on his way home |
ひたひたと人の気配のない夜道を三蔵は帰る道を辿っていた。 その姿に沖天にかかる月が柔らかな光を投げかけていた。 全てが眠りにつく時間。 引き留める仕事先の寺院の僧侶たちの手を振り切って出てきた。 それほど急いで訪れた依頼先で待っていたのは実にくだらない仕事だった。 そして、仕事先の寺院を飛び出してきたのだ。 依頼人達の感謝の気持ちも、寺院へ帰るには遅い時間だということも、いつもの何倍も疲れていることも三蔵の足を止める理由にはならなかった。 だから、わき目もふらず、月が照らす夜道を三蔵は歩いていた。 やがて、寺院の麓の街に入った時、三蔵はふと、足を止めた。 「バカが…」 呟く言葉に苦笑まで混じって。 やがて、軽やかな足音が聞こえ、小柄な影が見えた。 「おい」 声をかければ、弾かれたように駆け出し、三蔵の懐に飛び込んできた。 「三蔵っ!」 受け止めた影は、何よりも大事な存在。 子供は飛びつく瞬間に三蔵の名前を一度呼んだきり、胸元に顔を埋めて動かない。 三蔵は何も言わず大地色の頭をくしゃりと撫でた。 「悟空…」 名前を呼べば、子供の身体が大きく震えた。 「顔、上げねえのか?」 言えば、三蔵の背中に回した腕に力が入った。 「悟空」 もう一度、今度は耳元に唇を寄せるように身体を屈めて名前を呼んだ。 その頑なな様子に、どれほど子供が一人で不安だったのか、寂しかったのか伺えて三蔵の眉根が寄った。 「…ったく、仕方ねえな」 小さく呟いて三蔵はふわりと、子供の華奢な身体を抱きしめた。 「……さん…ぞ…」 上げた視線の先に柔らかな光を湛えた紫暗の瞳があった。
遊びに出掛けた裏山でたくさんの木の実やキノコを拾った。 明日は三蔵の寺院を上げての誕生祭。 けれど、楽しみに帰った悟空に告げられたのは、急な依頼で三蔵が出掛けたという報告だった。 「…危険な仕事…?」 問えば、 「…よく、わかりません。ごめんなさい、悟空」 と、困惑した返事が返った。 「そっか…」 笑ったつもりが笑えて無かったのか、笙玄が大丈夫かと、様子を窺う。 「いつ帰ってくるの?」 明後日ならいいと、願いながら訊けば、 「たぶん…二、三日ぐらいと…」 あやふやな答えが返った。 「悟空…大丈夫ですか?」 問われて、自分が酷く意気消沈していることに悟空は気付いた。 「大丈夫…──あ、これ…今日、山で集めたんだ」 手に提げてすっかり忘れていた籠を差し出せば、笙玄がにこりと、笑顔を見せて受け取った。 「たくさんですね」 笙玄の言葉に頷けば、 「では、美味しい物をたくさん作りましょうね」 悟空が帰り道、想像していた通りの返事が返った。 「でも、間に合わないじゃん…」 言ってしまう。 「大丈夫ですよ、間に合いますから、ね?」 拗ねた悟空の言葉に、何も咎めることなく紡がれた優しい笙玄の言葉だったけれど、悟空は素直に頷くことができなかった。
三蔵が遠出の仕事でいないけれど、三蔵法師の生誕祭は例年通り行われた。 側仕えの僧侶が、気を利かせて悟空が好む出店の食べ物や菓子を運んでくれたが、いつものようにそれに見向くこともなかった。 そして、三蔵からの連絡もないまま、日は明け、悟空が心待ちにしていた日も、三蔵は戻ってこなかった。 「……さんぞの…バカ…」 日暮れて、夜の帷が降り、日付も変わる時間、何もする気にはなれず、早々に寝床に入った悟空は、自分を呼ぶ声に気付いて、身体を起こした。 「…だ、れ…?」 問うても、返事が返る様子もなく、けれど、確かに自分は呼ばれているとわかる声。 「ま、さか…?」 耳に聞こえる声ではなく、直接心に響く聲のような…。 「さんぞ…!」 悟空は大急ぎで着替えると、寝所の窓から夜の帷の中へ飛び出して行った。
走って、走って、澄んだ月光の中をひたすら走って。
月光の中に見つけた姿は────
「…おかえり」 小さな声で紡がれた言葉に、三蔵はそっと、悟空の耳元に唇を寄せて返事を返す。 「あの…あの…さ…」 戸惑いながら、でも、待ちきれないように言葉を紡ぐ悟空の三蔵を見上げてくる金瞳が、月の光を受けて閃く。 「何だ?」 落ち着かすように見つめ返せば、 「誕生日、おめでと…」 花綻ぶ笑顔が生まれた。 「でも…間に合わなかったじゃんか…」 拗ねた言葉がこぼれた。 「……えっ?!」 驚いて振り仰ぐ悟空に、 「今、日付が変わった」 言えば、 「間に合った…?」 きょとんと、狐につままれたような顔付きで、三蔵を見返してくる。 「間に合ってるよ」 言えば、それはそれは嬉しそうな笑顔が花開いた。 「やったぁ──っ!」 続いてあげた悟空の歓声に、思わず三蔵はハリセンを振り下ろしていた。 「─…ってぇ…」 涙の滲む目で見返す悟空に言えば、こくこくと頷きが返った。 「帰るぞ」 頷くなり、飛びつくように三蔵の腕に抱きついてきた悟空を振り払うことなく、三蔵は歩き出したのだった。
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