金剛石
毎日毎日、何処か渇きを覚えながら生きている。
一体何が自分に足りないのかさえ分からずに・・・家も裕福、仕事は順調。
何もかも恵まれているという自覚は、確かに三蔵の胸の内にある。
が、心に巣くう飢えと渇きの迷宮から抜け出せずにいた。
あの日、彼に逢うまでは・・・
少しでも気が紛れるならと時折訪れていた花街で、虚ろな紫暗に飛び込んできたのは一人の禿。
「お前、この店のモンか?」
急に話しかけられ、ポカンと口を開けた幼げな禿は、少しして頭を一度上下に振った。
「店にはもう出てるのか・・・客取ってんのか?」
それには直ぐ、ほっそりとした首を横に振る。
が、自分で自分を抱きしめ・・・愛らしい桜唇を戸惑いがちに開いた。
「俺・・・もうすぐ店に出るんだ」
「怖いのか」
「・・・うん。でも・・・自分で決めたことだから」
諦めたように円らな金瞳を伏せる。
「お前、名は?」
「悟空」
「俺は三蔵だ。俺の名前、忘れんな!」
はっとして悟空が顔を上げたときにはもう、三蔵と名乗った男の姿はなかった。
初めて目にした金糸は奕々(えきえき)と輝き、自分を映し出す菫色の瞳はとても優しそうな色合いで。
凛乎たる容姿に目が奪われ、暫くは何を言われたのか分からないほどボーっとしてしまった。
凄く綺麗な人だったなぁ・・・
どうせ汚れていくしかない自分の体。
初めての客が彼ならいいのに・・・辛いことばかりだろうこれからに、一つくらい綺麗な思い出が持てるならやって行けそうな気がしたから。
無理だよね、そんなこと
自嘲気味に笑みを浮かべると、悟空は店の中へ戻って行った。
小さい頃、店の前に捨てられていたのを、子供を亡くしたばかりの店の女将に拾われて。
有り難いことに、我が子のように育てて貰ってきた悟空。
だが、自分には女将に返せる物など何も持ち合わせていなかったから・・・「男を抱く男もいる」と聞き、これしかないと思い付いたのだ。
どうせ、この店を出て生きていく術など知らないのだし、恩人である女将に恩返しが出来るならと。
そう考えて女将に客を取りたいと申し出たのは十の頃。
女将は驚いて止めろと言ってくれたが、他に何も出来ないからと・・・
それから店の太夫に付いて禿になった。
客を喜ばせるという点に置いて、男も女も同じだろうから。
それから五年。
少し長かったかも知れない禿立ちだっただろうか。
それは、女将が考え直せと言ってくれていたのかも知れない。
でも、それも後二〜三日。
そんな時に出逢ったのが、三蔵だったのだ。
「悟空、本当にもう・・・後には引けないよ、いいんだね」
「うん、いいよ。大丈夫」
夕焼けが綺麗に空を茜色に染め上げていた。
そろそろ花街にも少しずつ灯が点り始める夕刻、女郎が並ぶ店先にポツンと小柄な悟空も着飾って初めての顔見せを。
「遊んで行っておくれよ、ねぇ・・旦那ぁ」
媚びた声を出して客を取ろうとする女郎達。
悟空も声を出そうとするが、喉がカラカラに乾いて張り付き、普段通りに声が出せない。
それでも時間の経過と共に、通り過ぎていく人の数が徐々に増えてくる。
格子越しに、時折悟空に興味を持った男達が、値踏みで舐め回すように見つめてくる。
が、男だと分かれば興味が薄れるのか、みな去っていった。
男を抱きたい男の人って少ないのかな・・・
ぼんやり表の提灯へと目を向けていた。
「お前、新顔?」
「はい」
声が聞こえたので意識を戻せば、目の前にはどうにも生理的に受け付けない感じの男が一人立っていた。
「・・・もしかして男か?」
「あ・・・えと・・はい」
「ふーん、まぁいいや。お前にしよう」
げっ・・・止めてくれ
と思っても、断れる立場では最早無く。
「ありがとうございます」
仕方ないよな・・・自分で決めちゃったんだもん
