風 吹き渡る紅 木陰 揺れる黄金 夕暮れ 降りる帷 徐は、愛しき紫暗の宝玉
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黄金の森 |
何処までも続く銀杏の森。 黄色、黄緑、緑───時折、舞い落ちる葉が、吐息のような音を立てる。 誰もいない森に、もうすぐ夕暮れの帷が落ちる。 森の中程に、一際大きなつがいの銀杏の樹がその幹を寄り添いあって、天にその手を伸ばしていた。 その根元に、流れ落ちる夕暮れの光を金糸に纏い付かせた三蔵としどけなく横たわる悟空の姿があった。
西への旅路の途中で立ち寄った小さな街。 森は鬱蒼と常緑樹が茂って、昼尚暗い。 悟空にだけ聴こえる大地の声。 風の声、花や草、木々の声。 大地と自然界に属するモノ全ての声が、悟空には聴こえる。 寺院にいる時、三蔵が仕事で遠出をすると寂しくて仕方なかった。 だから、不思議なもので、悟空は岩牢を出てから一度も、三蔵が居ない寂しさ以外、寂しいという気持ちを抱いたことはなかった。 そんな声が悟空を誘う。 常緑樹の立ち並ぶ場所を抜ければ、景色は一変した。 「…すっげぇ……」 無意識に零れる感嘆のため息。 悟空を呼ぶ声は、悟空の驚きに嬉しそうに笑う。 「これを見せてくれるために、呼んでたんだ…ありがとうなっ!」 声の意図に気が付いた悟空は、それは嬉しそうな笑顔を見せた。
まったりと、三蔵は久しぶりに手にした新聞を読みながら、静かな時間を楽しんでいた。 「さんぞー!一緒に来てくれよ!」 新聞をたたんで机に置くやいなや、悟空が頬を染めて駆け込んできた。 「……!!ってぇ…」 殴られた頭を押さえて、悟空は入り口の床にへたり込んだ。 「てめぇは一体、いくつになったら静かに部屋に入れるようになるんだ?」 悟空を殴ったハリセンは、いつの間にか三蔵の手から消え、代わりに温くなった緑茶の入った湯飲みを持ち、その茶を飲みながら、三蔵は呆れた声音で問いかける。 「もう…殴んなよな…」 拗ねて立ち上がった悟空に、 「で、何を見つけたんだ、てめぇは?」 そう言って悟空のふくれっ面に三蔵が視線を向ければ、今、拗ねていたのは冗談かと思えるほどの笑顔を浮かべた。 「うん!すっげぇ綺麗なとこ。なあ、一緒に行かねぇ?俺、三蔵にも見せたくて戻ってきたんだ」 行こうと、三蔵の手を取る。 「めんどくせぇ…」 ぐいぐいと動かない三蔵の手を引っ張る悟空の力に、三蔵は小さくため息を漏らす。 「…どうしてもダメか?」 見つめてくる金瞳が、心なしか潤んで見えたのは気のせいだろう。 「…さんぞ?」 三蔵の言葉が、良く理解できなかったのか、悟空がきょとんとした顔をする。 「行くんだろう?」 戸口へ向かう三蔵の様子に、ようやく気が付いた悟空はそれは嬉しそうに頷いた。
「こっち…」 三蔵の手を引いて悟空は、銀杏の森を目指す。 「おい、そんなに引っ張るな」 悟空に引っ張られるまま、薄暗い鬱蒼とした森を歩く。 溢れかえる黄金色。 三蔵はその紫暗を見開いて、その場に立ちつくした。
「…う…ぞう…三蔵」 悟空の呼び声に我に返った。 「な、綺麗だろ?」 珍しく頷く三蔵の手を再び取って、悟空は森の奥へ誘う。 「なあ、もっと奥へ行ってみねぇ?」 悟空の誘いに、三蔵は黙って一歩を踏み出した。
呼んでくれてたのは、おまえ達だったんだ…
つがいの大きな銀杏の樹。
ありがと…
幹を抱き込むようにして礼を述べる。 銀杏の巨木の幹を抱くように腕を回している悟空の華奢な背中を見つめる三蔵は、法衣の中で、拳を握り締めた。 この季節は、本当に大地の自然の気が強くなる。 三蔵の不安を煽る季節。 この手をすり抜けて行ってしまうのではないかという、不安。 三蔵は銀杏を背に振り返った悟空を取られまいと、その歩みを進めた。
悟空は三蔵が近づいてくる気配に振り返った。 三蔵の全てを覆い隠すような黄金色。 自然が、大地が、三蔵を奪っていきそうに思えて、悟空は三蔵めがけて走った。
お互いがお互いに抱く不安。 還るな。 お互いにお互いを求める想いは、何物にも代え難く、強い。
飛び込んできた悟空を抱きしめ、掴んだ三蔵の背中を抱きしめて、二人の姿は黄金色の雨に隠れた。 やがて甘い吐息と艶やかな声が、静かな森を紅に染めた。
「日が…暮れるね」 眠っていたはずの悟空が、身体を起こした。 「さんぞ…」 ゆっくりと三蔵に腕を伸ばし、悟空は柔らかな微笑みを浮かべた。 「さんぞ…」 抱き込まれた胸に当てた耳から直接響く声に笑みを深くして、悟空は見下ろす三蔵の紫暗を見返した。 「誕生日おめでとう…」 三蔵の答えに金眼を細めて笑う。 「どうした?」 悟空の柔らかな笑顔に、ほんの僅かにその綺麗な柳眉を顰める三蔵に、 「傍に居るから、三蔵も傍に居てよね」 そう言って、笑みを深くした。 「悟空?」 三蔵の言葉に、悟空の瞳が僅かに見開かれる。 「そうだ、約束だ」 悟空が答えるより早く三蔵の手が、悟空の視界を塞いだ。 「…さん、ぞ…」 そのまま抱き込まれ、三蔵の表情は結局悟空には見えなかったが、僅かに上昇した三蔵のぬくもりが、三蔵の表情を悟空に想像させた。 腕の隙間から目に映る茜色に僅かに染まった黄金の森。
風 吹き渡る紅 木陰 揺れる黄金 夕暮れ 降りる帷 徐は、愛しき宝玉の黄金
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