風 吹き渡る紅

木陰 揺れる黄金

夕暮れ 降りる帷

徐は、愛しき紫暗の宝玉



黄金の森
何処までも続く銀杏の森。
黄色、黄緑、緑───時折、舞い落ちる葉が、吐息のような音を立てる。

誰もいない森に、もうすぐ夕暮れの帷が落ちる。

森の中程に、一際大きなつがいの銀杏の樹がその幹を寄り添いあって、天にその手を伸ばしていた。

その根元に、流れ落ちる夕暮れの光を金糸に纏い付かせた三蔵としどけなく横たわる悟空の姿があった。






西への旅路の途中で立ち寄った小さな街。
宿が決まって、八戒と悟浄は買い出しに出掛けた。
悟空はひとり、街に入ってから聞こえる声の主に導かれるように、街外れにある森に向かった。

森は鬱蒼と常緑樹が茂って、昼尚暗い。
悟空を呼ぶ声は、その森の奥から聴こえていた。

悟空にだけ聴こえる大地の声。

風の声、花や草、木々の声。
動物達の声。
果ては、月や太陽、空、水・・・・・。

大地と自然界に属するモノ全ての声が、悟空には聴こえる。
それは悟空が、大地が産み落とした生き物だからなのか、定かではなかった。
ただ、声が聴こえる。
それが当たり前だから、こうして何処にいてもいつでも声は聴こえて、一人ではないと思えるから不思議なものだ。

寺院にいる時、三蔵が仕事で遠出をすると寂しくて仕方なかった。
そんな時、大地の声は、悟空の寂しさを少しでも宥めようと、様々に形を変えて声を届けてくれた。
時には、還ってこいと、強引に誘う時もあったが、大地は悟空を大切に見守ってくれ、愛してくれていた。
それは旅に出ても変わらず、つかず離れず、遠く近く、声は悟空を包んでいた。

だから、不思議なもので、悟空は岩牢を出てから一度も、三蔵が居ない寂しさ以外、寂しいという気持ちを抱いたことはなかった。

そんな声が悟空を誘う。

常緑樹の立ち並ぶ場所を抜ければ、景色は一変した。
そう、目の前には、広大な黄金色に色付いた銀杏の森が広がっていたのだ。

「…すっげぇ……」

無意識に零れる感嘆のため息。
悟空の黄金にも似て、三蔵の豪奢な金糸にも似て、悟空はその場に声もなく立ちつくした。

悟空を呼ぶ声は、悟空の驚きに嬉しそうに笑う。

「これを見せてくれるために、呼んでたんだ…ありがとうなっ!」

声の意図に気が付いた悟空は、それは嬉しそうな笑顔を見せた。
そして、ふと、何か思いついたのか、くるりと踵を返すと、街への道を走り出したのだった。
















まったりと、三蔵は久しぶりに手にした新聞を読みながら、静かな時間を楽しんでいた。
が、それも聞こえてくる足音が、終わりを告げていた。
三蔵は深々と疲れたようなため息を吐き、喧しい声と身体を受けとめるべく、身構えた。

「さんぞー!一緒に来てくれよ!」

新聞をたたんで机に置くやいなや、悟空が頬を染めて駆け込んできた。
すかさず振り下ろされるハリセンが、気持ちいいほどに澄んだ音を響かせる。

「……!!ってぇ…」

殴られた頭を押さえて、悟空は入り口の床にへたり込んだ。

「てめぇは一体、いくつになったら静かに部屋に入れるようになるんだ?」

悟空を殴ったハリセンは、いつの間にか三蔵の手から消え、代わりに温くなった緑茶の入った湯飲みを持ち、その茶を飲みながら、三蔵は呆れた声音で問いかける。
その問いかけに、悟空は涙の堪った金眼を三蔵に向け、むっと、唇を尖らせた。

「もう…殴んなよな…」
「静かにできねぇ、てめぇが悪いんだろうが」
「いいよもう…」

拗ねて立ち上がった悟空に、

「で、何を見つけたんだ、てめぇは?」

そう言って悟空のふくれっ面に三蔵が視線を向ければ、今、拗ねていたのは冗談かと思えるほどの笑顔を浮かべた。

「うん!すっげぇ綺麗なとこ。なあ、一緒に行かねぇ?俺、三蔵にも見せたくて戻ってきたんだ」

行こうと、三蔵の手を取る。
が、三蔵は動こうとはしない。

「めんどくせぇ…」
「いいじゃんか。な、三蔵」

ぐいぐいと動かない三蔵の手を引っ張る悟空の力に、三蔵は小さくため息を漏らす。
そのため息に、悟空の顔が曇った。

「…どうしてもダメか?」

見つめてくる金瞳が、心なしか潤んで見えたのは気のせいだろう。
が、悟空の萎れた様子に自分が勝てないこともまた、事実で。
三蔵はもう一度、大きく息を吐くと、立ち上がった。

