あなたのために出来ること
三蔵が倒れた。 突然の出来事に悟空は。声も上げられず、身動きすら出来ずに立ちすくむしかなかった。 「…さ、んぞ…あっ……」 零れんばかりに瞳を見開き、カタカタと小刻みに震えている。 「三蔵様!」 慌てて駆け寄る笙玄の声に、悟空はへたんと糸が切れた人形のように床に座り込むと、ぽろぽろと涙を零した。 「…さんぞ…さん、ぞ…さんぞぉ……」 泣きじゃくる悟空をそのままに、笙玄は倒れている三蔵を抱き起こそうと手を伸ばした。 「三蔵様…!」 助け手を差し出そうとする笙玄を無視して、三蔵は悟空を呼んだ。 「大、丈夫だ。俺は大丈夫だから、泣くな」 床に何とか体を起こして座ると、三蔵は悟空に側に来いと手招きした。 「さんぞ…」 泣き濡れた金の瞳に溜まった涙を指で拭ってやる。 「でも…倒れた」 なかなか納得しない悟空に、大丈夫だからと笑ってやり、くしゃっと頭を撫でてやる。 「…三蔵様…」 笙玄がはらはらと見つめる中、何とか椅子にすがらずに三蔵は立った。 「笙玄、後は任せた…」 三蔵は悟空に「手を貸せ」と言って立たせ、その肩に手を置いて寝室に入って行った。
「さんぞ、大丈夫か?」 自分の肩に置いた三蔵の手が震えているのがわかる。 「さんぞ…」 三蔵は寝台の上掛けをめくると、寝台に倒れ込んだ。 「さんぞ!」 頷く悟空の顔に薄く笑いかけると、三蔵はそのまま眠ってしまった。
悟空はぎゅっと自分の胸の辺りを掴んで、眠っていても苦しそうな三蔵の寝顔をしばらく見つめた後、何かを決心したように一人頷くと、そっと三蔵の側から離れ、振り返り、振り返り、何処かへ出掛けて行った。
笙玄は三蔵が悟空と共に寝室に入ったのを見届けると、医師の康永を呼びに診療所へ走った。 康永を急かして、戻ってくれば、寝室に悟空の姿は無く、荒い息を吐きながら苦しそうに眠る三蔵だけが居た。 「三蔵様、申し訳ないがお起こし致しますよ」 康永が軽く三蔵の肩を揺すると、三蔵の瞳が開いた。 「…康永?」 僧衣の前をはだけ、聴診器を当てる康永に、三蔵は悪態を付く。 「それだけおっしゃれれば、大丈夫ですね」 三蔵の悪態にも動じない康永に、三蔵はふんと鼻を鳴らすと窓の方へ顔を背けてしまった。 「今、流行の風邪です。このまま三、四日大人しく養生して下さい。久しぶりに良い休暇が取れますよ」 康永の言葉に三蔵が、噛みつく。 「では、きちんとお薬を飲んで、笙玄の言うことを聞いて安静になさっていて下さい。そうすれば、早く治って良い休暇が取れます」 噛みつく三蔵を軽く受け流しながら、康永は釘を刺すことも忘れなかった。 「あ、悟空にはくれぐれも移さないで下さい」 ぷいっと、そっぽをまた向いてしまう。
三蔵が眠ったのを見届けると、笙玄は姿の見えなくなった悟空を探しに出掛けた。 三蔵が悟空の目の前で倒れて、寝込んだ。
悟空は、裏山へ向かって走っていた。 「大丈夫。三蔵の為だからへーき」 頬を撫でる風にふわっと笑う。 「薬草…探しに行くんだ。風邪に良く効くやつ」 色づき始めた木々の間に佇んで、悟空は風に語りかけた。 「そっか…じゃあ、もっと奥で訊いてみる」 悟空は根の絡まった獣道を軽々と走って、尚も奥へと向かう。 眼下に谷川が流れる谷が広がり、悟空の立つ斜面の正面の頂きにから細いが水量の多い滝が流れ落ちている。 「すっげぇ……」 しばしその風景に見とれていた悟空に、ここまで一緒に来て悟空の頭で休む小鳥がチチッと鳴いて、悟空の注意を引き戻した。 「あっ、そうだ、薬草!」 はっとして、慌ててきょろきょろと辺りを見渡す。 「風邪に効くやつで、えっと…甘い草、な」 悟空の言葉にそれぞれが頷く仕草を見せる。 「それ、違う…ごめんな」 次に鹿が、蔓草をくわえてくる。 「ごめん、違う。