれず、早々に寝床に入った悟空は、自分を呼ぶ声に気付いて、身体を起こした。

「…だ、れ…?」

問うても、返事が返る様子もなく、けれど、確かに自分は呼ばれているとわかる声。

「ま、さか…?」

耳に聞こえる声ではなく、直接心に響く聲のような…。
気付けば確かに。

「さんぞ…!」

悟空は大急ぎで着替えると、寝所の窓から夜の帷の中へ飛び出して行った。






走って、走って、澄んだ月光の中をひたすら走って。






月光の中に見つけた姿は────






「…おかえり」

小さな声で紡がれた言葉に、三蔵はそっと、悟空の耳元に唇を寄せて返事を返す。
その返事に、悟空はくすぐったいのか肩を竦めた。
そして、

「あの…あの…さ…」

戸惑いながら、でも、待ちきれないように言葉を紡ぐ悟空の三蔵を見上げてくる金瞳が、月の光を受けて閃く。

「何だ?」

落ち着かすように見つめ返せば、

「誕生日、おめでと…」

花綻ぶ笑顔が生まれた。
けれど、すぐにそれは、円く膨らんで、

「でも…間に合わなかったじゃんか…」
「そうか?」

拗ねた言葉がこぼれた。
それに答える笑いを含んだ三蔵の声に、訝しげに顔を見やれば、時計台の鐘が鳴った。

「……えっ?!」

驚いて振り仰ぐ悟空に、

「今、日付が変わった」

言えば、

「間に合った…?」

きょとんと、狐につままれたような顔付きで、三蔵を見返してくる。
その何とも稚い表情に三蔵はぽんぽんと、悟空の頭を叩き、

「間に合ってるよ」

言えば、それはそれは嬉しそうな笑顔が花開いた。
その笑顔につられるように、三蔵の口元も綻んでゆく。
が、

「やったぁ──っ!」

続いてあげた悟空の歓声に、思わず三蔵はハリセンを振り下ろしていた。
小気味の良い音が、寝静まった路地に響く。

「─…ってぇ…」
「でけえ声出すな!」

涙の滲む目で見返す悟空に言えば、こくこくと頷きが返った。
それに、一つ吐息をこぼすと、三蔵は踵を返した。

「帰るぞ」
「うん!」

頷くなり、飛びつくように三蔵の腕に抱きついてきた悟空を振り払うことなく、三蔵は歩き出したのだった。




end

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