愛しい貴方(ひと)

はらはらと降るように散る楓の赤く色付いた梢の下に三蔵は佇んでいた。
目に映る景色は鮮やかな色彩で溢れ、晩秋の陽差しがそこここに煌めきを生んでいた。
二、三日前から急に冷え込んできたお陰で木々の色は寄り鮮やかに冴えて、例年にない美しさを纏っていた。
きんと冷えて澄んだ大気と梢の向こうに晴れた蒼空が広がっていた。

三蔵は乾いた微かな音を立てて散る楓の葉の雨の中、ひとつ吐息をついて、降る葉に手を差し出した。
その手のひらにはらりと落ちた楓紅葉をそっと受けた手と反対の手で摘むと、踵を返した。

三蔵は手に持った楓の葉をくるくると指先で廻しながら、ゆっくりと色付いた広葉樹の林の中を歩く。

この庭園は”神苑”と言われ、寺院に所属する修行僧はもとより、一般の信者、どんな金持ちや貴族、皇帝すら足を踏み入れることを許されない庭園だった。
なぜなら、多忙極まりない三蔵法師が、公務に疲れた身体と精神を休め、癒すためのみに、作られたものだった。
だから、ここの存在は、暫くの間、悟空でさえ知らない場所だった。

四季を通じて折々の花が途絶えることなく咲き、手入れがされていないように見えながら、隅々まで手入れの行き届いた野性味溢れる庭。
三蔵は広葉樹の林を抜け、庭園の最も奥まった所に作られた庵の垣根を潜った。
その庵の縁側に、腰を下ろすと、三蔵は深く息を吐いた。

昨日は三蔵法師の生誕祭だと寺を上げての大騒ぎに日付が変わるまで付き合わされた。
ただの、何処にでもいる人間の、それも何処の馬の骨とも知れない孤児である三蔵の生まれた日が何故、それほどまでに大事なのか、未だに理解できない。
けれど、そこに集う人々が落とすモノが寺院にとって大事な収入であることは理解できた。
が、気分は見せ物小屋の珍獣と同じ気がした。

そんな三蔵の忍耐を試すような一日が終われば、その翌日は数少ない三蔵の決められた休日になる。
それは、三蔵が寺院の僧正達から勝ち取ったものだった。

三蔵はよほどの公式行事以外で公に姿を見せることは滅多にない。
節気や寺院の行事など、細かな行事には気が向かない限り出席はしない。
そう世間では囁かれているが、実際は、悟空を手元に置くようになってからは、頻繁に行事に姿を見せるようになっていた。
それが、悟空を手元に置く条件の一つだと言うことは、三蔵と僧正達との内々の約束だったからだ。
だが、もともと見せ物になるような行事が嫌いな三蔵は、自分が行事に参加した翌日は休みにしろと寺院に就任した当初にごねた。
姿の綺麗なその上、最年少で三蔵法師を受け継いだ三蔵は格好の客寄せであったから、僧正達も余り無理強いをしてへそを曲げられては困ると、頷いた。
それが、今持って堅持されているのだった。

三蔵は縁側に座り、ぼうっと振り散る木々の葉と鮮やかに紅葉した風景を見つめていたが、その内、ころんと縁側に寝そべると、そのまま寝入ってしまった。
力の抜けた指先から、はらりと楓紅葉が縁側に落ちた。












悟空は笙玄に用意して貰った昼餉の弁当と酒の肴、おやつを詰めた重箱。
そして、ポットに入れた熱い湯と酒にグラス。
それと自分用の飲み物と緑茶のポットを入れた籠を持って、神苑の落ち葉の降り積もった中を三蔵が待っている庵に向かっていた。

綺麗に色付いた木々が、悟空の姿を見つけては挨拶するように枝を振るわせる。
そのたびに色付いた葉が散って、降る雨のようだった。

「うん、こんにちは」

律儀に木々へ挨拶を返しながら、悟空は弾む足取りで庵の垣根を潜った。
そして、縁側の方へ廻る。
そこで待っていると、三蔵と約束したから。

かさりと降り積もった落ち葉を踏んで縁側を見れば、三蔵が眠っていた。
薄日の差す縁側で、気持ちよさそうに、無防備に眠っていた。
悟空はそっと、縁側の端に、持ってきたモノを置いて、三蔵の傍に近づいた。
けれど、普段であれば人の気配が近づけばすぐに目を覚ますはずの三蔵が、起きない。
それはここだから気を許しているのか、傍に近づいたのが悟空だからなのか、それとも疲れきっているからなのか、どれも当てはまるようで当てはまらない気がして、悟空はじっと、三蔵の寝顔を見つめた。

晩秋の薄日が三蔵の眠る縁側の辺りだけを照らしている。
日向はぽかぽかととても温かいこの時期、日向であればうたた寝をしても風邪を引くことはないだろう。
薄日に照らされて三蔵の金糸がきらきらと輝く。
頬に青い影を落とす睫毛も柔らかな金色の光に揺れた。

本当になんて綺麗な人だろうと思う。
姿は勿論、その生きる姿勢も心根も、三蔵を形作るモノ全てが悟空には綺麗に見えた。
けれど、三蔵の綺麗は冷たい綺麗ではなくて、優しくて温かい。
自覚のない優しさとお人好しな悟空の大事な人だ。

その人が生まれたこの日、一緒にいられる奇跡を誰に感謝すればいいのだろう。
大事で、本当に自分の命よりも大事な存在。
ここに、今こうして生きている礎。
そんな人に巡り会えた幸せは悟空の身体も心も満たし、溢れ出る。

「……三蔵…」

囁くように名前を呼んで、

「誕生日おめでとう……」

生まれてきてくれたそのことに感謝し、何時までも一緒にいられることを願って。
綻ぶように浮かぶ悟空の笑顔は三蔵を照らす薄日に似て柔らかかった。




end

close