大きく息を吸い込んで、何もかも吹っ切れるようにと願ってから息を吐き出して。
男を迎えるため、悟空はペタペタと足音を立てながら、店の入り口へと向かった。
と、何やら店先で言い争う声が聞こえてきた。
「俺が先に声掛けたんだぞ、お前が手を引け」
「お前になんか渡せるか、変態野郎!」
声の主は先程の男と・・・此処にいるはず無い三蔵だった。
「お前の客は俺だよな」
「・・・・・・・・・・・」
悟空には何故店先で、二人が言い合っているのかが分からなくて。
「てめぇより先に、俺がコイツを見つけたんだからな」
「そんな事知るわけねーだろ!?」
「喧しい!」
三蔵の拳が鳩尾に決まり、男は呻きながら頽れていった。
「あ、あの・・・」
「名前・・忘れちまったのか」
「ちが・・さ・・三蔵・・さんがどうして」
「お前を迎えに来た」
「何で?」
「お前に客なんか取らせねぇ!」
「でも俺・・・」
オロオロする悟空の肩を抱き寄せ、奥から何事かと出てきた女将に開口一番。
「おい、女将。コイツは俺が貰い受ける。幾らだ」
呆気に取られた悟空や店の連中をそっちのけで、いきなり身請け話に入ろうとした三蔵。
こんな騒ぎは慣れたものだと気にする素振りを見せもせず、幾分表情の硬い紫暗の主へ女将はにこり。
「こんな店先ではなんですから・・・どうぞ奥へ」
「ああ。・・・行くぞ、悟空」
返事は女将に、促す言葉は悟空に掛けて。
三蔵は返事も待たずに悟空の肩を抱いたまま、奥の座敷へと上がり込んでいった。
「で、悟空。こんな気っ風のいい旦那と何処で知り合ったんだい?」
「この前・・店の前に立ってたときだよ」
「で、どうなんだ。幾らならコイツを受けられるんだ」
「幾らでもよござんすよ。旦那がこの子の値段を決めて下さいましな」
自分が引き留めるのも聞かず、恩返しのために男娼になろうとした悟空の身請け話。
本来なら目一杯ふっかけて、これから先見込めただろう儲けに上乗せした額を要求すればいいのだろうが、女将にそんな気は更々無かった。
「この子は・・悟空は、私の死んだ子供の生まれ変わりみたいなモンなんでね。心底大事にしてくれるようなトコじゃないと、遣れやしませんよ」
三蔵を値踏みするような女将に、微かに口角を上げて。
「なら、これでどうだ?」
紙に書かれた金額は、一番人気の太夫を軽く二〜三人は、身請けできそうな金額だった。
「いいんですかい?旦那。こんなに出して・・・然も悟空は男だって分かってるんでしょうね」
「構わん」
やっと見つけた至宝に、他人の手垢が付くなんてとてもじゃないが許せなかった。
一目見て惹かれた悟空に、三蔵の中の渇きは瞬時にして癒されてしまったのだから・・・
「・・・悟空、俺の所へ来るのは嫌か」
「ううん。なんか夢見てるみたいで・・・嬉しいよ」
悟空の金瞳からキラキラ光る大粒のダイヤが一滴(ひとしずく)、零れ落ちた。
「はいはい、続きは部屋でやっとくれ。で、旦那」
「なんだ」
「この子のこと、泣かせたら承知しないからね」
「ああ」
「悟空、幸せにおなり。此処には辛いまま、一生終えてく女が大勢居るんだからね」
「うん・・・ありがとう、おかあさん」
翌日、悟空は女将や仲良くしてくれてた女郎達に見送られ、三蔵と共に長年住み慣れた店を後にした。
風の便りによれば、悟空がいた店は、あの後店を畳んだらしい。
女将が悟空の身請けの金で、他の女郎達の借金分をチャラにして、それぞれ身が成り立つようにしてやったとか・・・
「なんだかまだ、夢見てるみたいだな。・・・三蔵に触れられるたびに、夢なら醒めないでって思っちゃうから」
「夢みたいなのは、俺も同じだ」
やっと見つけた大事な金剛石(たから)は、この手の中に・・・
fin.
|