「…さんぞ?」
「本当に綺麗なんだろうな」
「えっ…?」

三蔵の言葉が、良く理解できなかったのか、悟空がきょとんとした顔をする。
その表情に、三蔵は胸の内で苦笑を漏らす。

「行くんだろう?」

戸口へ向かう三蔵の様子に、ようやく気が付いた悟空はそれは嬉しそうに頷いた。
















「こっち…」

三蔵の手を引いて悟空は、銀杏の森を目指す。

「おい、そんなに引っ張るな」

悟空に引っ張られるまま、薄暗い鬱蒼とした森を歩く。
そして、二人は黄金の森へ出た。

溢れかえる黄金色。
風すらも息を潜めた静寂。
果てのない黄金色の森。

三蔵はその紫暗を見開いて、その場に立ちつくした。




「…う…ぞう…三蔵」

悟空の呼び声に我に返った。

「な、綺麗だろ?」
「ああ…」

珍しく頷く三蔵の手を再び取って、悟空は森の奥へ誘う。

「なあ、もっと奥へ行ってみねぇ?」

悟空の誘いに、三蔵は黙って一歩を踏み出した。
やがて一際大きくそびえ立つ樹の前に、二人は立った。
そして、知る。



呼んでくれてたのは、おまえ達だったんだ…



つがいの大きな銀杏の樹。
悟空をこの森へと呼んだのは、この銀杏の樹であったらしい。
悟空が幹に手を触れれば、微かに枝を揺らした。



ありがと…



幹を抱き込むようにして礼を述べる。
それにもう一度、銀杏は枝を揺らし、黄金の雨を降らせた。

銀杏の巨木の幹を抱くように腕を回している悟空の華奢な背中を見つめる三蔵は、法衣の中で、拳を握り締めた。

この季節は、本当に大地の自然の気が強くなる。
悟空を求める声が、三蔵にすら聴こえるほどに、喧しくなる。

三蔵の不安を煽る季節。

この手をすり抜けて行ってしまうのではないかという、不安。
悟空を側に置くようになってから、常につきまとう。
それが三蔵の勝手な不安だとしても、胸に巣くった不安の影は、この季節になると大きく三蔵の心を覆ってしまう。

三蔵は銀杏を背に振り返った悟空を取られまいと、その歩みを進めた。




悟空は三蔵が近づいてくる気配に振り返った。
そこには、黄金色に染まる三蔵の姿があった。

三蔵の全てを覆い隠すような黄金色。

自然が、大地が、三蔵を奪っていきそうに思えて、悟空は三蔵めがけて走った。




お互いがお互いに抱く不安。

還るな。
奪われないで。

お互いにお互いを求める想いは、何物にも代え難く、強い。




飛び込んできた悟空を抱きしめ、掴んだ三蔵の背中を抱きしめて、二人の姿は黄金色の雨に隠れた。

やがて甘い吐息と艶やかな声が、静かな森を紅に染めた。
















「日が…暮れるね」

眠っていたはずの悟空が、身体を起こした。
はだけたシャツから、淡い朱の華が垣間見える。

「さんぞ…」

ゆっくりと三蔵に腕を伸ばし、悟空は柔らかな微笑みを浮かべた。
その伸ばされた腕を引いて、三蔵は悟空をその腕に抱き込んだ。

「さんぞ…」
「…なんだ?」

抱き込まれた胸に当てた耳から直接響く声に笑みを深くして、悟空は見下ろす三蔵の紫暗を見返した。

「誕生日おめでとう…」
「ああ…今日か…」
「うん。忘れてた?」
「…まあな」
「やっぱり…」

三蔵の答えに金眼を細めて笑う。

「どうした?」

悟空の柔らかな笑顔に、ほんの僅かにその綺麗な柳眉を顰める三蔵に、

「傍に居るから、三蔵も傍に居てよね」

そう言って、笑みを深くした。

「悟空?」
「約束だから…ね」
「なら、お前もよこせ、約束」
「約束?」

三蔵の言葉に、悟空の瞳が僅かに見開かれる。

「そうだ、約束だ」
「さんぞ?」
「傍に居てやるから、お前も側に居ろ」
「…えっ…?」

悟空が答えるより早く三蔵の手が、悟空の視界を塞いだ。
そして、もう一つ。
それは、耳元で小さく囁かれた。

「…さん、ぞ…」

そのまま抱き込まれ、三蔵の表情は結局悟空には見えなかったが、僅かに上昇した三蔵のぬくもりが、三蔵の表情を悟空に想像させた。

腕の隙間から目に映る茜色に僅かに染まった黄金の森。
三蔵のぬくもりを忘れないと、悟空は思った。




風 吹き渡る紅

木陰 揺れる黄金

夕暮れ 降りる帷

徐は、愛しき宝玉の黄金




end

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