a declaration of moon |
誰も居ない屋上で、一人悟空は煌々と輝く満月を見上げた。
まだ、残暑が色濃く残る九月。 風は夕方に降った夕立で柔らかな湿り気を帯び、半袖のパジャマから伝わる熱は少しだがひんやりしていた。
もうすぐ三蔵はアメリカへ留学してしまう。 その間にこの壊れかけた心臓が止まってしまったら? 三蔵はあの日の約束を守るために医者になった。 でもそれは一緒にいてこその誓い。
「…さんぞ……」 ぎゅっと、パジャマの胸の辺りを握って、悟空は切なげな瞳を満月へと向けた。
いつからだろう、大好きな優しいお兄ちゃんが、大切な人に変わったのは。
いつも不機嫌で、不愛想で、結構ヘビースモーカーで面倒臭がりな人。 女の人にもてて、男の人にももてて、みんなが三蔵を独り占めしたいと思っている事に気付かないくせに、人の気持ちの変化に聡い人。
悟空は外の世界をろくに知らない。 体調が良い時にだけ病院内の私設の学校へゆく。
楽しかった。
学校に行けなくても、友達が出来なくても、外に出られなくても。 三蔵さえ居てくれれば何もいらないとさえ思うようになって。
そして─────
居ないと落ち着かなくなった。 そんな気持ちに名前があることなど知らない悟空は、落ち着かない心を持て余して、容態が不安定になった。
そんな時、知り合った年の割に大人びた少女に言われたのだ。 「それって、悟空は恋してるんだ」 少女が小首を傾げて、悟空の顔を覗き込む。 「ね、今だってちょっと先生のこと考えただけなのに、悟空の顔は赤いよ」 少女は可愛らしい繊手を口元に当ててころころと笑う。
それから、益々三蔵の側に居るだけで壊れかけた心臓が忙しなく動き、息苦しさを覚えるようになった。 悟空の態度の変化を目敏く見つけた三蔵は、さりげなく「どうしたのか」と訊いてくる。
きっと、変に思ってるよな…さんぞ…
小さくため息を吐く。 見上げる月の柔らかくも静謐な光に照らされて、悟空はその金色に三蔵を思う。 「どうしよう…」 誰にともなく呟かれた言葉は、月光に消えて。
───言ってしまえ
声が聴こえた。
───時間はないぞ
胸の内で嵐が吹く。
───迷うな
聴こえないはずの声に、悟空は空を振り仰いだ。 澄んだ黄金の瞳が柔らかな金色に染まる。
拒絶されたらどうしよう。
止めどもなく溢れる不安を抱きしめて、悟空はしばらく己の心と向き合う。
やがて黄金の円らは開かれ、そこに確固たる意志の光が宿っていた。
悟空は一つ深呼吸すると、当直で三蔵が詰めている救急外来へ向かおうと踵を返した。 「……あ…」 明るい月光の中、白衣姿の三蔵がいつもより不機嫌な顔で立っていた。 「お前は、そんなに死にてぇのか?」 紡がれる言葉に怒りが滲む。 夜半の散歩は、三蔵によって禁止されていたから。 「…ごめん」 うなだれて、でもすぐに顔を上げて、悟空はゆっくりと三蔵に近づいた。 「ご、くう…?」 驚いた三蔵の声に、悟空は口元をほころばせた。
ゆっくり深呼吸をして─────
「三蔵が好き…大好き…」
黄金色の柔らかな光の中、悟空の告白が溶けた。
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