木漏れ日




三蔵が、倒れた。



目前に迫ったひと月にも及ぶ国家安寧の為の祈願祭。
その準備のための仕事に追われ、以前から溜まりに溜まっていた疲労を解消する間もなく、寝る間を惜しんでのすえの事だった。



担架に乗せられて寝所に運ばれてきた三蔵に意識はなかった。
きっちりと着込まれた僧衣をゆるめ、寝台に寝かされた三蔵の姿は、悟空を不安にさせるには十分な衝撃を与えた。
バタバタと側係の笙玄や医者が出入りし、張りつめた空気と苦しげな三蔵の姿に悟空は為す術もなく、寝所の片隅に立ちつくしていた。




「しばらくはお休みになられた方がよろしいと存じ上げます。このままご公務をお続けになられることは、お命を縮められる事以外の何ものでもございません。十分に睡眠をとられ、栄養のあるものを召し上がって、規則正しい生活をなされば元のようにお元気になられますでしょう」

執務室に集った寺院の幹部達に医者は、そう告げた。

「どのくらいお休み頂かないといけないのでしょう?」

笙玄の質問に医者は、少し考えた後、

「最低でもひと月は、お休み頂かないとまた、お倒れになられるでしょう」

と、答えた。

「ひ、ひと月もですか」

医者の答えに幹部達は、慌てた。

「それでは来週からの祈願祭が出来なくなるではないか」
「祈願祭よりも三蔵様のお体の方が大切でございます」
「たわけ。祈願祭には皇帝陛下もご臨席なされるというものを、三蔵様がお出にならなくてどうする」

笙玄の言葉に僧正が色をなした。

「僧正様、僧正様は三蔵様のお命を縮めることを良しとせよと仰いますか」
「な、何を側係の分際で!」
「私は、分をわきまえた上で申し上げております」

一歩も引かない笙玄に僧正は、思わず手に持つ扇で笙玄の顔を打った。

「僧正様!」
「瑞雁様!」

二人を見ていた僧正や勒按が、瑞雁僧正を止めた。

そんなやりとりを医者は、情けない思いで見ていたが、医師としてこれ以上三蔵に仕事をさせる事を許すわけにはいかないと、断固とした口調で幹部達に告げた。

「いい加減になさいませ。どちら様もみっともない。皇帝陛下にはきちんと事実をご報告されるがよろしかろう。一時の為に三蔵様のお命をすり減らす様なことを医師として認めるわけには参りません。もし、ご無理を押して祈願祭にご出席なされ、最中にお倒れになったら何と皇帝陛下に申し開きをなされるおつもりですか」

何よりも己の保身を考える幹部達は、言い返す言葉を見つけられなかった。
医者は、笙玄に向き直ると、

「転地療養をお勧めして下さい。雑事をお忘れになって心ゆくまでお休みを取って頂くためにもぜひ」

そう告げた。

「はい。お気が付かれましたら、必ず」

にこりと、笙玄が頬笑む。
その笑顔に頷き、医者は僧正達に向き直った。

「お聞きの通りです。三蔵様には休暇を取っていただきます。三蔵様が安心してお休みになられますようお手配お願い申し上げます」

軽くお辞儀をする。
その人を喰ったような態度に僧正達は、医者を睨むことしか出来ず、忌々しげに踵を返すと、執務室から引き上げて行った。
扉が閉められ、ようやく笙玄と医者は、肩の力を抜いた。

「康永様、ありがとうございました」
「いや、医師として当然のことをしたまでです。出来るだけ早く、三蔵様を別の場所にお移し申し上げてください」
「はい」



そうして、三蔵の休暇が、始まった。











穏やかな風に吹かれ、三蔵は庭に植えられ、枝を大きく広げたナナカマドの木の根元に座っていた。




気が付いたとき、泣きそうな金の瞳を見た。


じっと唇を噛み、小刻みに震える体に力を入れて、寝台の側に座っていた。
だが、目覚めた三蔵の顔を見返すその顔は、儚げな笑顔を浮かべていた。
そして、震えを押し隠すように自分の名を呼んだ。
その声に、同時に響く”声”にどれ程の不安の中にこの小猿がいたか、三蔵は知った。
三蔵は、頬笑む小猿の頬に手を触れながら、

「泣いてんじゃねぇよ」

と、言った。

「泣いてねぇもん」

返る言葉は、強がって、でも、安堵に彩られていたのだった。




三蔵は、使い痛んだ身体を治すために、寺院から離れた小さな村を訪れた。


村は、ほんの百軒足らずの集落で、避暑地としては余り人に知られていない所だった。
三蔵は、身分を隠して、村はずれの瀟洒な一軒家に落ち着いた。
身の回りの世話をする笙玄と片時も側を離れようとしない養い子を伴っての療養となった。






季節は春から夏へと向かう狭間の頃。
木々が明るい緑に染まる。
命がその輝きを増す季節。
暖かな彩りを大地は、その身に纏っていた。
その暖かさを全身で楽しむように、三蔵は吹く風に身を任せていた。