ありがと」 山の生き物たちが持ってきては見せる草や木の実一つ一つに、礼と確認をしながら悟空は頂の周囲や谷間を覗く斜面の周囲を探し回った。 夕暮れが、訪れようとしていた。 夕暮れの訪れを告げる太陽の光に、悟空の丸い頬が仄かに赤く染まる。 「日が暮れてきた。急がなくっちゃ……うわっ!」 空を見上げていて足下の注意を怠った悟空は、足を滑らせたかと思うと、勢いよく斜面を谷川の岸辺に向かって滑り落ちた。 「痛ってぇ…」 あちこちすりむいて、あちこちかぎ裂きを作って、痛む背中や腰を庇いながら悟空は体を起こした。 「あったぁ!」 身体の痛みも忘れて悟空は立ち上がると、目の前に群生している薬草に駆け寄った。 「よかったぁ。これで三蔵の風邪、治る」 悟空はほっと息を吐くと、薬草を引き抜き始めた。 「追いかけて来てくれたんだ。ありがと。お陰で薬草が見つかったんだ」 すりむいた悟空の顔や手に鼻面を押しつける鹿や狐たちに引き抜いた薬草を見せる。 「これ、甘草って言うんだ。根っこが風邪に効くって康永先生がこの間遊びに行った時、教えてくれたんだぜ」 自慢げに説明してみせては、甘草を引き抜いてゆく。 「急がなきゃ」 悟空は両手に持ちきれるだけの甘草を集めると、帰り道を探した。 「あれ…こっち?」 行きかけた悟空の服を鹿が引っ張って止める。 「違うの?」 悟空の問いかけに鹿が頷く。 「サンキュ!」 悟空は素直に頷くと、甘草を抱えて走り出した。
三蔵は康永の薬が効いたのか、熱も下がり、幾分すっきりした気分で寝台に体を起こしていた。
あのバカは、何処に行った?
夕焼けが始まったら部屋に戻っていろと。 先程、粥を持ってきた笙玄が昼食を食べに悟空が戻ってこなかったと言っていた。 夜着の上に手近にあった上着を羽織ると、三蔵は悟空を探すために寝室を出た。 そして、扉に手をかけようとした時、勢いよく扉が開かれ、泥に汚れた傷だらけの悟空が飛び込んできた。 「何しやがる!」 上に乗った悟空にすかさずハリセンが力一杯振り下ろされる。 「三蔵様?!」 悟空を腹の上に乗せたまま、ハリセンを振るう三蔵の姿に笙玄はあっけにとられる。 「い、痛いって!痛いってば、三蔵!!」 パパンと最後にもう一度ハリセンを悟空の頭に見舞うと、三蔵は腹の上から悟空を転がり落として、立ち上がった。 「で、こんな時間まで何してた?そんな小汚い格好になるまで遊んでたのか?」 食卓の椅子に腰を下ろして悟空に問えば、悟空は違うと大きく首を振り、腰に巻いていたシャツをほどいて三蔵に差し出した。 「何だ?」 怪訝な顔でそれを受け取り、食卓の上で包みをほどいた。 「甘草ですか?」 それを見て笙玄が声を上げる。 「うん。それ風邪に良く効くって康永先生が言ってたから…さんぞ、すっげぇ苦しそうだったから…だから…」 笙玄の言葉に頷きながら、ようやく悟空の口から帰宅が遅くなった謝罪が紡がれる。 「さ、さんぞ?」 びっくりして声を上げる悟空の耳元に唇を寄せると、そっと囁いた。
翌日、笙玄によって康永のもとへ悟空が採ってきた甘草が届けられ、三蔵の風邪薬に調合された。 やがて、悟空の薬のお陰か、三蔵の風邪は以外に早く治り、残った三蔵の休暇の大半は悟空のために使われたとか、使われなかったとか。
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リクエスト:風邪を引いて寝込んでしまった三蔵のために、笙玄に内緒で寺院の裏山で薬草を探して回る悟空。 |
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ありがとうございました。 謹んで、樋口妻子 様に捧げます。 |
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