花 信 風




年も明け、あと幾日かすれば立春。
『東風解凍(はるかぜ、こおりをとく)』とは言え、まだ寒い日は続く。



午後から仕事がなかったので居間で薫りのいい茶を啜りながら
新聞を読んでいた三蔵は、ふと外が気になり眼鏡を外して目線を上げた。

窓の外にはいつも元気な悟空が何かして遊んでいたようだが、
ふとその動きを止めたのが目に入る。

初めは少しぼーっとしていたように見えたのだが、次の瞬間驚くほど嬉しそうな、それでいてしっとりとした笑顔を浮かべる悟空の姿が紫暗の瞳に映し出された。

側に誰かがいるような気配は無い。
自分ですらあんな笑顔の悟空には滅多とお目にかかれないというのに。
悟空の事になると見境無くなりますねぇと食えない笑顔で言ってくる碧眼の男を思い出した。

「ちっ」

持ち主に吸い切られることの無かった煙草は、灰皿へとギュッと押し付けられ、そこから微かに煙を立ち上らせていた。

自分以外のものにあの綺麗な笑顔を向けるのはどうにも許せない。
醜い嫉妬だとは分かっていても、それは飽くまでも頭で分かっているだけだ。
感情は全く別のところで働いているらしいから。

自分の感情に思考を巡らせている間に悟空は居間の窓ガラスをコツンコツンと叩いて俺を呼びに来ていたらしい。

「どうした?」

手にしていた新聞を無造作に畳んで窓に近づく。
開けた途端まだまだひんやりとする外気が入り込んできて、春とは名ばかりだと身に沁みる。
そして目の前の悟空には、自分の感情を悟らせないよう努めて冷めた声色で問う。

「うん、・・・一緒に裏山に行って欲しくてさ」

悟空はちょっと照れくさそうに人差し指で頬をぽりぽり掻いていた。

「・・・・・・・・」

「もう、仕事無いんでしょ?偶にはつきあってよ」

「お前の誘いに全部乗ってたらこっちの身が保たねぇよ」

そうだ、この間もちょっと一緒に来てと言われてうっかり付いて行けばとんでもない山奥へと連れて行かれた事を思い出した。
辿り着くまでに法衣の裾は森の湿った土で汚れ、張り出した小枝で端々が鉤裂きになるし・・・。
確かに行き着いた先は、滔々と流れ落ちる滝があり、周りの景色も美しく、まるで見事な一幅の軸を見るような思いだった。
が、しかしそこは、全然「ちょっと」と言えるような所じゃなかったのだ。

そんな俺を見てどう思ったのか

「行ってくれるよね、さんぞ」

そう言って窓越しに軽くキスしてきやがった。
いつもなら恥ずかしがって自分からはしてこないのに。
最近は余り我が儘を言ってこなくなった悟空からのお強請りに、仕方なくつき合ってやることにした。

決してキスしてきたからなんかじゃねぇからな。

そう心で言い訳なんかしてみたのはせめてもの自尊心だ。













二人連れだってやって来たのは、今や悟空の庭と化した少し開けた寺院の裏山。
ここへ来る人間は殆ど無く、手入れもされていないから種種雑多な植物が生い茂ってはいるが、どことなく心休まる感じのする場所だ。

「ここだよ、三蔵」

数歩先を歩いていた悟空は笑顔を浮かべて振り返った。
そして悟空の後に見えたのは一本の木。

「梅、か?」

「うん。さっきね、咲いたから見においでって」

「梅がか?」

悟空はいろんなものと言葉じゃないもので意志の疎通を図れるからそう聞いてみた。

「ううん。違うよ、風・・・かな」

「風?」

「うん。大切な人と見に来てって」

そう言ったから三蔵を誘ったのだと笑う悟空。
周りを見渡してもまだ芽吹くかどうかといった木々ばかりなのに。
この一本だけが、ちらほらと可愛らしい花を咲かせていたのだ。

きっと悟空に見せたくて、一足先に花を咲かせたのだろうこの梅は。
こういった悟空に対する自然界の行為に漠然とした不安を覚えてしまう。
自然に同化して、目の前からこの大切な存在が消えて無くなるんじゃないかと・・・

情け無ぇ

こんな弱っちろい自分に反吐が出そうになる。
気持ちを紛らわそうと煙草に手を伸ばしかけたら、悟空が急に抱きついてきた。

「何しやがる」

「ん?俺、何処にも行かないから安心して?」

「予定は未定だ」

「俺のは確定してるから未定じゃないよ!」

膨れっ面でそう言ってくる悟空はまだまだ幼い。
いつか手放さなきゃいけないだろうと思う。
ただ、それがずっとずっと先であるようにと胸の奥で願ってはいるが・・・

「でもさ、三蔵がもう要らないって言うなら・・・べ、つか・・・もしんないけど、さ」

見れば大きな黄金色の瞳には大粒の滴が浮かび初め、今にも零れ落ちそうだった。

「それは、・・・・・ねぇよ」

「そ、れこそ・・・未定じゃんかぁ」

とうとう滴が溢れ出した。

泣かすつもりなんか無かったのに。
自分の弱い心の中を見透かされた気がして、結局コイツを泣かせてしまった。
先程抱きしめかけて宙に浮いていた腕を、今度こそ失いたくない存在の背中に回す。

「俺にはお前が必要だから」

全身の血が逆流しそうな言葉を口にした俺は、悟空の手を引っ張って足早にその場から寺へと引き返すことにした。

悟空は悟空で狐にでも抓(つま)まれたような顔をしながら引きずられて。
でも、三蔵からの滅多と聞けない自分に対する想いを聞けた悟空は引きずられて行くうちに涙は乾き、いつもの愛らしい笑顔が・・・

たった一吹きの風の便りから始まった出来事は、悟空の花咲くような微笑みで幕を閉じた。
残念ながら、この笑顔を見る余裕は三蔵には無かったらしい。







* * *

ちょこっと春らしく、ほのぼのチックにと思ったら、
何だかワケの分からないものになりました(玉砕)。
仕方ありませんね、私ですから。いつものことですが、
これからも精進致します、少しでも想いが伝わるように。
それとですね、壁紙。お気づきでしょうが、桃です。
ですが、ここは何が何でも紅梅に見て下さい!
お願いします。探したのですが見つからなくて・・・
諦めない辺り、往生際が悪いですけどね。スミマセン。
2003.01.31




<kiyora 様 作>

kiyora様のサイト「星降る夜の天使」の2000Hit企画のフリー小説です。
持って帰って良いと言って頂けたので、素早く頂いてきちゃいました。
三蔵の悟空へのいつも心に引っかかっている小さな不安。
それを敏感に感じ取って、払拭しようとする悟空の優しさが、
そこはかとなく漂いだした春の気配のように三蔵の身体も心も包んで行く。
その悟空の暖かい優しさに、少しだけ素直になって自分の気持ちを吐露する三蔵。
柔らかな大地にしみ通る二人の様子が心に染みました。
kiyora様、素敵なお話をありがとうございました。

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