「さんぞーっ」

悟空が三蔵を探して、庭に出てきた。
木の根元に座る三蔵を見つけると、駆け寄ってくる。

「探したんだぞ」

と、怒ったような、すねたような顔を三蔵に向けた。
三蔵は、億劫そうに悟空に視線を向けただけで、何も言わなかった。
ふいっと、顔を逸らすと、穏やかな風に気持ち良さそうに瞳を閉じる。
悟空は、そんな三蔵の足下に座ると、三蔵を見つめた。




ずいぶんと、顔色の良くなった三蔵。


担架に乗せられて運ばれてきた三蔵の姿を見たとき、心臓が止まるかと思った。
それから、三蔵が気が付くまで、もう二度と起きないかも知れないと、どす黒い不安が胸を覆い尽くし、息すら出来なかった。
それでも、三蔵の目が覚めたときには、笑っていようと、泣くのは三蔵が目覚めてからだと自分を励ました。
三蔵が目覚めたとき、ちゃんと笑えた自信があったのに、三蔵にはばれていた。


───泣いてんじゃねぇ


そう言ってホントに薄く微かに笑った三蔵の笑顔を、頬に触れていてくれた三蔵の手のぬくもりを忘れない。


生きて側に居てくれる。
それだけが全て。
きっと、もっとと欲を持てばそれはすり抜けてゆく。
身体を重ねることも、降るように落とされる口づけも、囁く声も、抱きしめる腕のぬくもりも、全ては三蔵が居てこその幸せ。


悟空は、気だるげな三蔵から視線を外せなかった。




じっと見つめる悟空の視線を感じて、三蔵は足下に座る悟空を見やった。


零れそうな大きな金色の瞳の微かな不安の色。
倒れてからずっとその瞳に残る見えない不安。
側を離れようとしない悟空。
側にいないと不安になる自分。
まるで悟空の不安が自分にも伝染してしまったようで、気持ちのやり場に困っていた。




倒れたとき、一番に浮かんだのは悟空の顔。
明るいまっすぐな笑顔。
その笑顔にすがりつくように手を伸ばした。
しかし、伸ばした手は空を掴むだけで、悟空に触れることは叶わなかった。
意識のない間の夢は、声を上げて楽しそうに笑う悟空を追いかけ、自分の腕にその身体を抱き込もうとするたびに空を掴み、走り去ってゆく悟空の後ろ姿を動くことすら、呼び止めることすら出来ずに見つめ、立ちすくむ、その繰り返しだった。


目が覚めて目の前にあった金の瞳にどれだけ安心したことか。
触れた頬のぬくもりにどれだけ救われたことか。
いつの間にかこんなにも離したくない存在になるとは、想像だにしなかった。


───俺も大概だな


認めてしまえば、なんて事のない感情。
三蔵は、口元が自然に緩むのを止められなかった。


悟空は、自分を見返す三蔵の瞳が、いつにも増して穏やかで、優しい光に満ちていることに気が付いた。


穏やかな紫。
夜明け前の清冽なきつさのない、優しいだけの紫。
ほころんだ口元が刻む微笑みに悟空は、顔が赤らむのを止められなかった。

「何だよ?」

居心地悪そうに身じろぎながら、悟空は三蔵の顔を覗き込んだ。

「何でもねぇよ」
「変なの」
「バーカ」

楽しそうに喉をならして三蔵が笑う。
その滅多に見られない笑顔に悟空は、見惚れた。

「何だ?」

今度は三蔵が、悟空の視線に居心地の悪さを感じて身じろぐ。

「えっ?!あ・・な、何でもない」

慌てて顔を背ける悟空の頬は、桜色に染まっていた。
そんな悟空の様子に三蔵は、いたずらを思いついた子供のような瞳で、悟空を呼んだ。

「何?」

呼ばれれば振り返る。
日差しに金色が跳ねる。

「膝、貸せ」
「へっ?!」

言うが早いか、三蔵は悟空を自分の横に引っ張ると、投げ出された悟空の膝を枕に寝ころんだ。

「さ、三蔵!」

狼狽える悟空をよそに三蔵は、楽な姿勢をとる。

「三蔵ってば・・・!」

どうして良いのかわからず、悟空は三蔵の名を呼ぶ。

「うるせえ。俺が貸せつってんだ。てめえは黙って、膝貸してりゃいいんだ」
「い、良いんだって言ったって、俺・・」
「嫌か?」

尚も言い募ろうとする悟空に三蔵が、ちいさく問う。
その声に、じたばたと狼狽えていた悟空の動きが止まった。

「さんぞ・・・?」

問いかける声は、とまどいを乗せて。
答えの変わりに、静かな寝息が聞こえてきた。
そっと覗き込めば、まだ疲れを残してはいたが、穏やかで無防備な三蔵の寝顔があった。

「・・・さんぞ」

三蔵の無防備な寝顔に悟空は、大輪の花が咲き誇るような笑顔を浮かべた。


風は暖かく、木陰は涼しく、季節はその手に夏を掴もうと手を伸ばす。


風に揺れる金糸にそっと口づけを贈りながら、悟空は願った。

三蔵が、元気になるように。
少しでも長く今の時間が続くように。
何処までも続く青い空に。
全ての命に。



まだ、休暇は始まったばかり───




end




リクエスト:三空で、三蔵が悟空に甘えてるお話
5000 Hit ありがとうございました。
謹んで、雪乃月葉様 に捧げます。
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